デビ〜ル!


第1弾
キックオフサンデー
終了の真相

2003年4月20日執筆

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<キックオフサンデーとは?>

 1996年6月から2003年3月までの6年10ヶ月放送された
エフエムしみずのサッカー番組。
毎週日曜夕方6時からサッカーの話題だけで2時間生放送。
南米などでは珍しくないが、日本では特異な存在のプログラムだった。
ロベルト・ケンジーニョこと俺大場健司は、
1997年1月から2003年3月の最終回まで、
6年3ヶ月324回に渡ってメインパーソナリティーを務めた。


<番組終了への道 第1章>

 2002年の清水エスパルスは、ゼムノヴィッチ監督のもと、極度の成績不振にあえいでいた。
1年半以上に渡るゼムノヴィッチ監督、選手、フロントへの取材の結果、
シーズン途中ではあるがチームには大きな構造改革が必要だと感じた俺は、
9月29日の放送で、僭越ながら独断で監督、選手、フロントに
5段階評価の通信簿をつけさせてもらった。

 その評価とはゼムノヴィッチ監督1点、フロント1点(強化責任者・澤入博志常務)、
選手3点というキツイものだった。
加えて澤入氏に、「チームの現状認識と今後」について取材申し込みすることを放送上で宣言し、
すぐにチームへ申請を提出した。
翌週10月6日の放送でも、営業2点、運営4点、クラブへの地域密着度2点という評価を下した。

 なぜそのような
過激なことをしたのか。
以前から俺は、ピッチでの監督や選手の行動が、
ファンはもちろんメディアでチェックされているのに比べ、
プロである彼らを査定するフロントがノーチェックなのは健全ではないと思っていた。
もちろん自分だけが評価を下せるという「神の視点」で採点したわけではない。
長年エスパルスを取材し続け、様々な情報を得ることができる立場だった俺は、
話してくれた人たちへの責任上、今は沈黙すべきときではないと判断したのだ。
俺自身の評価?……それは
皆さんに任せてます。


<番組終了への道 第2章>

 10月13日の放送前、自宅にエフエムしみず岡本常務から電話があった。
「先日ある所から、『過去3回の収録テープを貸してくれ』と頼まれた。
頼んできた人物は放送を聴いておらず、
どこか別の所から収録テープを借りるように頼まれたようだ」

俺は「来たな」と思った反面、狙ったところに
「声」が届いたことを喜んだ。
「誰が、どの部分に、どのようなクレームをつけてきたかはわからない。
私がテープを聴いた限りでは、意見を変えなくてもいいが、
ソフトな表現に変えることと、固有名詞を出さないように」

「意見を変えないでもいいのならば、表現をソフトにすることは考慮します。
ただ、固有名詞を出さないことに意味があるとは思えません。
彼らは名前を出して活動している公人ですから」
「全員というわけではなく、フロントを名指しで批判するのはやめてくれ」
……なるほどね。
「わかりました。『強化責任者』と言えばみんなにはわかりますから」

 その日の放送では、フロントを名指しせず、自分なりのソフトさ(?)でしゃべったが、
特にクレームがつくことは無かった。

 10月15日、岡本氏にテープの件を尋ねる。
「放送局の倫理上、テープを貸すことはできない」という答え。
結局テープは貸さなかったようだが、
放送前のテープならともかく放送後のテープなんか渡せばいいのに。
そして21日に会社で話し合いをすることになった。


<番組終了への道 第3章>

 10月18日、突然エスパルス出版部からファックスが届く。
以下前文掲載。

大場健司様
こんにちは。いつもお世話になっております。
今回はちょっと重い話をしなくてはなりません。
実は今季、10月26日広島戦と11月24日鹿島戦の
マッチデープログラムの原稿をお願いしておりましたが、
この依頼をキャンセルせざるを得なくなりました。
ここしばらく、手術やら入院やらで現場から離れており、
放送も聴いていませんでしたので、何が理由かはわからないのですが。
残念ながら僕の力ではどうにもなりません。
大変申し訳なく思いますが上記2回の「ポイント・オブ・ビュー」については
代理の方を探すことにします。
これまで6回原稿をいただきました。
誌面を盛り上げていただき、ありがとうございました。
(株)エスパルス 出版グループ 斎藤徹三

