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help リーダーに追加 RSS 昭和35年頃、高校野球は激戦だったらしい。

<<   作成日時 : 2006/07/25 12:52   >>

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 昭和35年頃、高校野球は激戦だったらしい。下記に、『新潮45 2006年8月号』(平成18年8月1日発行)p 102, 103を引用する。

 環状7号線・野沢の交差点から程近い目黒区東が丘の会社社長宅で事件が起きたのは、昭和63年7月8日のこと。
 その家の中学2年のひとり息子(当時14・以下同)が、両親と祖母の3人を包丁でメッタ刺しにして惨殺。・・・中略・・・
 警察の取り調べで、少年は犯行動機をこう話していた。
 夜11時半ころに酔っぱらって帰宅した父親に部活のサッカーをさぼっていることや成績が下がったことで怒られた。・・・中略・・・そして急にお腹が痛くなり、午前3時半頃、両親の寝室に行き、薬をもらおうとした。すると母親は心配するどころか「まだ起きているの。早く寝なさい」と叱った。少年は母親ならやさしくさすってくれてもいいのにと憤慨し、殺人を決意したという。・・・中略・・・
 殺害された滝野井宏祐(仮名・44)はその8年前に建築資材の会社を設立。11億円もの年商を上げるほどに成長させていた。法政第二高校時代には野球部に所属、レギュラーにはなれなかったが3年間部活に汗を流した。当時の同期生には巨人で活躍した柴田勲がいた。その後、法政大学に進み、プラスチック製造会社、建設会社などを転々としたものの、スポーツマンらしく、さばさばとした性格で仕事関係のみならず皆から好かれていた。当の息子についても「俺の子だもん、できるわけないよ。男の子は元気が一番よ」と明るく話していたという。
 一方の母親・朝子(40)もさっぱりした性格で教育ママの雰囲気など微塵も感じさせなかった。家庭訪問に訪れた教師に対してもおおらかだった。話題が息子の成績に及ぶと「親がこうですから仕方ないですよね」と笑い飛ばしていた。
・・・中略・・・
 少年の通っていた目黒区立第十中学は”目黒の学習院”と呼ばれる都内有数の優秀な公立中学であった。慶応や戸山、新宿高校に進学する生徒が多く、場所柄経済的に恵まれた子弟が多かった。そのレベルは他校での10番は十中では40番にあたるとまでいわれた。
 少年は英語が得意で成績もまずまずだった。ところが2年になると周りのレベルが上がり、一夜漬けの勉強では追いつけなくなっていた。
 2年生の5月の中間試験で、成績が下がったことで両親からひどく叱責されたという。「こんな成績では4流、5流の高校にも入れない
 両親は口をそろえてそう言って、母親はこう命じた。
学年で2桁に入りなさい」
 2年生は268人いたので、その99番までに入れという。間髪入れずに父親が吐き捨てた。
「期末が悪かったら家から追い出す」
・・・後略・・・


 滝野井宏祐氏(仮名・44)が殺害されたのが昭和63年であるから、法政第二高校に在学していたのは、大体、昭和35年頃である。

 そして、3年間、野球部で汗を流していたのにも関わらず、レギュラーにはなれなかったのである。

 以上より、昭和35年頃、高校野球は激戦だったことがわかる。

 もっとも、落ち着いてよく考えてみると、野球部の人数はレギュラーの人数よりも多いのだから、レギュラーになれない野球部員がいても不思議なことでもなんでもないが、運動部の部活をしたことのない私がこの文章を初めて読んだときには、新鮮な驚きを感じたので、あえて、ブログに書いた。

