2008-07-14 01:38:22

荻上チキさんインタビュー最終回「ウェブ時代のアジェンダ」

テーマ:シリーズ連載:コンテンツ産業と法規制
まとめサイトは足場になるか?

--サイバー空間ができてから、市民運動の在り方が変わりつつあるんですけど、その方法論を誰も構築できていない。メールを流す、ホームページを作るくらいしかなくて、その上のステージになかなか発展していかない。イラク戦争の頃から言ってるはずですが、変わってこない。

荻上さん:「メール とブログができたことはけっこう大きなことだと思うんですが、結局は使い方です。2ちゃんねるの論争的なテーマのスレッドとか見てると、たまに別のスレが 貼られて、コメントで『オマエラ応戦してくれ』とか書いていて(笑)。2ちゃんねらー同士の喧嘩に力を注いでも、全く意味がないのに、妙に張り切ってたり するわけですよね。
 
 それなら、ある種のまとめサイトみたいなもの一個作ってしまって、こういう声が一杯あるんですっていうようなものを纏めると同時に、今後多くの人々がそ のまとめサイトを使うことによって、個別の運動を展開していく足場を作る。あるいはネットを通じて、主要プレイヤー同士の活動を計画的にやるとか。まあ、 どれも別段新しいことではないですよね」

--ミクシィに準児童ポルノ法反対コミュができて、チェックしてるんですが、まとめサイトとかの構築が先行して理論ができてない。

荻上さん:「ユニセフ協会がどうやらアレゲな団体だという話だけはあちこちに書かれてましたが(笑)」

--インターネットの限界だと思ったのが電話だと一言ですんだりすることが、コメン トの応酬で全然に前に進まないなと。これも技術が発展してリアルタイムなやりとりが実現すれば変わってくるんでしょうが…。極端なこといえば、家にいたっ て『マンガ論争勃発』みたいな本は作れるんですよ。電話インタビューとメールで補足して作ることができないわけじゃない。でも実際に会って話してみると直 接的な対話の方が強いんですね。

荻上さん:「そりゃそうでしょう。もちろん、書かれた言葉のように、反復される情報の強みはあります。情報量が多ければいいというわけでは必ずしもない」

--保守的な立場から言うと、その点からもインターネットは怖いと思ってるのがわかりますね。

荻上さん:「いや、保守的な人たちもインターネットのカスケード現象みたいなこと言われてるような形で政治運動を展開している部分もあるわけですよね。男女共同参画条例があちこちでできた時はカスケードの力を使って署名の数を稼いだ。逆ができないわけではない。
 運動のレベルではネットでできることと、リアルでできることって依然と区別されていて、別にネットが登場したからってラディカルな逆転劇に使えるって話 ではないので、きっちり使い分けていけばいいのかなと。そのあたりは運動論の話になっていくのであまり僕が口を挟むことじゃないなって気がしますけど (笑)。常に前近代的な、数の論理と声のデカイのが勝ちってのが今後も続いていくんだろうし」

--インターネットによって、それも相対化されているような気はするんですけど、その相対化が効き過ぎて、よほど名のある人が話しないと誰も聞かないとか。

荻上さん:「うーん。いや、一生懸命ブログを更新するのもいいんですけど、それだけで全ての目的を叶えるのはムリだという当然の話で。もちろん、ブログで発言力を手に入れることで、ロビイングの場に呼ばれるような例もないわけではない」

--ブログって、なかなか誰も読まないもんだと感じたのが、今、このブログはジャンルランキングが500位前後なんですよ。2000人くらいしか見てないのに。一万くらいブログがあるはずだから、あとは誰も見てないってこと?

荻上さん:「このブログは一日何ヒットくらいですか?」

--基本が1500ぐらいで、多い時で3000、4000行ってますね。最高で15000超ですが

荻上さん:「おお。平均的なブログよりははるかに成功しているんですね。1000を超えるアクセスのブログって、全体の1%程度だといわれていますから」

--いくらインターネットが発達しても本というモノがあるのは強いと思うんですよ。

荻上さん:「教科書 を作る会のサイトのPVがあんだけ少なくても、彼らはファックス通信とかで連絡とったり、あるいは売れない本をガンガン国会議員とかに撒くんですよね (笑)。そういう強みはあるでしょう。みんながこの一冊を読んで、議題を設定する。運動のノウハウは基本的には変わらないので、切断されている部分をつな げるという意味は書籍にはあるでしょうね」

--議論をする場を持たないと話が始まらない。例えば児童ポルノ法改正推進派の議員に取材を申し込むと断れるんですよ。それが彼ら、彼女らにとっては重要な問題で国民に対してアピールしなければならない問題であれば、もっと多くの人々に語るべきだと思うんですけどね。

荻上さん:「票に結 びつかないと思われているところが多分にあると思いますね。それから、議題設定の枠組みの中で、低位に置いても構わない言説であると思われている。表現の 自由を認めろというような論理よりも、こうなっちゃうからやめた方がいいぜ、といったネガティブな結末をぶつけた方が話は聞かれやすいのでしょうね」


--これはもう前から語り合ってることなんですけど、情報統制にしても、表現規制にしても、国益にとってマズイよ、産業にとってマズイよ。日本はこれからそれで喰っていくしかしようがないんだよと。

荻上さん:「表現をしていくプレイヤーを一気にごっそりなくすことが、本当に<次世代を育てる>ことになるの?とかね」

--露骨に言えばカネの問題なんですよ。規制をやると国が貧乏になるよって言い方はアリかと思うんです。ネミングとかもそうですけど、『そういう芽を潰しちゃっていいの? 
 次世代のビル・ゲイツが出るかもしんないぞ』と言っちゃっていいと思うんですよ。大人のできることってヌルイ目で見守ることしかできないし、極端な問題が出た時に対応する程度のことでしかないわけです。 
 
 何から何まで、例えば外歩いたら転ぶかもしんないから子供は全員杖持たせろとか、実際、ドロップハンドル禁止とか、自転車通学は全員ヘルメットとかやっ てるわけですよ。話飛ぶけどエコ袋推進にしても、じゃあレジ袋作ってるトコはどうするの? って議論はあんまり見えてこない。
 ゴミ袋はどう調達するの? 誰かが作って売ってるわけだ。東京都の場合は炭酸カルシウムのゴミ袋を売ってるわけだけど、レジ袋の業者はそっちにちゃんと転換できてんのか? 転換することによって彼らは生き残れるのか? 
 そういう議論なしで、レジ袋なくしたらドラム缶何本節約できて、地球温暖化がこれだけせき止められましたって言ってるけど、トータルで見たらそうじゃな いだろうと。児童買春の問題にしても、単にそれを禁止すれば終わりではなくて、例えば東南アジアの貧困地帯で、児童売春を禁止すると同時にどう経済的にケ アしていくのかということまで考えないといけない。教育もそうですね。子供の労働力に頼っているような地帯だと、学校を建設するだけではすまない。


