終戦後、戦争の後始末として発生するインフレを抑えるために、1946年2月16日、預金封鎖と新円切替を行い、日本銀行券の流通量を強制的に減らした。この時の経験を持つ人達は「国債なんて信用できない」とか、「国は生き残るためなら何でもやる」などの教訓を今に伝えている。そこまでしても半年程度しかインフレを抑えることができなかった。戦後復興の号令の下、鉄鋼産業と石炭産業を中心に多量の資金が供給されたからである。
終戦後のハイパーインフレ
1945年8月15日の終戦によって、戦時国債の発行や物価統制によって抑えられていたインフレが爆発した。戦争が終わった後の後始末や、復興のためにお金はいくらあっても足りなかった。戦費捻出のために発行された戦時国債の償還、軍需物資に対する支払い、進駐軍による円の大量印刷、復員兵の帰還費用の捻出、戦後復興させるための資金供給、これらに対して、日銀は日本銀行券を刷って刷って刷りまくって対応した。その結果、カネにみあったモノが不足する状態となりインフレが発生してしまった。
1946年の金融緊急措置
1946年(昭和21年)2月16日(土)、「金融緊急措置令」がラジオで発表され、週明けの月曜日から実施された。これは預金封鎖と新円切替を同時に行うことにより、流通している日本銀行券の量を減らして、急激なインフレにストップをかけようとした。また、GDPの3倍に達した借金を返済するために国民の財産を国に移す目的もあった。金融緊急措置の内容は、あらゆる預金を封鎖する。流通している旧円を一定金額に限り新円に切り替える。それ以外は金融機関に全て強制的に預金させ、一定金額(世帯主:1ヶ月300円、家族1人に1ヶ月100円)だけしか新円による引き出しを認めない。3月2日までに交換しないと旧円は無効となるため、金融機関に行列ができた。10万円を超える資産に対して25%から90%の財産税をかけられた。旧紙幣に証紙を貼り付けて10月まで代用させるなどの措置が取られた。
これにより、日本銀行券の発行高は1946年3月末には4割に減少したものの、財政赤字のたれながしが継続されたため、効果が長続きせず、半年後の9月末には元の水準に戻ってしまった。戦後復興のために、鉄鋼と石炭をまず復興させ、その後、他の産業に広げていく傾斜生産を行うなかで、大量の資金が供給され、再びインフレが発生してしまった。大蔵省や日銀は再び預金封鎖を行うことはできなかった。GHQは1948年12月18日、吉田内閣に対して、経済安定9原則を発表した。これはインフレを抑えるためのデフレ政策であった。1949年3月7日、GHQの経済顧問であるジョセフ・ドッジにより、財政金融の引き締め(ドッジ・ライン)が実施された。強烈なデフレ政策により、戦後のインフレは止まったものの、失業や倒産が相次ぎ、不況となってしまった。日本経済が戦後復興するのは、朝鮮戦争に伴う特需であった。
現在の日本銀行券
現在、最も新しい日本銀行券は、2004年(平成16年)11月1日に発行された一万円札、五千円札、千円札の3種類。ほとんど見かけることがない二千円札は2000年(平成12年)7月9日に発行された。現在発行されている銀行券はこちらをクリック願います。(日本銀行のHP) 新しい紙幣が発行されるにあたって、1946年と同様に預金封鎖と新円切替をするのではないかというウワサが絶えなかった。新しい日本銀行券のパンフレットが作られ、全国の銀行や郵便局に置かれていた。実際は半年くらいかけて、古いお札が回収され、新しいお札に切り替わっていくのですが、偽札事件もあった影響もあり、予定よりも早く今のお札が流通するようになりました。今後、高額紙幣が発行されるのか、偽造防止の目的で新しいお札を作るのか、わかりません。過去に起こったことは、再び形を変えて私たちの前に現れます。電子マネーの普及を見ると、現金がなくなって、ICカードを使わないとモノやサービスが買えなくなるのかもしれません。その時、自宅のたんす預金が使えなくなるといった事態もありえます。
橘みゆき 拝
【関連するHP】
戦後インフレと新円切り替え (日本銀行金融研究所貨幣博物館のHP)
現在発行されている銀行券 (日本銀行のHP)
新しい日本銀行券のパンフレット (日本銀行のHP)
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