『グループ・サウンズ』

GS体験とGSの幻想 その総括としてのベスト10

序論 GS及びGS論の規定

GS──グループ・サウンズが最盛期を迎えた1967〜68年、僕は10〜11歳、即ち小学校の4〜5年生だった。実際、ファンとしてGSブームを支えていた主な層はそれより幾つか上の年代であろう。しかし、僕らは決してそれに乗り遅れた世代ではない。僕らより3〜4年下の連中になると全くと言って良いほど記憶がないと言うのだから、結局僕らはGSを知る最後の世代ということになる。

お兄さんお姉さんたちがまさに青春の真っ只中にあって彼等GSと同じ青春を謳歌していた、いや謳歌していたと言うよりもむしろその爆発するエネルギーとそれをどうして良いか分からないことのアンパランスに悩み、その欝窟を彼等と共に叫ぴ、歌い、躍ることによって解消しようともがいていた時、その彼等の背後から、まだ届かない青春の躍動の予感に漠とした憧れを抱きながら、精一杯背伸びして目を瞠り耳を澄ましていた者たちがいた。それが僕たちだった。

それほどまでに僕らや僕らの上の世代を熱中させるためには、それぱ新しいものでなければならなかった。既製の歌謡曲とは一線を画する要素がなければならなかった。しかしその一方では、新しい流行歌のあり方が云々されるにはまだ時代が早すぎた。──GS成立の基盤はそのような矛盾を孕んでいたのである。

従って、それは全く危なっかしげであり、また実際はかない命であった。

しかし、彼等の作品を、素材としての作品そのものだけではなくその歌い方、演奏形態まで含めて今振り返ってみると、それらは未だに僕らの胸をときめかせてくれるのである。いい歌手がたくさんいた。素晴しい作詞家や作曲家を育てた。今や日本の最高峰にいるプレイヤーたちが既に彼等の中にいた。そして、どれもこれもと言っては語弊があるが、本当に短期間に凝縮された形で次々と素晴しい曲が発表された。

沢田研二が1960年代からのキャリアの持ち主で当時GSの最高峰にあったザ・タイガースというグループにいたことを、今の若いファンたちは知っているのだろうか。今や日本を代表する俳優である萩原健一が当時日本を代表する歌手としてザ・テンプターズに君臨していたことを知っているだろうか。そして、彼等2人が当時舞台の上で最も多くの黄色い歓声を浴びた3人の男のうちの2人である(残る1人はキンチャンこと萩本欽一である)ことを知ったらどう思うだろうか。今をときめく筒美京平の当時の作品を聴いてやっぱり感動してくれるだろうか。『ルビーの指環』が流行った時、ザ・サベージにいた寺尾聡が歌手として"戻って来た"と感じた人が何人いただろうか。とんねるずの大ヒット『歌謡曲』を聴いている若い人たちの中に、あの「お前のすべて」という歌詞がザ・カーナピーツのパロディだと分かる人が果たしているだろうか。

そんな気持ちで僕は若い人たちに語りかけたいのである。GSの素晴しさを吹聴したいのである。

子供の時に聴いていたGSを僕はいつまでたっても忘れずにいた。いや、それどころか、成長するとともにいよいよ忘れ難く頭の中で鳴り響くようになった。そして、同じような人がいるらしく、何年か前からGSが見直される風潮が出て来た。そしてうまい具合にここ2〜3年の廃盤ブームである。僕はようやく当時1枚も買えなかった彼等のレコ一ドや楽譜を買い漁れるようになった。今ようやく少しずつ資料が揃い始めた中で、僕は僕なりにそれを総括しておこうと考えたのである。

ただ、ここでキッパリと言っておきたいのは、これは単なるノスタルジーではなく能動的な再評価であるということである。また、これは当時まだ青春の前段階にあった僕たちだから、従って決してGSを青春のノスタルジーとして捉えられない世代であるからこそ出来る作業なのだと、胸を張って言いたい気もする。

GSに統一コンセプトがあったと言えぱ言い過ぎだろう。だが、彼等ひとつひとつのグループには多くの共通する思いや態度が感じられ、言ってみれぱ統一ムードと言ったようなものがあった。だからGSは一つの現象として捉えられるのである。これは驚異である。流行歌の歴史の中で、一群の歌手や作家たちが"現象"を形成するということはありそうでいて滅多にないからである。

独断ではあるが、僕はGSを次のように規定している。

まず歌詞の面では、ひたむきな青春あるいは恋を歌う。激情をはらんでいたり偏執的であったりすることも多い。とにかくやたら切ない。きらきら輝くこととパランスを失って堕ちて行くことの危うい境界線上にある。そして、曲の面でほ、それまでの流行歌の風潮を一新し、ある意味で現在のポップス/ニュー・ミュージック系の歌謡曲・流行歌の源流をなすことが条件である。勿論、これらの条件を満たさないグループや歌もたくさんあっただろう。GS総てがそうであったなどと言うのではなく、あくまで"GS本流"として以上のような規定を試みたということである。

以下ではGSベスト10という形で10のグループと作品を採り上げている(実際にはそれらに関連してもっと多くの作品に言及している)。ただ、ひとつのグループから複数の選曲を許すと、僕の好みからしてタイガースとテンプターズで半分を占めてしまいそうなので、とりあえずここでは1グルーブ1曲という"たが"をはめることにした。

ここまで読んでいただけれぱ明らかなように、当然僕個人の好みというものが強く反映されている。だが、必ずや楽しく読んでいただけるものと信じている。

本論 GSぺスト10

第10位 『僕のマリー』(ザ・タイガース)

何はともあれタイガースの曲がベストテンに入っていないのはまずいと思って選んだのだが、何せGS最大のグループだけに数あるビッグ・ヒットの中から1曲だけを選ぴ出すのは至難の技で、最終的には『君だけに愛を』とどちらを採るか随分迷った挙句この作品に落ち着いた。

作曲はすぎやまこういち。Em のクリシェから Am のクリシェヘと半音下降を2小節ずつあしらった出だしがまず美しい。決して珍しいテクニックではないが、こういう常套的な手段を織り込んだメロディ作りに関してもやはりプロだと感心させるのがすぎやまの真骨頂である(彼は同じような試みをガロの『一枚の楽譜』の出だしの部分でも展開している)。そして、何と言ってもサビに入っての「愛してる」の箇所が良い! 同じ高さの音がアクセントを伴って5つ連ねられた後1拍半の休符。そして「とひとこと言ぃえぇなぁくぅて」と続いて行く。この辺りに青春ゆえの純愛のやるせなさが集約されている。