 それにしても、この殺人の動機は私には理解しにくい。一応、上記の引用にも動機らしいものは挙げられているし、省略した箇所にも、動機らしいものが延々と書かれているが、どれも、殺人の動機にはなりにくいものだった。ちなみに、父と母、祖母3人の刺し傷は150カ所を上回るものであり、相当、父と母、祖母3人に憎しみがあったと思われる。さらに、この殺人は突然、起こったのではなく、殺人の計画を入念にたて、友人まで殺人に誘ったうえで(←友人には断られたり、実行するときに逃げられたりしたようであるが)殺人を実行しているのである。その割には、この程度の動機であるので、少し驚いてしまった。

 もっとも、冷静に、最近50年間、全国レベルで考えてみると、このようなたいした動機のない殺人事件なんて、よくある話である。だから、驚くべき殺人事件ではない。

 なお、一応、念のために書いておくが、昭和39年頃、野球は人気のあるスポーツだったらしい。下記に、『新潮45 2006年8月号』(平成18年8月1日発行)p 64, 65を引用する。


・・・前略・・・
 昭和39年7月15日の朝、慶応志木高校1年生の野上栄助君(仮名=16)が自宅の部屋で血まみれになって殺されているのを、母親の静子(仮名=49)が発見した。栄助君は布団の上でうつぶせになったまま、厚刃の刃物で頭をメッタ打ちにされ息絶えていた。警察は野上家の井戸から凶器のナタを発見、それは同じ慶応志木高校の3年生である栄助君の兄・幸助(仮名=18)の登山用のものだった。
・・・中略・・・兄・幸助は、「3人組が侵入して、自分はクロロホルムをかがされて自由を失い、弟は殺された。犯人のことを言うと自分も殺される」という、詳細な”筋書き”を記したノートを持っていたが、やがて犯行を自供した。
・・・中略・・・
 なぜ兄は、弟を惨殺したのか。
 兄・幸助の自供によれば、「弟は乱暴で、いつもお母さんをいじめており、無断で金を持ち出しては困らせていたので」思い余って殺してしまったという。
 だが警察や周囲の見方は違った。犯行の原因は、2人が所属していた少年野球チームの分裂だった。当時、兄弟はそろって野球に熱中し、地元で”慶応フライヤーズ”というチームをつくり、兄・幸助が監督を務めていた。ところが兄のワンマン監督ぶりに反感を持った弟が、仲間と共にチームを飛び出し新しいチームを作ってしまった。もともと仲が悪かったという2人の関係は、それを境にさらに悪化し、選手たちの前でも取っ組み合いの喧嘩や殴り合いをするようになった兄は自分の配下の選手が弟と口をきいただけで、激しく叱責するようになった。警察が描いた犯行の構図は、人気のある弟に嫉妬した兄が、激情のあまり弟の頭にナタを振り下ろしたというものだ。だが、犯行の動機は、はたして野球チームをめぐる兄弟の感情的な対立だけだったのか。
(←このあと、この犯罪の動機は家庭環境にもあるのではないか?と論が続くが、本論とは関係ないので省略する)


 このように、少年野球チームをめぐって、感情的な対立が生じ、それも一因となって殺人事件が起こるくらい、昭和39年頃の少年野球は人気があったのである。

 仮に、少年野球に人気がなかったら、このように殺人事件が起きる前に、兄弟のどちらかが少年野球チームの監督をやめるだろうし、たとえ、兄弟が両方とも少年野球の監督を続けていても、配下の選手が次々と少年野球をやめて、少年野球チームは解散となるだろう。

 しかし、実際には、兄弟は両方とも少年野球チームの監督を続けていたし、監督の取っ組み合いの喧嘩や殴り合いを目の前で見せられても、弟と口をきいただけで、厳しく叱責されるという理不尽な目にあった選手を見ても、配下の選手が次々とやめるという事態は起こらなかったのであるから、昭和39年頃、少年野球は人気があったのだろう。

 もちろん、昭和30年代、野球は人気があるスポーツであったのは、私も知っていたが、ここまで、人気があるとは思わず、これを初めて読んだ時は驚いたので、あえてブログにした。

