中国皇帝と日本天皇の礼服に見る違い
中国と日本における陰陽五行説の受容の違いは、中国では学問・技術中心、日本では呪術・宗教的であったと指摘されることがある(村山修一『日本陰陽道史話』平凡社、2001年)。中国皇帝の礼服と日本天皇のそれとでは、北斗七星と織女星とのデザインに大差がある。
吉野裕子『天皇の祭り - 大嘗祭=天皇即位式の構造』講談社、2000年、「第三章III 天皇の礼服」で紹介されている中国皇帝と日本天皇とにみられる礼服の違いをまとめてみよう。
まず、中国古代の皇帝の衣服である袞衣には、左袖に北斗七星、右袖に織女星が配置されている。両者がワンセットと見なされた理由は、北斗七星には四方を治める政治が意味されており、国家統治の基となる農事を統べる星という意味も存在すること、そして、織女星には、機織りを始めとする女性の労働を司る意味があること、以上の2点が考えられる。
北斗七星と織女星の二星が主管する耕と織は、古代中国においては皇帝と皇后による祖廟祭祀の中心とされており、この点は伊勢神宮の祭祀も忠実に踏襲している。天子親耕、皇后献蚕・神衣奉織といった祭祀に関するピンポイントの表現といえる。
ところが、日本の天皇の場合、袞冕十二章には、上記ワンセットだけは踏襲されておらず、左袖の北斗七星が背筋の上部中央へ移動し、織女星は除かれている。
このデザインの違いは、政治のあり方や国家における天子・天皇のポジションの違いをも意味する重要なものである。中国の天子の場合、日月星辰の三者の一つ「星辰」として北斗と織女を両袖に付けており、天子親耕・皇后奉織が体現されている。それに対し、日本の天皇は、本人が宇宙神、すなわち北極星の化身であるとの認識がなされており、祭祀者であると同時に被祭祀者でもあるという立場を特徴づけているといえる。
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