橋本淳による詞に見事に曲調がマッチしている。詞だけを採り上げてみてもタダモノではない。「僕がマリーに会ったのは さみしいさみしい雨の朝 フランス人形抱いていた(ここがシブイ!)ひとりぼっちのかわいい娘」という冒頭など今では涙なしでは読めない。「マリーが僕に恋をする甘く悲しい夢を見た」という終わり方も無常感を帯びてひたすら切なく、詞曲ともにまさにGS精神の権化と呼んでも過言ではないだろう。橋本淳は今何をしているのだろう。そう言えばすぎやまこういちも一連のガロのヒット曲以来名を聞かない。タイガースの黄金時代を支えたコンビだけに忘れ去られてしまうには惜しい。

さて、本題に入ってザ・タイガースだが、今改めて聴き直してみると彼等が総ての点においてかなりの高水準を保っていたことが判る。下手だ下手だと言われたボーカルも現在の沢田研二と比べると確かにそうだが、それはその後の彼の成長を物語るものに他ならない。岸部修三(現・一徳)のべ一スはなかなか捨てたもんじゃないし、森本太郎のリード・ギターもどうしようもなくひどいこともあるが、曲によってはそこそこ聴ける。

そして特筆すぺきはなんと言ってもコーラスの妙である。編曲の勝利ということもあるが、高音に良く伸ぴる加橋かつみと低音に響く岸部、それに森本を加えてジュリーを支える4声の重ねは見事なハーモニーを形成していて非常に心地よい。この当時のトッポとジュリーではどちらが歌唱力があるかと言えぱ勿論トッポだが、僕は『花の首飾り』や『廃墟の鳩』のように彼がソロを執った作品よりも彼がバックに廻っている時の方が好きである。これほどジュリーのパックにマッチする声はないのである。素晴らしいハーモニー! 嘘だと思うなら聴き比ぺてみて下さい。これほど完璧なコーラスを聞かせてくれるGSは他にはありませんよ。

第9位 『亜麻色の髪の乙女』(ヴィレッジ・シンガーズ)

何しろ亜麻色などという色は見たことは愚か聞いたことさえなかったのである。「まだ小学生だから判らないが大人になればいずれ判るだろう」と、その時は謙虚にも思ったものだが、結局大学まで出てしまった今でもよく判らない。亜麻という植物があるのは確かなので亜麻色という色があってもよさそうなものだが、花の色なのか茎の色なのか、あるいはそこから取れる繊維(=リンネル)の色なのか(花であれ茎であれ繊維であれ何色なのか知ったことではないが)さっぱり判らない。いずれにしても、僕のような者の実生活には全く縁のない色の名前である。その実体のなさに加えて、「亜麻色」という響きが単純に「甘い色」に似ているということもあって、この歌詞は甘美な幻想性を身に着けてしまうのである。まさに「亜麻色の長い髪を風が優しく包む」様を彷彿するのである。

詞は橋本淳、曲はすぎやまこういちという御存じザ・タイガースで御馴染みのヒット・メーカー・コンビだが、これまた実に滑らかな音の運ぴで、「羽根のように」とリード・ボーカルが先行するとコーラスが「羽根のように」と追い掛け、「丘を下り」でまた「丘を下り」と続く──この辺りは本当に気持ちが良い。これはヴィレッジの得意なパタンで『パラ色の雲』の中でも「バラ色の雲と」とやると「パラ色の雲と」と追い掛けている。

そしてサビに入ってチャッチャッと2拍あって tacet、即ちリズム・ブレイクして「バラ色のほほえみ」またチャッチャッで tacet、「青い空」──このチャッチャッが良いのである。しかも「幸せな二人は」の後は今度はチャッチャッではなく1拍しか休まないで「寄りそう」と続く。ここはサビに入ってリズム形に変化を持たせているのであって、作曲する上では基本的なことだが、第10位の項でも述ぺたように、基本的なことがちゃんと機能しているところがすぎやまこういちの偉大なる所以である。

しかし、このやたら幸せな歌詞のどうしようもなく甘い世界は一体何なのだ! とは言うものの「長い髪」のイメージを本当に見事に作り上げているとも言える。「長い髪の女」は古来しばしぱ流行歌に登場する。『長い髪の少女』とか『北酒場』とか、数え上げれぱきりがない。だが、これはただ単に安易な発想なのである。特にアルフィーなどは安易さの最たるもので、彼等のヒット曲の中にはめったやたらとこの「長い髪」が登場するのだが、残念ながらいずれも功を奏していない(と僕は思う)。なかなか『亜麻色の髪の乙女』のようには鮮やかに描き切れないものなのである。

さて演者のヴィレッジ・シンガーズであるが、彼等は長髪ではなくアイビーっぽく短く刈っていて、いかにも清潔な品の良いバンドであった。どちらかと言えばカレッジ・ポップスの範疇に入るのではないか。僕はカレッジ・ポップスをGSの本流に据えたくはないのだが、作詞・作曲・歌唱が一体となって一つの像の明確化に成功した彼等の表現カに敬意を表して第9位に選んでみた。

第8位 『いとしのジザベル』(ザ・ゴールデン・カップス)

ザ・ゴールデン・カップスと言えぱ必ず『長い髪の少女』を挙げなけれぱならないような評論界一般の風潮にはどうも納得が行かない。そもそもゴールデン・カップスというパンドは他のGSとは一線を画するソウルフルなサウンドが売り物のグループである。その割には曲が面自くないのである。彼等に多くの(ひょっとしたら全部かも知れない)曲を提供しているのは鈴木邦彦なのだが、これがどうも冴えない。『長い髪の少女』などは曲調から言えぱむしろポップス演歌ないしはムード歌謡の線なのである。この曲なら、歌詞をちょっといじくりさえすれば、ロス・プリモスだって立派に歌えるのである。そして、輪をかけてひどいことにはこの鈴木邦彦さん、ご丁寧に編曲までやって下さっちゃったりするのだが、下手にストリングスやブラスをかぶせたりするものだから彼等のロックっぽいソウルっぽい魅力をやたら減殺する方向に行ってしまうのである。そういう意味でザ・ゴールデン・カップスはまことに不運なバンドだったと思う。