 ちなみに、『犯罪白書 平成16年版』(編集:法務省法務総合研究所。発行:独立行政法人 国立印刷局。平成16年11月25日発行。ISBN:417350179X)p 435によれば、昭和35年に殺人で検挙された少年は、438人(少年10万人当たり:1.17人)、昭和39年に殺人で検挙された少年は361人、昭和63年に殺人で検挙された少年は82人、平成15年に殺人で検挙された少年は、96人(少年10万人当たり:0.38人)である。

 なお、昭和35年の少年の人数(0歳以上20歳未満)は37375144人であり、平成15年の少年の人数(0歳以上20歳未満)は約24903000人である(出典:『第五十四回 日本統計年鑑』《平成16年11月発行。編集:総務省統計局。ISBN:4620850144》p 43, 44)。

【おまけ】(←2006年7月25日火曜日以降に付け加えた
 昭和63年7月8日に起きた目黒区社長宅中2少年家族3人惨殺事件の概要は下記の通りである。

昭和63年(1988).7.8〔中2が両親と祖母刺殺〕
 東京都目黒区の自宅で、中学2年生(14)が父親の会社役員(40)、母親、祖母(70)を殺害した。友人(13)が数万円で殺人の手伝いを請け負ったが、祖母の首に電気コードを巻きつけたのを見て怖くなって逃げていた。両親は教育に厳しく冷たかったので、就寝中に金属バットで殴り、バットを取り上げられると包丁で、母親72回、父親37回、祖母56回めった刺しにしたもの。初等少年院に長期収容となった。


 何と、凶器に最初、金属バットが使用されていた。おそらく、この金属バットは、この家が保有していたのであろう。ということは、昭和63年頃も、野球は人気があるスポーツだった可能性が考えられる。

 なお、この出典は、下記サイトである。データの引用が自由であるそうなので引用した。
 
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/

 また、エリート一家の高校生弟殺害事件(昭和39年7月15日発生)の事件の概要は下記の通りである。

エリート一家の高校生弟殺害事件
昭和39年7月15日、東京都三鷹市の自宅で、慶応志木高校3年の長男(18)が2年の次男(16)をナタで惨殺、逃走したが2日後に捕まった。
 「3人組が侵入して自分はクロロホルムをかがされて自由を失い弟は殺された。犯人のことを言うと自分も殺される」という詳細な筋書きを綴ったノートを持っていたが、やがて犯行を自供。
 当初は「弟がわがままで乱暴ばかりして母を泣かせたりしているので殺した」と供述していたが、じつは兄弟とも野球チームリーダーで人気のある弟をねたんでナタで頭を20数回も殴ったもの。
 父親は大学教授、母親は日本初の女性検事で少年問題の専門家。
(高3年生は、殺人罪で4年以上6年以下の不定期刑)


 こちらの事件では、凶器にナタが使われている。金属バットが使われていたわけではない。
もっとも、このナタは登山用のナタである。きっと登山の趣味のある人が、この家にいたのだろう。

 この出典は、下記サイトである。データの引用が自由であるそうなので引用した。

http://kangaeru.s59.xrea.com/koukouind.htm

 ちなみに、
http://naochiaki.biz/
のサイトによれば、北海道では、登山時に、ナタ、クマ撃退スプレーなどが必要な場合もあるらしい。なお、私に、登山や山歩きの趣味がないことを念のため、断っておく。

【おまけその2】(←2006年9月11日月曜日以降に付け加えた
 昭和63年7月8日に起きた目黒区社長宅中2少年家族3人惨殺事件は、実は殺人のお手伝いを金銭で雇おうとした犯罪であった。下記引用参照。

