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〜 信仰と帰依の詩 〜

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きたのまちから みなみまちだで「そうかねっと」
[ 日誌 ]    

題目弥陀号勝劣事

疑つて云く善導和尚は三昧発得の人師本地阿弥陀仏の化身・口より化仏を出せり
法然上人は本地大勢至菩薩の化身既に日本国に生れては
念仏を弘めて頭より光を現ぜり争か此等を僻人と申さんや
又善導和尚・法然上人は汝が見る程の
法華経並に一切経をば見給はざらんや定めて其の故是あらんか
答えて云く汝が難ずる処をば世間の人人・定めて道理と思はんか
是偏に法華経並に天台・妙楽等の実経・実義を述べ給へる文義を捨て
善導・法然等の謗法の者にたぼらかされて年久くなりぬるが故に思はする処なり
先ず通力ある者を信ぜば外道天魔を信ずべきか
或る外道は大海を吸干し或る外道は恒河を十二年まで耳に湛えたり
第六天の魔王は三十二相を具足して仏身を現ず
阿難尊者・猶魔と仏とを弁へず善導・法然が通力いみじしというとも
天魔外道には勝れず、其の上仏の最後の禁しめに通を本とすべからずと見えたり

(堀日亨編纂:新偏御書P.113〜114)
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=113&ref=null
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=114&ref=null

一例(その後、報道されなくなったので忘れているんじゃないでしょうか?)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090206/crm0902062223050-n1.htm


― 十章抄 ―

止観と申すも円頓止観の証文には華厳経の文をひきて候ぞ
又二の巻の四修三昧は多分は念仏と見へて候なり
源濁れば流清からずと申して爾前の円と法華経の円と一つと申す者が
止観を人によませ候えば但念仏者のごとくにて候なり

(堀日亨編纂:新偏御書 P.1273)
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=1273&ref=null 


少し掘り下げて解説すると
下記の御文に、その理由が書かれています。


- 当体義抄 -

問う一切衆生の当体即妙法の全体ならば
  地獄乃至九界の業因業果も皆是れ妙法の体なるや
答う法性の妙理に染浄の二法有り染法は熏じて迷と成り
  浄法は熏じて悟と成る悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり
  此の迷悟の二法二なりと雖も然も法性真如の一理なり
  譬えば水精の玉の日輪に向えば火を取り月輪に向えば水を取る玉の体一なれども
  縁に随て其の功同じからざるが如し
  真如の妙理も亦復是くの如し一妙真如の理なりと雖も悪縁に遇えば迷と成り
  善縁に遇えば悟と成る悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり

  譬えば人夢に種種の善悪の業を見・夢覚めて後に之を思えば
  我が一心に見る所の夢なるが如し
  一心は法性真如の一理なり夢の善悪は迷悟の無明法性なり
  是くの如く意得れば悪迷の無明を捨て善悟の法性を本と為す可きなり

(堀日亨編纂新偏御書 P.510)
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=510&ref=null


− 三世諸仏総勘文廃立 −

無相・不相の一法とは一切衆生の一念の心是なり
文句に釈して云く
「生滅無常の相無きが故に無相と云うなり
 二乗の有余・無余の二つの涅槃の相を離るが故に不相と云うなり」云云、
此の心を悟り知るを名けて如来と云う之を悟り知つて
後は十界は我が身なり我が心なり我が形なり
本覚の如来は我が身心なるが故なり之を知らざる時を名けて無明と為す
無明は明かなること無しと読むなり
我が心の有様を明かに覚らざるなり、之を悟り知る時を名けて法性と云う
故に無明法性とは一心の異名なり

堀日亨編纂:新偏御書P.564
http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=564&ref=null


上記の上矢印御文なども含め
今までも下記の記事などで散々書いてきた事なのに
どうやら「さらりとした梅酒日本酒」で読んでいた方もいらしたようで・・・


http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/200903130002/
http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/200903090002/
http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/200904040001/
http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/200903130002/
http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/200904100001/
http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/200904110000/


ところで、題目弥陀号の事をなども考えれば
譬え獄中で全てを悟った「師匠戸田先生」でも「魔」に転じてしまう事がある。
・・・と言うことが下矢印ここでも示されている訳です


http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/200901140001/
http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/200901150001/
http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/200901270001/


そういった意味でも、別に驚く事でも無いのですが
先方は「信而不解」なのか「解而不信」なのか
虚飾に覆われすぎてその辺が理解不能なのでなんとも言えませんが
今まで散々、さも・・・
きらきら悟りました・゚・(ノ∀`)・゚・。」・・・といわんばかりに
与えられた条件反射によって「on-off」の杓子定規で反応し
教条的に毒入りのサンドイッチを仕込む「某サイト」
今更ながら、上矢印上の御文を読み「如是本末転倒」の醜態を晒していたので
此方が吃驚してしまったのですが
それでもおかげさまで、此方は確信に近づいてきましたけれど
その辺は慢心になってしまうので・・・ 
 
因みに「師弟」とは、譬えたら「師」と言うのは基礎に該当し
「弟」と言うのはその基礎が発達した形だと思いますが
この一件については細かく説明すると長くなりそうなので
それは別の機会に話したいと思います。

その前に「書かなければいけない記事」が山積みで
悪いけれど「呑気な事」に付き合ってられない状況にもなっている。
本当に胃が痛い 


上記の記事を読み“嫌味”だと捉えて差別する方は 
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カンカンカン☆\(・∀・) 
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Last updated  Apr 20, 2009 10:31:27 PM
タグ: 創価学会 , 日蓮 , 仏教



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