このグループも優れた人材を輩出したバンドだが、その中から敢えて一人だけを挙げるとすれぱ、それはボーカルのデイブ平尾でもキーボードのミッキー吉野でもなく、誰が何と言おうと絶対べースのルイズルイス加部なのである。彼の指使いは完全にGSのレベルから一段抜けている。他の追随を全く許さないのである。この曲でも「恋、消えた恋」の辺りからやおら激しくなって後は延々と8分音符を刻み続けるのであるが、それも同じことの繰り返しではなくかなりバラエティに富んでいる。奏法も多彩で表情豊かに転じて行く。僕は80年代になって聴き直してみて腰を抜かしそうになった。ぷっ飛ぷ思いであった。下手だと罵られたGSにもこんなプレーヤーがいたとはまるで信じられない。ぺースのみの観点から言えぱ、実は『銀色のグラス』の方が凄いのだが、曲の知名度に照らしてこちらを選んだ。

 一方、彼等に詞の方を提供しているのがもっぱら橋本淳(よく売れてるねえ!)となかにし礼なのだがどちらもひどい。『長い髪の少女』は橋本、『いとしのジザベル』はなかにしなのだが、両者とも作曲者の鈴木同様ゴールデン・カップスのイメージをはき違えている。この歌に関して一言だけ言えぱ、いかに60年代とは言え、この「シャネルの香り」という表現は浮いてはいなかったのだろうか。時代の中で浮かなかったとしてもゴールデン・カップスの不良っぼいイメージ(これは一般に指摘されている)からは遠かったのではないだろうか。

 まあ良いさ。このシャウティング・ポイスを聴けさえすれぱね。「ジザベルあなたはいない」

第7位 『スワンの涙』(オックス)

はっきり言って、僕はこのグループが大変恥ずかしいのである。いや、きっと僕だけではないと思う。そもそも失神などという荒技は病気の領域に属する手だてであって、その手のことはその方面の方々にお任せした方が良いのである。つまり、失神する方が陰毛を見られるよりもよほど恥ずかしいのである。そして、あの赤松アイの髪型と髪の色! あれは「恥ずかしい」という言葉を具体化するために存在したのではないかとふと思う今日この頃なのである。ボーカルの野口ヒデトは後に演歌歌手真木ひでととしてカムパックしてしまう。それはそれで彼の人生なのだから僕ごときがとやかく言う筋合いはないが、彼が唇を噛んで「でも、やっぱり歌が好きだったからやめなかったんです」と語った時には赤面せずにはいられなかった。まるで恥ずかしさを絵に画いたようなキャリアである。

さて、失神のことをはじめ、今僕が書いたことは総てそのまんま受け取ってもらえれば良いのだが、もし万一、もしですよ、ひょっとしてここまでの文章は逆の意味を込めたものではないか、裏側から読まなければならないのではないか、と勘繰ったりすると、それがそのままオックスの魅カになってしまうのですよ、これが。つまりは、異様さの美学!である。

さて、この『スワンの涙』、作詞は橋本淳(またか!)、作曲は今をときめく(と言うよりはこの頃からずっとときめき統けている)筒美京平である。

詞の方は本気で読むと何のことだかよく解らないのだが、最後に「スワンの涙」という表現に出くわして俄かにメルヘンしてしまうのである。「シャーラララ」というコーラスがすてきで、一時GS全体を覆っていたメルヘンの勢いで一気に悲しく聴き人ってしまう。「きみ」はブラック・コートを着ていてブラック・コーヒーを飲み、きみとぼくは二人で歩いていて教会の小さな庭や町のテラスでお話するのである。そうすると、急にきみは「遠い北国の湖」を「見たいと言っ」てしまう。するとそこに「悲しい姿スワンの涙」なのだそうで、それが何のことやら僕は知らないが、間奏のせりふの部分で曰く「あの空は、あの雲ほ知っているんだね……」。何だか知らないがこの哀調には負けてしまう。

曲の方はキーは Am なのだが、いきなり Am7 のペンタトニック・スケール(ヨナ抜き音階=ドレミファソラシドから第4音と第7音、即ちファとシを抜いた音階)で始まる。この曲と、サザンの桑田が作って高田みづえでヒットした『そんなヒロシに騙されて』の冒頭とを聴き比ぺてほしい。両者が似通っているのはリズム形が殆ど同じで両方ともペンタトニック・スケールを使いながらメロディの波形まで似ているからである。これらは短調だが、長調の曲でペンタトニックをうまく使った例としては、甲斐バンドの『安奈』や河合その子の『涙の茉莉花LOVE』がある。こうして並べてみると、本当にペンタトニック・スケールの威カを感じずにはいられない。

きれいな曲である。さすが京平先生とだけ言っておこう。

第6位 『想い出の渚』(ザ・ワイルド・ワンズ)

『愛するアニタ』を選びたかった。あの「アニターッ!」という絶叫が頭の中から離れない。でも、ザ・ワイルド・ワンズにこの曲がある以上、それを差し置いて『愛するアニタ』を選ぷことはできなかった。作品としては『愛するアニタ』の方が好きなのだが、『想い出の渚』という歌にはこの時代を象徴するようなところがあって何やら捨て難いのである。

この曲は作詞鳥塚繁樹、作曲加瀬邦彦。つまり、詞曲ともメンバーによる完全オリジナルである。

メンパーに作曲家を抱えていたGSは意外に多い。また、当時はたいした作曲実績がなくともグループ解散後作曲家として名を成した者まで含めるとかなりの数にのぼる。加瀬邦彦は前者の好例で、彼の作曲能力は当時から高く評価されていた。しかし、残念ながら彼の作品には目を瞠らせるようなアクセントがないのである。前項までに登場した作家たち、例えぱすぎやまこういちや筒美京平あたりと比べると一目瞭然である。この差は単に作風の違いというエクスキュースで看過できるものではなく、例えば同じ湘南サウンドというジャンルで括られる加山雄三と並べてみても明らかに加山の方がテクニックに秀でている。だが、それはそれで良いのである。良いからこそこの歌もヒットしてしまったのである。彼の作品は玄人をうならせることはないだろう。ただ下手かと言うとそうではない。後の大傑作『危険なふたり』(沢田研二)に代表される彼のメロディ運びは心地好く、思わず□をついて出てしまうようなところがある。

この『想い出の渚』にしても、りズムの変化に乏しいという致命的な欠点があるものの、それでも僕たちはこの歌で青春してしまうのである。

そしてその原動カはむしろ鳥塚の詞にある。いきなり「君を見つけたこの渚に」である。「君に出会った」などという平凡な表現を選ばない! かわいいかわいい君を、ラッキーなことにやたら手の早い悪友たちを差し置いて、この僕が「見つけ」てしまったのである。「小麦色した可愛いほほ」「長い黒髪風になびかせ」「長いまつげの大きな瞳が僕を見つめてうるんでた」と来れば誰だって「飛んで行きたい夜」なのである。過去のものとなってしまった恋愛を惜しんではいるが、想い出という甘美なべールに守られて暗さは微塵たりともない。

