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子どもの臓器移植の道を広げようと、臓器移植法を改正する動きが、国会でにわかに活発になってきた。
日本では法律上、子どもの心臓は移植できず、米国などに渡る例が続いてきた。しかし、世界保健機関(WHO)が来月、こうした外国での臓器移植を規制する見通しになったためだ。
臓器移植は、提供者の死を前提とする特殊な医療だ。私たち一人ひとりの死生観も絡む。幅広い観点から慎重に議論し、多くの人が納得できる答えを見つけてほしい。
脳死からの臓器移植を認めるこの法律は1997年にできた。政府の「脳死臨調」での激論も経て、脳死を一律に人の死と認める社会的な合意はまだないとして、臓器移植するときに限って人の死とする妥協が図られた。
臓器の摘出には本人の書面による意思表示を必要とし、民法上遺言が有効でない15歳未満からの臓器提供の道は閉ざされた。
与党議員が提出した改正案は、脳死を一律に人の死とし、本人の拒絶がない限り家族の承諾でよいとする案と、現行法のままで臓器提供できる年齢を12歳に下げる案の二つだ。
前者は子どもの臓器移植への道を開くが、現行法の枠組みを根本的に変えることへの抵抗は与党内にも強い。
野党議員は逆に、脳死の判定基準を厳しくする案を提出している。
別の案を作る動きもある。
現行法の基本を守りつつ、なんとか子どもの移植に道が開けないか、知恵を絞ってほしい。
21日に行われた衆議院の小委員会の議論は国会のホームページで見ることができる。
移植医は、日本の子どもが国内で移植を受けられないのは不公平という。小児科医は、子どもの場合、脳死の診断後に何カ月も生きたり脳の機能が回復したりする例もあり、判定は100%完全と言い切れないと述べる。親が子どもの突然の死を受け入れるには時間がかかることも強調した。
そのことをうかがわせる数字がある。心臓停止後にしても16歳未満の臓器提供は昨年がゼロ、その前の2年も1件ずつ。04年の5件が近年では最高だ。子どもの臓器提供は簡単には増えそうにない。
一方、救急医は、脳死移植を認めつつ、救急現場の厳しい実情を訴えた。
納得して臓器を提供できるには、最後まで救命の手だてが尽くされることが大前提だ。大人についても同じことが言える。救急現場の疲弊が、ここにも影を落としかねない。
法の施行以来、脳死移植は81例にとどまる。世界的にもきわめて低い水準であることは間違いない。議論の盛り上がりは社会的合意づくりの好機である。真摯(しんし)な意見調整を注目したい。
「2050年までに温室効果ガス排出を現状から60〜80%削減する」。福田前政権が決めた行動計画は、そんな長期目標を掲げている。地球温暖化の防止に向けた日本の公約である。
これを実現するためには、2020年の時点で、どれだけの排出削減をめざすべきか。この中期目標について、政府が六つの数値を選択肢として示した。広く国民の意見を聞き、6月までに麻生首相が一つに絞るという。
提案された数値は、欧州なみに意欲的なものから、国際的には通用しそうにないものまで幅広い。
排出削減にはコストがかかり、産業や暮らしへの影響が避けられない。経済への負担を考慮して、低めの削減目標を首相は選択するのではないか。これまでの政府での論議をみていると、そんな懸念を禁じえない。
しかし世界は、化石燃料の使用をできるだけ控え、二酸化炭素(CO2)排出を抑える低炭素化の道を進もうとしている。まず低炭素時代のビジョンを描き、そこへ社会や産業を導くよう大胆な目標を掲げるべきだ。当面の負担を避けようと腰の引けた目標にするのでは、道は開けない。
中期目標は、京都議定書に続く新たな枠組みをめぐる国際交渉での焦点になる。説得力のある将来ビジョンを示すことは、日本の主張を交渉に生かすためにも不可欠だろう。
新たな枠組み交渉での課題は二つある。京都議定書を離脱した米国を参加させること。そして、成長著しい新興国にも、何らかの形で排出削減に取り組んでもらうことである。それを、年末に開かれる国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)までに実現させなければならない。
米国については、脱温暖化に前向きなオバマ政権が誕生し、交渉の場に戻ってきた。歓迎すべき動きだ。今後は、いち早く中期目標を打ち出している欧州と、世界最大級の排出国である米国が議論を引っ張り、交渉のスピードが上がる可能性がある。
まず先進国が大胆な中期目標を掲げないと、中国やインドなどの新興国に応分の削減を約束するよう説得できない。中国は米国とともに最大級の排出国だ。インドの排出量も、日本と肩を並べている。この両国に削減を求めないと効果はあがらない。両国の削減義務が実現しないと、米国も枠組みへの参加を渋るかもしれない。
日本の中期目標は交渉の成否にとってきわめて重い意味をもっていることを、改めて思い起こしたい。