出版責任者である編集長の斎藤氏が、
「理由がわからない」「僕の力ではどうにもなりません」
とは笑ってしまう。
実際その通りなのだろうが、自分だけは責任を回避しようという卑怯さがミエミエだ。
だから出向社員は甘いヤツが多いんだよ。
以前産経新聞のコラムにそう書いたら、
めちゃくちゃ怒ってる人がいたなぁ(このページ内の登場人物)。
もちろん出向社員でも有能な人はいます。俺の周りにも何人かいるし。
そういう人は俺の記事読んでもまったく怒らなかったね。

 斎藤氏とは3年前に一度、エスパルスニュース執筆の際にもめている。
なぜもめたかといえば、
最終校正(両者が確認をしてこれで行きましょうという最後のチェック)の後に、
俺に無断で原稿を書き換えたからだ。出版界ではタブーである。
そりゃあそうでしょう。そんなことがまかり通ったら何でもありになっちゃうからね。
信頼関係をぶち壊す暴挙にキレた俺は、
それ以来エスパルス出版部とは一切仕事をしないようにしていた。

 2002年のマッチデープログラム「ポイント・オブ・ビュー」は、
県内放送メディアの担当者が持ち回りで書くことになっていた。
しかもノーギャラで。
俺はエフエムしみずの担当として頼まれたので、番組の宣伝のためにと思って、
2年間の沈黙を破って(カッコよく書きすぎ?)執筆を引き受けた。
ちなみに2年前に書いてたときはちゃんとギャラもらってました。

ノーギャラだからやめることは痛くも痒くもない。
しかし「仕事」として頼んできたことを、
理由もなしにキャンセルというのは倫理的に許せなかった。
すぐに斎藤氏へ電話をする。
「やめることはかまいません。
ただしその理由をエフエムしみずへ文書で提出してください」
「わかりました。提出しておきます」

その後今に至るまで、文書も連絡もエフエムしみずには届いていない。
まあ
本当の理由はわかってるんだけどね。


<番組終了への道 第4章>

 
10月19日深夜、エフエムしみずに近い関係のA氏から電話が入った。
「大場さんのことで大事な話がある」
ただならぬ雰囲気に清水市内のファミリーレストランへ。

「キックオフサンデーから大場さんを降ろそうとする動きがある。
その汚いやり方は許せないが、多くのリスナーのために続けて欲しい。
不本意でしょうが謝って番組を続けてください」

「キックオフサンデー」についてその後岡本氏から連絡は無かったが、
水面下でそのような事態になっていたとは。
しかしもともと覚悟を決めての発言である。
その上最近では「きな臭い」動きも感じていたので、別段驚きは無かった。
それよりもA氏の言葉に感動し、本格的に
闘う覚悟ができた。

 20日、番組ではいつもの調子で発言したが、特にクレームは無かった。
ただ、番組終了後に資料を探しているうち、
ある所から今日の番組進行表を見つけて驚いた。
無造作に置かれた進行表は、
アシスタントパーソナリティーのマナビーニャがメインを務め、
サッカーに関連した曲を2時間放送するといったものだった。
なぜ俺がいないのか、来週はどうなるかなどはまったく書かれていない。
ディレクターのシモーネと、思わず顔を見合わせて苦笑い。
なるほど。A氏が言っていたのはこのことか。


<番組終了への道 第5章>

 10月21日、エフエムしみずで岡本氏、島道氏(編成担当)と話し合い。
岡本氏は会議室に入るなり
「今日は大場さんに殴られるかもしれない」
……何言ってんだか。そんなに暴れん坊ではありません、俺は。
「個人的な真意は別ですが、最近番組が過激になりすぎて本来の趣旨から外れているので、
番組も300回超えた(10月6日の放送で)ことだし、自分から辞めてください。
契約の残り分のお金は払いますから」

300回超えたことだしって…。
しかし
「個人的な真意は別」っていう言い方、卑怯な言い方だなぁ。
自分のせいではないと言いたいのだろうけど。ホントこんなヤツラばっかでうんざりだ。