小麦色のほほ、長いまつげという彼女の容姿を語る箇所が最高音のメロディ・ラインに当てはまって否応なく盛り上がる。おまけに「波に向って叫んでみ」たりするものだから、もう完璧に青春ドラマしてしまうのである。

彼等のサウンドは、変な表現だが、「勝ち抜きエレキ合戦」的でありノスタルジーに溢れている。また、ストリングスやブラスをかぷせなければ演奏の体を為さないGSが多い中で、彼等は珍しく自己完結できるグループで、特に2本のギターの使い方には工夫を凝らしている。ちなみにこのシンプルで気持ちの良いアレンジを担当しているのは森岡賢一郎である。

恐らくGSオりジナル作品としては最高傑作であろう。なおこの曲はカレッジ・ポップス風だが、GSならではのせつなさ一杯路線でも『愛するアニタ』『青空のある限り』(作詞はそれぞれ山上路夫、安井かずみ、作曲はいずれも加瀬邦彦)などの名曲がある。

第5位 『自由に歩いて愛して』(PYG)

僕はあのスーパー・グループ、PYG(ピッグ)の存在さえ知らない人があまりに多いのにはただただあっけに取られてしまう。GSブームが去り殆どのグループが解散してしまった後、タイガースからボーカルの沢田研二とぺ一スの岸部修三、スパイダースからギターの井上堯之とキーボードの大野克夫、テンプターズからボーカルの萩原健一とドラムスの大ロヒロシ(字が思い出せない)が集まって結成した文字通りのスーパー・グループである。さすがGSの粋を集めただけあって、その演奏水準はまさにグループ・サウンズの集大成と言える。

この作品は『花 太陽 雨』に続く彼等の2枚目(で最後)のシングルで、安井かずみが詞を、井上堯之が曲を書き、そしてPYGが編曲している。自分たちでアレンジのできるバンドはそれほど多くなかった筈だ。

さあ、早く曲に触れよう。イントロはまず、ブルコメの三原綱木と常にGS-No.1ギタリストの地位を争っていた井上堯之のソロから始まる。4小節の単純なリフなのだが、これがめちゅめちゃかっこええんや。そして、「だぁれかがーいまー ドアをたたーいたー」というコーラス(と言ってもユニゾン)に受け継がれ、ギターはストローク・プレイに変わり、よく響くべースが加わり、ラテン・パーカッションが軽やかに高らかに躍り出す。そして、「こーのーこーころぉのー とーびらぁをーあーけろぉとー」と、今度は2部合唱のボーカルが続く。高音はファルセット・ボイス(これは沢田研二なのかな?)、低音はうなるような萩原健一。バックに廻った時のショーケンがこんなにも素晴しいとは知らなかった。3度の積み重ねにせず、主旋律をファルセットにしてショーケンにはわざと6度下を歌わせているのが効を奏している。それから沢田研二の怒涛のソロ。「空はみんなの(みんなの)愛はあなたの(あなたの)……」(括弧内コーラス)。そう、この頃のジュリーはもう完全に今のジュリーなのである。あの張りのある、よく通る声。ああ、快感! そして、2コーラス終わったところで今度は大野克夫のキーボード・ソロである。X-T-C! 僕はもう完全にメロメロなのである。

最後に「Now The Time For Love」という新しい時代の始まりを予感させるようなフレーズを残しながら、この歌とともにスーパー・セッション・グループPYGは消えてしまうのである。ひとえに当時の日本の音楽のレベルの低さを物語るエピソードである。

第4位 『朝まで待てない』(モップス)

この歌は阿久悠のデビュー作なのだそうである。彼の作風にはいくつかのはっきりとした特徴がある。『ジョニーへの伝言』『北の宿から』に代表されるストーリー・テラーとしての巧みさ、『白いサンゴ礁』『勝手にしやがれ』のように明確に一つのイメージを形作り、時にはフィンガー5やピンクレディの一連のヒット曲のようにひたすら遊んでみたりもするが、『ざんげの値打ちもないけれど』や『ロマンス』や、そしてこの曲『朝まで待てない』のように比喩を排してストレートな心情吐露に出た時の迫力はただならない。

この歌詞を見よ。

「ドアをとざしてお前は俺を冷たくこばむだろう」それなのに、「今すぐあいたい朝まで待てない」と「こらえきれなく」「声がかれても」「やみに向ってお前の名を呼ぶ」のである。嫌われても嫌いになれない! この強い渇きにも似た激情! どう抑えることもできないことの切なさ! 若く凶暴なエネルギーの爆発! 凡そこんな歌を書いた奴はいなかった。さすが阿久悠、デビュー作からその才能の片鱗を見せていた、なんてもんじゃない。デビュー作にして殆ど生涯を代表する作品を書いてしまったのである。

作曲の方は村井邦彦である。何と言うことのない曲であるが良く出未ている。サビに入るところの「Can't wait」が良い。ちょうど『亜麻色の髪の乙女』の「チャッチャッ+tacet」に当たる間の良さである。まあ、びっくりするほどの名曲ではないにしてもね。

さて、モップスというグループは残念ながら大阪ではあまり知られてなかったこともあって、僕が彼等の歌を聴いたのはあのパロディ・プルースとでも言うぺき『月光仮面』が最初であった。即ちかなり末期である。従って、僕はこの歌を彼等と同じ時代の中で同時進行的に聴いた訳ではない。しかし、それにも拘わらず僕がこの歌に強い執着を覚えるのは、これが普遍的青春像を捉え切っているからである。

そして、鈴木ヒロミツのボーカルが魅カ的なのだ。彼もまたとぼけた味を出す俳擾として芸能界に生き残ってはいるが、ボーカリストとしての彼の持ち味に比べると、そんなもの歯に挟まった残りかすほどの値打ちもない。「月光仮面のおじさんは」と、あるいは「ああここもやっぱりどしゃ降りさ」と叫ぷ時の彼のいわゆるダミ声には捨て難い魅カがあった。伸びようとしてかすれ、削れそうになりながら響いた。同僚の星勝が編曲家として身を立て(井上陽水の『心もよう』でレコード大賞編曲賞受賞)今にいたっても活躍中(安全地帯等の編曲に名を連ねている)なのに対して、ヒロミツが歌を捨てなけれぱならなかった事情を残念に思う。

ところでこの曲のドラムスであるが、やたら規則正しく1、2、3、4と同じ強さで刻み続けているのがどうも耳に残る。考えた上でのアレンジなのかそれとも単に芸がないのかはよく判らないが、結果的にはこれはこれで僕は好きである。

