平凡な日常

一言メッセージ :宝くじ、なかなか当たらないけどメゲナイぞ!!(笑

  • お気に入りブログに登録

イジケた子供

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

イジケた子供(籠の鳥2)

姉は、19歳で結婚することになります。

姉の結婚生活は、喧嘩が絶えなかったようです。よく、母に愚痴をこぼしていました。

また、不幸なことに妊娠と流産を繰り返しておりました。

母は「私が未熟児で生んだから、お姉ちゃんに可愛そうな事をした」と姉の看病に通っていました。

母が、なぜ姉に愛情を注ぐのかを象徴する言葉なのだと思います。

3回目の流産の後にお医者様から「次に流産をしたら、お子さんは諦めてください」

と言われたのをきっかけに、母の進めで姉夫婦は実家の近くに引っ越すことになります。

母は姉が心配で、近くに置いておきたかったのでしょう。

姉夫婦の家から怒鳴りあう声は聞こえませんでしたが、投げた物が壊れる音が聞こえました。

物を投げあう夫婦喧嘩って、本当にあるんだと驚いたのを覚えています。

その後姉は妊娠し、母の看病もあり不正出血を乗り越え男の子を出産します。

子供が生まれた後も夫婦喧嘩が絶える事はなく、姉夫婦は離婚を前提とした別居となりました。

この後、元旦那さんは子供が大学を卒業するまで、毎月10万(だったと思う)を

養育費として振込み続けます。

進学の時に母子家庭だと可愛そうだからと、正式に離婚したのは子供が高校に入学してからでした。

時々、振込みの日にちが遅くなることがあったのか、姉が「まだ振り込まれてなかったのよ

10万の養育費だって足りないのに振込みが遅れるなんて、信じられない」と言い

母は「本当だよね。学校だってお金がかかるのにねぇ」と相槌をうっていました。

私は一様、世間の養育費の相場となかなか養育費を払って貰えない母子家庭の現状を

2人に話しましたが、どうも余計なお節介だったようです。

離婚後も、姉は再婚することはありませんでした。

時は過ぎ弟が結婚し家を出。姉の子供も結婚して家を出。今は両親と姉の三人で生活をしています。

両親と姉は、親離れ子離れが出来なかったんだと思います。

姉にとって、籠の中は居心地が良かったのでしょう。

これは、あくまで私が知りうる範囲で私が感じた事です。真実は別の所にあるのかも知れません。

ただ「平等ってなに?」「籠の鳥」で私が感じた事が、この後の私の子育ての元になります。

長くなりましたが、子供の私は今日で最後になります。

さて、このままで「母親の私」に行くか、それとも少しお休みしてからにするか。

ただいま、考え中です。(ただいま考え中♪ただいま・ただいま考え中♪)

閉じる コメント(6)

閉じる トラックバック(0)

イジケた子供(籠の鳥)

今日は、姉の話しを書きたいと思います。前に書いたように、姉は未熟児で生まれました。

その後も、病気にかかり病院の世話になることが多く

高校の時に胆石を患い数ヶ月の入院をする事になります。

病院の食事が美味しくないと言う姉のために、母は毎日のように料理を作り差し入れをしていました。

こんなエピソードもあります。私が学校から帰ると、家の前に救急車が止まっていて

父が姉を背負いながら乗り込むところでした。

母はオロオロしながら「お姉ちゃんが鼻血が止まらないのよ」と言い一緒に乗って行きました。

そんな姉を心配して父は就職に反対したのでしょうが、母に説得され許す事になります。

許したものの心配だったのでしょう、昨日書いたように晩酌をせずに帰りを待つようになります。

社会人になって夢を膨らませていた姉には、とても窮屈だったのだと思います。

しばらくして彼氏が出来て「結婚したい人がいると」と言いだしたのです。

父の不機嫌はピークに達していました。姉の彼氏が来て一緒に食事をする事になったのですが

テーブルに正面を向いて座らず、横を向きながら彼氏の顔を見ないようにご飯を食べていました。

よくテレビドラマとかで見るシーンが、目の前で展開するとは思いませんでした。(笑

結局この結婚も、母に説得されて渋々と認める事になります。

この続きは、また明日書きます。

閉じる コメント(2)

閉じる トラックバック(0)

イジケた子供(平等ってなに?4)

父親も姉には、甘かったのは言うまでもありません。

父親は姉が就職するのに反対していましたが、いつものとおりに母を通して説得に成功し

姉はアパレル関係の会社に就職しました。

父親は姉が何時に会社が終わり、何時の電車に乗って帰って来ると行動を把握し

晩酌もせずに帰りを待ち、車で駅まで迎えに行ってました。

私は高校に通っていましたが、もちろん父親に送り迎えしてもらう事はありませんでした。

一回だけ、駅に着いたら雷がなってバケツをひっくり返したような雨が降っていた時に

父親に迎えに来て欲しいと電話を入れたことがあります。(傘を持ってなかったんです)

父親の返事は「歩いて帰って来い!」というのもでした。

私はどしゃ降りの雨の中を傘もささずに、家まで歩いていると途中から雨が上がり

家に着いたときは、晴れ間が見えていました。(本当に運の悪い子供です。笑)