昭和63年(1988).7.8〔中2が両親と祖母刺殺〕
 東京都目黒区の自宅で、中学2年生(14)が父親の会社役員(44)、母親(40)、祖母(70)を殺害した。友人(13)が数万円で殺人の手伝いを頼まれて朝4時にやって来たが、中2生が祖母の首に電気コードを巻きつけたのを見て怖くなって逃げていた。両親は教育に厳しく冷たかったので、就寝中に金属バットで殴り、目を覚ました父親にバットを取り上げられると包丁で、父親37回、母親72回、祖母56回めった刺しにしたもの。別の友人に犯行を打ち明けて死体を見せ、この友人が教師に告げて警察に通報され逮捕された。
 サッカー部に所属し、礼儀正しく明るい性格で人気者だったので周囲は皆驚くが、数ヶ月前から友達数人には親を殺すと話していた。また、大ファンだった南野陽子をレイプして自殺するが、迷惑を掛けるので先に家族を殺すと1週間前に打ち明けており、南野陽子のスケジュールを調べて7.8をその決行日と決めていた。初等少年院に長期収容となった。


 上記引用は下記のサイトから引用した。このサイトを読むと、殺し屋や殺人のお手伝いを雇って殺人をしようとする犯罪は、最近50年間、全国レベルで考えると、よくある犯罪であることがわかる。

http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/

【おまけその3】(←2006年9月19日以降に付け加えた
世の中には、「獣は親殺しをしない」と信じている人もいるらしい。

 そのことの真偽はともかくとして、高村光太郎は、スズムシが親を食い殺すと信じていたらしい。

 興味深い話であるので、下記に、『日経ビズテック no.010』(発行:日経BP社。2005年12月26日発行。ISBN:4822222411)p 188の一部を引用する。

 なお、原文は特殊な文法や漢字を使っていたが、入力の都合上、現代、一般的に使用されているだろう文法や漢字などに直した。ただし、地名、人名は可能な限り、原文のまま入力した。


高村光太郎という人
パソコンとハムレット 第6回  文○松原 正 早稲田大学名誉教授
 私の祖父松原廣吉は奈良県櫻井町の時計屋であった。・・・中略・・・
 勘当された長男が廣吉を憎んだかどうか知らないが、詩人であり彫刻家であった高村光太郎は父親を憎んでいた。父光雲は明治木彫界の重鎮であり、東京美術学校彫刻科教授であり、上野公園に立つ西郷隆盛像の作者だが、私の祖父と同様。若輩者の流儀に寛大でなく、頑固な家長で、それゆえ倅光太郎はおのが個性を発揮するために父親に背を向けなければならなかった。・・・中略・・・パリの光太郎はこう書いている。

「身体を大切に、規律を守りて勉強せられよ」と此の間の書簡でも父はいつも変わらぬ言葉を繰り返してよこした。・・・中略・・・親と子は実際講和のできない戦闘を続けなければならない。親が強ければ子を堕落させていわゆる孝子になってしまう。子が強ければスズムシのように親を食い殺してしまうのだ・・・中略・・・僕は今にスズムシのような事をやるに決まっている。
(「出さずにしまった手紙の一束」)
 
 だが、光太郎は結局スズムシにならなかった。いや、ならなかったのではない。なれなかった。・・・後略・・・


 このように、高村光太郎は、「スズムシが親を食い殺す」と認識していたことがわかる。

 それでは、スズムシは本当に親を食い殺すのだろうか?

 なんとなく、スズムシが親を食い殺すのは常識であるような気がほんの少し、するが、念のため、ネットで検索してみた。

 以下に、それらの一部を引用する。

・スズムシは「共喰い」をします
秋になって卵を産むためにメスが、元気が衰え、羽も破れて力尽きたオスを、卵の栄養分(蛋白質)として食べてしまいます

http://www.sakura-utopia.ne.jp/SU/kobe/suzumushi-school/03.html

特に産卵期に入ったメスや鳴くようになったオスは栄養を必要とし、不足すると共食いをして折角育てたスズムシの数を減らすことになる。

http://park7.wakwak.com/~akishimakujira/criket_08.html

 りっぱな卵を産むため、栄養をつけるのにオスを食べてしまうこともあります。
 きみも、カマキリのメスが卵を産む前にオスを食べるはしっているでしょ? それといっしょです。