近年になって小山卓治が彼のアルバム『NG!』の中でこの作品を採りあげている。こちらもなかなかの出来なので、一聴をお薦めしたい。なお小山バージョンではリズム・セクションはやたら派手で変化に富んでいる。

第3位 『純愛』(ザ・テンプターズ)

何と言ってもGSは純愛なのである。もうこれしかない。テンプターズと言えぱ『エメラルドの伝説』という固定観念があるが、あんな訳の解らないメルヘンよりも、「腕に傷をつけて 腕と腕を重ね 若い愛の血潮 わかち合っ」てしまう、このどうしようもないひたむきさこそ、GSを代表するにふさわしい精神なのである。

数あるGSの中でも実はこのテンプターズが一番好きだった。特にショーケンには強い憧れを抱いた僕だった。

小学生の時の友人に兄貴がエレキバンド(懐しい言菜だ!)をやっている奴がいて、彼の家はすごい金満家で屋上までついていたりしたものだから、よくその屋上で彼の兄貴の仲間たちが練習するのを聴いたものだった。そして、僕らが中1の時、彼等はザ・トーイチというバンド名でステージに立ったのだった(このネーミンダはザ・リガニーズの亜流に過ぎないし、しかもザ・リガニーズよりセンスが悪い。そういえば後にはザ・ラニアルズというのもあったっけ)。

彼等は既に中3であった。ザ・トーイチ・オン・ステージのポスターは数多い文化祭のイベントの中で一番強く僕の興味をかきたてた。豊中市立第五中学校のプールサイドは静かに降りてくる秋のこぬか雨に僅かに湿っていた。ツェッペリンとかディープ・パープルとか、そういう当時流行のギンギラギンではなくて、彼等はビートルズをやりストーンズをやり、そしてもうとっくの昔に廃れていたGSのナンバーから(言い訳しつつ)2曲だけ採り上げた。それがPYGの『花 太陽 雨』とこの曲だった。僕は嬉しかった。だからこのことはいつまでも覚えている。

なかにし礼作詞、村井邦彦作曲、川口真編曲。『エメラルドの伝説』と全く同じ作家陣である。テンプターズのヒット曲にはこのトリオによる2曲と、リード・ギターの松崎由治による『忘れ得ぬ君』『神様お願い』『おかあさん』の3曲がある。

何よりもショーケンこと萩原健一のボーカルがセクシーだ。「どうして」と歌い出すと「テケドンドコドン」とティンパニが人る。そして「僕らを」からリズムがかぷって来る。一諸に入って来るストリングスとトランペットがやや鬱陶しいが間奏部分での松崎のリード・ギターがなかなか良い。垢抜けたフレーズではないがクリアな音を出している。「腕に傷をつけて」「腕と腕を重ね」と全く同じフレーズを重ね、「若い愛の血潮」「わかち合った恋は」と今度は3度上で同じように繰り返すこの反復パタンがたまらない。「清らかなままで結ばれたい」──あの頃の僕らは本当にそう思っていた。「誰も誰もこわせはしない」──その幻想はそのまま僕らのGS体験だった。

第2位 『好きさ 好きさ 好きさ』(ザ・カーナビーツ)

GSは何と言っても好きさ好きさ好きさ。タイトルからしてもう完全に純愛路線にいかれてるのである。

この曲はカバー・バージョンである。オリジナルはゾンビーズが歌っていた(当時は知らなかった)。C.White という人が曲を書き、原詞が判らないのだが漣健児が訳詞となっている。彼等の作品は、『恋をしようよジェニー』にしても『オーケイ!』にしてもそうなのだが、編曲が誰なのか記載がない。いずれの曲もプロの編曲家が手を加えたという印象がなく、メンバーの楽器だけで構成されており、シンプルと言うよりもむしろ貧弱の感が強いが、却ってGSらしく好感が持てる。さすが外国曲らしく非凡なところがあるので、この曲についてほややスペースを割いて子細に検討したい。

キーは Am。前奏あって5小節目の最後の半拍から主旋律に入るのだが、まず最初の音がレ# である。つまりクロマティック・トーン(スケールにない音)からスタートしているのである。勿論これは弱拍部に置かれているし、次の音がミとなってすぐに解決されているので、使い方としては経過音と同じなのだが、初っ端からというのが如何にも波乱含みである。次にハーモニーに注目してほしい。初めの「好きさ好きさ」については、メロディはレ#ミドレ#ミドである。これに普通に3度下にシドラシドラとハーモニーをつけても何の変哲もなくただ暗いだけになってしまう。ここではソ#ラミソ#ラミと上にハーモニーを乗っけている。即ち「好き」までは完全4度、「さ」だけが長3度となっている。

ところが次の「好きさ」になるとメロディは同じくレ#ミドなのだが、ハーモニーの方はソ#ラファとなって全部完全4度の和声になり、これはそのまま「忘れられないんだ」まで継承される。初めの2小節が Am、3度目の「好きさ」から F に変わるというコード進行から行けぱこうつけるしかないのだが、このハーモニーが妙に気持ち良い。そして、「忘れられないんだ」で tacet となり、「おまえのすべて(を)」(歌詞カードには「すべてを」とあるが実際この「を」は発音されていない)と入るのだが、何と言ってもこの tacet がこの曲最大のポイントである。なぜならここがリズム・プレイクであるからこそ、ボーカル兼ドラムスのアイ高野はドラムスを叩く手を止めて、片手を耳にもう一本の方の手でスティックを持ったまま指差すという、あの忘れられない名ポーズをとることが出来たからである。

今までアクションについては一言も触れなかったが、僕はジュリーの「君だけーにー」、ショーケンの「腕に傷をつけて腕と腕を重ね」、そしてアイ高野の「おまえのーすぺてーーー」がGSの3大アクションだと思っている。ジュリーの指差し方が当時から拳を開き気味にして親指と人差し指でL字形を作っていたかどうか定かではないのだが、とにかくジュリーに指差されると(対象は女の子である筈なのだが)「あっジュリーが俺に語りかけている」という気がした。

『純愛』ではショーケンが「腕に傷をつけて」でまず片腕を斜めに掲げ、続いて「腕と腕を重ね」でもう一本の腕を重ねてX字を形作っていたのが強く印象に焼き付いている。とりわけ自らの身を傷つけて互いの血液を交流させるという純粋さゆえの倒錯は小学生の感性を超えており、それだけにそのポーズは神秘的で凄みがあった。