「本来の趣旨から外れているとはどういうことですか」
「エスパルスの応援番組のはずが、そうではなくなっているということです」
「始めたときからずっと僕なりのスタイルで応援しています。
過激なのも今に始まったことではありません。
どの部分が応援していないと言えるのか指摘してください」
「ここがこうだとは言えないが…」
「クビを宣告されたのならば辞めるしかありません。
しかし明確な理由もなしに自分から辞めることはできません。
クビならクビと言ってください。もちろん残りのお金などいりません」
話はここで一時ストップ。編成担当の島道氏はただ黙っている。

 岡本氏は2002年夏、
出向でエフエムしみずに着任。
もちろん放送にもサッカーにも精通しているわけではなく、
以前からの言動はハッキリ言って素人同然である。
ただ、歴代の人たちがそうだったように、それまでは自由に番組を作らせてくれていた。
あまりにも
自由すぎると感じることもあったが、
俺を信用してくれているからこそと意気にも感じていた。

 岡本氏は今のエスパルスの状況、ファンたちの反応をまったく知らない。
俺の発言は表現こそ確かに
過激かもしれないが、
内容は選手やサポーターとそれほどズレてはいないはずだ。
そのような状況をまったく考慮せずに発言するとは…。
そして何よりも問題なのが、
岡本氏は
放送局として守らなければならない最低限の言論の自由
という概念を持っていないことだ。

「なぜ明確な理由もなしに辞めさせようとしているか僕にはわかります。
あなたの立場も。
ただ、突然理由を言わずに辞めることは、
リスナーに対する責任上受け入れられません。
最終回に理由を言ってしまってもいいのですか。
たとえ次の放送をやらせてもらえなくても、僕はフリーの人間ですから、
今回のことは他のメディアで明らかにさせてもらいます。
もちろんあなた方の名前も出して」
……簡単に言うと
脅迫したわけです。でも言ってることは正論でしょ?

「もう一度社内で話し合って連絡します」
その日の話し合いはそこで終了。島道氏は最後までただ黙っていた。


<番組終了への道 第6章>

 10月21日の話し合い後、その内容をディレクターのシモーネに報告。
シモーネ
ぶちキレる
夜岡本氏から電話があり、22日にも話し合うことに。

 22日、岡本氏、島道氏と会議室へ。
開口一番岡本氏
「契約期間の2003年3月までは番組を続けてください。
その後の契約についてはまた改めて話をしましょう」

……腰が砕ける。思いっきり脅迫が効いてしまった。
これじゃあ脅迫罪で逮捕されちゃうかも。

「3月まで続けさせてもらえることに感謝します。
ただ、いまさらスタイルを変える気はありません。
3月までの間にも同じようなことが予想されますので、
できたら根本的に問題を解決するため、
テープをよこせと言った人と話をさせてください」

 もちろん、俺にはその
相手が誰であるかわかっていた。
岡本氏は決して
「誰々から圧力がかかった」などとは言わなかったが、
エスパルス内で多方面の責任者となっている澤入氏と、
話し合えるようセッティングしてくれることを約束した。

 
そこにシモーネ遅れて登場!
状況が変化したことを伝える間もなく、
シモーネが岡本氏に噛みついた(もちろん言葉でね)。

一息ついたところで現在の状況を説明。すると今度は
「こんな重要な決断を一晩で変えるとは何ごとだぁ〜!」と怒る。
おいおいシモーネ、せっかく番組が続くことになったのに俺を辞めさせる気かよっ!

 その間も島道氏は、ただただ黙っているだけだった。

 今回のことでシモーネには色々相談に乗ってもらった。
シモーネはもともと熱烈なエスパルスサポーター。
記者席でも、エスパルスの選手が悪いのに、
相手選手や審判に悪態をつく熱血漢(?)である。

 
そうそう関係者の皆さん、21日と22日の話し合いはテープでバッチリ録音しています。
このページの内容は、俺の妄想ではないのです。そこんとこヨロシク!



