エベレストを汚す中国:野口 健(アルピニスト)
ベースキャンプと連れ込み宿
1997年4月、初めてエベレストに挑戦したが、驚くことの連続であった。それまでテレビなどで見てきたエベレストは綺麗であり、神秘的であり、またチベット人にとってラマ教の聖地であるわけで、また登山家として世界最高峰に対する敬意、憧れに満ちていた。しかし実際に訪れてみると、まったくイメージとは異なる世界にしばし唖然とさせられた。
エベレストはネパールとチベットの国境にまたがっており、初挑戦はチベット側からとなった。まずチベットの首都であるラサに空路で入り、そこから四輪駆動車で5300メートルのベースキャンプへと向かう。ベースキャンプについて驚いたのが登山隊の多さ。多いときにはワンシーズンに数千人が挑戦するのだ。おかげでベースキャンプは端から端までテントがずらりと並ぶ。
ベースキャンプはまだ広いからいいとして、問題は上部キャンプである。上がれば上がるだけ稜線が狭くなる。つまりテントを張るスペースが限られてくる。したがって各登山隊はシェルパを先に登らせてロープで輪っかをつくり、スティックに「アメリカ隊」などと書かれた印を付けて差し込む。つまり桜の花見と同じで、各隊によるテント場の場所取り合戦が繰り広げられているのだ。山頂直下では渋滞。登山中と下山中の登山者が同時に通過できるほど稜線は広くないため、詰まってしまうのだ。そして、渋滞中に悪天候となれば大量遭難が起こる。
次に驚いたのがゴミ、ゴミ、ゴミである。エベレストに登るには約2カ月間を必要とする。一気に登ればどんなベテラン登山家でも高山病に侵され、ポクッと逝ってしまう。時間をかけて少しずつ低酸素に体を慣らせながら、登るしかない。2カ月間の長期滞在となれば、食料、燃料、衣服に登山道具、酸素ボンベなど大量の物資を持ち込むことになる。それらが捨てられ、強風に飛ばされたゴミが広範囲に散乱する。
さらに驚いたのは観光開発である。2年前に久しぶりにチベット側からエベレストに挑んだが、かつては悪路を何度もタイヤをパンクさせ、悪戦苦闘しながらベースキャンプをめざした。前回はラサからベースキャンプまでそのほぼ大半が真っ黒なアスファルトによって舗装されていた。「えっ!」と驚いたままベースキャンプ入りを果たしたが、さらに驚いたのが、ベースキャンプに巨大な駐車場ができていて、観光バスがズラリと並んでいるではないか。登山隊ではなく一般の観光客がわんさか押し寄せている。そしてお土産屋さんや飲食店で賑わう。バーまであり、しかも女性付きである。いわゆるキャバクラ的なものだ。そして心底あきれ果てたのが連れ込み宿の存在。これがエベレストのベースキャンプ? 中国登山協会がベースキャンプを管理しているので「どうしちゃったの?」と質問をぶつければ、「わが政府は来年の北京オリンピックに向けて行なわれる聖火リレーの聖火をエベレストの山頂にまで上げることを発表した。世界中のメディアがこのベースキャンプに殺到する。中国は近代化されたエベレストを世界にアピールできる」と意気揚々と話していたが、首を傾げてしまった。日本も東京五輪によって高度経済成長に弾みがついたのは事実だ。五輪に合わせて開発に没頭する中国の姿勢は理解できないこともない。しかし、問題はそれがエベレストという聖地で行なわれていることだ。
そして最も深刻なのは政治問題。チベット人の文化や人権さえも危機的な状況にあることだ。2006年9月30日。それを象徴するような出来事が、中国、ネパール国境のナンパ・ラ峠で起きている。雪の峠を越えようとするチベット難民の列に対して中国警備兵が発砲。近くの山にいたヨーロッパの登山家たちが、たまたまそれを目撃。ルーマニア人セルゲイ・マテイの収めたビデオ映像が、ネットで世界中に流されることになる。
広大な雪原をチベット人たちが、列を成して歩いている。静寂な空気を切り裂くように発砲音が響いたあと、先頭の者が倒れる。続く発砲で、もう1人が射殺された。不思議なのは、仲間が撃たれても、チベット人たちが、淡々と歩きつづけているように見える点だ。極度の緊張状態では、人は逃げることもできないのだろうか。その後のカットでは、中国兵が、何事もなかったかのように、タバコを吸いながら画面に現れる。
