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4月23日

自閉症なんかぶっ飛ばせ! 無断引用絶対禁止

トニーアトウッド          4/4/05
  主催者のご厚意で、トニーアトウッドの講演に出席できた。
  話は誠にシンプル。
  特筆すべきは、公演中私たちの事をずっと「アスペルガー・シンドローム」(アスペルガー症候群)と
  きちんと何十回も言い続けていた。
  これは、私が6年も前から言い続けていた事と同じで、「アスペルガー・シンドローム」は
  「アスペルガー・シンドローム」であり、アスペルガー障害でも無く、ASでもない。
  まして、  アスペ   なんて全く「ありえな~ぃ」
  言語指導員の要素を持つアスペルガー症候群の特性を知っているなら考えられない命名だよね。
  トウシロか?

 私たちの特性           4/4/05
  自閉症はSAMの欠陥がもたらす障害である。
  これがどういうことかと言うと、他人から見た自分の姿を想像出来ないと言うことだ。
  だから、その場に相応しくない不謹慎な事を言ったり、変な事をしてもすぐには気がつかない。
  又、自分が周りからどのような評価を受けているかも、余程のお節介がはっきり本人に言わない限り
  自分で察する事は出来ない。
  この特性をよく理解した上でネット上に氾濫するホームページを見ると、(ニキリンコ)を始め
  ほとんどが外から見た自分をよく知っている定型発達であることが分かる。
  ところが、本人は自閉症になりたがってるから不思議なんだ。
  自分から脳障害になりたがってるんだよね。でもなかなか障害者手帳を貰うまでにはならない。
  (もしニキリンコが本当にあんなだったら、障害者手帳1ダースぐらい貰えるだろう)
  そうだ。ボケ老人は認知症と呼び名が変わった。
  となると、私は「認知障害」から数年経つと「認知症」と障害がとれて成り金ならぬ成り症だ。
  まてよ。自閉症でも無いのに自分を自閉症って広報してるんだから、
  これが本当の「認知障害」?ってか。

 自閉症を取りまく実体       1/14/06
  前出のアトウッドの講演の時、私にとって大変ショックな事があった。
  講演の後半はセントラルコヒーレンスの話になった。
  主催者による解説文もただ「セントラルコヒーレンス」とカタカナでしか書いていない。
  話の内容としては私が「関連付けの異常」と表現する事柄に結びつく誠に理にかなった話なのだが、
  日本語での適切な表現が分からないので、話が進みすぎないうちに話の腰を折り
  通訳者に「日本語訳ではなんと言いますか?」と問うた。
  ところが、主催者を始めそこに参加していた「一応市井の研究者たち」は誰一人分からず無言のまま。
  たまらずそこに居た専門医に助けを求めたが、彼もうやむや言うだけで分からない。
  私はおおよその見当はついていたので、そこは深追いせずに話を納めた。
  帰宅後妻に聞いた。
  「セントラルコヒーレンスって日本語でなんて言うんだっけ」
  「○○○○だよ。」
  「あーなんだ。○○○○か。単語が出てこなくて困ったよ」
  「どーして?」
  「今日の講演会でさ、話の内容は凄くいいんだけどセントラルコヒーレンスが分からなくてさ
   気持ち悪くってしょうがなかったんだよ。
   それでしょうがなくて質問したら誰も分かんなくってさあ」
  「私が行ったらすぐ教えてあげられたのに」
  しかし、妻が会場に居なくて良かった。
  日本の第一人者と言う人と130人以上アスペルガー症候群を研究している人たちのレベルが、
  セントラルコヒーレンスの日本語訳さえ知らなかったことを
  私は知ることが出来た。
  つまり、セントラルコヒーレンスの和訳を知らないということは、
  セントラルコヒーレンスを理解していないことであるし、
  セントラルコヒーレンスさえも理解していないのであれば、
  その根元に位置するSAMのことなどとても理解できないからなのだ。
  これは本当にショックだった。
  私たち夫婦は本を読むと言うことは理解をして初めて読んだと表現していた。
  だから、ネット上に多く存在する自閉症の本を読んだと言う人たちはつまりそれを理解した人としていた。
  ところが現実には、アトウッドの講演会に参加するほどのレベルの人たちでさえ、
  セントラルコヒーレンスを知らなかった事に驚愕したのだ。
  よく考えてみれば、今まで接してきた中で読書が趣味と言う人には山ほど会ったが、
  本について話があったのは妻だけだった。
  つまり、普通の人たちにとって読書とは、ただ読むことが読書なのだ。
  理解する事は二の次なんだね。
  何れにしても、いくつかの場所で延べ500人くらいの前で自閉症の話をしたが、
  本当に食い付いてきたのは2人だけだった。
  なぜもっと食い付いてこないのか不思議だったが、話を理解出来ないのだからしょうがない。
  話だけじゃない。自閉症の事にしたって深く理解していないんだ。
  しかし食い付いてきた二人に巡り会えた事に感謝した方が良さそうだ。
  療育関係者の彼らは、話すと本当に楽しく逆に私たちが教わることも多い。
  現場で培ってきた人を見る目は尊い。
  そんな状況だから、すぐ消えると思った「ニキリンコ」も消えずに商売に励めるわけだ。

