時代を駆ける

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時代を駆ける:江上剛/2 少しだけ伏せた宮崎遺書

 ◇GO EGAMI

 <総会屋事件までは、行内の不祥事をもみ消すのも大きな仕事だった。これを後に悔やむことになる>

 自分で言うのも何ですが、私は「隠ぺいの天才」でしたね。例えば94年6月、ある都内の支店長が失跡・自殺した事件があったんです。ゴルフ場にいた私はすぐに戻り、本店に役員らを集め、遺体の引き取り、遺族への対応、警察発表の内容把握などを「指示」しました。実は、背後には不正融資があったのですが、これにはフタをした。上司には「お前、怖いね。慣れてるね」なんて言われたんですが、人事部時代(90~94年)の数々の不祥事処理で培った能力でした。

 役員の女性問題はもみ消し、融資を巡るスキャンダルも闇に葬る。ちょっと得意になっていたんですが、実はこれらが全部、行内で腐っていたんです。

 不祥事は総会屋などの窓口となる総務部の案件となり、こうした「腐ったネタ」をかぎつけた総会屋らが総務部を訪れ、金を受け取る。ハイエナのようにね。渡すのは全部裏金ですよ。腐敗の延長線上に、あの総会屋事件があったんです。がく然としましたね。

 不祥事の対応には「ドラキュラの法則」というのがあるんです。ドラキュラは光を当てれば死ぬ。明るみに出さないとだめなんです。隠ぺいしたり、もみ消したりせずに、公表することが大切なんです。隠せば腐る。そして総会屋らへのエサになるんです。

 <総会屋事件では97年6月29日、宮崎邦次元会長が自宅で首つり自殺した。午後6時15分、搬送先の杏林大学病院(東京都三鷹市)前で、広報部次長だった江上さんは「残念ですがお亡くなりになりました。コメントする言葉を思いつきません」と涙ながらに発表した。つらい広報だった>

 事件の最中でしたが、6月27日の株主総会を初めてテレビモニターで公開し、何とか乗り切ってほっと一息でした。毎日のように記者が家に来ていたので、応対に疲れた妻を旅行に出して、日曜日の29日午前中、テレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」を見ていました。その速報で、宮崎さんの自殺を知ったんです。秘書室は教えてくれなかった。「この野郎」と思って病院に駆けつけました。

 夕方になって息を引き取ったとき、上層部は「マスコミには伏せろ」と言う。武田信玄じゃあるまいし。現実には、警察情報でマスコミは知っていたので、すぐに発表し、遺書の内容も公表しました。

 「大変ご迷惑をかけた。身をもって責任を全うする」というものでしたが、実は少しだけ伏せました。「佐高さんにほめられる銀行にしてほしい」という一節。経済評論家の佐高信さんと何か話したんでしょうね。その佐高さんが5年後、私が書いた最初の小説の推薦文を書くことになる。不思議な巡り合わせです。

 もう一つ変えたものがあります。宮崎さんは東京地検特捜部の調べについて「身に覚えのないことばかり聞かれる」と言っていました。でもこれでは特捜を刺激する。そこで、報道陣には「記憶のないことばかり聞かれると言ってました」と話したんです。

 <この5日後、前会長が逮捕され、一勧への捜査は終結へ向かう。でもここから、新たな戦いだった>

 7月になって、業務監査統括室副室長兼社会的責任推進室長になって、総会屋や暴力団への融資を洗い出し、関係断絶に向けて動き出しました。

 金は与えない。購読紙は全部やめる。線引きが難しいので、新聞社系の週刊誌だってやめた。受けた圧力は苦情や脅しなんてもんじゃない。誰も助けてくれない。そんな中で「小畠(江上さんの本姓)だけに命はかけさせられない」と表に出て対応してくれたのが室長だった「改革4人組」の一人、後藤(高志・現西武ホールディングス社長)さんでしたね。

 総会屋らへの融資をリストアップし、回収も進めました。警察からはモデルケースとして評価されたんですが「改革」は後に、どんどん劣化するんです。<聞き手・山本修司>

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 「時代を駆ける」は月~水曜日掲載です。

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 ■人物略歴

 ◇えがみ・ごう

 作家。旧第一勧業銀行の総会屋利益供与事件当時の広報部次長で、経営刷新に奔走した「改革4人組」の一人。02年、築地支店長時代に、事件を背景にした「非情銀行」を刊行。03年に退社。55歳。

毎日新聞 2009年4月28日 東京朝刊

 

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