<番組終了への道 第7章>

 その後しばらくは何ごともなくすぎた。
相変わらず斎藤氏からの連絡は無く、澤入氏は番組の取材を拒否し、
岡本氏に頼んだ澤入氏との話し合いも行われる気配は無い。
 
 11月30日、セカンドステージ最終節のヴィッセル神戸戦。
試合後の記者会見の席で、突然ゼムノヴィッチ監督が辞任を表明した。
辞めることは決まっていたようだが、
フロントはそのタイミングで公表する予定ではなかったようだ。
実際、ロッカールームの選手たちは誰も知らなかった。

な〜んだ。結局、俺の意見とフロントの結論は
同じだったんじゃないか。
俺のほうが判断が少し早かっただけでしょ。まさか悪くない監督辞めさせるわけないもんね。

 12月2日、取材用機材を取りにエフエムしみずに行くと、岡本氏から
「話がある」と言われた。
何かと思って会議室に行くと
「契約期間満了の3月をもって、大場さんには辞めてもらいます」とのこと。
契約打ち切りは、俺のような仕事をしている人間にはよくあること。
選手で言えば
戦力外通告。それはそれで受け止めるしかない。

「契約を延長しないのはわかりました。ただ、番組自体が終わるのか、
パーソナリティーだけが変わるのかによって、
今後の企画内容や最終回のあり方も変わります。どちらなのでしょうか」
「それはまだ決まってません。決まり次第連絡します」
オイオイ、番組がどうなるのかが先でしょう。
契約終了までまだ4ヶ月もあるんだから……。
契約では確かに2ヶ月以上前の告知ってことになってるけど、
番組の今後が決まる前に、俺を降ろすことだけが決まったなんて……。
メッチャわかりやすっ!


<番組終了への道 第8章>

 ここまでの試合内容を見れば一目瞭然、エスパルスは天皇杯準々決勝で姿を消した。
今年は初めて、エフエムしみずの年末特番から「キックオフサンデー」が外された。
年明け1回目の放送は12日。ここ何年かで一番寂しい年末&正月になりそうだ。

 俺の番組降板をどのタイミングでリスナーに公表するか、マナビーニャやシモーネと相談した。
二人は、
「年が明けたらすぐにでも公表し、リスナーの反響で状況が変わることを期待しよう」
という意見。もちろん俺もそうしたかったが、番組自体が終わるのか、
俺だけが変わるのかがハッキリしない以上、やたらに先走りたくなかった。
ただ、最後の回まで10回かけて、カウントダウンをしたいとは思っていた。
残り10回となるのは1月26日。それまでには番組の今後も決まっていることだろう。

 1月24日、降板公表予定が近づいたため岡本氏に確認を取る。
こっちがせっつかないと何も言ってくれないからだ。
岡本氏曰く
「キックオフサンデーの番組自体が終了する」とのこと。
「わかりました。リスナーへの説明責任がありますので、番組終了は事前に発表させてもらいます」
「いいでしょう。ところで大場さん、
あなたの後任に興津大三さんを考えているのだけれど、どう思いますか」

えっ……俺にそんなことを聞かれても……。
本当にこの人は、自分の発言が相手にどう受け止められるかまったく考えないで発言する。
もしわかってて言ったのなら相当陰険な人である。
「僕は後任の人のことを評価する立場ではないと思います」

誰が後任をやろうと、よその局であろうと、エスパルスの番組はもっともっとあっていいし、
担当者には頑張ってもらいたい。かっこつけてるのではない。
フリーランスの俺には、仕事場が多ければ多いほどいいからである。
とにかく今回の騒動は興津君には関係ない。ただただ
頑張ってほしいと心から願っている。

「ところで、澤入さんと話し合う機会はできそうですか」
「大場さんとの契約が3月で終了することは伝えました」
……あきれて言葉がない。
もともといらぬ誤解を解き、真意をわかってもらうために話し合いを希望したのに。
そもそも、エフエムしみず内の人事を澤入氏に伝える必要があるのだろうか。
あるとしたらその理由は、出向社員同士の
任務完了の報告だろう。