また、このアイ高野の「おまえのすべて」ぼど強烈なインパクトを与えたアクションはかつて流行歌にはなかった。

その時僕は小学校4年生だった。僕のクラスはテストをしていたか何かでシーンと静まり返っていた。ちょうどその時よその組の誰かが(トイレにでも行ったのか)僕らの教室の前の廊下を通りかかったのである。曇りガラスのため生憎顔は判らなかったのだが、その誰かが突然「おまえのーすぺてーーー!」と絶叫したのである。具体的に何が彼をそんな奇行に走らせたのかは僕は知らない。だが、気持ちは分かる。僕らはあのアイ高野のアクションと絶叫に、烈しく強い憧れを抱いていたからだ。

本当にあれは凄かった。戦慄のアクションだった。そして声が凄まじかった。彼の声は和声的短音階を駆け登りながら裏返ってかすれた。ああいう行儀の悪い歌い方は既製の歌謡曲歌手には許されていなかったので、とてつもなく新鮮だった。なお、ちなみにあれはひとえにアイ高野の音域の狭さによるものである。わざとキーを高くしてあのような声を出しているものだとばかり思っていたが、よくよく聴いてみると低音部もよく出ていないのが判る。

話を元に戻そう。続く「おまえが……」以降であるが、「好ーきだよ おーまえが」と半拍前の小節に残すアンティシペーションのリズムをとっているが、これはあくまで気分的なものでメロディ作りの上で必然性はない。ただ、ここのメロディとコードが独特である。「おまえが好ーきだよ おーまえを好きなんだ」のメロディ・ラインはドシラド シドラソド ドレドラレ ドレミシシとなっている(コードは Am → C → D → E7 )。趣味の違いということもあろうが、僕ならここはドシラド シドラソド……ではなくドシラド シドシラド……として、コードは Am → F → Em→ E7とするだろう。2小節目のメロディを変えているため非常に面自いメロディになっている。Am → C というごくありふれた進行をしながら平行調転調したような効果を出している。そして3小節目の D というコードが大変面白い。ステップワイズ・パタンなどと難しいことを言わなくても、要するに C → D → E7とメジャー・コードが順番に並んでいる訳だが、ここは普通なら C → Dm → E7である。わざわざダイアトニックのトライアドを避けて D を持ってきたことによって、この4小節が際立って変化に富んで聞こえるのである。

そしてまた、この訳が偉い! 3回の I love you を全部「好きさ」と訳してしまったことのみならず、それを3段重ねのまま邦題にしてしまう辺りが凄い(ちなみに原題は I love you 一回だけ)。そしてこれは「好きだ」でも「好きよ」でもなく、絶対に「好きさ」でなければならない。初めから最後まで見事に内容のない歌詞で全く恐れ入る次第である。

カーナビーツの歌はいずれも「軽薄なお兄ちゃんの熱烈な(拙劣な)恋愛」という感じがして、僕はとっても好きさ好きさ好きさなのである。ただ、この曲の構成自体は、今分析したように決して拙劣ではない。

第1位 『君に会いたい』(ザ・ジャガーズ)

『君に会いたい』──何というストレートなタイトル!

彼等が実際に歌っている時にはそんなに良い歌だとも良いグループだとも思わなかったのだが、ある日突然僕の心の中に蘇って来たのである。それは僕がちょうど生まれて初めての口づけを経験した頃だった。「初めての口づけに知った恋のよろこびよ」──青春の感傷と笑う人もあるかもしれない。しかし、僕としてはそんなありきたりの表現では済まされなかった。初めての口づけがどんな具合だったとかどんな味がしたとかいうのではなく、そこら辺りのことを一切すっ飛ばして「……に知った恋のよろこぴよ」と繋いでいるのが異常に感動的に響くのである。具体的な形容がないので、その「知ったよろこび」がどんなよろこびなのかは解らない。しかし、だからと言って僕らはそのよろこびを共感できない訳ではない。いや、それどころか必ず共感するのである。そして、それはまさに初めての□づけの直後なのである。

初めてのキスという奴は殆ど名状しがたい感動を呼び起こす。だからこそこの「初めての口づけに知った恋のよろこびよ」という、修飾語を排除した告白をストレートに受け入れられるのである。あくまでその時その場所では自分にしか感得出来ない極めて個人的な「よろこび」なのである。しかし、そして、だからこそ、それを共感し得た時にはその感動は爆発的なものとなるのである。そして、付け加えて言えば、青春とはそのようにして互いに分たれ、そのようにして語り継がれて行くものではないだろうか。

この歌の良さを僕が理解できなかったのは当然で、小学生の感性では所詮「初めての口づけ」や「恋のよろこび」を捉えることは出来ない。例えぽ『純愛』の「どうして分ってくれないの僕らは若いけど(愛に生きている)」という表現はちょうど反抗期にあった僕らの大人達に対する反感として消化することができた。しかし、この『君に会いたい』は小学生の感性で消化してしまうことを拒否していた。僕らは必然的に「初めての□づけ」を経験するまで、「恋のよろこび」を知るまで、待たなけれぱならなかった。そして、ようやくその時点に到達した時、僕はこのレコードを求めて町のレコード店をさまよい歩いていた。当時は中古レコード屋なんてどこにもなかった。このレコードとの再会を思うと、僕は近年の廃盤ブームに感謝せずにはいられない。

この曲は清水正一という人が作詞作曲しているのだが、この人が何者なのかは知らない。他の曲の作家としても名前を見かけた記憶がない。しかし、ただこの1曲だけでも、僕は彼を崇拝したい。「若さゆえ苦しみ 若さゆえ悩み」──この詞はそれより年長の世代をも年下の世代をも完全に拒絶している。いや、それどころか生物も無生物も、自分以外の存在は総て拒否しているようにも感じられる。初恋とか初体験とかいったものは人生におけるごく一瞬のとても個人的な経験である。この飾り気のない歌詞はそのことを見事に体現している。そして、この見事さゆえに、どんなに聴衆が多くともこの歌は1対1の関係で僕らの耳に飛び込んで来るのである。清水さん、天才だと思う。「心のいたみに今宵もひとり泣く」──この辺りの詞を、あなたは涙なしに、あの辛かった初めての失恋の日々を思い出すことなく、読みおおせるだろうか!