 自閉症を取りまく実体(2)     1/14/06
  「ニキリンコ」の話を真に受ける人はそんなに居ないだろうと高をくくっていたら
  世間知らずの人が多く結構信じるらしい。
  簡単な見分け方を伝授しよう。
  1)感覚過敏の不思議
  彼女は感覚過敏が売りである。本当に感覚過敏であれば髪の脱色にどうやって耐えるのか。
  世間知らずの人はあの脱色した髪の毛を見ても何も思い浮かばないようだ。
  一度脱色してみればいい。
  ピアスの穴も7個も空けたと自慢していた。
  感覚過敏だけどピアスの穴あけは平気。  都合の良い感覚過敏だ。
  耳に耳栓。音に過敏だけども耳に耳栓を入れ続けるのは平気。
  私は音に敏感だけど、工場騒音よりも耳の中に耳栓を入れる方が苦痛だから耳栓などしない。
  これまた都合の良い話。
  2)おもらし
  お漏らしの話は良くしていて、今でも家の中で迷いお漏らしをする事もあるそうだ。
  しかしよく考えて欲しい。
  おしっこを敢えて出すことと、尿毒症になるほど我慢することとどちらが勇気(決意)がいるか。
  寝たきりになって何が困る。寝たまま排尿することだ。
  ところが、文章の中のニキリンコはいとも簡単にお漏らしをする。
  その時の無念さ、後かたづけの大変さは作り話だから出てこない。
  自閉症の子供を持つ親にすればお漏らしなんかより生理の始末の方が深刻だ。
  お漏らしをするくらいだからリンコは生理の時などあちこちにまき散らしているはずなのだが、
  こういう尾籠な話も絶対無い。
  知能が低い子供なら我慢も出来るが、
  普通学級に行くぐらいの女の子がどうしても生理の始末が上手く出来ない時の親の心配は深刻だ。
  パソコンも出来る。学校も卒業した。しかしどうも生理の始末は不得意で18になった今でも出来ない。
  本当の親の悩みはこんな所に出てくるのさ。
  おもらしするリンコはしかし夫の両親と4人で家族旅行に出かけ、良い嫁を演じてくる。
  しかし、こんな都合の良い話でも信じる人は信じる。
  3)ドナ
  ドナウイリアムスというアスペルガー症候群の女性がいる。
  (リンコの話はおおむねここからのパクリが多いんだけど)
  ドナは特殊学級に通い卒業した。
  成人したドナを知る知人は、かつてドナがその学校に行っていたことを知り驚く。
  それほどドナは普通の人に見えていた。
  ところが、リンコは凄いよ。
  リンコは幼少より神童と言われ、名門進学小学校に入学した。
  成人したリンコはカツラをかぶり、メガネで変装をし、耳に耳栓を入れ、パニックを起こすと手首を噛み
  自分の顔をバンバン手で叩くようになった。
  ドナとは全く逆なんだけどそんなんでも信じたい人が居る。

