インドネシア残留日本兵に叙勲
インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実−大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。 (シリーズ日本人の誇り 6) 価格:¥ 1,470(税込) 発売日:2006-11 |
で、時はくだって大東亜戦争になるんだが、オランダが占領していたインドネシアに日本軍が攻め込むわけです。それまで現地人を奴隷のようにこき使い、偉そうにふんぞり返っていた白人どもが、あっけなく日本軍にやられ、ひらひらの服着てお上品に振る舞っていた奥さま、お嬢さまが
オランダ女郎として、日本軍将兵の慰み者にされるのを、原住民たちは見たわけです。
オランダ女郎というのは、現地にいたオランダ人のオンナたちです。男は強制収容所に入れられたんだが、オンナたちは、一夜にして売春婦になりました。一部、強制された人もいたらしいが、食料欲しさに自発的にやった人もいたらしい。それまで「自分たちとは違う特権階級」だと信じ込んでいたオランダ人が、新しい支配者である日本人に股を開いて媚びるのを見て、原住民たちは意識改革をするわけだ。しかも、新しい支配者である日本人は、「みんな天皇陛下の赤子である」との教育をした。ジャワに小学校を作り、日本人と同じ教育をしたわけです。
で、結局は戦争に負けてしまうんだが、話はそれだけに終わらない。戦争が終わってオランダ軍が戻って来るんだが、一度火がついた独立への戦いは止む事がない。原住民たちは、戻って来たオランダ人と戦うんだが、そこで大きな力になったのが、
残留日本兵たちですね。なんせ、原住民たちというのは、志はあっても、実際の戦闘力というのがないわけだ。それが、正式な軍隊と戦うとなると、軍事的なリーダーが必要になる。そこで、大きな力を発揮して、原住民たちのリーダーになって独立戦争を戦ったのが、
900名に及ぶ残留兵たちだった。
これは、組織的に残ったものじゃないです。勝手に残った、個人的な人たちです。激しい戦いで、そのうち半分以上が戦死してしまうんだが、結果として
インドネシアは独立を遂げます。で、その生き残りが、わずかに4人だけ、残っているらしい。その一人が今回、旭日単光章という勲章を貰ったという話で、勝谷誠彦氏がメールマガジンで書いているんだが、
残留してそのまま暮らしてもよかったのである。にもかかわらず、他民族のためになぜ宮原さんが銃をとったのか。東南アジアでの戦いというのは、
それは、それまでの大東亜戦争の闘いの目的が、彼にもしっかりと見えていたからにほかならない。自分たちがなし遂げることができなかった、白人勢力の駆逐を、インドネシア人たちとともにやろうと思ったのだ。
焦土と化しているとはいえ、祖国に戻れば命までとられることはない。にもかかわらず<半数以上が戦死>するような闘いに身を投じた大和武士たちがいたことを、私たちは忘れてはならない。
そのいわば代表として、89歳にして天皇陛下から勲章を授けられる宮原さんの心中はいかばかりであろう。彼の背後には、異国の地にあって他民族の独立と、大東亜の解放に殉じていった、あまたの英霊がいる。
その方々すべてに対して、私は心からおめでとうございますと申し上げたい。
大東亜解放戦争という意味合いもあったわけだ。力足らずに志半ばで終わったものの、結果として、多くの国の植民地支配からの独立をもたらした。戦後、いちはやく日本と国交を回復し、日本を国際舞台に引き戻してくれたのはインドネシアなんだが、あの時の「恩」を忘れてなかったわけですね。つうか、「戦争」というのは「外交」の延長であって、個々の戦いに勝ったの負けたのというのはたいした意味はないわけだ。そうして見るなら、結果として東南アジア諸国の独立に結びついた大東亜解放戦争の、本当の勝者は、日本だったのかも知れないです。
この戦…勝ったのは農民だな…
七人の侍は映画の世界の話だけじゃなかったんですね
投稿 コナン | 2009/04/29 12:56
残留日本兵の勇姿、泣けますねェ。
この心情を右翼と呼ぶなら呼べ。
ドナルド・キーン氏がその名著「日本人の西洋発見」の最初の章を「日本におけるオランダ人」から書き起こし、なかでオランダ人のインドネシアにおける蛮行、とくに1740年バタヴィアにおける中国人一万人虐殺にふれ、同国者がつぎのような詩を書いて本国に報告したとしている。
<引用開始>
この詩には中国人の家族を殺害する場面を描いたつぎのような句がある。父親が、自分や妻の命はいらないからどうか子供の命だけは助けてくれとオランダ側の襲撃者たちに乞うくだりである--
返答に、刀が急所に斬りつけてくるのをかれは感じ、
みずから死んでいきながら、最愛の者たちの死の様を見た。
賊どもはあわれなその子の柔らかいぷっくりした脚をとり、
三たび、煙と炎のなかに振りまわし、
うめきつづけるその子を壁にたたきつけた。
脳漿と血が殺戮者の顔を染めた。
<引用終了>
実際にその目で見た・聞いた現地レポートで信頼度の高い第一次報告。
中国人って同国者どうしで殺戮し合い、他民族からも殺戮され放題。
そしてそのすべての罪科を日本人に押し付ける。
どなたか、中国人が日本人以外を非難してるの聞いたことあります?
