流行歌の中に英語のフレーズが挿入されるのは、今日ではあたりまえのようであるが、そのルーツを探ることは、ちょっと調査に時間がかかりそうで正確なことは難しい。伊藤雅光(国立国語研究所)fは荒井由美の楽曲を中心に日英混交テクストで国語学の観点から語彙調査をしているようだが(「ポップス系流行歌の語彙調査における外来語と外国語の判定基準」計量国語学23巻2号、2001.9.20)、ケペルは史的関心からの調査では1960年代後半のグループサウンドにそのルーツをみることができる。1970年代、橋本淳、松本隆らが、日本の歌謡曲に英語歌詞を定着させた作詞家である。もちろん洋楽カバー曲であれば1950年代から60年代に多数みられる。漣健児の訳業も評価すべきであろう。
飯田久彦「悲しき街角」(漣健児・訳詩、1961)
北原謙二「北風」(服部レイモンド・訳詩、1964)
ブルー・コメッツ「青い渚」(橋本淳・作詞、1966)
二人で歩いた 砂山の
どこかに消えた
My Lonely First Love
ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」(橋本淳・作詞、1968)、「シーシーシー」(安井かずみ・作詞、1968)などグループサウンズの歌詞には多く英語のフレーズが登場する。ザ・ジャガーズ「君に会いたい」(清川正一・作詞、1967)では「マイベイビー ウォンチュー ウォンチュー シーアゲン」とカタカナ表記である。歌手としては、南沙織(シンシア)が美しい発音で歌謡曲の中にさりげなくメロウなサウンドを聞かせてくれた。原田真二の音楽は、いまにして思えば先駆的な曲であった。1980年代、ニューミュージックに英語歌詞が多いのは、当然ながら、アイドル黄金時代の近藤真彦、田原俊彦の歌詞は「Ⅰ need you baby」「Ⅰ Love YOU」などカタコト英語が多く、1960年代を超えるものではなかった。むしろ松田聖子の「赤いスイートピー」「スイート・メモリーズ」等にJ-POPにつながるものが見られる。そして歌謡曲日英混交歌詞の決定版は、小林明子「恋に落ちて」だろう。
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南沙織「春の予感」(松本隆・作詞、1977)
春の予感 そんな気分
時を止めてしまえば
春に誘われたわけじゃない
だけど 気づいて
Ⅰ've been mellow
原田真二「キャンディ」(松本隆・作詞、1977)
Candy,Ⅰ love you
目覚めてよ
窓を超えて ぼくは来た
イバラに囲まれ眠る
横顔を揺り起こすのは風さ
ゴダイゴ「ガンダーラ」(タケカワ・ユキヒデ作詞、1978)
ジュディ・オング「魅せられて」(阿木耀子・作詞、1979)
桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」(松本隆・作詞、1979)
松田聖子「赤いスイートピー」(松本隆・作詞、1982)
松田聖子「SWEET MEMORIES」(松本隆・作詞、1983)
吉川晃司「モニカ」(三浦徳子・作詞、1984)
アン・ルイス「六本木心中」(湯川れい子・作詞、1984)
小林明子「恋におちて」(小林明子・作詞、1985)
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ふと思い出した曲に、田辺靖雄「もちろん好きさ」(佐伯孝夫・作詞、1965.8)がある。
好きかって聞くの もちろんさ
いつでも いつも
リメンバー マイ スイート ハート
(歌詞うろ覚え)
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