8月24日、知人から、調査捕鯨で捕獲された鯨の水揚げと、解体がある事を聞いた。早速、ネットで情報を収集すると北海道新聞で、「観光客『ショック』羅臼沖業者『近づかないで』 くじらウォッチング船眼前で捕鯨」なる記事があった。漁船と観光船のニアミスがあったらしい。 「痛いニュース」で早速話題になっていた。物見遊山の立場で、生死をかけた仕事の邪魔をするなっ、と私は思う。地域には地域の生活があるのだ。生半可な主張で、他人の生活に土足で上がるべきではない。 残念ながら、件の鯨の解体は多忙のため、見に行くことが出来なかったが、2頭目(今年の網走での水揚げは4頭が割り当てられている。)の公開解体を見学することができたので、報告したい。 思ったよりも、デカイ 8月26日早朝3時半に、網走港に到着した。ボチボチと関係者、ギャラリーが集まっている。鯨はどこにいるのか、などと同行した家族と話していると、関係者から「そこに繋留されているよ」と、岸壁を指差される。まだ、真っ暗い海を見ると、大きな黒いものが、確かに見える。たしかにデカイ。 岸壁のスロープから引き上げられるツチクジラ(撮影:髙橋篤哉) 引上げ作業 岸壁のスロープを利用し、ウィンチで引き上げる。やっぱり、デカイ。顎が長く、イルカのような顔をしている。ツチクジラだ。ちなみに、イルカとクジラは明確な分類がなく、大きさで分類されるらしい(参照ウィキペディア)。 調査捕鯨なのだから、細かく計測 引き上げるとすぐに、水産庁の研究所員が計測を開始した。解体作業者たちも、作業を手伝う。この作業員、よくみると、若い女性である。慌しく、殺気立つ解体作業中、ひとりで黙々と作業を進めていく。たいしたものである。 ツチクジラの全長は、10メートル3センチ。色々と取材したいことがあるのだが、なにしろ、時間に追われる作業である。邪魔しちゃ、ホェールウォッチングの人を悪く言えないのである。ひたすら堪えて、作業を見守り、臨機に撮影をした。 おもむろに刃物を入れる 女性研究所員の作業に見とれていると、解体作業員の親方らしき人が、おもむろに、頭部に長刀のような柄の付いた刃物を入れた。スパっと刺さり、サクっと切れる。 解体の開始(撮影:髙橋篤哉) この親方の奥様らしき人が隣に居たので、色々と伺った。 解体作業員は「解剖さん」と呼ばれ、解体作業は「解剖」と呼ぶらしい。調査目的の捕鯨なので、そう呼ぶのかもしれないが、奥様は詳しい事を知らないという。 長刀のような刃物の名前も、あまり興味が無いので、知らないらしい。ただ、この刃物は自分で管理し、切れ味を護る為に丁寧に研いでいるらしい。 年に数回の出動なので、ご主人は普段は別の仕事をしているとのこと。本業は言いたくなさそうなので聞かなかった。以前は函館など、他のクジラが水揚げされる漁港に応援に行ったのだが、最近はそうでもないようだ。 捕鯨される数も年々減少し、技術者も高齢化するという問題を抱えているらしい。技術の継承を心配しているようだ。 思ったよりもグロじゃない 見学前、「グロテスクで見ていられないのでは?」とも予想していた。意外にそうでもなかった。脂と血による生臭い異臭はあるのだが、これも、思ったほどではない。刻まれている肉塊を見ていると、食欲さえ感じるほどだ。 分厚い脂肪(撮影:髙橋篤哉) 頭部をはずした断面(撮影:髙橋篤哉) はかどる解体。時間との勝負(撮影:髙橋篤哉) 味覚の記憶 これは、私が子供のころに記憶している「味覚の記憶」に起因するものであろう。決して残虐性ではないと、自信を持って言える。牛の霜降りを見て涎が溜まるのと同じである。旨かった記憶がある物は、食べ物にしか見えないのだ。思えば、子供のころ鯨肉は鶏肉よりも安価であり、庶民にとって貴重な蛋白源だった。牛や豚よりも硬いが、噛めば噛むほど味が出る、その食感を思い出す。