荻上さん:「表現としての搾取ではなく、具体的な搾取として問題化できるし、すべきですね」

--そうなると共産主義革命によってという発想が出てくるんですが(笑)。そうじゃないモデルを提示しないといけないんじゃないか。

荻上さん:「何故だ(笑)。そういうモデルを提示するってのは誰もが失敗してきたことなんで、これからも失敗するでしょ」

--ヨーロッパの新左翼系と呼ばれる人々、オルタナティブな社会が可能だというスローガンを掲げてますが、じゃあ、それはなんなの? と(笑)。

荻上さん:「攪乱とかオルタナティブって言葉が好きなんじゃないですか?(笑)でも掛け声は元気だけど、内容を見ると力が抜けるものとか多いですよね」


長いスパンで考えること

--規制問題に話を戻しますと、ぼくらは感覚的にすぐ阻止しないと大変だと思ってい る。でも、今の状況を変えようとすれば5年、10年かかる。勝ったからといって問題が解決してユートピアが訪れるんじゃないし、負けたから破滅でもないと いうことをしっかり押さえておかないと、5年10年、それこそ50年100年というスパンで考えていかないと、いけないわけですが…。

荻上さん:「すごい 直近の議論と、ここ数十年の国益をどう確保していくか議論と、ここ100年の近代社会設計のような形で設計していく話はそれぞれしっかりやってく必要があ るんですけど、それらの利害はそれぞれ別ですよね。また、表現の自由を守ることとは別に、具体的差別の解消の議論には、オタクの立場から参加していくこと だって可能になるでしょうし。
 よほどのプレイヤー不足なのか、僕でさえ直近の問題として議員さん達に働きかけたりとかはしてるけど、もっと得意な人がいるはず。若造の話聞いてくれる人はごくごく少ないから限界もあるので、頑張ってくださいよ昼間さん(笑)」

--今、これに取り組んでくれる人が少ない。10年前は宮台さんがいた。今も宮台さんしかいないみたいな状況ですが、規制したがる側が『子供のために』って理論を出してきて、それに対抗する理論がまだできてない。

荻上さん:「ないわ けではないんですけどね。例えば擬似統計の指摘、擬似問題の指摘。ユニセフ協会が掲げていた『海外の性犯罪者の何割が児童ポルノに触れてましたよ』って何 の意味もない統計ですよね、とか、『そもそも子どもって誰よ?』っていうことを問い続けていくしかない。犯罪被害者の視点に立って刑法を書き直すことが 誤っているように、子供の視点に立って法律を書き換えることこそが間違っているんだと丁寧に言い続けていく。その作業に、一発逆転なんてないです。政治で すから」

--そもそも刑法が教育刑としてあるってのが大前提にあるはずなんだけど、誰も知らないのかって。

荻上さん:「主体は誰かってことですよね。社会主体の損益にかかわるものなのか、個人主体の損益にかかわる問題なのか」

--近代国家においては、刑法で犯罪者を罰することによって教育的要素を与えるって ことで仇討ちとかを廃止してるじゃないですか。歴史を学んでればわかると思うんですけどね。もっと、みんな知識を持った方がいいと思うんですけど、先日、 知識持とうよって書いたら、『知識なんかなくていいんだ』って書くやつがいて、それはマズイだろ(笑)。

荻上さん:「なん じゃそりゃ(笑)。知識はもちろんあったほうがいいに決まってる。それに加えて、シミュレーションも出来る限りしたほうがいい。今でも数多くの規制がはた らいているけれど、システム的な条件が変わると既存の慣習でも意味が変わるというのも当前のことで、メディア的条件などについて考えるなら、単に児童ポル ノやその他犯罪抑止の議論が、ある目的-効果の計測だけで築くことが出来るのもないことは言うまでもないですよね。
 
 情報技術に対するある種の欲望を徹底すれば、あらゆる違法行為の予兆も見逃さないようにしようということにもなる。しかし、人の行動にはその「兆候」 が、あるいは意味的な反復が出来るといったような、通俗的な意味での精神分析的な発想って、それ自体が疑わしいわけですし。あるいは未だに、大きな<事 件>が起こると、そこにある種の象徴性を読み取りつつ、何かしたらの対策が不十分だったからだという<教訓>を読み取らなくてはならないとする強迫観念に 近い感覚が共有されている。とにかく広い意味で、

今後もコード一つで、メディアの性質がガラリと変わるってことはあり得るので、ある種の発想を無意識の前提にしつつ、さらに<今・ここ>のシステムを前提にしすぎののはマズイ、と。今のフィルタリングの議論は数年後には通用しなくなってるでしょうし」

--単純所持処罰化とダウンロード禁止化、実効性ほとんどないんですよ。ところが、 これ、技術がちょい進んで、全国民のPCにスパイウエアをほおりこんでいいってゴーサインが出ちゃったら、完全に監視できるんですよ。そういう危機感が希 薄ですよね。『持ってないから平気だろう』とかさ、『警察はそこまでやらないだろう』とかさ、『運動にも何にもかかわりもってない、普通の生活送ってるん だから』とか。

荻上さん:「特定の コミュニケーション監視システムを前景化することっていうのはやっぱりマズイですよね。普通に考えて、誰にその権力を握らせるのかみたいな、予算はどうす るのか、そこまでのレベルで誰が合意しているのかとか、大きなテーマになるわけじゃないですか。でも、第三者機関ならキレイなはずだみたいなアホな思い込 みもある現在で、そんな話がまともに行われているようにはどうも思えない」

--直近でいうと児童ポルノとダウンロード違法化について、ですが、明確な理論が存在していないんで、でブログで早めに公開した方がいいなと思ってるんですけど。

情報設計と世界設計

荻上さん:「それはやったほうがいいよね。法が通っても、やめないほうがいい。僕はどの当事者でもないけど、ガチ当事者が声を上げる回路はどっかにあったほうがいいと思います」

--当事者といっても、現在も違法な実写の児童ポルノを愛好しているような人々は問 題なわけで、そこのところはハッキリさせないといけないと思います。漫画家とか出てきて欲しいんですけど、現時点では漫画は児童ポルノじゃないし、目をつ けられるのをいやがるってのも解ります。漫画愛好者という当事者の中には、マンガを児童ポルノにされたくないばかりに、児童ポルノ法全体に反対みたいな論 調になる人がいる。児童ポルノ法の精神自体はね、いいことだと思うんですよ。実際、子供への性虐待ってあるわけだし、人権と生命と身体を守らなければなら ない。これは大前提です。

荻上さん:「そうで すね。ここ数年の着エロブームにも、ティーンズのアイドルが嫌な目にあったりとかしているケースもあったりして。それに対して、表面的には<スジ>はだめ にしましょうとか、そういうレベルで議論されると撤退戦にしかならない一方で、その構造自体にはあまり切り込めない。子供の人権を守るとはどういうことな のかって議論は、もっとストレートにできるはずなんですよ、マンガ関係者からでも。一方で、具体的な搾取をなくすために、社会主体に一気になんとかしてし まうという発想はマズかろうと」

--イギリスに2003年に性犯罪法ってのがあって、具体的に家族を児童ポルノに勧 誘することが罪になって、性的グルーミングが罪になって、具体化してるんで、改正するんだったら、そっちに改正した方がいいんじゃないですかと思うんです けど、そういう議論は出てこない。また、R15が摘発された時に、最初児童ポルノ法で動いたんだけど、立証が難しいっていうんで児童福祉法の方で切り替 わっちゃった。児童ポルノ法自体がどれほど実効性持っているのか?