  4)出生
  リンコの話は矛盾だらけなんだけど、それでも信じたい人は信じる。
  森口奈緒美と仲良しなようだけれど、森口が苦しんだ末高校卒業資格を得られなかった事と、
  ここで仮名 パクさん が朝鮮学校を出たので勉強しても高校卒業検定に受からなかった事は
  次元が全く違う。

  5)発達障害
  商売目的でアスペルガー障害と騙っているが、
  考えてみれば、これほど恥も外聞もなく平気で嘘を付き続けられるというのは、
  言ってみれば本来まともな人間なら持っているべき何かが欠けている。
  その意味から言えば確かに「発達障害」であるに違いない。
  世の中の詐欺師は皆発達障害だ。

  6)拉致事件
  もう20年ほど前拉致事件が週刊誌に出た。
  当時この話が出ると必ず何処かから、「そんな荒唐無稽な話が在る訳が無い」
  「損をするのは北朝鮮。そんな損をしてまで何故北朝鮮がするか。これはなにかの謀略だ」
  という話が山ほど出てきて話はなし崩しに無かったことにされた。
  しかし、現実にはあった。
  私が話す「ニキリンコ」の話も、少し話すと同じ様に「ニキリンコさんは本物です」
  「ニキさんはアメリカの自閉症キャンプにも出席してます。」
  「うちの子は自閉症ですが嘘をつきます」
  等々本質と異なる意見がネット上を駆けめぐる。
  誰が熱心に「ニキリンコ」の擁護をするのか知らないが、
  長いスパンで見ていればやがて分かる人が3人ぐらい出てくるか? まあ将来に期待しよう。
 
私は・・・
初めに             7/12,04
事後報告
「切れないスイッチ」     8/15,04
都通研7月8日研修会冊子原稿 8/15,04
都通研7月8日研修会講演原稿 7/12,04
自閉症協会東京支部       3/3,04
CBS-2           3/3,04
CBSドキュメント      2/20,04
自閉症カンファレンス3          12/21,03
自閉症カンファレンス2          12/21,03
自閉症カンファレンス 2002     11/24,03
棄民                    12/21,03
小奇形                  11/25,03
家族                     10/1,03
 
主張
佐世保        11/15,04
解離2        10/20,04
解離         10/20,04
ペキンの完璧の母    8/15,04
化学反応         4/1,04
記憶の障害       3/31,04
作り話         3/29,04
卒論           3/3,04
カウンセラー         2/20,04
誤解            2/20,04
有栖川妃             2/20,04
天敵                 12/22,03
岡目八目             12/25,03
つらく哀しい         11/25,03
 
 
 

初めに  1/18’06

初めに             1/18/06

 自閉症に係わる仕事に就く人たちへ                   9/20/03
  どういう理由か分からないが、アスペルガー症候群、だとか、アスペルガー障害、
  高機能自閉症、などの障害者になりたいという連中が居る。
  たいていは、ネット上だけに存在して、ガセネタを吐き続けている。
  困ったものだ。 (ちなみに彼らに言わせると、私こそアスペではないそうだ。
  そりゃそうだ。私はアスペなんてパチモンじゃない。アスペルガー症候群だ。)
  まあ、ネットではまともな情報は入らないと諦めて、実際の子供に接して勉強して下さい。
 
自閉症に係わる仕事に就く人たちへ  続き              11/24/03
  私は上記のようなスタンスであったから、ネットの情報には近づかないようにしていた。
  先日ひょんな事から「自閉症のリング」に迷い込んだ。
  驚いたことに、このリングには本物が居たんだねえ。
  私は急遽、宗旨替えする事になり、このリングに参加する事にした。
  私が出来ることは、実体ある私の事を極力加工することなくさらけ出すことだ。
  (自分の顔がこちらを向いているのは大変気持ち悪いが、我慢して顔写真も出した。)
  そして、その素材をどう使うか、それは研究者次第。
  今までだって多くの自閉症の子供達がデータを残したのに、
  今になってもきちんとした対処法が確立していないのは、
  如何に研究者、親たちが力不足であるかを示している。
 