http://www.hat.hi-ho.ne.jp/ramont/lincect/suzu_text/kaikata.htm

 どうやら、スズムシはメスだろうがオスだろうが、共食いをするようである。

 ということは、スズムシが親を食い殺しても別に不思議なことでもなんでもない。

 スズムシどころか、カマキリのメスもオスを食べるようである。

 しかも、こういうことは、スズムシやカマキリに関心のある人には常識であるらしい(←ちなみに、私はスズムシやカマキリの飼育をしようと思ったことは今までの人生でないし、実際、飼育したこともない)。

 以上より、高村光太郎の生きていた時代の人にとって、そのようなことが既に常識であったかどうかはわからないが、少なくとも、高村光太郎にとって、そのようなことは常識であった可能性は高い。

 それにしても、人間の犯罪では、食い殺すことは滅多に起こらないのに、スズムシやカマキリの世界では、配偶者だろうが、親だろうが、子だろうが食い殺すのだから、スズムシやカマキリの世界は残酷である。

 もっとも、餌が不足しているときに、そのようにするのだったら、緊急避難として、スズムシやカマキリに同情した方がよいのかもしれない。

 と、うっかり思い込んで、あるサイトをさらに読み進めてみると、餌が不足していようが、不足していまいが、スズムシは共食いをするようである。下記にそのサイトの一部を引用する。

注意すること  エサは2〜3日で新しいものに、交換します。

 交換の時、まだエサを食べ残していたら多くやりすぎなので、少し減らして
 新しいエサと交換します。
 粉エサをあげないと、共食いをします。
 共食いは、力の弱い仲間を食べてしまうことです。
 スズムシやコオロギは雑食性といって草や葉っぱのほかに、
 お肉(ほかの小さな昆虫や死骸など)も食べます。
 そのため、きゅうりやなすびなどの野菜だけでは共食いをしてしまいます。
 粉エサは、お肉のかわりになるエサというわけです。
 ※ 粉エサを入れても、共食いは完全にはなくなりません

(←言葉遣いなど、小学生低学年の子供にも解るようにしてあるそうです。つまり、小学校低学年の子供が読んでも問題のないサイトであるそうです。このサイトの一番、下方にそういう注意書きが書いてありました)
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/ramont/lincect/suzu_text/kaikata.htm

 やっぱり、スズムシは残酷である。

 餌が不足していなくても、力の弱い仲間を食べて殺すという共食いをするのだから。

 そして、このブログ記事で取り上げた親・祖母殺しや弟殺しの犯罪者はスズムシよりは優れていることがわかった。

 スズムシは力の弱い仲間を食べて殺すが、これらの犯罪者は殺しただけで食べていないので。

 もちろん、スズムシが残酷だからといって、これらの犯罪者の罪責が軽減されるわけではない。

 したがって、このブログ記事で取り上げた親・祖母殺しや弟殺しの犯罪者は当時の法律が許すのならば死刑にした方が良かったと私が思っているのはいうまでもない。

 また、獣(←「けだもの」、「家畜」という意味であるそうだ。『改訂 新潮国語辞典』(新潮社版)によれば。一部が破損しているので、ISBNなどはわからないが、昭和50年代前半に出版されたものである)が親殺し、子殺しをするかどうかもそのうち、気が向いたら、調べてみようと思う。

 なお、念のために一般論も書いておくが、スズムシやカマキリが残酷であるのが常識であるからといって、人間の世界における殺人が許されるわけでないのは言うまでもない。私自身は、殺人や強盗致死などの死刑を選択できる犯罪で、動機や犯行の状況などで同情できない場合は、死刑になる者がもっと増えてもかまわないと思っている。











 




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2006/08/11 20:13

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