荻上さん:「本当はそのアジェンダが共有されていいはずなのにね。大きな刀を欲しがるばかりになってしまう」

--大きな刀にしても、取り締まる対象拡げても実効性あるのかというのが一つの問題だし。

荻上さん:「児童ポ ルノを全部反対というのは無理だろうと思うわけですよ。これほど情報流出がガーっときてる場合には、それに対するケアみたいなものを法で整備するという発 想も出てきてしかるべきだろうとは思うけれど、ゼロにすることを至上命題にした瞬間に、多くの弊害を生んでしまいますから。このことは繰り返し、何度言っ ても足りないくらい。そのうえで、総合的かつ具体的な提案をしていかなくてはならないんだよね。論点ありすぎで大変だけど(笑)」

【了】

<取材:永山薫/昼間たかし 構成:永山薫>

<編集後記>
膨大な情報量となった荻上さんへのインタビュー。
ぜひ、ダウンロードしてゆっくり読んで頂くことをお勧めする。大量に加筆して頂いてありがとうございます。

 そういえば、この取材を行った春頃に立ち上がっていたミクシィの「準児童ポルノ法反対コミュ」(その後「全員容疑者!児童ポルノ法案の罠」に改名)では、一部の有志によって学習会など活発な活動が行われ、筆者(昼間)も何度か招かれている。

 この学習会は、これまで表現規制に反対する運動を行ってきたNGO-AMIのほか、コミックマーケット準備会や全国同人誌即売会連絡会など、様々な団体が協働して「創作物の規制/単純所持規制に反対する請願署名市民有志」を設立するところまで、発展している。
 
 一方で、このコミュニティでは「ネットを中心とした運動」を唱えるグループもあり、こちらは「子供の人権と表現の自由を考える会」なるサイトを立ち上げたものの、その後なんら活動を行うことができず既に破綻している。
 こちらのグループ、会の代表者が海外在住(この時点で既にオカシイ…コミンテルンか何かか?)の点を指摘され「ITツール駆使すれば、海外だろうがどこ だろうが連絡は常に取れる」とか「ネット上での活動もリアルな活動」という発言をおこなっていた。
 「ネットを中心」ではなく「ネットだけ」で、政治に対してアプローチでき ると思いこんだのが破綻の原因であろう。
 
 このように運動組織の構築と破綻という短期間に起こったふたつの展開は、サイバースペースを使った新たな運動のあり方を考える上での素材となり得るだろう。

 さて、荻上さんの新著『ネットいじめ』も、いよいよ16日(水)に発売となる。
 規制問題の今後を考える上で、必ず読んでおくべき内容であろう。是非、ご購入頂きたい。

(昼間たかし)
ネットいじめ/荻上 チキ
¥777
Amazon.co.jp
サイバースペースを使った運動の問題については、こちらも。(ちょっとどうかと思う内容だけど一応)
未来派左翼 上―グローバル民主主義の可能性をさぐる (1) (NHKブックス 1106)/アントニオ・ネグリ
¥966
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未来派左翼 下―グローバル民主主義の可能性をさぐる (3) (NHKブックス 1110)/アントニオ・ネグリ
¥966
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2008-07-09 00:05:16

荻上チキさんインタビュー第三回「すべての問題はリンクしている」

テーマ:シリーズ連載:コンテンツ産業と法規制
ウェブ上での議論は有効か?

--たとえばこの問題が人権擁護法案から共謀罪までからんでという話をすると、共謀罪に反対している人々は『それは関係ない』と、人権擁護法案に反対している人は、『それは左翼か?』という話になるんですよ。

荻上さん:「利害ごとにプレイヤーが分かれているんですよね」

--プレイヤーが分かれて、古い冷戦構造の名残みたいなウヨサヨ体系に落ち着いてきてるんでバカかと(笑)。

荻上さん「それぞれの利害があるので、分かれていてもそれはそれでしょうがない。ただ一方で、ものすごく状況依存的な議論になってしまっていたり、ある種の分かりやすいリトマス紙だけで判断してしまうことの問題はある。例えば教育基本法についての議論では、『日教組が力持ってるから、奴らから権力を奪おうぜ』っていうロジックで『教育ってのは不当な支配を受けない』って文言を『国家は市民からの不当な支配を受けない』って意味にも解釈ができるような方向に持っていったわけじゃないですか。でもこれを主張する<右>って、<左>が政権を取った時のことを考えられていないわけですよね。左翼独裁体制みたいなものができてしまった時に、それへの歯止めを放棄するわけだから、保守としてそれはアリなのか、みたいなシミュレーションはしてない。というか、<左>さえいなくなれば素敵な世の中になると思ってるとか(笑)。あるいは『朝日新聞が反対している法だから、これはいい法なんだろう』とかね(笑)。これ、2ちゃんねらーじゃなくて、テレビとかにも出てる某保守論者の発言なんですけどね。どないやねん、と」

--ほんとに短期的なことしか考えていない。

荻上さん:「児童ポルノについても確かにそう。実存と言語って常に乖離があるわけじゃないですが、情報化社会が進むとその乖離がますます進む。とこではまず、30歳くらいになってから子供の頃の写真を撒きたいと思ってる人のことは想定されていない。というか、なんでマンガやゲームがダメなのか、本当によくわからないんだけれど(笑)。直接の被害者はいないわけだから、あとは影響力の話になるわけだけれど、ならどうしてゲームやマンガにのみ、その影響力の懸念が求められるのかというね」

--子供の時に撮ったアルバムも捨てないと児童ポルノ所持になってしまうんじゃないかと。

荻上さん:「それと、セルフヌードの扱いですよね。これは表現としては児童ポルノに当たるかもしれないけれど、搾取はどこにあるんだろうかと。今までの考え方であれば、彼らは未成熟だから、大人になったら傷つくかもしれないじゃないかというロジックが成立していた。でも30歳になってから、自分の過去のヌード公開を承認した場合はどうなるのかな」