びしょ濡れの私を見た父親は笑いながら「なにやってるんだ、バカじゃないのか!」

私はこの一言でキレました「お父さんが歩いて帰って来い!って言ったんでしょう!!」

この後、しばらく父親とは口をききませんでした。(笑

そして、二度と父親に迎えに来て欲しいと頼むこともありませんでした。

父は私にも「就職しないで、家の手伝いをしろ!」と言いましたが

私は相変わらず直球で父親に反発し、自分で就職の道を手に入れました。

デパートに就職した私は休みの日の洗濯以外は、友達と飲みに行って午前様で帰ったりしても

誰にも文句を言われない、自由気ままな生活をしていました。

後で姉に聞いた話しでは「私はいつもお父さんに監視されてて仕事の帰りに、お友達と遊んで帰る事も

 出来なかったから、Reiか羨ましかった」んだそうです。

今さらそんなことを言われても、困るんですけど・・・・・(笑

閉じる コメント(2)

閉じる トラックバック(0)

イジケた子供(平等ってなに?3)

私はきっと、母親と外出するたびに恥ずかしい思いをさせていたのだと思います。

姉は中学を卒業すると、服飾関係の学校に進学しました。(私は中学生ね)

母は姉の教材の生地を買うために、私を家に残して2人で外出をしてました。

私は流行りの洋服とかには興味は無かったので、別に羨ましいとは思わなかったのですが

この一件だけは違いました。母と姉は私に内緒でホテルの最上階にあるレストランに

食事に出掛けていたのです。いくら内緒にしていても、いつかはバレる時がくる訳です。

母親にとって、私は一緒に食事に行けないくらい恥ずかしい娘だったみたいです。(笑

そうそう、うちの父親は頭にカビが生えてるんじゃないか!と思うくらい古い考えの人でした。

私は、小学校の終わりくらいから「親に養ってもらってるんだから、家の手伝いをしろ!」

の一言で、休みの日は朝から洗濯をやらされいたのですが。

私が洗濯をしたり、お茶碗を洗ってるいる時に、2人は買い物に行ったり

レストランで食事をしていた訳です。(笑


休みの日の洗濯は、私が高校を卒業して就職しても終わることはなく

結婚して家を離れるまで続きました。(姉が洗濯をすることは殆どありませんでした)

当然、私は父親に反抗する訳です。学校で覚えたばかりの知識をフル活用しながら

「養ってやってるから、家の手伝いをしろって言うけど、親が子供を養育するのは

 法律で定められた義務でしょう!」なんて、可愛げの無い子供なんでしょう。(笑

私は、激怒した父親にホウキの柄で打たれることになりました。(笑

その時の母親の言葉で、今までの私の疑問は解決することなります。

「お前は、正面からお父さんにものを言い過ぎるのよ。お姉ちゃんみたいに上手く

 お母さんを間に入れて頼めば怒られないですむのに」

姉が殆ど洗濯をしなかったのは、母親を通じて父親に上手く取り入っていたからなんですね。

この後も不器用なほど正直な私は、父親と正面からぶつかっておりました。(笑

閉じる コメント(10)

閉じる トラックバック(0)

イジケた子供(平等ってなに?2)

父親も姉を溺愛していましたが母親のかなりの愛情を注いでいました。

弟は唯一の男の子ですから、当然の話しになりますので、カットしたいと思います。(笑

ここでは「私と姉はどう違うのか」についてお話ししましょう。

姉は未熟児で生まれすぐに肺炎にかかり、お医者様から命の保証は出来ないと宣告されたそうです。

初めての子供でしかも待望の女の子です。両親のショックは大きかったと思います。

その後、一命はとり止めましたが、身体が弱く医者通いをしていたそうです。

姉は、性格・容姿・仕草どれをとっても女の子らしく (性格が女の子らしいはキーポイントです)

フリルの付い可愛らしい洋服が良く似合う子供でした。

親戚の人にも、そういって誉められる自慢の娘だったのでしょう。

私は元気に生まれ、よく泣き・よく食べ、新しい洋服も一日で泥だらけにする子供でした。

今の時代とは違い、当時は「女の子は女らしく・男の子は男らしく」の時代でしたから。

時計の針がどうやって動いているのかが知りたくて、時計を修理不可能になるまで分解したり

貰ったお年玉をもって、サンダーバードのプラモデルを買いに行くような私は

両親には、理解出来ない存在だったのだと思います。

親戚の人にも「お姉ちゃんは女の子らしくて可愛いのに、お前はお転婆で母親のお腹におチンチンを

忘れてきたんだろう!」と言われていました。(笑


次の話しは、これからの話しの元になるエピソードです。

今でも忘れません、私が小学校の1年の時の授業参観に、母親が来てくれました。

私は嬉しくて、何度も振り返って後ろにいる母を見たのです。ただ、嬉しかっただけなのですが。

学校から家に帰ると母が「お前は後ろばかり振り返って、お母さん恥ずかしかったわよ。

もう二度と、お前の授業参観には行かないから!」と言って怒られました。

それから母親は、本当に二度と授業参観に来ることはありませんでした。(笑

実家が自営業で忙しいのもあったとは思いますが、小学校の卒業式や

中学・高校の入学・卒業式も一人でした。(笑

またまた、長くなりましたね。続きはまたあとで♪

閉じる コメント(7)

閉じる トラックバック(0)

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.

Rei メッセンジャーオフライン
Rei
人気度

ヘルプ

1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
  • My Yahoo!に追加
  • RSS
  • RSSとは?
  今日 全体
訪問者 38 10533
ファン 1 17
コメント 0 3879
トラックバック 0 18

ケータイで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

URLをケータイに送信
(Yahoo! JAPAN IDでのログインが必要です)

開設日: 2008/6/11(水)


プライバシーの考え方 -  利用規約 -  ガイドライン -  ご質問・お問い合わせ

Copyright (C) 2009 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.