生姜醤油を馴染ませた竜田揚げ(クジラザンギと呼んでいたと思う)、脂が舌にまとわり付くようなベーコン。 今となっては、スーパーで見かけても、簡単に出が届く価格ではない。我が子に、鯨の味、食文化を伝えたいと思っても、簡単ではないのだ。 解体と調査の作業は時間との戦い 深夜に開始した作業だが、すでに日が昇り、気温も上がってきている。調査も解剖も、額に汗を浮かべて進行している。時間との戦いなのだ。見事なチームワークで解体し、氷につめて搬出する。 調査員は、歯を苦労して取り外し、精嚢(せいのう)を念入りに計測する。取材したいが、そんな雰囲気ではない。まさに、時間との戦いなのだ。邪魔するわけにはいかない。 調査の為の抜歯(撮影:髙橋篤哉) 精嚢の調査(撮影:髙橋篤哉) けっこう食っているな この鯨は10メートル以上なので、体重も10トンを超えるだろう。人間の150人分はあるのではないか。この体を維持するのも、人間の150倍は食べなくてはいけないのだろう。 世界では、今まで魚なんて食わなかった連中が、自分が健康のために、長生きしたいがために、最近は魚を食うようになってきているらしい。白身の魚などの水産資源が奪い合いになっていくだろう。 鯨の保護が行き過ぎた場合、魚が不足するんじゃないかとも、思えてしまう。どんな魚をどれくらい食べているのか?そのためにも、調査捕鯨は必要だろう。 片っ端から氷詰めにして搬出される。(撮影:髙橋篤哉) これまで、魚を食わなかった国民が、魚を食うのをやめるのならば、鯨の食料なんて心配する必要は無いかもしれない。 そもそも、鯨の乱獲って誰がやってたの? かつて食いもしないのに、鯨を捕っていた国があったらしい。だが、それは、鯨に失礼であろう。いや、鯨のエサになっていた魚にも失礼な話である。脂、化粧品、工芸品。そんなもののために捕鯨するのなら、食うために捕る方が自然の理にかなっているのではないか?動物愛護団体には悪いが、そう思う。 食うために家畜を育てる方法もあるだろう。でも、自然と向き合いながら、必要な分を、感謝を持って頂き、自然と共存するような考え方の方が、正しいのではないかと思う。 牛1頭が600キログラム。鯨はその15~20倍ほどだろうか。効率としては悪いとは思えない。 アニミズムかもしれないが 野生動物を食べる行為は、原始的な行為かもしれない。でも、自然の中で、生きていくために分け前を授かるという事に感謝していく文化や習慣は、決して恥じることではない。草食のために牙、ファッションのために毛皮、異性を口説くためのホルモン、名誉欲のためのトロフィー……そういった人間の2次的欲望のために野生動物を狩る事の方が、卑劣な行為と思うのだ。 今回見学して思ったこと しばらく食べていない鯨だが、解体場面を見て、食欲が沸いてしまったのには、我ながら驚いた。体に染み付いた食文化、伝統なのかもしれない。10トンはあろうかという鯨を、30人ほどで、3時間程度で捌いていく技術もまた伝統である。こうした、国や地方のなかにある、固有の文化や伝統が消えていく事は残念なことだ。 中東で宗教上の違和感から史跡を破壊する行為と、自国の食習慣の違いから他国の食習慣の違いを認めない行為の、どこに違いがあるのか私にはわからない。 日本人の代表としてではなく、ひとりのオホーツクに住む者として、解体作業を見学することで、自分のアイデンティーの再確認にもなったような気がする。 【記者注】掲載後、読者の方から、「調査捕鯨ではない」というご指摘をいただきました。現在、記者が責任を持って調査中です。調査結果が出次第、正しい情報の記事を投稿いたします。(2007/9/6 17:40)
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