原作者の堂野さんは、兵庫県で生まれ2度の転校で岡山県に移り住み、不登校を体験しました。この詩画集に心ひかれた地元・岡山の市民グループが「ぜひ映画化を!」と制作委員会を発足、製作費を集めるところから運動を始め見事に完成させました。出演した子どもたちも地元で公募して選ばれた初々しいメンバーです。

不登校の小中学生は'98年度には12万8千人(文部省調査)にものぼりました。その中でも兵庫県はトップレベルだと言われています。
不登校になった子どもの気持ちは、親にも先生にも学校の友だちにも、なかなか理解できないのが現実です。“甘え”や“わがまま”と言う言葉で片付けられたり、学校へ行かない事が『悪いこと』であると決めつけられたりします。そして、そう思われることで子どもはますます苦しくなって外に出ることができなくなり、生きる希望ももてなくなることもあります。
映画の中の弘君もそうでした。両親、特に母親は、わけもわからないまま学校へ行かない子どもの世話に疲れ切ってしまいます。でも、一番悩み、もがき、苦しんでいるのは当の本人ではないでしょうか。
「いい子」だった子どもが突然学校に行けなくなり、親を「クソジジィ」「クソババァ」とののしり、何を言っても反発してしまう、その理由は一体なんなのでしょう。原作者の堂野さんは自ら「私は確かに弱かったのです」と書いており、それは自分で乗り越えなければならないことだとも実感しています。
不登校の理由は、子どもによってそれぞれ違うことでしょう。この映画は、10数万を数える不登校の子どものうちのただ一人の例にしかすぎません。映画を見ただけで問題が解決するという事も現実的には考えられませんが、誰かを悪者にして済まされるほど単純に割り切れる問題でもありません。自分の身にも起こり得ることとして、こういう映画を地域や学校など同じような環境にいる人たちと一緒に見て、考えるきっかけになればと願っています。
私たち一人一人が、自分のこと、自分のまわりで起こっていることを考えてみましょう。
この映画は、子どもたちを見守る監督からの熱いメッセージです。