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父親も姉を溺愛していましたが母親のかなりの愛情を注いでいました。
弟は唯一の男の子ですから、当然の話しになりますので、カットしたいと思います。(笑
ここでは「私と姉はどう違うのか」についてお話ししましょう。
姉は未熟児で生まれすぐに肺炎にかかり、お医者様から命の保証は出来ないと宣告されたそうです。
初めての子供でしかも待望の女の子です。両親のショックは大きかったと思います。
その後、一命はとり止めましたが、身体が弱く医者通いをしていたそうです。
姉は、性格・容姿・仕草どれをとっても女の子らしく (性格が女の子らしいはキーポイントです)
フリルの付い可愛らしい洋服が良く似合う子供でした。
親戚の人にも、そういって誉められる自慢の娘だったのでしょう。
私は元気に生まれ、よく泣き・よく食べ、新しい洋服も一日で泥だらけにする子供でした。
今の時代とは違い、当時は「女の子は女らしく・男の子は男らしく」の時代でしたから。
時計の針がどうやって動いているのかが知りたくて、時計を修理不可能になるまで分解したり
貰ったお年玉をもって、サンダーバードのプラモデルを買いに行くような私は
両親には、理解出来ない存在だったのだと思います。
親戚の人にも「お姉ちゃんは女の子らしくて可愛いのに、お前はお転婆で母親のお腹におチンチンを
忘れてきたんだろう!」と言われていました。(笑
次の話しは、これからの話しの元になるエピソードです。
今でも忘れません、私が小学校の1年の時の授業参観に、母親が来てくれました。
私は嬉しくて、何度も振り返って後ろにいる母を見たのです。ただ、嬉しかっただけなのですが。
学校から家に帰ると母が「お前は後ろばかり振り返って、お母さん恥ずかしかったわよ。
もう二度と、お前の授業参観には行かないから!」と言って怒られました。
それから母親は、本当に二度と授業参観に来ることはありませんでした。(笑
実家が自営業で忙しいのもあったとは思いますが、小学校の卒業式や
中学・高校の入学・卒業式も一人でした。(笑
またまた、長くなりましたね。続きはまたあとで♪
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気になったので コメントさせていただきました。
2008/7/25(金) 午後 5:54 [ hk ]
お母さん徹底してますねーww
高校はともかく、中学くらいは来てほしいけど…。うちの母でさえ…あ、うちも、中学の入学式以降、一度も学校に来てないwww!いらんこと思い出してしまった(-_-;
2008/7/25(金) 午後 11:44
りんさん。ダメージ、受けてないですか?大丈夫ですか?
母親から見た私は、かなり恥ずかしい子供だったみたいです。(笑
2008/7/26(土) 午前 8:05
ご無沙汰しております。
ずっと遡り、興味深く読ませて頂いてます。
レイさんの文章は、簡潔で、要を得た言い回しが、私の好きな文体なのです。
私も、いつもドロだらけの男の子のような子供でした。お小遣いを貯めて、メンコやプラモを買うのが好きでしたよ。
2008/7/29(火) 午後 0:41
あずさん。文章で誉められたの、初めてです。
「今日は楽しかったです。」の作文一行人間でしたから。(笑
今では、女の子がプラモをやってても平気な時代ですが
昔は、変わり者扱いでした。(笑
2008/7/29(火) 午後 1:08
わあああ。確かにね、子供が学校であんまりなことをしていると後ろから頭をはたくか、「もう行かない」といいたくなることはありますが(笑)。
行かないってことは、ないなあ。特に一人っ子だしね、うちは。
母親は参観日に…来てたりこなかったり(私は二番目末っ子です)。
2008/7/29(火) 午後 9:51 [ shuixian_wulong ]
いやぁ、母親はよほど恥ずかしかったんでしょう。(笑
最初のの子供は様子が分からないから、小まめに通うけど
二番目以後は、学校の様子が分かるから手抜きになるんでしょう。(笑
2008/7/29(火) 午後 10:40