--そういうことが想定できてないんですね。だから、そこで起きるのは、『自写のヌードを公開する人なんかいません。いたとしたら、それは頭のおかしな人です』という形で排除してしまうんですよね。そんな事態は99.9%ありえないから、ゴーサイン出しましょうと。あらゆることが起こりうるって想像すべきなんだけど、想像してないんですよ。

荻上さん:「もちろんこれはすげーイレギュラーなケースだから、個別の場合で係争すれば済むとは思うけど(笑)。でも、シミュレーションは色々してほしいわけです。正義感によって行われた行動が正義を保障するものではないですから。

とはいえ、悠長な事を言っている間に、ステージはどんどん進んでいきます。そこでは常に、短期的な成果が求められる。そんな中、書籍『マンガ論争勃発』の続きがブログで行われているというのが非常に象徴的なことですよね。合意形成を巡る議論をしっかりやりつつ、一方で具体的な武器庫をウェブなどで機能させていくという。まとめサイトなどで議題を共有しつつ、個別の人達の議論参加を促し、このサイトを支持しますといった形で表明することを誘発すると。ただ単に、日々更新される頭の悪そうな記事を、個別にバカスカ叩いていこうとしても、効果はあまりないですしね」

--ただの泥仕合というか、泥沼ですね…。

政治家はブックマークを見ていない

荻上さん:「実際にロビイングしているような団体というか、集団というか、オタク系のブロガーがどれだけいるのかって、ちょっと不透明で見えてこないですよね。ユニセフ協会なみに記事にできるかたちで、プレスリリースとか運動のノウハウみたいなものをわかってやってるようなものはウェブ上ではあまり見つけられない」

--そこが口惜しいところですね。

荻上さん:「はてなブックマークとかの上位に反準児童ポルノみたいなエントリーがポカポカ上がってるんだけども、議論としては正しいものが多い。けど、効果がない」

--残念ながらブックマークはブックマークにすぎないですから。

荻上さん:「ブックマークしてる人は元々そういう価値観持ってる人達だったりもしますからね。もちろん、ブックマークというのは、ウェブ系の人材とかは多いわけで、コンテンツのクリエイターそこ経由で、そういったことを知ってくれることは重要だと思います。けれども、政治家は多分、ブクマみないし、そこで意見を変えることもなさそう。多くのブックマークユーザーがそうであるように」

--今、政治家は短期的な動機でしか動いていない。児童ポルノ禁止法改正論議も、理念があるわけではなくて、とにかくサミットに間に合わせたい、総選挙に間に合わせたい。だから、そこでの説得ってのはすごい難しくなってくる。

荻上さん:「説得は、ほぼムリなんじゃないかと思いますけどね(笑)。90年代に行われていたブルセラ論争や当時の児ポ法とかの問題と何が違うのかというと、プレイヤーが変な意味で賢くなったのかもしれない。90年代は宮台さんが『その説教を誰に言うんだ』っていう一言で保守論壇を沈黙させられた……らしい(笑)。つまり、『あなたたちが道徳が大事だってのがわかったけれども、そういうこと主張して誰が言うこときいてくれるの?』っていうとシーンとなった……と本人が言っている(笑)。

ただ今は、論壇に出てきてワーワー言うよりは、個別の重要なメディアに登壇して発言しながら、会議の座長などになって具体的な政治的影響力を発揮している気がする。サッサと条例とか法案とかを通してしまうというようなところで議論をするっていうような人が、あちこちの議論で増えたなぁと思う。具体的に論壇みたいなものが失効した時に、妙に政治化しているというか」

--実際、そうなんですよ。昔ながらの市民運動の形で、盛り上げて行こうって形じゃなくって、完全にトップダウンの形になってる。先に法律作っちまえと。その法律の中身自体、どれだけ考えているか? 実効性とか、恣意的な運用に対する担保はどうなっているのかとか。おそらく答はないでしょう。

荻上さん:「そういう運動に運動で対抗していくしかないってのは原理的にわかっているんですけど、さあ、どうやって組織するんだってことになると、けっこう惨憺たる状況みたいですよね(笑)」

【続く】

<取材:永山薫/昼間たかし 構成:永山薫>


2008-07-05 00:52:29

荻上チキさんインタビュー第二回「規制が及ぼす弊害」

テーマ:シリーズ連載:コンテンツ産業と法規制
携帯に集約される個人情報

--「規制によって起こる弊害」ということを考えているのは少数派になるんですか?

荻上さん:「ネット規制すれば一発解決。自助努力ではなく<カンタン>に<サービス>側でなんとかしろ、といったムードはあり、それにたいする反論を押し込めるムードも高いですよね。それはもちろんしょうがない。そういうことを考えるのは基本的に少数である状態の方がむしろ健全ですから(笑)。ただ、<学校裏サイト>のケースのように、そこでの<コミュニケーション>が<教育>にいいか悪いか、といった議論で進むことの弊害については、もう少し知られていい。社会システムの全てを<教育>で包む発想は危険ですから。コミュニケーションは偶発的なものを必ず含み、当然ディスコミュニケーションも含みます。ディスコミュニケーションや偶発性を生むということは、潜在的には常に誰もが、犯罪を誘発する有害コンテンツの発信者になりうるという発想になるんですよね実際、<学校裏サイト>に関する議論というのも、監視の方向に強化されています。例えば<学校裏サイト>を自動的に巡回して、設定していた<問題のあるキーワード>が引っかかったものは、自動的に管理者に報告するプログラムとか。今は極めて不完全なものですが、このコミュニケーション管理という方向性は今後、さらに強化されていくでしょうね。特ににケータイというデバイスを通じて」

--小学生でも携帯持ってますからね。

荻上さん:「ケータイは、明らかに個人情報を認識するための管理ツールとしても発展してきていますね。ここ数年だけでもSuicaとかPasumoとかが携帯で使えるようになったし、クレジットカードも使えるようになった。あるいは位置情報連動、あるいは名刺情報交換など個人の情報ってものを携帯一個で管理するように動いていると。<ケータイに望む機能>についてのアンケートの移り変わりなどを見ていくと、ケータイ一個ですべてをすませようというニーズが高まっていることが分かる。免許証も健康保険証も財布も鍵も社員証も携帯に入れて、携帯一個持ってれば会社の中に入れる便利とかね。電源の問題とか出てくるんですけど、ソーラー充電とか、自動充電システムみたいなものを導入してくれという声もある。これらがどの程度実現されるかはともかく、ケータイによってウェブ空間でのコミュニケーションをよりシームレスにとれるような環境を、僕たちが希求しているってことです」

--私も携帯にSuica入れてますが(笑)。

荻上さん:「NGN時代になると携帯とパソコンの区別がなくなるとか、Microsoft Surfaceが面白いとか、色々な発想が今は提示されています。具体的なサービスのどれが社会的に定着するかはまだ分からないでしょうが、今後、個人情報をどんどんどんどんケータイなどの情報機器に預けて行くことで、ネットを通じて行われるコミュニケーションというものをスムーズ行おうという方向にはなってきている。その一方で、明らかに<棲み分け>のニーズも高まっている」