(最近の嫌チョン除く)
投稿 小樽人 | 2009/04/29 13:24
日清戦争では勝利するも三国干渉にあい、結果敗北の様のもの
日露戦争では勝利も怪しいが、その後の日本の流れからしても敗北、
大東亜戦争では戦闘には負けたが、その後の世界情勢激変により
戦争というものは勝利したといえるのではないかと思う。
植民地というの世界からはなくなったが、日本が亜米の経済植民地になってしまい今日に至る。
投稿 若者 | 2009/04/29 13:31
讃えなければいけない人は今村 均でしょう。参謀本部(東京の官僚と裕仁)はインドネシアに略奪指令を出した鬼畜でしょう。フィリピンの白人支配者の息子に命乞いをした人と、自ら現地での戦犯入牢を志願した人を一緒くたにしないでほしい。
投稿 福田恆在 | 2009/04/29 13:49
泣けてきました。
日本人はもっと先輩達のやってきた事を知るべきです。
白人がこの世にいなければ世界はどれだけ平和だったのでしょう
投稿 民の声 | 2009/04/29 14:13
ええ話や・・・
オランダの悪口(歴史的事実だが)は高山正之氏の真骨頂ですな。今回の叙勲の話は数週後の変見自在でも述べられるでしょう。
シャボンやカルタ、カステラなど、ポルトガル語は日本語に残っているのに比べ、オランダ語はまったく残っておりません。昔から日本人はオランダ人のふるまいを嫌っていたのが分かりますね。
投稿 3gou | 2009/04/29 14:17
これからは中国なんかよりインドネシアでしょ。
投稿 へろいん | 2009/04/29 14:34
ベトナムでも残留日本兵が活躍してたみたい。
http://sakura4987.exblog.jp/2903983/
投稿 玉露 | 2009/04/29 15:02
横田めぐみに関してググッてみました。
http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/07/post_f96f.html
http://blog.goo.ne.jp/kohay/e/25f9fee8d7f8f1a2e8116246cfd2b1b0
投稿 ななし | 2009/04/29 15:14
そういやユダ公の中でもオランダのやつは最低だと、エゲレスのユダ公が飲み屋で貶してたなwww.
そんときゃ目くそ鼻くそだと思ったんだがw
投稿 aa | 2009/04/29 15:23
白人がアジアの植民地でした事を思うと、鬼畜米英って言葉に真実味を感じます。w
投稿 ん | 2009/04/29 15:39
今村均陸軍大将などは殆どの日本人が知らないのではないでしょうか?
何で日本の教育はそのことを教えないのか不思議で仕方ない。
投稿 豆 | 2009/04/29 15:43
本当に、そんな、格好の言い話ばかり?
たしかに、インドネシアの独立を側面から援助したとう事実はあるかもしれない。でも、その時の日本軍の状態はどうだったのだろう?
僕の祖父は、終戦間際、ラパウルで学校の校長先生をしていた。当時、帝大を出て、学校の先生をすれば、県知事と同じ俸給の時代。
ラパウルではどうだったかというと、終戦までは、白い飯を腹いっぱい食えて、天国だった。でも、配線後は、まずい飯を少ししか食えず苦しかったとか。
でも、下の兵士達は、アメリカなどは、こんなオイシイ飯をくっているのかって、感激していたとか。
だから、負けちゃうんですよ。。。
投稿 AEON Card | 2009/04/29 16:38
ウチの親戚に「ジャワのおじさん」という人が居て。
終戦になってもジャワから帰ってこないで悠々と独立戦争やってやがんの。オランダ軍14万を蹴散らして「命も金も要らん、女だけ要る!」ってんでウハウハでモテまくって子供までいたらしい。5年後に帰ってきたけど親戚中で総スカンくらってたっけ。勲章貰うどころじゃないが、男子としては欣快至極ってか、お目出度い人生です。
投稿 オタッキー | 2009/04/29 17:53
こんなのありました
日本がアジアに残した功績の真実
http://www.youtube.com/watch?v=Kiz7N4z7c3M&feature=channel_page
投稿 玉露 | 2009/04/29 18:14
勝谷氏に昇格したん?
言説がヒステリックやな~
「存在の耐えられない軽さ」が
お好きみたいです。
投稿 建築やの妻 | 2009/04/29 18:16
アマの紹介本の帯のデビさんと、
こないだのデビさんのブログの内容とが違うくて参ります(>_<)
お金貰えば何でもする。あの人、ただの守銭奴なんですか?
