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三方を海に囲まれた中国有数の工業都市、大連市は1990年代までばい煙に覆われたすすけた街だった。
鉄鋼や化学など、あちこちの工場の煙突からは「七色の煙」がもうもうと吐き出されていた。セメント工場からは大量の粉じんが飛び散った。
74年に上空から視察した周恩来首相が大気汚染のひどさに驚き、「なんとかしておかないといけませんよ」と話したという逸話が残る。
海や河川の水質汚染も深刻だった。「魚は死に絶え、エビもいなかった。『死の海』と呼ばれていた」と大連市環境保護局の梁宏君副局長はいう。
■自治体の経験生かす
大連市が環境改善に本腰を入れたのは92年からだ。工場に先進的な技術や設備を導入させ、セメントなど汚染が深刻な工場は郊外移転を進めた。
これを支援したのが、大連の友好都市の北九州市だ。60年代に公害で苦しみ、大腸菌すらすめなかった洞海湾を魚がすむまでによみがえらせた経験を生かして、大連市の環境は大幅に改善された。政府に先んじて公害行政を進めてきた自治体による国際貢献の輪を、もっと広げていきたい。
中国が「世界の工場」といわれるようになって久しい。高度成長の半面、公害対策が遅れている中国の現実は、日本にとってひとごとではない。
公害には国境がない。エネルギーを石炭に頼る中国が日本に酸性雨をもたらすなど、大陸で発生した汚染物質が偏西風によって飛んで来る。
国立環境研究所の試算によると、07年5月に九州で起きた光化学スモッグは、原因の40〜45%が中国で発生した大気汚染物質だった。
日本の25倍の国土と13億人の人口を抱える中国。国内総生産(GDP)で米国、日本に次ぐ世界第3位となった経済大国の環境問題は、世界全体の環境にも決定的な影響を与える。
エネルギー消費の増加で、中国の二酸化炭素の排出量は、07年に米国を抜いて世界一となった。中国にはポスト京都議定書の枠組みづくりでも「排出大国」としての責任を自覚してもらわなければならない。
■重み増す民間の役割
72年の国交正常化以来、日中両国は環境分野で政府間、民間の協力を少しずつ積み上げてきた。政府の途上国援助(ODA)は環境に重点を置き、近年は円借款の約6割が環境分野だ。
だが、中国への円借款の新規供与は07年度で終了している。中国の環境問題の重要性を考えると、円借款に代わる支援策が必要だろう。29日、北京での麻生首相と中国の温家宝首相の会談では、環境問題や省エネ問題も取り上げられ、日中両国がこれらの分野で協力を強化することとなった。
ただ、これまでの協力は資金や技術の供与が中心だった。それに加えて一段と必要になるのは、環境保全の制度や枠組みづくりへの協力だ。NGOなど民間の役割もさらに大きくなる。
参考にしたい事例がある。福建省寧徳市の化学工場をめぐり、原告が1721人にのぼる訴訟があった。果樹や竹、農作物の被害などへの慰謝料1300万元(約2億円)を求めて02年末に提訴された。05年に確定した二審判決は工場に68万元の支払いを命じ、原告住民が勝訴した。
裁判所が「被告挙証責任」という考え方を採用したことが、原告に有利に働いた。損害が工場の汚染によるものではないことを証明する責任を被告の工場に負わせ、証拠を集めにくい被害者の不利を是正する仕組みだ。
「被告挙証責任」は04年12月に改正された法律によって、初めて中国で明文化された。法改正にかかわった北京市の中国政法大学の王燦発教授(50)は「法律面での前進は、日本との交流の成果」という。
■法整備へNGOが連携
中国で初めて環境汚染の被害者を法律面から支援するNGO「公害被害者法律援助センター」(CLAPV)は98年に設立された。王さんは当初からセンター長を務める。
CLAPVは、法律や環境の専門家らでつくるNGO「日本環境会議」と交流を重ねてきた。水俣病や四日市ぜんそくなど四大公害訴訟に取り組んだ弁護士らの経験や教訓が生かされたのだ。誇るに足る環境協力である。
中国側から「内政干渉」といった反発を受けることなく、環境汚染を解消する方向へ中国の政策を誘導するのは難問だ。日中NGOの交流は、それを解く手がかりの一つだろう。
王さんによると、中国政府が把握する環境被害の苦情や訴訟の件数は00年以降、毎年25%ずつ増加している。環境汚染に対する住民の意識の高まりがうかがえる。日本の公害被害者が自らの経験を伝える意義は、これまで以上に大きくなるに違いない。
中国の青島市では、家電など廃棄物の再資源化や無害化を進めている中国で唯一のリサイクル団地「静脈産業園」が始動している。循環型社会づくりは、ようやく緒についたばかりだ。
産業公害への対策にとどまらず、ごみの分別収集や再利用、資源循環、減量化……。日本の自治体や企業、NGOが蓄積した技術を中国が真剣に必要とする時代がきている。
中国、さらにはアジアの国々が「公害抜き」の発展へ軌道修正していくため、日本の苦い経験を生かしたい。