--世界とアクセスするんじゃなくて、特定のコミュニティとつながる。

荻上さん:「一言でいうとゾーニングですね。ゾーニングってその結構幅広い言葉ですけど、マーケティングの領域ではゾーニングっていうのは、どの棚にどの商品を並べるかによって売れ行きがガラリと変わる、その陳列の仕方とか見せ方とか色味とか、そういった設計をしましょうという発想がありますよねあるいはウェブデザインの場合、どの領域にヘッダーを置いて、どの領域にメニューを置いて、どの領域にパーマリンクを置けばユーザーがより多くの滞在時間をそこで費やしてくれるか、どれだけ多くのユーザーが商品を買ってくれるかというようなアーキテクトに関する発想として元々あったわけですよね。

万人がインターネットをやるようになった今、これまで行ってきたゾーニングが部分的に失効しつつあるので、新しいゾーニングをやりましょうという議論があちこちで前景化している。その活動自体は重要なことだし、必要。ただ、今後どのようなゾーニングの仕方が正当性を持つのか、コンセンサスを得られるのかという議論はここ数年で起こったばかりなので、論理的な枠組みを作らなくてはならない」


拙速な論議は議論の場すら駆逐する

--基準がまだできていないということですね。

荻上さん:「具体的には、国民国家とそれを操舵する憲法、といったモデルがまだ明確にないんですよね。インターネットをやっている人達は<市民>なのか? 未だ行われていない未来のコミュニケーションに対しても規制を受けるのは<市民>なのか? 人っていうのは部分的には成熟しているけれど、大体においては未成熟であるということが露呈するようになり、プロファイリング型のID管理が徹底されるような主体は<市民>なのか? 現在では情報設計の議論がそのまま社会設計の議論に組み替えられてしまっていますが、それに概念的に捉えるときに、いくつかの発明が求められるように思うんです。

 これまでの社会では、法の完全実行っていうのが、メディア的限界があったためにできなかった。だから、ある程度の緩い制度設計ができた。ところが、ウェブ社会になると、近代になって<手付かずの自然>という概念が設計されるようになったように、その緩さ・グレーゾーンそのものも、僕たちは設計するという発想になってるわけですよね。その恣意性を恣意性という風に機能させないような形で位置付けるにはどの理論を参照にすればいいのかというところで、現在混乱が起こっている。これまでであれば、例えば憲法学者とかであれば、『絶対王政と議会民主制の関係性から法律が誕生してね…』みたいな議論を一通り習って、それから制度設計の側に廻るというような場が機能していたものが、今、情報設計の場においては何から学べばいいのかっていうような合意形成がまだ作れていない。ある種の社会モデルの準拠枠が未完成なんですよね」

--近代の枠組みというのがルソー以来、100年200年かかった。それを2~3年でやれっていうんだからまずムリ。

荻上さん:「もちろん、当たり前ですが、<情報社会>になったからといっていきなりルールが全部壊れるってわけじゃないんですよ。<近代>になる時だってそうだったように」

--情報化社会になったからって早廻しできるわけじゃないと。

荻上さん:「それを、今あわてて変な規制法を作ってしまうとどうなるのかは気になりますね。<人権>という概念が発明され、その範囲に誰を入れるかが常に論争的であった歴史を振り返るに、ウェブ社会でどのような欲望を認めるべきかという議論が、今後、長い時間をかけて反復されるのかもしれません。最初は強力な弾圧を受け、時間をかけて克服していくのかもしれないし、逆にどんどん徹底されるのかもしれない」

--後から克服していく方が大変ですし。

荻上さん:「現在、フィルタリングを18歳未満には原則やることにしましょうという方向で法律が議論されていますね。原則化であって個人にとっての義務でなかったとしても、慣習的に「18歳」とか「メディアの教育性」といった発想がコンセンサスになっていくヤバさももちろんあるんです。年齢の線引きの恣意的性は括弧にくくったとしても、メディアの影響や教育といった問題は、常に周りの政策パッケージや社会システムと複合的に考えなくてはいけないはずです。たまたま今は、親世代のケータイリテラシーが著しく低いため、メディア教育というのが機能していないので、子供たちに情報技術とかリサーチ・リテラシーとかを教える場が存在していない。でも今後、僕くらいの世代が教師になっていくとすごくナチュラルに検索の方法くらいは誰だって教えられるようになっていく。インターネットも系譜も歴史もそれなりに書かれるようになるし。それなりに子供達にとって安全な場所というのも用意されるはずなんです。自生的なゾーニングってことですね。しかし、今の状態だけ見てフィルタリングってことを義務化してしまうと、今後そういうゾーニングの場を設定するような議論そのものを駆逐してしまう可能性がある」

情報統制の欲望

荻上さん:「他の議論においても、その確認が重要なのは言うまでもありません。共謀罪、フィルタリング、児童ポルノ。表面的には関係ないように見えるテーマでも、これまで触れてきたような意味において、情報社会において、一定の繋がりをもった重要なテーマです。政治的にはジェンダーフリー騒動とも連続していますね。マンガ規制とプレイヤーが一緒ですし(笑)。ただ表面上では、分断統治的なアプローチになっていて、オタクの人達も、例えば実写はともかく、アニメは良いだろうってみたいな反応の仕方もしてるわけですよね」

--分断して各個撃破というのは定石ですね。

荻上さん:「当事者の利害性を強調するというのは健全なので別にいいんです。ただ、一連の<不安業界>の言説が、全てのコミュニケーションを監視することを肯定するためのロジックとして用いられる中、今までの不当逮捕という価値観とちょっと分けて考えた方がいいだろうなあと思ってて。もちろん、捜査のプロセスが情報技術が登場することによって、ショートカットされてしまう問題というのはあります」

--インターネットで直接繋がってますから、叩くのも簡単。

荻上さん:「一方で、そもそも情報社会において、法が担うべき役割がどこなのかというコンセンサスをもう一度つくらないといけないわけです。一つは、ネットの登場により権力としての位相が変わるという議論がありえますし、インターネットは全世界に繋がるんで、日本だけで規制してもしようがないだろうっていう問題にどうしてもなっちゃう。そのガイドライン設定はどうすんだということと、ある種の審級みたいなものも求められているんだろうと」

【続く】

<取材:永山薫/昼間たかし 構成:永山薫>

2008-07-02 11:11:59

荻上チキさんインタビュー「情報化社会と規制」

テーマ:シリーズ連載:コンテンツ産業と法規制
 児童ポルノ法改正がどうなるのか全く予断を許さない今日この頃ではあるのだが、それと同時に進行しているのがネット規制。違法ファイル・ダウンロードの禁止? 青少年有害情報の禁止? フィルタリング? はたまた最近新聞紙面をにぎわす「学校裏サイト」? 今回は、と言ってもインタビュー自体は一月近く前になるのだが、『ウェブ炎上――ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書)の著者であり、『αシノドス』(メールマガジン)の編集長である荻上チキさんのお話を聞いてきた。

新しい枠組みが生まれようとしているのか?