日本を悪く言ったり、良く言ったり。
芸能界の怪しい発言したり・・・朝鮮行ったり?謎です。
投稿 イアン | 2009/04/29 18:17
ニポンの糞キョウイクw文悔蚊学賞wおまいら平等だの自由だの言うてようだましまくってくれよったのおwまあ、恨むべきは嘘を日本人に教え込んだユダ公だがなw白豚と糞半島カルトは日本から、いや、地球から出てけw
そうそうマスゴミもなw
投稿 目くそ鼻くそ | 2009/04/29 18:25
>東南アジアでの戦いというのは、
大東亜解放戦争という意味合いもあったわけだ。力足らずに志半ばで終わったものの、結果として、多くの国の植民地支配からの独立をもたらした。
やっぱりこれは日本人の共通認識としておきたいところですよね。しかも対岸の火事じゃなく、放っておけば日本まで植民地支配されかねなかったわけで、正当防衛の意味合いは強かったと思いますね。
ただ、気をつけないといけないのが、昔みたいなあからさまな植民地という形態が流行らなくなって、「間接的でより巧妙な支配形態」に変化しただけなんで、油断していると搾取されてしまうというのは変わってないんですよね。
その為に国益というものの重要性があるわけなんですけど、その国益でさえも、国自体が搾取される構造がある場合には意味がないわけです。
要は国益を重視しながらも、隷属国家という状態から抜け出し独立国家の道を歩み、諸外国に搾取されないようにしないといけないわけですね。
国単位でいえばそういったところでしょうけど、個人単位で言えば、国というものに権限を与えすぎることも、見えないかたちの搾取・支配構造を避けるためには、気をつけておかなければいけないですね。
この間、個人情報やプライバシーのことを書いた時に触れましたけど、極端に国家の権力、国民監視の権限を強めるというのは、そういう意味で危険なわけです。
投稿 タバスコ厨 | 2009/04/29 18:40
オランダの爺さんは未だ日本が許せんだろう。
何せ江戸時代初め頃からインドネシアに居ついていたのだから、
現地で5代目とか10代目とか言う人もいそうでそうなると原住民であり、
固有の領土と思っていたはず。択捉や樺太に住んでた爺さんどころの話じゃない。
そんな人達の追い出しは武力以外ありえない。
そして戦後もエリアの広さや日本のシーレーン生命線上で、政情安定が必須なので日本のODAのうち投入額はトップじゃなかったかな。
全く日本が生み出し育てたような国家かも知れん。
後、実家に昭和十八年発行の蘭印攻略戦の本があったが、インドネシアって今はジェット機でひとっ飛びだけど、よくみりゃ日本から5000kmもあるわけで、その距離を当時の乗り物でただ行くのでなく進攻して占領するなんて、作戦立案者はどうすりゃいいんだ!ってかなり悩んだと書いてある。
我々は今の繁栄が靖国の英霊を初め膨大な血と汗と涙の上に成り立っている事の自覚が余りに不足していると思う。
投稿 愛子様の弟 | 2009/04/29 19:39
敗戦まじかや捕虜になった日本兵は人肉食って生き延びました
映画『野火』
島に捕虜になった親戚の日本兵に聞いた事あるがコモリ、ヘビ、
ネズミ食べたと言っていたそれ以上は聞かなかったorz
投稿 頭脳野火 | 2009/04/29 19:55
こういうのを見ると、今のマスゴミをはじめとしてあらゆる公的機関がいかに捏造した歴史をさも日本が犯罪国家であるかのような教育をおこなったりして、真実を知らなさすぎると同時に教育機関がいかに犯罪組織に牛耳られて教育を破壊しているってのがよくわかるなぁ。
今の日本において公的機関というのが完全に日本国民の敵
っていうのがわかるね。
投稿 ジュピター | 2009/04/29 20:04
日本人の若者が、自国に自信、誇りを持つようになっては困りますから今回のエントリーの様な史実は学校では教えてはいけません。
逆に日本を貶めるようなことは、それが捏造されたものであってもしっかりと教えられます。
みんな WGIPに則ったものです。
雨から独立しないとどうにも成りません。
投稿 www | 2009/04/29 20:06
テレビや新聞はどう伝えるんだろうね?コレを具体的に報じると、長年やってきた「日本は東南アジアまでも戦争を拡大して酷い事をしました」って言うのがウソだってバレちゃうからな。
こういう話が出る度に、多くの左巻きや騙されちゃってる日本人自身が日の丸とか靖国神社とか粗末に扱ってるのが恥ずかしいやら情けないやら。