<番組終了への道 第9章>

 1月26日。
北嶋秀朗選手をゲストに迎えてドリプラから生放送。
キタジはとても感じのいい青年で、話は非常に盛り上がった(と思う)。
ゲストが帰った後も普段通りに番組を進め、エンディング近くでさらっと番組終了を公表した。
理由などは特に言わなかった。

番組終了直後に数通のメールやファックスが送られてきた。
どれも
辞めないでほしいという内容である。ほんとうにリスナーはありがたい
その後も続々とメール、ファックスが届き、スタッフ一同胸が熱くなった。

 数日後、シモーネから「キックオフサンデー」のことが
エスパルス関係のネット掲示板に書かれていると聞き、見てみることに。
うちのリスナーとしておなじみの人たちが、番組終了を残念に思って書き込んでくれたようだ。
嬉しかったのは、普段メールやファックスは送らないけれども、
放送は聞いてくれていた人がたくさんいるのがわかったことだ。
中には俺に批判的な人もいたが、こういう仕事をしている以上当たり前のことである。
ラジオなんかイヤなら聞かなければ済む世界である。
批判的でも聞いてくれる人は大事な
お客さんだ。

 ただ、掲示板への書き込みには気になる箇所がいくつかあった。
その一つは俺への批判ではなく、
俺が書いたマッチデープログラム浦和戦の原稿が問題になったためにコラムを降ろされたという、

ある意図
を持った悪質な嘘だった。
俺は浦和戦の後も5回も執筆しているのだ(
第3章を見てもらえばわかるはず)。

ネットの特性上こういったものが紛れ込むのは仕方が無いのかもしれないが、
目にしてしまった以上訂正しておかなければならない。
特にその
は、書き込んだ本人にはわかっていないようだが、
周囲に実害を及ぼす危険性が強かった。
自分が実際にやったことで周囲に迷惑をかけてきたことは数多いが、
常にその自覚は持っている。しかし
による情報操作の影響で
迷惑をかけることは避けたかった。

掲示板への書き込みをシモーネは止めた。
「こういうものはほっとくのが一番。
書き込みをすれば際限なく揚げ足を取ってくるものなんだから」

「わかりました。ただ、嘘の箇所だけはどうしても訂正したい」
シモーネに事情を説明し、助言を受けて必要最小限の訂正書き込みをした。
俺の書き込みに対して、シモーネの言った通りの反応が来た。
でも事実の訂正さえ出来ればあとはいい。

その他にも気になったことがある。何人かの発言の中に、
後任パーソナリティーを知っているかのような発言があったことだ。
しかも
当たっている
当然俺たちスタッフは漏らしていない。
というかまだ調整中で決定したわけではないのである。
どこかに
ネズミがいるようだ。


<番組終了への道 第10章>

 番組終了の告知日を1月26日に設定したときから、
最終回に向けてのプランは出来上がっていた。内容は極力普段通り。
なぜなら新入団選手を多数ゲストに迎えねばならず、
3月終盤にはJリーグはシーズンインしてるからだ。
自分たちを哀れんでいる暇はない。
リスナーが期待するのは、あくまで「情報」であることは肝に銘じていた。

ではなぜ10回前に告知したのか。
俺たちにだって
意地はあるからさ!
意地
は番宣(毎日流れる番組内容の宣伝)で見せてやる!

番宣に関してはシモーネが大活躍してくれた。
シモーネが用意してくれた様々な素材をもとに、二人でキャッチコピーを考えた。
なるべく
トンチが効いていて、それでいて笑えるものを二人は目指した。

 番組終了公表の翌日から、早速第1弾がオンエアーされた。
番宣は2パターンあり、一つは泉谷しげる「春夏秋冬」の曲を使ったもの。
これは詞の意味が俺の
心境に近かったので、番組のオープニングやエンディングでも使い、
番宣としてもレギュラー的に使用することにした。特に気に入ってるフレーズは
♪人のために良かれと思い、西から東に駆けずり回り、
やっと見つけた優しさは、いともたやすく萎びた

