長崎市沖にある炭鉱の島「軍艦島」を一般公開 元住民たちも35年ぶりに訪問
長崎港の沖合に浮かぶかつての炭鉱の島「軍艦島」の観光コースが、22日午後から一般公開された。
その形から「軍艦島」と呼ばれる、長崎市の沖にある島「端島」。
22日午後2時半すぎ、1隻の観光船が接岸した。
この船には、かつてこの島で暮らしていた人たちも乗っていた。
元住民の山口安男さん(81)は「昭和49年に閉山になりましたね。(島は変わりました?)ああ、もうだいぶ変わりましたよ。全部変わってしまってる」と話した。
元住民の福留 廣さん(88)は「懐かしいもなにも...、ふるさとと一緒だからね」と話した。
現在は住む人もなく、廃虚のようになっているが、50年前には多くの人たちが暮らす島だった。
1959年に撮影された映像には、子どもたちが遊び、たくさんの商店が並んでいる様子が映っている。
この島は、質の良い石炭が採れることから「炭鉱の島」として栄え、周囲1kmほどのこの島に、1960年ごろには5,000人以上が暮らしていた。
この島で生まれたという76歳の加地英夫さんは「わたし、ここで生まれて育ったんですね。ここが生まれ故郷です。ここの鉱山で使う機械のメンテナンスをやっておりました」と話した。
しかし、エネルギー需要が石炭から石油に移ったことなどから、1974年に炭鉱が閉山となった。
すべての住民が島を出て以来、35年間、立ち入り禁止の無人島となっていた。
そんな「軍艦島」が、22日から一般公開された。
日本最古と言われている鉄筋コンクリートの7階建てのアパートは、ところどころ朽ち果てていて、中には鉄筋がむき出しになっているところも多くある。
当時のまま残された炊飯器。
そして、「3種の神器」と言われていたテレビや電気冷蔵庫が残る部屋もあった。
今回、「軍艦島」を一般公開した理由について、長崎市観光課の職員は「近代化産業(遺産)群としての価値ですね、それを皆さんに目の前で見ていただいて、体感していただこうと」と話した。
およそ1億円をかけて遊歩道などを整備したが、建物の風化が進んでいるため、島の南部の230メートルの通路以外は入ることができない。
22日、35年ぶりに島の土を踏んだ加地さんは「ここに上陸したときに、もう胸がいっぱいになって、何ともいえない気持ちでした。(軍艦島を)好奇心で見るだけでなくて、やっぱり島の人たちがどういう生活をしていたのかということを、よく関心を持ってもらいたいと思います」と話した。
(04/22 21:45 テレビ長崎)