投稿 夕焼け | 2009/04/29 20:42
日本の残留兵(軍事顧問団?)が鍛えた軍隊が、インドネシア国軍・大陸から敗走した中国国民軍です。インドネシア国軍は陸軍だけでしたが、中国国民軍は海軍のおまけが付きました。初期の軍艦は全て日本の中古ばかり。中国兵が爆燃の恐れがある蒸気タービン機関をいきなり動かせるはずも無く、海軍は日本の軍事顧問団が運用していたことは想像がつきます。国府海軍最初の任務は、大陸にあった歴代王朝の財宝の輸送任務でした。
投稿 陸奥の防人 | 2009/04/29 21:03
オヤジの親友に、
某重工業会社インドネシア支社の副社長
兼、インドネシア国軍武道師範を長年務めていた
Y氏(故人)という方がいました。
毎朝、四方を国軍の装甲車に護衛されて出社w
Y氏が赴任されていた当時は、
まだかなりの数の旧日本兵の方々が国軍の将軍格で御存命だったとか。
赤い絨毯の両側の国軍の高官の列に、
何人もの日本人の将軍がいたと聞いています。
もう1回やったら今度は負けねぇと、皆意気盛んだったそうです。
「大東亜戦争は侵略戦争じゃなかった」
戦争屋からカネが欲しいだけのクソ代議士共の臭い口からこの言葉を聞くと
吐き気がしますが、
実際に最前線で命を賭して闘った方々の口からこの言葉を聞くと
背筋が伸びます。
投稿 薬試寺教授 | 2009/04/29 21:33
大和魂此処に在り、だね。
朝鮮カルトやセコウやマスゴミに簡単に洗脳されるようなB層とは何かが根本的に違うな。
ところで、日本からキムチ臭い白人の走狗を追い出すための戦いはいつから始めるのかな?
朝鮮ダブルカルトや国債金融資本の下僕である似非保守売国奴を駆逐するのなら、我輩も微力ながら参加させていただく所存であります。
清和会と手打ちをした以降の自民の放蕩ぶりはあまりに目に余る。
投稿 neuro | 2009/04/29 21:40
生まれて初めてバリ島に行ったときにジャカルタで働いてる親父さんと観光で来ていたドイツ人の女の子をナンパして島をホンダ・スーパーカブで島巡りしていた時に、雨宿りした軒先で笑いながら日本の唄を歌ってくれたインドネシア人のおじいちゃんに会った。私のことを見て「ケンペタイ、ケンペタイ」って言ってて戸惑いました。多くの日本人が直接海外に出て現地の人と話し、ネットで真実が暴かれていけば不毛な議論がなくなるのかもしれませんね。
投稿 半島や民族でしか通じない「ウソ」を当事者でもないのに勝手に代弁してる日本人にぜひ読んでほしい話だわ。 | 2009/04/29 21:42
> 今村均陸軍大将などは殆どの日本人が知らないのではないでしょうか?
> 何で日本の教育はそのことを教えないのか不思議で仕方ない。
そりゃあ、日本の与党が保守を騙る反日売国集団だからだよ。
ああ、野党も似たようなものかwww
それでも間違いなく売国の実行者は与党の自民公明と売国役人達である。
投稿 neuro | 2009/04/29 21:42
映画「ムルデカ」を御覧になることをお勧めします。
感動しきりの一作です。
投稿 idj | 2009/04/29 21:55
インドネシアにおける日本兵の蛮行 ・・・。
例えば、オランダに人妊婦を仰向けにさせて、
日本兵が腹の上をぴょんぴょん跳ねるとか、
数知れない蛮行が伝えられますが、思うんですけど、
あれって実は朝鮮人じゃねぇの。
やってる事が、シナ人に対して俺達は日本人だと言い張り
シナ人に散々暴力行為をした挙句ついた渾名
「高麗棒子」と同じだもんさ。
投稿 馬小屋 | 2009/04/29 22:02
勝谷さんは、いい人なんだろうけどなあ
思い込みが激しいのと、
ああ勘違いさえ気をつけてくれればなあ
宮崎のテッちゃんの話にもう少し耳を傾けてくれれば・・
投稿 N | 2009/04/29 22:11
明治という元号は
イルミネーションが治めるとのことか
日本が植民地にならぬよう働いた者がことごとく亡くなったことはそれ故か
日本が列強に蹂躙されぬがために画策した島津斉彬、志を継いだ小松帯刀、大政奉還に尽力してしまった坂本龍馬、中国との戦争を回避してしまった大久保利通
投稿 まーくん | 2009/04/29 22:12
かなり前に短い間でしたが勤めていた会社の社員寮に
インドネシア人がいました
彼らは、異国の地なのに
とても陽気で、
コーラが大好きと言ってたな
もっと仲良くしとけば
よかったな
投稿 高所恐怖症 | 2009/04/29 22:22