毎月1日発行[発行責任者:守 一雄]
(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)
(c)小学館 |
天然痘は名前も古めかしく「過去の病気」という気がするし、私の子どもの頃 でも種痘のおかげで日本ではほとんど制圧されていたこともあって、あまり脅威 を感じないものだった。だが、実は人類にとって最も怖ろしい病気であることを この本で初めて知った。最近になって登場したSARSやAIDSなどが騒がれている が、天然痘はこれらの百万倍も怖ろしい病気なのだ。まず、その致死率が高い。 なぜなら治療法がないからだ。天然痘を発病したら運を天に任すしかない。しか も、天然痘は普通のインフルエンザのように空気感染する。体液の接触でしか感 染しないAIDSでは患者が5千万人になるまでに20年かかったが、天然痘なら数ヶ 月で達してしまうだろう。症状も悲惨である。天然痘患者は皮膚や粘膜はもちろ ん、内臓や脳などのすべての器官から出血して血みどろになって死んでいく。天 然痘による死者は地球上で10億人にも上ったと推計されている。
この本では、こんな怖ろしい天然痘を撲滅するのための世界保健機構(WHO)の 取り組みが詳しく紹介されている。天然痘ウィルスの唯一の弱みは、ヒトの体内 でしか生きられないことである。そこで、すでにウィルスに感染した患者を隔離 して、新たな感染者を出さないようにさえできれば、ウィルスを完全に封じ込め ることができ絶滅に追い込める。しかし、もし天然痘ウィルスがヒト以外の生物 たとえばネズミの体内でも生きられるとしたら、天然痘ウィルスを持ったネズミ をすべて完全に隔離することは不可能だから、天然痘ウィルスの絶滅も不可能と いうことになる。天然痘撲滅プロジェクトチームは、天然痘がヒトにしか感染し ないことの確認と天然痘患者を徹底的に隔離する作戦とを同時進行させ、1979年 ついに最後の天然痘患者からの新たな感染を阻止したのだった。
これだけならNHKの「プロジェクトX」である。しかし、面白い(怖ろしい) のはここからである。天然痘ウィルスが絶滅したのは「自然界だけ」でのこと で、アメリカとソ連(現在のロシア)のそれぞれ1カ所ずつの共同研究センター には「研究用天然痘ウィルス」が保存されているのである。今も液体窒素式冷凍 庫の中に。もちろん、天然痘ウィルスは厳重な管理の下に置かれ、どんな外見の 容器に入れられてどこに保管されているのかも極秘にされている。おそらく、モ スクワでも同じような厳重な管理体制がとられているにちがいない。しかし、 「アトランタとモスクワにだけ」というのはあくまでも「公式発表」にすぎない のだ。イラクをはじめとする紛争地域の国々やかつてのオウム教団のような特殊 組織が天然痘ウィルスを密かに隠し持っている可能性は極めて高いのだという。 いったい何のために?
それは生物兵器として利用するためである。著者は本書の出だしで、まずアメ リカの炭疽菌テロについて詳述して生物兵器の恐ろしさを読者に示し、そしてお もむろにもっと怖ろしい天然痘の話を始めるのである。炭疽菌テロでさえこれだ け恐いのに、天然痘ウィルスが生物テロに使われたとしたら・・・。著者はさり げなく、こんなエピソードも紹介している。イギリスは1763年苦戦を続けるアメ リカ・インディアンとの戦いで、インディアンの族長に「天然痘病院にあった毛 布を2枚」好意の印として贈ったのだという。
天然痘テロが万一起こったとしても、種痘があるじゃないかと考えるかもしれ ないが、実はこの本に書かれている本当の怖ろしい話はこれからなのである。あ あ、それなのにもう紹介するためのスペースがなくなってしまった。
(守 一雄)