当初、中国当局は、「銃撃事件は承知していない」とコメントしていた。しかしネット上に映像が流れてしまったためか、「自衛のために発砲した」と説明を翻した。しかし映像では無防備な状態で銃撃されているようにしか見えない。73人いた亡命者のうち、ネパールにたどり着いたのは43人だったという。映像のなかで銃撃されたのは、わずか17歳の尼僧ケルサン・ナムツォと23歳の男性だった。
この事件がインターネットを通じて世界に配信されたことで、中国は国際的に非難された。これで野蛮な行為は繰り返されなくなるだろうと思っていたら、事態はそんなに甘くなかった。逆に当局による締め付けが厳しくなり、エベレストのベースキャンプには複数の公安が配置され、登山隊への徹底的な監視体制が始まった。事前に「政治的な発言はいっさいしないように」と忠告を受けるのだが、アメリカ人が「フリーチベット」と書いた紙を掲げたら、その場で拘束されてしまった。これにはさすがに「やり過ぎだろう!」と抗議したら「ミスター野口、それ以上いえばあなたが拘束される」と告げられてしまった。
三浦雄一郎さんの快挙に夢を繋ぐ
そしてそれから1年後、ついにラサ中心部でチベット人による大規模な暴動が発生した。
連日、その暴動の様子が日本のテレビ、新聞等の報道で大きく取り扱われた。中国人の店舗や公安当局の本部に投石し、車をひっくり返しているチベット人の姿をテレビの画面で眺めながら、「日ごろ温厚なチベット人がついに爆発したな」と思った。もし私がチベット人でその場にいたら、間違いなく行動を共にしていただろう。長年にわたり中国に支配されチベットの文化が葬り去られようとしているときに、命をなげうってでも中国による侵略を国際社会に訴え、そして救いを求めようとしている彼らの行為をいったい誰が責められようか。
オリンピックに向けて一生懸命励んできた選手たちの気持ちを思えば、北京オリンピックの「ボイコット」などそう簡単に口にはできない。しかし、これ以上の非人道的な行為が中国によって繰り返されるのならば、中国に対する明確なメッセージとして中国が最も恐れている「ボイコット」という最終手段がその選択肢のなかに含まれるのも、またやむをえないだろうと感じていた。オリンピックによって新たな血が流されるかもしれない。血に汚れたオリンピックに出場することが、はたして幸せなことなのだろうか。オリンピック開催が引き金となり、新たな血が流れようものならば、オリンピックに出場した選手、その関係者は生涯、十字架を背負うことになるからだ。
オリンピック出場の条件として、国連などによる国際調査団の受け入れと、ダライ・ラマとの直接対話を中国に強く要求するべきであった。オリンピックと政治は別問題といわれるが、本当にそうでしょうか。そもそもエベレストの山頂にまで聖火リレーし、オリンピック開催までに急ピッチでラサを開発し、「中国のチベット」を演出しようとしている中国自身がオリンピックを政治利用しているではないか。
エベレストは私にとっての聖地でもあります。中国にとってタブー中のタブーであるチベット問題について発言を繰り返せば、二度とチベットに入れなくなるかもしれない。ひょっとすると、もう二度とチベット側からエベレストに挑戦できなくなるかもしれない。きわめてデリケートなテーマだけに正直、発言に躊躇もした。3日間、メッセージを発信するべきか悩みぬいた。しかし、現場を知っている人間が語らないことは加担することと同じだ。こうも考えた。語らずにその負い目を背負ったまま仮にエベレストに登頂しても嬉しくないだろう、と。たしかに一登山家にできることは限られている。しかし、私にも何かができるはず。そう、せめて声を上げつづけていきたい。
チベット発言に関する反響は大きかった。インターネットの掲示板には「おまえを始末する」などといった汚い言葉が並んだ。これでエベレストももう駄目か……と夢を諦めかけたとき、三浦雄一郎さんが75歳でエベレスト登頂、という知らせが届いた。これは本当に嬉しかった。75歳でもエベレストに登れることが証明されたのである。私は35歳だからあと40年間、猶予があるではないか。40年あれば中国の体制も変わるはず。また誰が40年前の発言を覚えているものか。三浦さんの登頂に夢が繋がった。
世界最高峰エベレストは、ゴミ問題、開発問題、そして政治問題とじつに人間臭かった。エベレストは人間社会の縮図である。私はこれからも、そんなエベレストと関わりつづけていきたい。