--直近の問題としてネット規制についてお聞きしようと思うのですが。

荻上さん:状況論については多くの方が既に指摘しており、また刻々と変わり続けているため、少し概念的なところについて話をしましょう。現在では、実に多くの<規制>に関する議論が同時進行的に進められています。そしてそれらの議論は今、ウェブ社会であるがゆえの問題を多く抱えています。例えば<児童ポルノの単純所持>と<準児童ポルノ>がセットで話題になったことが象徴しているように、<ウェブ時代の欲望監視>がひとつのキーポイントになっています。

 <準児童ポルノ>といった想定は、その行為が実際に誰かの<人権>を傷つけていることが問題にされるのではなく、ほとんど証明不可能な間接効果――少なくともメディア論者が疑問を抱くような――に対する<懸念>、それ自体が問題であるかのように語られています。一般に<リスク>自体を忌避する流れの中で、それらを事前に出来る限り管理したいといった欲望が<なんとなく>高まっていますが、その欲望は終わることがありません。その欲望が際限なく実現され、一方で実現されることなき欲望さえも<懸念>の対象になっていくというのは、実にアンバランスですよね。
 
 今話題になっているフィルタリングに関する議論は、一見すると<子どもをいかに有害情報から守るか>という議論になっていますし、概ねの人はその文脈で賛同しています。しかし、<学校裏サイト>が頻繁に話題になっていることからも分かるとおり、そこでは<コミュニケーション>と<教育>との関係が問われているため、これまでの<表現規制>の話とは違ったロジックで考えなくてはならなくなっている。つまり、< 既に発せられたコンテンツ>をレイティングしたり、ある種の表現を禁止するといった話ではなく、子どもにネットで表現・閲覧を許すこと自体が<有害>、といった発想です。

 2007年には、フィルタリングの議論を盛り上げる支えにもなったような、象徴的な事件が二つ起こりましたね。一つは滝川高校のいじめ自殺事件、もう一つがモバゲータウンで出会った者同士による殺人事件。これらはいずれも、ウェブ社会が生んだ<負の側面>として、多くの報道で繰り返し取り上げられてきました。ウェブ上でこれまで遭遇しなかったようなコミュニケーションが、人と人とを繋げることによって子どもを被害者にしやすくなった、あるいは子どもという新しい加害者を生んでいくという<リスク>に対する不安を抱かせたわけです。

 もちろんこの二つは、ネットが登場する前から起こりうる事件ではあったし、そもそもネットが犯罪リスクを高めているか否かについては懐疑的である必要がある。滝川高校のいじめ事件でも、ネットを利用したもの以外にも元々かなりハードないじめがありましたし、多くの学生はそのことをオフライン上で見聞きしていた。つまり、ネットいじめはレパートリーの一つで、それだけを特権視する報道は偏ってしまう。あるいはモバゲータウンが無ければ見知らぬ人同士が出会わず、殺人にならなかったかと言えば、そうではない。その事件でも、出会いのきっかけがモバゲーであったけれど、その後の数回の出会いを重ねて、生きづらさを書き綴った者同士が心中を測ったものという報道もある。1000万人もの人が参加しているコミュニティですから、オフライン同様にある程度のトラブルが発生するのは間違いないはずですし、さらにはネットが犯罪の総数を増やしているかという検証も必要となる。

<有害>という言葉の反対語は<無害>ですが、<有害>と<無害>とが、緩やかなグラデーションで繋がっているかのような、そんな言説が多く見られますね。しかし、コミュニケーションは常に文脈的なものであり、<無害>を保障できるものは存在しない。だからこそその領域を<リスク>と呼んでいるのだと思いますが、とはいえわたし達は<リスク>が本当に高まっているかどうかという検証が行わなくてはならないし、過剰に<リスク>が特定の対象にたいしてばかり問われるといった事実にも分析が求められている。

 例えば、よく<子どもがいつでもみられる状態>にあること自体が問題視されますが、その情報がアクセスされる<蓋然性>については問われず、あたかも< 可能性>への<懸念>、すなわち<リスク>が生じることがまずいかのように、削除要請やフィルタリングの原則導入の話が進みます。多くの大人がプロフサイトやモバゲーを実際には見ていないのと同様に、人は「半径ワンクリック」の範囲でだいたいのブラウジングを済ませるため、子どもがそれらのサイトに実際にアクセスするかどうかは別なのですが、にもかかわらず「世界中に見られる可能性」というのを文字通りに受け取ってしまってます。あるいは、ある種の極端なケースが、全体の<蓋然性>を高めるかのように。

 このような形で、ある種の決断がスタンダードとして定着していくことには多くの問題が含まれている。だから、理念的に<欲望>を擁護する形をとりつつ、プラグマティックには、現実に解決されるべき<議題>を提示しなくてはならない。基本的にはこのように考えています。それは、ネット規制だけでなく、児童ポルノについても基本的には同じ構えです。

 ところでこういった問題で難しいのは、一般に、ネット以前からもあったことを、あたかもネットのせいであるとして叩くような言説には注意する必要がある一方で、変化に視点をあてることも重要だということ。それを同時に、慎重に、しかし性急にやる必要があるんですよね。変化について言えば、例えば大人の視点を介すことによって、子供のコミュニケーションとか教育課程っていうものの発展を見守りつつ特定の方向に啓蒙していこうという、ある種の<市民>概念に裏付けられた<教育観>が、現在では部分的に失効した点もあるでしょうから。

--これまでになかったコミュニケーションがあらわれた?

荻上さん:違う回路が現れた、ということですね。具体的には、子供達がダイレクトに社会的な場でコミュニケーションを行い易くなり、そのコミュニケーションが< 身近な大人>のファイアーウォールをすり抜けて、直接ログが外部にこぼれ出てしまうと、それに対する社会的価値付けが生じてしまう。場合によっては、具体的な子ども同士の戯れではないようなレベルでの差別とかにも繋がってしまうわけです。他にもインターネットの登場、情報社会化ってことによって、いわゆる<近代>という社会モデルが前提としていた幾つかの社会システム、パッケージってものが部分的に通用しなくなるケースはありうるでしょう。


--これまでの枠組みが崩れてきたということですね。

荻上さん:部分的に、ですね。よく<近代化>って言われますが、私たちは<近代ではない社会観察モデル>から<近代という社会観察モデル>に至って、何世紀か経っている、ということになっている。<近代>では、例えば子どもというのは<未成熟な市民>であるがゆえに、彼らの周りから有害な情報を排除して<保護>しつつ、失敗可能な空間でしばらく教育することで<成熟>させていこうという考えがベースとして共有されています。しかし、現在のようにコミュニケーションが網状化していくと、場による管理というものが困難にぶつかることにもなるわけですね。