ところで、時今に至って業界を見渡すとそこここにGS-OBを発見する。歌手・俳優はもとより作詞・作曲・編曲家、そしてプロダクション社長から敏腕レコーディング・ディレクターまで、何やかやとこの芸能界で生き残っている人が多い。さしづめGSは現在の芸能界・業界の人材の宝庫という印象がある。そんな中でこのザ・ジャガーズを考えてみると意外や意外、1人の逸材も送り出していないのである。あなたはザ・ジャガーズのメンパーの名前を何人挙げることができるだろう。彼等のミリタリー・ルックははっきりと憶えていても、果たしてリード・ボーカリストがどんな顔をしていたか思い浮かべられる人が何人いるだろう。岡本信という名前まで出て来る人があれぱそれはもうアブノーマルなファンと言わねばならない。

これが殆どヒットを飛ぱすこともなく消えて行ったC級グループなら話は別だが、ジャガーズと言えば『君に会いたい』『グンシング・ロンリー・ナイト』『マドモアゼル・ブルース』『キサナドーの伝説』と、たちどころにヒット曲の3〜4曲も浮かんで来るメジャーな存在である。この彼等にしてこうなのである。そして、このグループには他のグループのように特定の誰かが脚光を浴びるという現象も少なかったように思う。この匿名性こそが、今にして思えば、僕らに強いノスタルジーを覚えさせる秘密ではないかと思う。

ジャガーズはボーカルが特別セクシーだとかギターが抜群に巧いとか、そういった類いのバンドではない。しかし、それにも拘わらず彼等の演奏は非常にしっかりしている。堅実な"正調"GSという感じで安心して聴けるし、聴くうちに恍惚とさせてくれる。ただ、その一方でいかにもGSらしいインチキ臭さの抜けないグループでもある。

後者について先に記そう。まずは英語のインチキ臭さである。『グンシング・ロンリー・ナイト』というのはまあ意味は解るがどう見ても日本人の英作文っぽい。そして、ここで採りあげた『君に会いたい』の場合、これはその歌詞においても演奏においても殆ど胡散臭さのない名曲なのだが、ただひとつ残念なことに歌詞の終わりに「My baby, won't you, won't you see again」というのがある。タイトルから見てもこの「see」は「会う」という意味で使っているのだろうが、残念ながら自動詞 see に「会う」という意味はない。

しかし、それよりも何よりも、圧倒的なのは『マドモアゼル・ブルース』の「Baby, be my free」である。「俺の自由になれ」──この神を畏れぬ大胆な英訳! 甲斐よしひろが彼のソロ・アルバムでこの曲を採り上げた時は、外人コーラスをつけていたこともあってさすがに人称代名詞の後に形容詞を持ってくる勇気はなかったようで、「Baby, be my freedom」とやっていた(これでも何のことか解らない)のが印象的だ。とにかくこの英語は凄かった。

歌詞以外でのインチキ臭さで言えぱ、『ダンシング・ロンリー・ナイト』の掛け声がある。冒頭の「ヘイ」というのは良いとしても、問奏部分での何やら訳のわからぬ雄叫びは軽薄で、まるでカーナビーツである。

さて、後回しにした演奏の堅実さ"正調"ぷりについては曲を聴いてもらえれぱ百読は一聴に如かずなのだが、このグループもワンズ、モップス同様、自己完結性の高いグループであった。筒美京平に"つかまってしまった"作品を除いて、耳障りなオーケストラはあまり入り込んで来ない。(筒美京平作編曲『マドモァゼル・ブルース』参照。ついでにこの歌の橋本淳による詞について言えば、「シルクのドレスを 着せてあげたい」というのには『愛しのジザベル』の「シャネルの香りは今も残る」と同じようないやらしいインチキ臭さがある。)

『君に会いたい』はギター・オルガン・ユニゾンの4小節のソロで始まる。メンバーにオルガンがいるんだなあとはっきり感じさせるアレンジである。そして、ドラムスが8分音符を12回たたいた後(最後の4回はワン・ノートのべースがかぷって来る)、「若さゆえ」と始まる。この緊張感が素晴しい。そして、ボーカルは出だしから終わりまで、終始一貫して複数制を敷いており、そしてそのハーモニーが途切れるごとにギターがフィル・インを入れる。「巧いだろう」風ではないので目立たないが、このギターはちょっとしたものだ。GSブームに乗って俄かに結成されたパンドではないことがよく分かる。しっかりした音楽的基礎が感じられる。

ドラムスは教科書通りの8ビートを刻んでいる。そして、ギターのフィル・インが口笛のフィル・インに取って代わり、いよいよサビである。「は・じ・め・てーのー くちづけーにー」──ここから急にツイン・ボーカルはユニゾンになる。おまけにリズムの方もタンゴを連想させる強い4ビートに変わっていやが上にも盛り上がるのである。ここの詞が「初めての口づけ」云々である。そして、もっとマニアックに聴けぱ、この後ろでオルガンはチュラリラ・チュラリラやっており、これがまた良い。歌詞が英語(?)になる処からボーカルはまたも美しいハーモニーに戻り、息つく暇もなく前奏のハードなダブル・ソロに戻って行く。全く気をそらせない完璧な演奏である。

恐らく死ぬまで忘れられない名曲であろう。

余論 選ばなかったグループに関する言い訳

言われるまでもなくスパイダースとブルー・コメッツが抜けている。10位までではなく12位までだったなら必ず選んでいたかと言えぱそうではない。わざと外したのである。

GSには既製の歌謡曲を拒否して生まれて来たような、言わぱ歌謡界の鬼子的性格と、それでも既製のヒット・チャートに食い込んで行くためには知らず知らずのうちに既製の送り手たちの戦略に乗せられてしまっているという、言わぱ傀儡的性格を兼ね備えたところがある。

その点スパイダースにはあまりにも確固とした信念が見えすぎるために、前に採り上げた諸GSと一緒にしてしまうのは気が引けるのである。勿論彼等にも妥協はあっただろう。かまやつひろしという天才作曲家を擁しながら『夕陽が泣いている』『風が泣いている』というハマクラ(浜□庫之助)作品を歌わなけれぱならなかったこと、そして結果的にはその2曲が彼等最大のヒット曲になってしまったことは、例えぱ妥協(の産物)のひとつであったかも知れない(そうでなかったかも知れないが)。それでも全体として見れぱ、スパイダースはかまやつ(とその他のメンパー達)の幅広い音楽センスに基づいて全くのぴのびと独自のサウンドを追究していたように思われる。彼等の曲は『フリフリ』や『バン・バン・バン』を例にとれぱ明らかなように、欧米のロックやR&Bの影響は感じられても歌謡曲の匂いは全くと言って良いほどなかった。これがまずひとつ目。

そして、彼等の詞はGS特有の若さゆえの悩み・苦しみや激しい恋を歌わなかった。『ノー・ノー・ボーイ』のような大人の女や『あの時君は若かった』のような余裕を持って彼女をいたわる態度は、GSにはそぐわないのである(例外的に『いつまでもどこまでも』がヴィレッジやワンズに通じる甘い恋の歌なのだが、これとて僕の言うところのGS本流ではない)。これがふたつ目。

以上2点をもってスパイダースを前述のベスト10から外したのである。

ただし、スパイダースは僕の大好きなバンドであることを書き添えておこう。何せかまやつは偉い。『泣いている』シリーズ以外は上で挙げた全曲が彼の手によるのだ!

