放送が政治家や役人の言いなりになることで不幸になるのは国民である。自主・自律を保障する放送法は、こうした歴史の教訓から生まれた。関係者はそれを自覚しなければならない。
従軍慰安婦問題を裁く民衆法廷を扱ったNHK番組の改変に関して、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が、「自主・自律の観点から問題だった」との意見書を公表した。
番組改変は「政治家の意向に配慮して行われた」と裁判で認定されたが、それに対する公的第三者機関の意見表明は初めてである。
特定の価値観に基づき高みからモノを言うかのような、放送内容の評価部分には違和感が残るが、自主・自律の堅持を求めた意見書は重い意味を持っている。
放送法第三条は「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又(また)は規律されることがない」としている。自主・自律を保障したこの規定は、検閲などで情報が国民に自由に伝えられなかった戦中の苦い経験から生まれたが、法律以前に放送人の倫理として自覚しなければならないことである。
検証委が「日常的に政治家に接している職員が番組制作に関与すべきではない」「番組制作者が事前に政治家の意見を聞くべきでもない」と提案したのは当然だ。
NHKはその重要性を理解していないのではないか。政治家への事前説明を問題視する検証委の指摘に必ずしも同意しなかった。
予算の国会承認、経営委員の内閣任命など、NHKには政治の力を無視しきれない事情がある。だからこそ、疑われるような行動をせず、毅然(きぜん)たる姿勢を貫かなければ国民に信頼されまい。
NHKは意見書を真摯(しんし)に受け止め、検証番組で改変に至った経緯を国民に率直に説明すべきだ。
放送法第三条は自主・自律の侵害を禁じた規定でもある。その意味で、検証委の意見は圧力をかける側への批判ともなっている。
安倍晋三・内閣官房副長官(当時)は、番組改変のきっかけとなったNHK職員に対する発言を「国会議員として言うべき意見を言った」と正当化した。
政治家としての権威を背に意見を述べることが圧力になり得ることを自覚、自重すべきである。
自主・自律が放送に限らずジャーナリズムの生命線であることはあらためて言うまでもない。民主主義の基盤であると自戒したい。
この記事を印刷する