2009年4月26日

藤色なくて、原色の街を歩く

場所によっては、歩くのも困難なくらい強い風が吹いていましたが、、、今日のお散歩は、亀戸駅前からのスタートでした。八重桜の花が花吹雪状態になっていた亀戸香取神社では、29日に行われるらしい古武道奉納演武大会の準備で忙しそうでした。そして、藤の花がちょうど見頃になっているのではないかと思っていた亀戸天神は、、、縁日屋台もいっぱいあって、人出も多くなってきていましたが、藤の花がいい感じに咲いているのは、ほんのわずかな一画だけでした。もう早々に花が終わってしまったのか?なんだか期待はずれの感じになってしまいました。帰ってからネットで検索してみても、でてくるのは去年までの開花情報ばかりでした(^^;)
亀戸天神を裏手から出て、セブンイレブンに寄ります。このところ「7&iワッフルコーンミルクバニラ」というアイスを食べながら歩くことが増えています。特に美味しいわけでもなく、値段もお買い得感全く無しですが、、、。
曳舟たから通りを行き、水戸街道にぶつかったら一旦左へまがって、鳩の街通り商店街へと入っていきます。あまり元気のいい商店街ではなさそうです。吉行淳之介の小説「原色の街」を読んだのは、もうずっと前のことなので、どんなお話だったのか微塵も憶えてはいませんが、この辺りが舞台となっていたはずです。色タイルを貼った建物がいくつか残っていますが、昭和20年代には100軒を越す娼家があった赤線地帯だったとは思えないような普通の住宅街になっています。
路地を適当にぐるぐるしながら歩いていたら白髭神社のあたりにでました。向島百花園へ入りました。一時代遡って、もう永井荷風の領域ですね(笑)
こちらの藤棚にも花がありません。隅田川七福神は、白髭神社には寿老神、百花園は福禄寿尊、三囲神社に大國神と恵比寿神などなどという配置になっているようです。
東向島駅前で、マクドってお散歩終了です。

2009年4月25日

酔いどれ星ゆらゆら、地平をゆらゆら

今日はなんだか肌寒い日となっていますね。
先日、堂平にある天文台のことを書いた後で、唐突に「カノープス」という星を見た日のことを思い出しました。21、22歳頃だったかと思うのですが、、、その堂平の天体観測ドームがあるすぐ下の駐車場まで、星を見にでかけたことがありました。季節的には、秋だったかもしれません。その日のことは、「カノープスを見た!!」という以外はもう何も憶えていません。
一番明るく見える恒星は、おおいぬ座のシリウスですが、カノープスは二番目に明るくて、マイナス0.7等級の白い星です。でも北半球からでは、南の地平線ぎりぎりのところに赤く見える星となっています。見ることのできる北限は、計算上では福島県のいわき市のあたりになりますが、大気差とか高度を利用すれば、山形県の月山のあたりでも見えるかもしれないという話もあったと思います。東京あたりでは、一番高くても地平線から角度にして2度までしかあがりません。
星座のほとんどはギリシャ神話と結びついていて、カノープスもアルゴという船の龍骨にあたる部分にありますが、トロイ戦争の頃の実在した水先案内人の名前だという説もあるようです。
中国では「南極老人星」という名前で呼ばれていて日本の七福神の福禄寿の元となった神様のようです。七福神はなぜお寺に祀られているのか?とかギリシャ神話の神々は、今のギリシャでの扱いは?とか、分からないことは数々出てきますが、、、長生きすれば分かってくるかもしれません。福禄寿は、長寿の神様なので、、、カノープスも見れば寿命がのびるという御利益につながるようです(^^)v

2009年4月24日

定額とは低額とみつけたり

今度は3~4万円台くらいのちゃんとしたデジカメを買おう!!と思っていたのですが、、、予算調達のあてもなく月日は過ぎていったとさ、、、だったのですが、昨夕になって突如として方針を変更して、またまた1万円以下のを購入してしまいました。
まだ開封もしていませんが、市役所から定額給付金の申請書が送られてきているので、先買いみたいなものとなるのか、余計な無駄遣いか???
どれほどのストレスがクサナギレさせてしまったのか分かりませんが、撮ってきた写真が想定外に出来の悪いのが続くともう「お道具」のせいにしてしまいたくなるものです。昨日、館林から帰ってきたらテレビはもうクサナギレ報道ばかりの感じでした。それを横目に、、、新聞折り込み広告を見ていたら、近所のホームセンターで1000万画素のデジカメが、税込み9780円でした。そこで買うデジカメは、もうこれで5台目(1台初期不良でキャンセルしたので6台目?!)になります。
今宵は、ぽつりぽつりと雨が落ちてきたりもしましたが、おにゅうデジカメの操作性と画質などを把握しようと、もう何度も同じような写真ばかりを撮っているレインボーブリッジでのお試し撮影をしてきました。ズームでの夜景は、ピントがあったところでシャッターを押すと、ピントがずれてから撮影されることが続いて、ほぼ全滅でした。ああ前途多難、あしたは大雨?

2009年4月23日

躑躅花山に似合うは、赤城おろしか大根おろし?!