の部分である。そしてもう一つが「宇宙戦艦ヤマト」バージョン。

♪さらば地球よ、旅立つ船は、宇宙戦艦ヤマト〜
ボアタルジアミーゴス!キックオフサンデーのロベルトケンジーニョです。
2月2日の放送では、いよいよ始動した大木エスパルスの最新情報をお届けします。
イスカンダル出発の日まで、あと9週間(セリフ)

とりあえず他のパーソナリティーには大受けだった。
リスナーの何人かも聞いてくれたようだ。


<番組終了への道 第11章>

 2月2日、ゲストはエメルソン。
リスナーからのメール、ファックスは、励ましの声とともに、
番組終了理由を知りたいというものが多かった。
うかつなことは言えない。
「静岡と清水の合併の影響ではありません。契約期間は今年3月末でした。
ただ、
自分から辞めたわけではありません」
これだけを放送で伝え、放送で言えないメッセージは番宣に託すことにした。

第2弾は、「デビルマン」の終わりの曲を使った。
♪何も言えない、話しちゃいけない、デビルマンは誰なのか
ボアタルジ〜
8週間に思いを込めて(セリフ)

またしても局内スタッフ(岡本氏を除く)には受けたようだ。
そりゃあそうだよね。「何も言えない、話しちゃいけない」って言ったら、
で何かあったんだろうなってのがミエミエだもんね。
事情がわかってる人には受けるわな。

 2月3日、エスパルスの練習後、北嶋選手から声をかけられる。
「番組終わっちゃうんですか。すごく残念です。これからも頑張ってください」
……なんていいヤツなんだろう。キタジこそ頑張ってくれ!
大木監督からも「番組終わっちゃうの?なんで?」と声をかけてもらった。
どうして知っているのかは聞かなかったが、
皆さんに気にかけていただき、本当にありがたく思いました。

 2月9日、エスパルス宮崎キャンプに帯同のため、
番組は高林祐樹選手の収録インタビューと宮崎からの生電話レポートを放送した。
留守の間に流す番宣はもちろん事前収録してあった。

第3弾は、嶋大輔「男の勲章」を使用。
♪ツッパルことが男の、たった一つの勲章だって、この胸に刻んで生きてきた
キックオフサンデーのロベルトケンジーニョ
だヨロシク
16日の放送は杉山浩太選手収録インタビュー
ヨロシク
あと7週間、ブッコンでくんでヨロシク〜!

もちろん口調は「メチャイケ」のイメージで。
そうそう浩太君、けっして君をからかってるわけではないんだよ。ごめんなさい。

 この番宣に岡本氏から
プレスがかかった。
編成の島道氏が
「せっかく作ったのだから」ということで、
一日1回遅い時間には流してもらえたのだが……。
もともと
プレス覚悟で作った「カウントダウン番宣シリーズ」である。
1回でも流してくれることのほうが驚きだったし、
プレスの出足が遅いとすら思った。

 2月14日、4月から興津大三氏がパーソナリティーを務めることが
エフエムしみずのホームページに掲載されたというニュースをシモーネから聞く。
そのことに関して岡本氏からは何の連絡もない。
番組内での告知とかはどうするつもりなのだろうか。

ズルイ
かもしれないが、向こうが言ってくるまで知らん顔をしよう。


 
<番組終了への道 第12章>

 2月16日、当日宮崎から戻り、
キャンプ中に収録した杉山浩太選手インタビューとキャンプレポートを放送。
翌日から流す番宣第4弾はさらに過激だった。
曲はテツ&トモの「なんでだろう」

♪なんでだろう、なんでだろう
キックオフサンデーの〜
あと6回なのは(セリフ)
♪なんでだろう、なんでだろう

……怒って当然である。月曜朝に1回流れたきり、この番宣は封印された。
岡本氏にはかなりショッキングだったようで、
他のリクエスト番組でかかったこの曲(もちろん本物)を聞いて
「何でこんな曲をかけるんだ」と怒ったという。
そしてこうも言ったという。
「大場さんは怒ってるのか?和解したはずなんだけど」
和解?岡本氏にも、俺と和解しなければならないようなことをした自覚はあるんだ。
でももう手遅れです。