酒鬼薔薇聖斗                                                      3/29/04
  ドナ・ウィリアムスがドキュメンタリーに登場したとたん、私もワタシもと偽アスペが登場した。
  ニキリンコがその代表で、その正体は通名:浅見淳子。(花風舎 代表)
  今度の名前は泉流星で自伝を出すそうな。 沢木あさみ って名前もあるし、いくつ名前があるんだ?
  今度のウリは摂食障害。理論的には自閉症に摂食障害はあり得ないはずだが。
  (こだわりが無い人は簡単でいいね。)
  ところが、キップ・キンケル(アメリカの親殺しの少年)や、酒鬼薔薇聖斗が出てきても、
  「そうそう、わたしも同じ」と言うヤツはどこにも出てこない。
  しかし、彼らの問題は私と妻にとって避けて通れない問題。
  可能な限り説明していこうと思う。
 
子供の事件               7/12/04
  奇妙な子供の事件が起きると、すぐ広汎性発達障害に含まれる。
  さらに、アスペルガー障害とも噂が飛ぶ。
  たしかに、通常の診断に発達障害の安売りをしていれば、いざ裁判となったときに、
  突然違うとは言いにくかろう。
  つまり、少年の精神鑑定も医者次第。(ニセモノを見抜けない専門家も居る)
  検察から要求があったとしても、弁護士から要求があったとしても、いずれかの医者は
  発達障害と診断を下し、一方は反対の立場を採る医者を捜す。
  だから、私はマスコミの発表はそれとして、私自身の理解を判断の基準とせざるを得ない。
 
論文             8/15/04
  卒論の項で「ニキリンコ」を論文テーマに選ぶことを勧めた。
  すると偶然だろうが、ニキリンコを論文上で取り上げた人物が居る。
  だれあろう、あいち小児医療保険総合センターの杉山登志郎その人だ。
  その論文は、高校生のレポートのような驚くような出来の代物。
  私の学生時代にも、いろんな教授が居たが、あんな論文を書くような人は居なかった。
  あの論文を自分の教える学生達に見せるのだろうか。
  あんな論文しか書けない人間に、自分の卒論などを審査されると知ったら、学生達はどう思うのだろう。
  それとも、その程度の学校の学生達は何とも思わないか。とにかく驚いた。
  読みたい人は、 星和書店 「自閉症と発達障害研究の進歩」2004/Vol8
  名誉のために、他の翻訳論文は非常に参考になります。
 
長崎佐世保の少女殺人事件           9/16/04
  少年審判の全文が新聞に出た。
  この事件が発生したとき、私はアスペルガー症候群じゃ無いと言ったが、
  妻は「この子はきっとそうだ」と言い切っていた。
  断片的な情報を拾い読んでも、私は妻の言葉を信じられなかった。
  しかし今日の記事を読み、そこでは明確にアスペルガー症候群と断言していないにも係わらず
  私も、やっと妻が言おうとしていたことが分かった気がした。
  酒鬼薔薇聖斗が出現したとき、私は詳しい状況を知るまでもなく「彼は私だ」と言い切った。
  妻は、今でもやっぱり何処かが違うはずで「彼とあなたは違う」と主張していた。
  今度は妻の番だ。妻は「あの子と私は同じだ。違いは本当に紙一重だ」と言い切る。
  確かに、すぐに中学2年生の自分に戻れる私は、その自分に戻り考え「私は彼だ」と分かった。
  妻も、自分が小学5年生の女の子の世界に戻り、「あの子はおんなじ」と分かったのだろう。
  しかし、あの女の子も、私も、妻も、自分自身を語ることは非常に難しく、
  私達夫婦は、時間の量というものの助けを借りて、ようやく子供の頃の自分を見て、
  知ることが出来るのである。
  あの女の子が、鑑別所で自分を語ることは困難であろう(無理)と思う。
  自閉症の内部(心)の状態を糸も簡単に説明できるニキリンコに、殺人者の心を説明してもらいたい。
  (ニセモノに出来っこないけど)
  私達はそれをやろうとしている。犠牲になった子供達の為にもやらなければいけないのだ。
  本当のアスペルガー症候群をお持ちの親御さん。そして未来の医師の皆さん。
  私の頭の中身を見て、何かの役に立つようでしたら、参考にして下さい。