ちょうど「見頃」という感じの時期なので、館林のつつじが岡公園へと行ってきました。樹齢800年超のヤマツツジから向井・宇宙ツツジまで50余品種、約1万株が花盛りとなっていました(^^)
だいぶ風が強くて、風の吹いてくる方向へ歩くのも大変でした。冬将軍がついに北へと撤退の一吹きだったのかもしれませんね、、、。
躑躅の開花時期だけ有料となる公園ですが、、、去年より100円値上がりして、入場料600円でした。さらに100円支出すると温室と水産学習館へも入れるようになっていました。ここの温室は、なぜかそこらへんのお店で鉢植えにされて売られている植物が、そのまんま大量に置かれています。水産学習館は、ずいぶんこぢんまりとした展示スペースでした。「学習」意欲が無くて名前は覚えてきませんでしたが、淡水魚でもこんなに大きな魚がいるんだぁ!!と思えるようなのが泳いでいました。
向井千秋記念子ども科学館にあるプラネタリウムは、平日はやっていないので、二度目になりますが隣にある田山花袋記念文学館へ入りました。ちょうど他には、来館者がいませんでした。
市役所前から板倉町方面へと向かうバスがでてしまったばかりなので、駅へと引き返したら、すぐに電車があったので1時間かからずに帰宅することができました。

2009年4月22日

春うらら浦安かれ、あなたが食べた小指が痛い

東京メトロの駅ポスターで、浦安には無料で見学できる旧家があると知って、早速でかけてきました。
まずは清滝神社へ、、、ここの本殿の彫刻も立派でした。神社の正面にある細い道が、かつての浦安の町のメインストリートであったようです。今は「フラワー通り」というらしく、どぶ板は幼稚園児のお絵かきのようなペイントがされていました。
この通りに入ってすぐ左にあるのが明治2年に建てられた商家で「旧宇田川家住宅」です。初老の上品な奥様といった感じの方がいろいろと説明してくださいました。各地に生息域を広げているボランティア解説爺とは格が違う雰囲気で、好感が持てました。
この2軒ほど先の路地を入って、境川べりにあるのが、江戸末期に建てられたという漁師の家で「旧大塚家住宅」となってます。ここの解説奥様も腰が低くて素敵な方でした。写真は、こちらにお住まいの大塚さんと、たぶん娘さんです。
なぜかこのあたりには、いくつも銭湯があります。旧大塚家へと入る路地でも古材の薪を燃やしているところを見ることができました。煙突を掃除する長い煤払い(?)もありました。
少し先には浦安発の洋館風建築であったという昭和初期に建てられた濱野医院があります。わりと最近まで、100年以上、三代続きでこの地で医療を担っていたようです。
境川に沿って15分ほど歩くと浦安市郷土博物館があって、野外には昭和27年頃を再現したという、、、まるで映画のセットのような感じですが、半分くらいは、江戸・明治の建築物を移築したもののようでした。ここも無料で見ることができます。
いっぱい埋め立てられて海まではどのくらいあるのか見当もつきませんでした。新浦安駅と舞浜駅を結ぶ1回100円の「おさんぽバス」というのが1時間に3本くらい走ってました。

2009年4月21日

見えないものを見ようとして……

標高876mの堂平山からは、1都10県が見渡せるのだそうです。逆に考えれば、1都10県からの街明かりが届く場所ということになります。
ここに東京天文台の観測所が建設されたのが1962(S37)年、、、当時はたぶんとっても星がきれいに見えたところだったのでしょうね。2000年に国立天文台としての役目を終えた後、ときがわ町に移管されて、現在は「星と緑の創造センター」という名称で運営されているようです。
I WISHが歌う「ふたつ星」のPV(SonyMusicのオフィシャルサイトから視聴可)にでてくるのは、ここの口径91センチ反射望遠鏡らしいです。
望遠鏡を操作して天体の写真を撮ったりするのは「技師」と呼ばれる人達で、天文学者自身ではないという話を聞いたことがあります。たぶん本当に夜空の星を見ることが好きな人は、技師にも天文学者にも宇宙飛行士にもならない(なれない?!)ものかもしれません。巨大な望遠鏡よりも口径10センチほどの望遠鏡が見せてくれる夢や世界の方が広いのかもしれないと思えてなりません。

2009年4月20日

重力と時間に阻まれてアインシュタインも舌を出す

昨日のハイキング大会ですが、、、完歩できませんでした(^^;)
朝7時45分にスタートして、三番目のチェックポイントである堂平山(18.4キロ地点)通過が13時でした。そして、七峰のうち五峰目の手前、旧定峰峠というところを15時までに通過しなければいけなかったのですが、書いてあるものをちゃんと読んでいなかったので、12分オーバーとなってしまい、先に行かせてもらえず、そこから強制下山となりました。公式認定歩行距離(?)は、25.6キロでした。
もうその頃には、登り坂はゾンビ・亡霊歩き状態になっていましたので、そこを通過できたとしても最後まで歩き通すのは無理だったように思えます。まだ今のところ若干の休憩をとりながら歩けるのは、一日6~7時間までのようです。まぁ、、、心残りは秩父高原牧場のソフトクリームを食べられなかったということかも(T_T)
今日は、階段を上ろうとすると足が痛みましたが、ここで筋肉を甘やかしてはなんにもならないので、一日ずっとエレベーターとエスカレーターは使わずに過ごしました。
江戸時代の頃まで、、、物見遊山やお伊勢さん参りツアーにでかけた人達って、一体一日にどれくらい歩いていたのでしょう???