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2月16日発売
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2月17日発売
「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史

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定価1260円

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2月20日発売
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下記のボタンから、年代ごとに「週刊新潮50年史」をご覧いただけます。
1967(昭和42年)
1月 1月28日号から、ウィリアム・マンチェスター「ある大統領の死」を10週にわたり独占掲載。ケネディ米大統領暗殺事件のドキュメントで、米『ルック』誌と、日、英、仏、西独、伊5カ国の代表誌が特約して同時掲載し、話題となる。
6月30日 佐藤亮一が、新潮社取締役社長に就任。
1970(昭和45年)
12月 12月5日号に「緊急特集・『死』をもって完了させた三島美学」を掲載する。
1971(昭和46年)
2月 2月13日号、創刊15周年記念特大号を発行。
5月 5月1日号に、大新聞の偏向を指摘批判する緊急評論「日本人と新聞ジャーナリズム」を掲載し、編集部の理念と主張を明確にする。
1972(昭和47年)
7月 7月8日号に、自民党総裁選をめぐって田中角栄から中曽根派に7億円が渡ったという情報を特集、これが政界に波紋を起こしたため、翌週号に改めて取材から記事掲載までの経過を詳述、併せて異例の「編集部告」で編集部の立場を明確にする。
1974(昭和49年)
2月14日 2月21日号の新聞広告の中で「便乗値上げの汚名脱出を図る四月新聞値上げの苦衷」の字句に対し朝日新聞と日本経済新聞の2紙からクレームがつき、締切りの時間切れで幅2センチ、縦10.5センチのスペースが空白のままで印刷され、本誌及び掲載紙に問合せ電話が殺到し話題となる。
1975(昭和50年)
6月 6月5日特大号、創刊1000号記念号を発行。表紙に創刊号の表紙絵を再掲し、記念特集「千号の歳月が彩った日本列島のご機嫌」、特別手記は谷内六郎「郷愁―1000枚描きつづけて」、「週刊新潮懺悔録」、創刊1000号記念クイズを掲載。
11月5日 10月16日号「関西過激派による同志女性30人凌辱事件の内部告発」の記事に抗議すると称し、女性をまじえた新左翼過激派の一部が新左翼過激派の一部が新潮社本館1階正面玄関ホールに火炎ビンを投げ込む。
1976(昭和51年)
2月 2月19日号、創刊20周年記念号を発行。「日本がロッキード大地震に揺れた日」を特集する。164頁、誌価150円。
1978(昭和53年)
1月 1月12日号より3回にわたって袴田里見の手記「『昨日の同志』宮本顕治―真実は一つしかない」を掲載。昭和8年のいわゆる「スパイ査問事件」に関連して、当時、日本共産党副委員長の袴田が、同じく委員長の宮本顕治を糾弾して党を除名されるに至った経緯が綴られ、大きな反響を呼ぶ。
7月 53年1~6月の「雑誌ABC公査レポート」によると、『週刊新潮』がトップの売行きを示し、次いで『週刊朝日』『週刊文春』が好調。
1979(昭和54年)
3月 5月3日号が熊本県下で異常な売行きを示す。自民党議員の醜聞を暴く記事「民主主義の恐怖『三浦八水』の参議院当選」が載ったことから、自民・革新ともに買占めに走ったもの。
1981(昭和56年)
1月 山田彦彌が第3代編集長に就任。
1月23日

創刊以来、表紙絵を描き続けた画家谷内六郎が死去(59歳)。谷内表紙絵は56年末まで使用し、通算1336枚を数える。

2月 2月19日号、創刊25周年記念特大号を発行。ワイド特集「『二十五年』が塗り替えた『価値観』」を特集する。188頁、誌価200円。
10月 『FOCUS』を創刊。昭和31年の『週刊新潮』創刊以来、25年ぶりに新雑誌を発刊する。
1982(昭和57年)
1月 1月7日新年特大号から表紙絵が替わる。『週刊新潮』の顔だった谷内六郎に代わり、版画家・田中正秋の「日本の祭り」シリーズに。第1回は「獅子舞・東京」。
1983(昭和58年)
5月 連載中の山口瞳「男性自身」が、5月5日号で1000回を迎える。1000回目のタイトルは「笑っていいか」。