トニーアトウッド講演会  4/4’05

トニーアトウッド講演会       4/4/05
 
主催者の配慮でトニーアトウッドの講演会を拝聴した。
日本での自称自閉症専門家の話は、聴いている最中に「アホなこと言うな!」とか
「出任せ言いやがって!」とか言いたくなるような馬鹿げた話が多いのだが、
トニーアトウッドはさすがに良く自閉症(アスペルガー症候群)の事を知っていて、
話す事も誠にシンプル。
一点の曇りもなく分かり易い、明解な講演だった。

佐世保の少女  11/15’04

佐世保の少女         11/15/04
 
佐世保の少女について考えるには、全日空機長殺害事件を参考にすると分かり易いと思う。
彼については、自分の考えを人に押しつけるという話は出てこない。
つまり、自分の興味のあること以外は別にどうでもいいんだね。
但し、自分の職務だけには異常に、必要以上に忠実だった。
つまり、飛行場の安全、乗客の安全、ターミナルの保安については、
頼まれてもいないのに、
(保安要員として働いていたので、間接的には責任があるが)
悲しくなるぐらい心を痛めた。

彼は、考えられる、彼が出来うるすべての能力を動員して、空港の保安の不備を訴えた。
しかし、誰にアピールすれば受け入れられるか。
どの様にすれば、聞き入れられるか。
肝心な所が彼には解らなかった。

彼は、心底心配したに違いない。
彼の努力も虚しく、空港の保安が改善された兆しは全く見えない。
こんな状態ならば、いつなんどき、テロや、不測の事態が起きるとも限らない。

彼は、日夜、24時間本当に考え続けた。
「結局、ここまで言っているのに、誰も分かろうとしないし、手を打とうともしない」
「ならば、自分で行動してその危険性を分からせなきゃ。」

彼は、空港保安の不備を、自らがハイジャックする事で、
やっと空港側に知らせることが出来たのである。
 
「空港保安」というのは、彼自身が知らなかった彼の「こだわり」の世界である。
髪型や、服装や、遊びについて何を言われてもきっと平気だったろう。
しかし、「空港保安」にだけ「明確な不備」として彼の世界に侵入するモノがいた。
彼はそれが許せず、何とかその「不備」を取り除こうと努力した。
しかし、彼の能力ではままならなかった。
 
佐世保の少女はどうか。
実際の教室内で、リアルタイムに同級生と渡り合うのは苦手だし、
学校での事は全然重要じゃあない。
別に何を言われても、何があっても興味は無い。
交換日記が始まった。
文字を通じて、自分の世界を書き表すのはしゃべるより得意だ。
ここは自分だけの世界だ。
ところが、自分が書いたことに、侵入して(係わって)くる人が居る。
これは交換日記だ。誰でも書き込める世界だからしょうがない。
インターネットのホームページがある。
ここは、誰も入り込んで来ない。私だけの世界だ。
ここなら、安心して自分の好きなように、好きなことを書ける。
きっとここが私の思い描いた世界だ。
 
「私と同じ」佐世保の少女をこう言い切った妻について書く。
妻は驚くほど(表面上は)主体性が無い。
何一つこだわる事無く人の意見に従う。
「それ、右に置いた方がいいよ。」  「うん。」
「それより先にお湯入れてきて。」  「うん。」
自分が途中まで仕事をしているのに、それを止めてすぐ言われたとおりに動く。

ところが、彼女にはすごく狭い範囲だが、強固な彼女の世界がある。
それらに関することは、例えこちらが正しくとも、頑として受け入れない。
つまり、自己の世界が他の人より小さい代わりに、強固なのである。
 