1997年4月、初めてエベレストに挑戦したが、驚くことの連続であった。それまでテレビなどで見てきたエベレストは綺麗であり、神秘的であり、またチベット人にとってラマ教の聖地であるわけで、また登山家として世界最高峰に対する敬意、憧れに満ちていた。しかし実際に訪れてみると、まったくイメージとは異なる世界にしばし唖然とさせられた。
エベレストはネパールとチベットの国境にまたがっており、初挑戦はチベット側からとなった。まずチベットの首都であるラサに空路で入り、そこから四輪駆動車で5300メートルのベースキャンプへと向かう。ベースキャンプについて驚いたのが登山隊の多さ。多いときにはワンシーズンに数千人が挑戦するのだ。おかげでベースキャンプは端から端までテントがずらりと並ぶ。
ベースキャンプはまだ広いからいいとして、問題は上部キャンプである。上がれば上がるだけ稜線が狭くなる。つまりテントを張るスペースが限られてくる。したがって各登山隊はシェルパを先に登らせてロープで輪っかをつくり、スティックに「アメリカ隊」などと書かれた印を付けて差し込む。つまり桜の花見と同じで、各隊によるテント場の場所取り合戦が繰り広げられているのだ。山頂直下では渋滞。登山中と下山中の登山者が同時に通過できるほど稜線は広くないため、詰まってしまうのだ。そして、渋滞中に悪天候となれば大量遭難が起こる。
次に驚いたのがゴミ、ゴミ、ゴミである。エベレストに登るには約2カ月間を必要とする。一気に登ればどんなベテラン登山家でも高山病に侵され、ポクッと逝ってしまう。時間をかけて少しずつ低酸素に体を慣らせながら、登るしかない。2カ月間の長期滞在となれば、食料、燃料、衣服に登山道具、酸素ボンベなど大量の物資を持ち込むことになる。それらが捨てられ、強風に飛ばされたゴミが広範囲に散乱する。
さらに驚いたのは観光開発である。2年前に久しぶりにチベット側からエベレストに挑んだが、かつては悪路を何度もタイヤをパンクさせ、悪戦苦闘しながらベースキャンプをめざした。前回はラサからベースキャンプまでそのほぼ大半が真っ黒なアスファルトによって舗装されていた。「えっ!」と驚いたままベースキャンプ入りを果たしたが、さらに驚いたのが、ベースキャンプに巨大な駐車場ができていて、観光バスがズラリと並んでいるではないか。登山隊ではなく一般の観光客がわんさか押し寄せている。そしてお土産屋さんや飲食店で賑わう。バーまであり、しかも女性付きである。いわゆるキャバクラ的なものだ。そして心底あきれ果てたのが連れ込み宿の存在。これがエベレストのベースキャンプ? 中国登山協会がベースキャンプを管理しているので「どうしちゃったの?」と質問をぶつければ、「わが政府は来年の北京オリンピックに向けて行なわれる聖火リレーの聖火をエベレストの山頂にまで上げることを発表した。世界中のメディアがこのベースキャンプに殺到する。中国は近代化されたエベレストを世界にアピールできる」と意気揚々と話していたが、首を傾げてしまった。日本も東京五輪によって高度経済成長に弾みがついたのは事実だ。五輪に合わせて開発に没頭する中国の姿勢は理解できないこともない。しかし、問題はそれがエベレストという聖地で行なわれていることだ。
そして最も深刻なのは政治問題。チベット人の文化や人権さえも危機的な状況にあることだ。2006年9月30日。それを象徴するような出来事が、中国、ネパール国境のナンパ・ラ峠で起きている。雪の峠を越えようとするチベット難民の列に対して中国警備兵が発砲。近くの山にいたヨーロッパの登山家たちが、たまたまそれを目撃。ルーマニア人セルゲイ・マテイの収めたビデオ映像が、ネットで世界中に流されることになる。
広大な雪原をチベット人たちが、列を成して歩いている。静寂な空気を切り裂くように発砲音が響いたあと、先頭の者が倒れる。続く発砲で、もう1人が射殺された。不思議なのは、仲間が撃たれても、チベット人たちが、淡々と歩きつづけているように見える点だ。極度の緊張状態では、人は逃げることもできないのだろうか。その後のカットでは、中国兵が、何事もなかったかのように、タバコを吸いながら画面に現れる。
当初、中国当局は、「銃撃事件は承知していない」とコメントしていた。しかしネット上に映像が流れてしまったためか、「自衛のために発砲した」と説明を翻した。しかし映像では無防備な状態で銃撃されているようにしか見えない。73人いた亡命者のうち、ネパールにたどり着いたのは43人だったという。映像のなかで銃撃されたのは、わずか17歳の尼僧ケルサン・ナムツォと23歳の男性だった。