--年齢などの人工的な線引きが困難になってきていますね。

荻上さん:困難でありつつ、恣意的に徹底することも可能であるわけです。以前より、ここからここまでは未成年立ち入り禁止であるといったゾーニングは行われていた。大人でない者に対しては地域の目、あるいは学校共同体の監視の目の届く範囲でコミュケーションをといったファイアーウォールを働かせながら。そういったルールは恣意的であることは間違いないんですけれども、年齢をめぐるルールはその国で定められていて、その国の<大人>観が、社会システムのセットから総合的に考えて<このくらいの年齢だろう>と決断されるものです。ところが、<情報化社会という社会観察モデル>になると、今まで考えられていたようなトータルな、日本全体を一つの市民観、成熟観で覆うというよなことが部分的に困難になる部分に目がいく。

--元々、国民国家は幻想的なものですが……。

荻上さん:幻想であっても無機能ではありませんよね。しかし、社会的機能を持っている国家へのある種の<幻想>というものが前モデルのように機能を果たせなくなった部分が出てくるということです。一方で、ネットなどのメディア空間をすべからく<教育的>なものにしようという欲望も高まっているように見える。<教育>に悪いような情報は、事前にある程度歯止めをかけられないかといった話は、あちこちでよくみかけます。いずれにせよ、それも具体的な話となれば分析が求められますので、原理的なものに対する過剰な<懸念>は注意すべきですが。実際、多くの子どもが見るサイトには共通性があるし、人が閲覧できるサイトの数にはそもそも限度がありますから。潜在的なニーズが可視化されることは見受けられても、それを全体の<蓋然性>の問題として語るのは間違っている。しかし、<可能性>の中にも両面ある、という話も同時にする必要がありますね。

さらに新しい世代の台頭

--可能性とはどういうものですか。

荻上さん:『ねみんぐ!』の例がありますよね。直接には一回しか会ったことのない高校生同士がインターネットを通じて協力し、かなり面白いウェブサービスを作った。彼らのブログとかを見ると、ある種の淡々とした微温的な情熱にすごい共感を覚える。インターネットがある世界ってのが日常的であることの空気、というか。

--スタートラインが76世代とは完全に異なっている?

荻上さん:ある時代からのICTに対する観察には、ハイテンションな言説が付きまとっていましたね。インターネットによって明るい社会が実現するだろうという語りもあったし、そういう社会を自分たちが作っていくべきだという<倫理>についても語られてきた。カリフォルニア・イデオロギーとして揶揄される文脈もありますけど、ある種の既存社会とはオルタナティブの公共精神というか、公共性を実現させようというメンタルが付随させられていた。それはまた、叩かれ続けてきたネットの歴史でもありますよね。ネットは90年代からすでに、<アングラ>であり、<闇>であり、<イリーガル>であり、<オタク>であり、っていう散々な偏見がありましたよね。

--ネット初期から綿々とありますよね。

荻上さん:うん。その一方で、そこでのコミュニケーションに対して、相互にかなりの共通理解や高いリテラシーを求められるといった期待も今よりは高かったでしょう。<一部の人>のモノであり、<ムズカシイ>モノだったからこそ、共有された期待。それが、ネットの<世俗化>によって、風景が徐々に変わっているように思います。ネットが自作ベースで、頑張ってケーブル繋いだ果てに到達する世界ではなく、誰でも<カンタン>に出来るサービスになった。そういった風景と、ネット古参ユーザー独特のある種のハイテンションな言説とが結実したものが、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』だとすると、それに対するバックラッシュが2007年に起こった。こう単純化すると分かりやすいかもしれません。


 2006年、<web2.0> という言葉の元、<インターネットにみんなが接続する社会>がユートピア的に語られました。その<みんな>には、もちろん子供とか、あるいは子どもに象徴されるような<未成熟な市民>も含まれている。で、<みんな>が<カンタン>にネットに繋がるようになったら、むしろこれまで散々といわれ続けてきたネットの<闇>が<みんな>に悪い影響を与えるのではないか、具体的には例えば<学校裏サイト>で子ども達がいじめられてしまうのではないか、といった<懸念>が指摘されだすわけです。象徴的なのは、2006年の流行語大賞にノミネートしたネット用語が<Gyao><ググる><ミクシィ><ユーチューブ(YouTube)>だったのに対し、2007年にノミネートしたネット用語は<ネットカフェ難民><炎上><闇サイト>でした。分かりやすすぎ(笑)。

 一応触れておくと、僕はこの一年、ずっと<学校裏サイト>について取材・リサーチしてきました。毎日数十のサイトを閲覧し、一〇〇人のサイト管理人をはじめとした利用者にアンケートやインタビューを行い、いくつかの企業に協力を求め、淡々とデータを集めてきました。近々、書籍にてそれらをまとめたものが発売される予定なので詳細な数値などはそちらに譲りますが、結論から言えば、多くのメディアや専門家が誇張ぎみに<学校裏サイト>の問題を叫んでいるものの、実際には多くのサイトは平和的に利用されているということが分かる。

 もちろんひどい書込みも中にはあります。ただ、アンケートをまとめてみると、<学校裏サイト>で叩かれるような人というのは、オフラインでも元々嫌われているような人が多かったりして、言うなればそこでは<スクールカーストの可視化>が起こっているというわけです。<学校裏サイト>が<いじめの温床>だと言われますが、そもそも<学校空間>自体が<いじめの温床>だったわけですから、学校と同じメンバーがウェブ上にコミュニティを持てば、同じような環境になるのは当たり前。もしそこでいじめが行われているのであれば、それはネットの問題として片付けるのではなく、コミュニティの問題としてケアされなくてはならない。そこでしなくてはいけないのは、<学校裏サイト>を使用させないことではなく、セーフティネットと、<学校勝手サイトの裏化>を防ぐための議論だということ。一方で、いじめにあったとき、ネット上のコミュニティが<逃げ場>になるケースも少なくないので、<学校裏サイト>の問題をもってしてフィルタリングを云々することは間違いだと、この場を借りて言っておきます。
 
 話を戻しますと、ネットに対するある種の過剰なまでの<不安>が<議題化>されている。実際、誰もが、インターネット を使う時代になったとしたら、<誰もが使う>ということを前提とした社会システムとウェブ空間というものを作らないといけなわけです。ところが、ハッカー精神で作っていこうという言説があった時代にネット空間を生きていた人、あるいはブログ黎明期から参加している人の中にも、新参者みたいなものをあまり歓迎しないだろうという空気もあるわけですよね。

--具体的にはどういうことでしょうか?