 2月23日放送用の番宣第5弾はこんなやつ。
♪(ドラゴンクエストのテーマ)
キックオフサンデーの〜
残り5ターン、ケンジーニョは復活の呪文を唱えた…効かなかった(セリフ)

これは一日1回だったようだ。

第6弾は「デビルマン」の最初の曲
♪裏切り者の名を受けて、全てを捨てて闘う男
キックオフ〜
あと4回で、デビ〜ル!(セリフ)

あと4回で、デビ〜ル!って……。リスナーには何のことやらわからないよねぇ。
4月から俺はデビルになる。つまりこのページこそが、

ヤツラ
にとってのデビルだったという意味さ。
ついでだから全部紹介しとくよ。リスナーでもほとんど聴いたことがないだろうからね。

第7弾は近藤真彦「ハイティーンブギ」と「ブルージーンズメモリー」から。
♪俺は怖いもの知らず、 喧嘩なら負けないけど
キックオフ〜
あと3回(セリフ)
さよならなんて言えないよ、バッキャロー(マッチのセリフ)

第8弾は「一休さん」の終わりの曲
♪くじけませんよ、男の子です
キックオフ〜
あと2回、あわてないあわてない、一休み一休み(セリフ)

そして第9弾が、最終回3月30日に向けたラスト番宣だった。
曲はもちろんバーズ「ふり向くな君は美しい」
♪また会おういつの日か、また会おういつの日か
キックオフ〜
♪君のその顔を忘れない

この番宣だけはかなり流してもらった。どこにも
がないからね。
9回の番宣はほとんど流れなかったし、何回かはお蔵入りとなってしまった。
しかしその間、ただの一度も岡本氏、島道氏が、
直接俺に
「けしからん」と言ってくることはなかった。
岡本氏は、文句は全て普段会社にいるマナビーニャに言っていた。
マナビーニャは俺のように
喧嘩上等な人間ではない。
しかも番宣を作ったのは俺とシモーネである。文句があるのならなぜ俺に言わない!
まあ、俺に言うと噛み付くからだろうけど。
でもそんな岡本氏の態度は、
人間として許せない。


<番組終了への道 第13章>

 3月30日、いよいよ最終回。
岡本氏、島道氏も、最終回を3時間スペシャルでやりたいという希望は叶えてくれた。
感謝。

最終回と言うことで、リスナーからたくさんの花や差し入れをもらった。
女の子たちから花をもらうなんて、俺の人生で初めてである。
「サッカーのまち推進室長」の綾部さんからも花をいただいた。
あまり仕事が無いフリーライターの俺に、エフエムしみずを紹介してくれたのは綾部さんだ。
スポニチの大山君、泡盛ありがとう。石垣島の思い出がよみがえるよ。
サポーターの渡辺君と彼女、
大場がんばれという応援旗作ってきてくれてありがとう。
せんべいを持ってきてくれた「ローンガルバ」さん、
あなたがネットの掲示板でいろいろ働きかけてくれたのは知っています。
それに賛同してくれた人たちも。
ほぼパーフェクトに聴き、いつもファックスくれた「アンチジュビロ」さん、
あなたには感謝してもしきれません。
本当に皆さん、ありがとうございました。

最終回はファックスの山。100通以上来ただろうか。
もちろんプレゼントが豪華だったこともあるんだけど、
みんな真面目に番組の思い出を書いてくれた(それがプレゼントの応募条件だったけど)。
放送で読み切れなかった分ももちろん全部目を通し、今では俺の
になってます。
最後の生ゲストであるトゥットが怪我のため来れないというハプニングはあったが、
長谷川健太さんの収録インタビューなど、いつもの調子で番組は進行した。

そして2時間が経過、スポンサー付の「いつもの番組」は終了した。
最後の1時間は、ノースポンサーのボーナススペシャルである。
この1時間は、岡本氏、島道氏には申し訳ないが、敢えて好意を踏みにじらせてもらった。
といっても、ちゃんとリスナーのことを考えた内容だったと自負している。
ウェブ放送では聴くことの出来なかったこの1時間の内容を説明すると、
まずリスナーから送られてきたお便りを交えながら、
古いテープを引っ張り出しての名(迷)場面の再放送。
そしてほとんど流れなかったシモーネ力作の9本の番宣をノンストップで放送。
わざわざドリプラスタジオまで俺たちの最期を見に来てくれたリスナーに、
大受けだったので苦労が報われた。

