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自閉症というと、昔は「引きこもりの性格」みたいに受け取られていて、「オタクはみんな自閉症だ」みたいな扱いがあった。 (^^);
しかし今日では、自閉症は脳の発達障害であることが知られている。( → Wikipedia )
問題は、その原因だ。原因は、何か?
Wikipedia を見ると、「遺伝子の異常のせいだ」みたいな記述があり、それだと「遺伝子治療をするしかない」というふうな話になりがちだ。
しかし、ネット上の話を探っているうちに、思いがけない情報を見出した。
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ネットサーフィンをしているうちに、最初の話題が何だったかを、見失ってしまったのだが、よく調べると、最初の話題はこれ。
→ 女子高生が出産の乳児放置
俗っぽい話題ですね。 (^^);
その内容は……産まれた赤ん坊が、窒息死した。女子高生は産んだあとで、「息もせず、泣かなかったので死んでいると思った」と言っている。
その意味は? こうだ。
「赤ん坊が息もせず泣かないことは、しばしばある。なのに、そのことを知らないで放置したせいで、本当に赤ん坊が死んでしまった」
まるで冗談みたいだし、「嘘から出たまこと」みたいだが、次の話もある。
「親が昼寝をしているのを見て、死んでしまったと勘違いした息子が、親の顔に布をかけた。そのせいで、親が呼吸できなくなり、親は本当に死んでしまった」
これは実話か虚構か、定かでない。映画の物語だったかも。 (^^);
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さて。この件で思い出したことがある。
「赤ん坊が生まれたとき、息をしていなかったら、尻をひっぱたたく」
という出産常識だ。
では、そうする理由は? 下記にある。
→ 赤ちゃんはどのようにして肺呼吸に変わる?
ここに、次の記述がある。
「オギャーという産声とともに肺呼吸に変わります。ですから、産声を上げない赤ちゃんは、刺激を与えて産声を上げさせないと肺呼吸が出来ず、脳に酸素が行かない為に大変な事になります。」
つまり、赤ん坊がオギャーと泣くのは、呼吸をするためなのだ。
( ※ ただし、シェークスピアは、別の名言を語った。
「赤ん坊が生まれたときに泣くのは、この大いなる阿呆の舞台に上がってしまったからなのだ」 (ウィリアム・シェークスピア「リア王」) )
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さて。話はそこから横に飛ぶ。
上のリンクのページでは、引用部の記述のすぐ上に、次の記述がある。
「生まれたての赤ちゃんの頭に触れる機会があれば分かりますが、頭蓋骨の真ん中に隙間があります。左右に分かれている頭蓋骨がずれて頭が細長くなって生まれてきます。」
これが本項の話題だ。
さて。「頭蓋骨の真ん中に隙間がある」とは、どういうことか? そう疑問に思って、赤ん坊の頭蓋骨の画像を検索したら、次のサイトにぶつかった。
→ 早期癒合症と自閉症
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このページによると、こうだ。
赤ん坊だけでなく、幼児もまた、頭蓋骨には隙間がある当然である。逆に、頭蓋骨に隙間がないと、脳圧が高くなりすぎて、自閉症になる危険がある。
実際に自閉症の傾向が出たら、脳に穴をあけて、脳圧を下げる。そのことで、脳が圧迫を受けずに正常になるので、自閉症らしい性格が治る。つまり、手術後に、次のように急激な変化が起こる。
・ しゃべれなかった子が術後一日目に話した。
・ 2文語や3文語(ママお菓子開けて)等、話し始めた。
・ 多動がおさまった。
逆に言うと、脳に穴をあけないで放置していると、自閉症らしい性格がどんどんひどくなり、脳が損傷を受ける。だから、遅くとも8歳までに(穴をあけて)治療する必要がある。それまでに治療しないと、治癒不能な損傷を受ける。それが自閉症として認識される。
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いやあ。初めて知りました。びっくり。頭に穴が(溝が)空いているのが正常で、空いていないのが病気だとは。頭をかち割られたような衝撃。 (^^);
まったく、世の中には、思いもよらぬことがあるものだ。びっくり。
ともあれ、知人の子供であれ何であれ、自閉症ふうの傾向が見られたら、本項の話を教えてあげましょう。……というか、本項の知識をひろく共有しましょう。そのことで、自閉症になる子供を治すことができる[こともある]。
( ※ ただし原因は本項のことだけだとは限らない。別のことが理由となるケースもあるかもしれない。)
《 注記 》 |
[ 付記 ]
ダジャレをひとつ。
「自閉症」という言葉の「閉」という文字は、案外、見当違いではなかったわけだ。「自閉症」を「閉頭症」と書けば、ぴったり。穴が閉じているのが理由だから。
その点、
「これは発達障害と呼ぶべきだ。その理由は、遺伝子だ」
なんて知ったかぶっている医者は、結構ピンボケなことを言っていたわけだ。(間違いというよりは、ピンボケ。見当違い。)
[ 余談 ]
話は飛ぶが、医者一般についての感想。
医者というものは、次のようなことばかりを語りがちだ。
「患者の症状は、これこれだ」
「患者の器官や細胞は、ここが損傷を受けている」
「患者の遺伝子は、ここに異常がある」
しかし、そんなことは、どうでもいい。「病気になったあとで病気を調べる」というよりは、「病気にならない方法」「病気を治す方法」を教えてくれればいいのだ。
極端に言えば、病気の原理なんか何もわからなくても、病気を治す漢方薬があれば、それを与えてくれれば十分なのだ。
逆に、「病気の理由は遺伝子だ」などと真実を教えてくれても、さして意味がない。なぜなら、遺伝子を変えることはできないからだ。(遺伝子治療をするなら別だが、それはまた別の話。一般的には、「頭が悪くなる遺伝子がある」と教えられても、「頭を良くする遺伝子」をもらうことはできない。)
医者の医学は、「患者よりも研究が目的」というふうになりがちだ。まったく、困ったものだ。
一般に、医者には、二通りある。
(1) 医学的真実を探求しようとして、「医者は偉い」と自惚れる。
(患者は医者のためのモルモット、という扱い。)
(2) 患者の幸福を追求して、「医者は患者に奉仕しよう」と願う。
(医者は患者のためにいる、という自覚を持つ。)
世の中には、この二つのタイプの医者がいる。威張るタイプと、優しいタイプ。はっきりと二分されるほどだ。
医者にかかるときには、その医者がどっちのタイプであるか、はっきりと見極めた方がいい。
( ※ これは、「優秀かどうか」とは無関係なので注意。どちらかというと、頭のいい優秀な医者に、前者のような冷酷なタイプが多い。「オレは常に正しいんだ、オレは頭がいいんだ」と自惚れているタイプ。……ネットのブログを見ると、そういう医者がけっこういるので、そういうのに引っかからないようにするといいだろう。)