一方ブルー・コメッツの方はと言えば、これはもう詞も曲も完全に歌謡曲である。詞も曲も当時の僕の心を震わせてはくれなかった。『ブルー・シャトウ』のほかに憶えている曲と言えぱ『草原の輝き』ぐらい。『青い瞳』(だか『渚』だか)なんてそんな歌もあったっけな、という感じ。レコード大賞まで取ってしまった『ブルー・シャトウ』にしても、「森と泉に囲まれて 静かに眠るブルー・シャトウ」という歌詞を見るにつけ、僕は「松風騒く丘の上 古城よ独り何偲ぷ」という三橋美智也のヒット曲を思い出してしまう。だいいちフルートやサックスを吹く時のあの井上忠夫(現・大輔)のキザさがたまらない。GSはキザであってはならない。気違いじみてカッコ良くなけれぱならない。

それに彼等はNHKに出た。髪も短かったし大人達の受けも良かったこともあって、僕らは常に敵意を持って彼等を見つめていた。そんなバンドが僕のペスト10に紛れ込む余地はない。

次にジャックスであるが、これはGSに含めない方が妥当だろう。GSという概念は甚だ曖昧なので人によってはジャニーズやピン・キラまで含めてしまう。ジャックスについても、これをGSに含めてしまった文献をひとつだけ見たことがあるが、これには異議がある。確かに驚異の名パンドではあるが(もっともグループがまだ存在していた時には僕は聞いたこともなかったのだが)……。

次にこぽれた曲を順番に拾ってみよう。

ザ・サベージ『いつまでもいつまでも』、ザ・ランチャーズ『真寒の帰り道』──これらは「カレッジ・ポップスはGS本流ではない」という僕の信念に基づいて外した。

パープル・シャドウズ『小さなスナック』──これはムード歌謡。スナックのカラオケででも歌って下さい。

ザ・ダーツ『ケメ子の歌』──論外。

ズーニーヴー『白いサンゴ礁』──阿久悠の詞が素晴しく、見たこともない南の島の風景が眼前に広がる気がした。わざとらしさのない流麗なメロディはさすが村井邦彦。コーラスのつけ方も良かったし、何なら第12位に選んであげても良い。

ザ・ダイナマイツ『トンネル天国』──さしづめこれが第11位であろう。このバタ臭さは完全にカバー・パージョンだと信じていた(橋本淳作詞、鈴木邦彦作曲)。

ザ・ハプニングス・フォー『あなたが欲しい』──評判の高い作品だが、彼等の現役時代を全く知らないので知ったかぶりして選ぷのは気が引けた。もっとも、10位以内に入る曲でもないとは思うが。

ザ・スウィング・ウェスト『雨のバラード』──湯原昌幸がリバイバル・ヒットさせたのは元メンバーとしての意地か。その他、割合評価の高い4・9・1(グループ名ですよ、これは。フォー・ナイン・エースと読む)、ザ・リンド&リンダース、ザ・ジェノバ、シャープ・ホークス、アダムスに至っては、未だに一度も聴いたことがない(あるのかもしれないが思い出せないのだ)。アウト・キャストやザ・ボルテイジにもカルト的なファンがいるが、大したことないですよ。

その他はみんなゴミ!!!

なお、1グループ1曲という原則のために悔し涙を流しながら除外した(してどうする?)作品4曲──ザ・タイガース『君だけに愛を』『美しき愛の掟』、ザ・テンプターズ『今日を生きよう』、ザ・ワイルド・ワンズ『愛するアニタ』。以上。

あとがき

まず最初に断っておかなければならないのは、この文章が、曖昧な記憶(何しろ10歳そこそこだった)、不充分な資料(楽譜・レコード・文献等)、心もとない音楽知識(偉そうに書いてるけど実は!?)、絶対音感のない耳(音符も読めません)、そしてあまり性能の良くないワープロ(秋葉原で買いました)という、言わぱ五重苦を乗り越えて、いや、乗り越えるぺきものを殆ど無視して書かれたものであるということである。従って間違いはある。至るところに必ずや誤りは発見されるであろう。何なら著者の私が保証してもよろしい。ただし、この文章はひたすらGSを愛する情熱によって、GSに対する思い入れのあまり、早まって書かれたものである。その辺りのことを充分に酌んでどうかご宥恕頂きたいのである。若者らしい性急さを、むしろほほえましく迎えてほしいのである。

個人差はあろうが、僕らの例から言えぱ、だいたい中学入学前後から少年少女たちは音楽(さまざまな種類の"流行歌")を聴き始め、音楽に夢中になって行く。この現象を僕の友人の黒谷君は「ミュージック・シーンに登場する」と称しているが、その表現を借りるならぱ、僕がミュージック・シーンに登場したのは1970年頃、中1の時だった。ご多分に漏れず、僕もまた(解散後の)ビートルズから入っていった。そして、T・レックス、吉田拓郎とその中心は何度となく変遷しながら、どんどん幅を広げ続けて現在に至っている。ただ、確かにミュージック・シーンに登場したのぱその頃からであり、初めて買ったLPは『バングラデッシュのコンサート』なのだが、僕は何かもっと根深いところで影響を受けたものとしてGSを見逃す訳には行かないような気がするのである。

こういう言い方をしても良いだろう。僕が芽を吹いたのは確かに1970年だ。しかし、その芽はどこから出て来たのだろう。目に見えないところ、つまり土の中にはいつの間にか種があり、芽はそこから出て来たのではないだろうか。

その"種"に当たるのがGSだった。

思えぱGSは初めて僕らの目に触れた「バンド形式」だった。下手だと言われた。しかし、歌謡界を見渡すと今や完全に接術的巧拙だけでは測り切れない時代に突入している。彼等はそれを先取りしていた。そして、彼等は世代を代表し、時代を表現しようとしていた。

GS万歳!

1986年2月23日

Web版あとがき

いやいや、言われるまでもなく、今読み返すと明らかに誤った認識もありますよ。文章も1つの文が長すぎる。でも、あえてそのまま掲載しました。

時代が見える──GS全盛期の67,68年頃、そしてこれを書いた86年。それから、その当時の(両方の当時の)自分も見える。ま、そういう意味では完全自己満足の文章なんですけどね。

どうも、読んでいただいてありがとうございました。

Copyright©yama-a Jan.2005

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