そしてシモーネ、マナビーニャ、俺の順に感謝のコメントを言わせてもらう。
マナビーニャは泣くのをこらえようとして凄まじい顔になっている。
少し時間をとらせてもらい、番組の制作意図、反省、
そして俺個人の今後の活動予定を言わせてもらう。
本当はそこでこのホームページのアドレスを公開して、
番組直後にアクセスしてもらう予定だったんだけど、作るのが遅くなってしまいました。
そうそう、番組ではホームページのタイトルを「蹴球七日(しゅうきゅうなのか)」と言ったけど、
同様の物が多いのでやめちゃった。

それで付けたのがこの「
Sの極み(えすのきわみ)」。これならどこにも無いでしょ。
S極(えすきょく)とでも呼んどくれ。ちなみに意味は、皆さんの
想像通りの意味です。

「ふり向くな君は美しい」をバックに、無事最終回も終了。
終わった瞬間訪れたのは、
今日の放送についての感想をもう聞けないという悲しみだった。
最後に、残ってくれていたリスナーや、
応援に駆けつけてくれた他番組のパーソナリティーと共に、記念写真を撮りまくる。


              


<番組終了への道 番外編>

 番組終了の翌日31日、中日新聞静岡版の21面にこんな記事が載っているのを見つけた。
大場さん惜しまれ降板
(前略)
大場さんはエスパルスのフロントを批判することもあった。
このため、「チームに耳の痛い話を振りまいたから」などの意見が届くなど、
降板理由に憶測も飛んだが、
同局
(エフエムしみず)は「そろそろ、若返りを図る時期が来たから」と説明する(後略)
※(  )内は脚注

……俺はまだ
35歳である。同年代以上の人たち、頑張りましょう。


<新たなる挑戦 序章>

 番組終了を知ったエスパルスの選手、スタッフ、サポーターたちが温かい声をかけてくれる。
戸田君はイングランドに行く前に、「いつでも番組に呼んでください」と言ってくれた。
彼は厳しい挑戦の真っ最中。最終回に声だけでも出てもらいたかったが、
余計な手間をとらせるべきではないと思い直して断念した。
のぼりは「一緒に会社でも作る?」と冗談めかして心配してくれた。
イチからは「ホームページのスポンサーになりましょうか」とありがたいお言葉。
真田選手や大榎コーチも今後のことを心配して声をかけてくれた。
純平君、大木監督とは「お疲れ様でした」と固い握手。
吉田選手は「大場さんのようにはっきり言ってくれる人が必要」だと惜しんでくれた。

番組がなくなった今でも、みんな気持ちよく話を聞かせてくれる。
みんなの気持ちに応えるためにも、一日でも早く、
少しでも良質のホームページを作ろうと誓った。
そして……4月20日、完全ではないが、ひとまず無事開設となった。

 このホームページ、特にこの「デビ〜ル!」のコーナーは、
揉め事が起きることを覚悟して作っています。
だから公人は実名で書きました。

もちろん、正義感とか情報公開の義務だけでやるわけではありません。
俺の近くには似たような気持ちの人がたくさんいます。
でも誰もが闘えるわけではありません。家族がいたり、守るべき立場があったり。
俺は仕事を失ってもこのような闘いに喜びを感じる人間です。
だってこういうの面白いでしょ?
いずれは仕事に結びつくかもしれないし……。
ある人が言ってくれた
「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉を信じます。


このコーナーが原因で、これからも様々な揉め事が起きるでしょう。
だからといって、サッカーや
エスパルスを嫌いになることは決してないでしょう
どんなことが起きてもできる限り皆さんに報告します。
もちろん単なる暴露話で終わらないように、トンチは効かせるつもりです。
取材してほしい事柄のある方、情報提供をしたいという方、ぜひメールください。

皆さん、俺の今後を、どうぞ楽しみにしていてください。

……続く……



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