荻上さん:04~05年頃に起こった<ぱど厨・バッシング>てありましたよね。『ぱどタウン』という子ども向けのサイトがあつて、そういうサイトを使っているやつらは<ぱと厨>だと叩く。ある意味、ネットで<読むべき空気>っていうのが、黎明期からのインターネット空間の<空気>を前提としている部分がありますね。簡単に言えば<2ちゃんノリ>で、雑誌とかコミュニティとか、他のコミュニケーショを観察すると、なんでそんなイタイことやってるんだって空気が流れて<祭り>になったりする。新聞とかで<裏サイト>が報道されると、<裏サイト>をみんなで見つけて潰そうぜみたいなスレが立って、 ターゲットになったサイトがどんどん潰れていってという現象があったりする。そこではある意味ではネット上の自生的な秩序を重んじるんだけれど、そこで重んじられる自生的な環境というのが、一般には厳しいという現状もあるにはある。<子どもたちをインターネットから守ろう>という言説と同時に、<子どもたちからインターネットを守ろう>という言説が同居しているというわけです。

 でも忘れてはいけないのは、その環境もまた刻々と、自生的に変化が起こっているということですよね。<ぱど厨>だろうが<スィーツ(笑)>だろうが、別のノリを持ったコミュニティというのもが作られ、それなりに適度な共生が可能になっているということ。また、サイバースペースは確実に、より多くの人の< 欲望>に応じられるようになりつつある。『ねみんぐ!』のケースからは、そういう<可能性>の示唆があるように思いました。その背景には、非常に淡々とした、日常的なネット利用の風景がある。ネガかポジかといった二項対立を抜けた形で、議論を進めていかなくてはならないでしょう。

【続く】
(取材:永山薫/昼間たかし 構成:永山薫)

荻上チキ(おぎうえちき)さんプロフィール:

評論家。成城大学文芸学部卒業。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。
新刊『ネットいじめ』(PHP新書)は、7月16日に発売予定。
荻上式:ブログ
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/

トラカレ:荻上さんの運営する人文系ニュースサイト
http://torakare.com/

『αシノドス』:荻上さんが編集長を務める有料メールマガジン
http://kazuyaserizawa.com/synodos/mm/index.html


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おまけ:
 いわゆる「表現規制」をめぐる諸問題は、学問的には非常に学際的な分野であり初学者がアプローチすることは、困難を極める。
 そこで、まずは様々な人の話を聞き、フィールドワークを行うことが求められるだろう。
 今回の荻上さんのお話は、なぜ現在、多くの人々が規制することを妥当であると思っているのか? を知る手がかりになることは間違いない。長時間のインタビューをさらに加筆して頂いたため、このまま新書一冊分になるのではないかと思うほどの内容だが、じっくりと読み込んで欲しい。
 新書一冊分といえば、荻上さんが編集長を務める『αシノドス』は「毎月500円で新書分ボリューム」が売り文句である。
 私、昼間は最新の配信分(vol.7 2008/7/1号)に、 「知識人と社会運動家の踏み絵となった児童ポルノ法改定案」という文章を書かせて頂いた。
 この機会に、ぜひ皆さんにも購読して頂きたい。

(昼間たかし)

  



2008-03-26 12:08:32

(財)日本ユニセフ協会インタビュー【最終回】「単純所持規制は待ったなし」

テーマ:シリーズ連載:コンテンツ産業と法規制
--この問題は、まだまだ論議の余地があると思うのですが、要望書で早急な対応を求められているのはなぜでしょうか?

中井さん:少なくとも実像の単純所持は待ったなしだと考えています。それこそ、法律制定時から見送りが続いています。ここにきて、販売目的所持を禁止しておきながら、所持を禁じていないのはおかしいと思う。それは、結果的に供給サイドを生かせることに繋がっていると思います。
 また、欧州評議会でも留保はされていますが、問題点は指摘している。そういった議論を始めるきっかけになると考えてキャンペーンを行っています。

--となると、単純所持と漫画・アニメ・ゲームの話をリンクさせたのは、キャンペーンの足枷になっているのではないかと思うのですが。

中井さん:キャンペーンを始める前に、丸谷さん(丸谷佳織衆議院議員)をはじめ国会議員の先生にも何人か相談しました。
 そうやって、政治家の方ともお話をした時、海外の状況を考え国会で議論のテーブルに載せるとき単純所持の話だけでは、議論があまりにも狭まってしまうという意見を頂きました。
 その結果、漫画・アニメ・ゲームも入れさせて頂きました。





--キャンペーンを大きくする意味でも両方を扱うべきだったわけですか?

中井さん:問題を明確にするために、両方いれたほうがいいと判断しました。

--先ほどからお話をお伺いしていると基本的に、対話をしているのはアメリカが中心なんでしょうか?

中井さん:ほかにもスウェーデン大使館ともお話はしています。

--スウェーデン大使館というと担当者は2007年3月に「子供ポルノサイトの根絶に向けて」と題したシンポジウムにも関わっていらしたカイ・レイニウス参事官ですね?

中井さん:そうです。

アグネス・チャンさんのブログはミスリード?

--ところで、(財)日本ユニセフ協会の「ユニセフ大使」である、アグネス・チャンさんが自身のブログで

「アニメや漫画など、特定な人物ではないが、子どもたちに対する性的搾取の映像を容認するというのは、子どもたちを性的な道具として容認すると同じこどです。多くの国はそれを禁止しています。インターネットを通して、国際的な問題になっているのです」
http://www.agneschan.gr.jp/diary/index.php?blogid=1&archive=2008-3-11
と述べています。

 現状、お持ちの情報ですと「多くの国はそれを禁止しています」というのはミスリードになるのではないでしょうか?

中井さん:そうですね。

--署名はいつくらいまで行う予定ですか。

中井さん:11月くらいまでです。第3回の世界会議がブラジルで開かれる予定です。

--賛否両論を含め、問い合わせは来ていますか?

中井さん:ええ、正直思ったよりも少なかったのですが。ただ、ご存じのように我々に直接こなくても(ネット上とかで)話されているようですね。

--MiAU(インターネット先進ユーザーの会:http://miau.jp/ )からは公開質問状が出ていますね。

中井さん:来ています。ただ、お答えするだけの時間的なキャパがないんですけど。
(註:「児童ポルノ問題」だけではなく日常の業務が多岐にわたるため非常に忙しいそうだ)

--具体的に、専門家とか漫画家と会合をもつ予定は?

中井さん:いまのところありません。

--では、秋口くらいまでにそういった企画を考慮にいれるのはどうでしょうか?

中井さん:それは考えられますが、私ひとりでやっているわけではありませんので、呼びかけ人の方々の都合もありますし。個人的意見ですが、各党のPTとかでもそういった時間をとることはあるかもしれません。

--様々な形で対話を進めるということであれば、私共も、ご協力させて頂きたいと思います。
   本日はありがとうございました。

【了】

(取材:永山薫 昼間たかし 構成:昼間たかし 2008年3月19日取材)

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