この事件がインターネットを通じて世界に配信されたことで、中国は国際的に非難された。これで野蛮な行為は繰り返されなくなるだろうと思っていたら、事態はそんなに甘くなかった。逆に当局による締め付けが厳しくなり、エベレストのベースキャンプには複数の公安が配置され、登山隊への徹底的な監視体制が始まった。事前に「政治的な発言はいっさいしないように」と忠告を受けるのだが、アメリカ人が「フリーチベット」と書いた紙を掲げたら、その場で拘束されてしまった。これにはさすがに「やり過ぎだろう!」と抗議したら「ミスター野口、それ以上いえばあなたが拘束される」と告げられてしまった。
三浦雄一郎さんの快挙に夢を繋ぐ
そしてそれから1年後、ついにラサ中心部でチベット人による大規模な暴動が発生した。
連日、その暴動の様子が日本のテレビ、新聞等の報道で大きく取り扱われた。中国人の店舗や公安当局の本部に投石し、車をひっくり返しているチベット人の姿をテレビの画面で眺めながら、「日ごろ温厚なチベット人がついに爆発したな」と思った。もし私がチベット人でその場にいたら、間違いなく行動を共にしていただろう。長年にわたり中国に支配されチベットの文化が葬り去られようとしているときに、命をなげうってでも中国による侵略を国際社会に訴え、そして救いを求めようとしている彼らの行為をいったい誰が責められようか。
オリンピックに向けて一生懸命励んできた選手たちの気持ちを思えば、北京オリンピックの「ボイコット」などそう簡単に口にはできない。しかし、これ以上の非人道的な行為が中国によって繰り返されるのならば、中国に対する明確なメッセージとして中国が最も恐れている「ボイコット」という最終手段がその選択肢のなかに含まれるのも、またやむをえないだろうと感じていた。オリンピックによって新たな血が流されるかもしれない。血に汚れたオリンピックに出場することが、はたして幸せなことなのだろうか。オリンピック開催が引き金となり、新たな血が流れようものならば、オリンピックに出場した選手、その関係者は生涯、十字架を背負うことになるからだ。
オリンピック出場の条件として、国連などによる国際調査団の受け入れと、ダライ・ラマとの直接対話を中国に強く要求するべきであった。オリンピックと政治は別問題といわれるが、本当にそうでしょうか。そもそもエベレストの山頂にまで聖火リレーし、オリンピック開催までに急ピッチでラサを開発し、「中国のチベット」を演出しようとしている中国自身がオリンピックを政治利用しているではないか。
エベレストは私にとっての聖地でもあります。中国にとってタブー中のタブーであるチベット問題について発言を繰り返せば、二度とチベットに入れなくなるかもしれない。ひょっとすると、もう二度とチベット側からエベレストに挑戦できなくなるかもしれない。きわめてデリケートなテーマだけに正直、発言に躊躇もした。3日間、メッセージを発信するべきか悩みぬいた。しかし、現場を知っている人間が語らないことは加担することと同じだ。こうも考えた。語らずにその負い目を背負ったまま仮にエベレストに登頂しても嬉しくないだろう、と。たしかに一登山家にできることは限られている。しかし、私にも何かができるはず。そう、せめて声を上げつづけていきたい。
チベット発言に関する反響は大きかった。インターネットの掲示板には「おまえを始末する」などといった汚い言葉が並んだ。これでエベレストももう駄目か……と夢を諦めかけたとき、三浦雄一郎さんが75歳でエベレスト登頂、という知らせが届いた。これは本当に嬉しかった。75歳でもエベレストに登れることが証明されたのである。私は35歳だからあと40年間、猶予があるではないか。40年あれば中国の体制も変わるはず。また誰が40年前の発言を覚えているものか。三浦さんの登頂に夢が繋がった。
世界最高峰エベレストは、ゴミ問題、開発問題、そして政治問題とじつに人間臭かった。エベレストは人間社会の縮図である。私はこれからも、そんなエベレストと関わりつづけていきたい。
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