佐世保の少女にとって、「ホームページ」は自分の宝物のような
「自分だけの世界」だと考えてしまったのではないだろうか。

その本当に小さな「自分の世界」が侵されたとき、
勿論、現実の世界で上手に相手に話すことが出来ない。
では、言葉を使って交換日記上でコミニュケーションが取れるかと言うと、
相手の気持ち(心理)を読みとって、適切な言葉と言い回しを作り出す事が出来ない。
さらに退却して、インターネット上で相手に対して言いたくとも、
相手の姿が見えない。
あとは、相手がビビルように力を誇示して撃退するしかない。
ところが、どんなに力を誇示しても、相手は退却する気配が見えない。
こうなったら、教室でも力を誇示するしかない。

どんなに、教室で脅して見せても、何の効果も見えない。
 
私が、自分の大切な世界を「侵された」彼女の気持ちを想像するとこうなる。
本当であれば、もっと適切な実例を出したいところだが、今は思い付かない。
 
ただ、こんな例がある。
私は、「人を殺そうと思ったことがある」とはっきり口に出した人間を3人知っている。
私の友人(アスペルガー症候群かな?と感じたヤツ)、私の妻、そして私の三人である。
幸運なことに、私達がそう思ったときにはすでに「割に合わない」と気付く年齢にあった。
私達は一線を越えることは無かった。

解離 2   10/20’04

こちらの記事も「解離」の本当の意味を知らずに書いているものです。
それを踏まえて、記事を読んで下さい。4/23’09
 
 
解離 2        10/20/04
 
妻の「解離」は日常にある。
妻もすでに診断済みで、アスペルガー症候群の診断書を取ることができる。
 
妻が言うところの「解離」とはこの様なことである。
私達は「自閉症」の状態についてや、
定型発達の人たちは、物事をどの様に感じるのかを常に、日常的に考えている。
 
妻が考え事を始めると、目はうつろ。
どこか、焦点の合わない目をしたまま、じっと固まっている。
または、鍋をじっと眺めたまま台所で立っている。
と、この様な様子でいることが多いようだ。
とにかく、こんな時は頭の中で何かを考えているらしい。

しかし、外見では一般的な「考える」と言う姿とは程遠い。
そして、特徴的なのは、その時間である。
1時間や2時間をそのままで居ることがある。
あとで、「えぇっ、こんな時間?まだ30分ぐらいしか経ってないと思った」
と必ず言う。
 
定型発達であれば、考えると言うことは頭の中で、自分自身と話し合うことだそうだ。
(私も定型発達ではないので、頭の中で自分と話し合ったりしたことはない。)
 
この時の状態を聞くと、どうも「解離」としか言いようが無い状態なのだ。
つまり、頭の中は「無音」の状態であるらしい。
この時は、すべての行動が緩慢になったり、返事も上の空だったり、
返事の内容も後から確認すると出鱈目(その場限り)な事だったりする。
しかし、その「無音の状態」こそが私達の「考える」と言うことだ。
 
妻の場合、日常生活のなかに「解離」(無音の考える時間)があるが、
私の場合は、パソコンに向かっていたり、資料を読みふけっていたりするので、
外見上はまだマシなようだ。

しかし、実は私の場合は仕事中は熱中しているだけで、考えているとは言えない。
私が考えているときは、「テレビを見ている」時だったり、
「寝ている」ときなのである。
だから、考え事をしているのだが、テレビを1日15時間見続けていたり、
12時間寝続けていたりすることが日常にある。
仕事をしようと思うのだが、そんなときに無理にパソコンに向かったところで、
仕事は進まない。
どうも、そんな風に「考える」という作業をしているようだ。
 
話がそれたが、
妻の場合、その日常生活の中に、「記憶のない時間」「知らずに過ぎ去った時間帯」
があまりに多いことに気が付いた。
まるで2重人格だ。
ところが、その見えない時間帯にだけ存在する人格というものが無いから、
相対的に「解離」と表現するしかないと考えていた。
 
そこに、佐世保の少女の事件であり、斉藤学先生の指摘である。
 
(一部削除)
 

Chip

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