.185 シリーズ56「奈良・大阪旅行 (2006.10)」    

     その13「狛犬について」 2008.06.21 更新

 

2006年10月の「奈良・大阪旅行」の写真を14回の予定でお送りします。

  その1「飛鳥坐神社など」  その2「磯城瑞籬宮跡など」  その3「大兵主神社など」

  その4「ホケノ山古墳など」 その5「纒向の古墳群など」  その6「鏡作神社など」 

  その7「広瀬大社など」   その8「渋川神社など」     その9「応神天皇陵など」

  その10「磐船神社など」  その11「日吉大社など」    その12「津島神社など」

  その13「狛犬について」  その14「物部系神社建築構造」

    全行程の記録

                  

 

今回は新たに、第13回、その13「狛犬について」です。

これまでの何回かの神社や寺院の訪問の時に気になっていた「狛犬(こまいぬ)について」

の調査結果を下記にまとめてみました。

 

1. 狛犬についての説明

2. 写真

3. お知らせ

4. これまでの送信記録2(最近のもの)     これまでの送信記録1(以前のもの)

  奈良・大阪旅行 速報1 速報2 速報3 速報4 速報5  速報6 速報7

中国・集安旅行 速報1 速報2 速報3 速報4 速報5  速報6 速報7  速報8

          速報9

吉備・出雲旅行 速報1 速報2 速報3 速報4  速報5 

6. 纏向(まきむく)遺跡について          大国主、素盞嗚、天照

 

狛犬について

0.調査結果の要約など

  1.2体1対の獅子像による聖域を守る守護神像は、エジプトで4600年前頃発祥し、中

    近東(アナトリア、イスラエル、ペルシャ、ギリシャなど)で盛んに作られ、その後インド

    、中国、朝鮮半島を経て、百済からの仏教伝来(6世紀)とともに日本へもたらされ

    た。

  2.日本のいわゆる狛犬の初期の形式は、「獅子像」と「額または頭頂に角を持つ狛犬

    像(一角獣)」からなる。現在は、向かって右側が獅子、左側が一角獣の配置が一

    般的だが、古くは、京都御所の天皇の椅子の前にはこれとは左右が逆の配置とな

    っていたという情報もある。

  3.獅子と一角獣の組み合わせは日本以外ではイスラエルのソロモン神殿に存在して

    いたという情報がある。南王国ユダ族の紋章である獅子と北王国イスラエルのヨセ

    フ族の紋章である一角獣である。

    日本の皇室がイスラエル起源であるとする「日ユ同祖論」の一つの根拠とされる。

  4.日本における、獅子と狛犬(一角獣)の組み合わせの歴史は、

     6世紀    仏教伝来とともに、獅子の2体1対の形式がもたらされた。

             獅子・狛犬の形式だったかどうかは不明である。

     8世紀後半 獅子・狛犬像は、宮中の御簾の錘(おもし)として用いられた。その後

             清涼殿の座の前に、左に口を開いた、阿吽(あうん)の阿の獅子、

             右に口を閉じた吽の狛犬(一角獣)が置かれた。木造の、神殿狛犬

             と呼ばれるものである。左獅子、右一角獣の配置は、国際ユダヤ系

             財閥・ロスチャイルド家の紋章(19世紀成立)における獅子・一角獣

             の配置と同じである。

             その後、右獅子、左一角獣の配置へ変化していった。この理由は

             あまり調べられていないが、重要な意味を持っているのだろう。

     室町時代  門の横や参道に置かれる、石造の参道狛犬が作られ始めた。

     江戸時代  石造参道狛犬が多数作られた。獅子と一角獣の形態は保たれた。

     昭和初期  石造で、角のない狛犬が多くなった。神社関係者が、古い狛犬の形

             式を尊重しなくなったようだ。形式は参道狛犬の系統である。

             さらにその後、狛犬の本来の意味を考えない、造形美術品として作

             製したものが、由緒ある神社にも置かれるようになった。嘆かわしい

             ことである。

  5.今後の課題

     1.獅子と一角獣の組み合わせは、北イスラエル(失われた10支族)と日本に存

       在していたようである。これが何を意味しているのかをさらに考察したい。

     2.大きな角をもった狛犬がある神社は、秦氏やスサノオに関連する社寺である

       ように感じた。これを確認し、これの意味するところを把握したい。

     3.頭に角を持つので有名なのは、モーゼ像(エジプト、イスラエル)、蚩尤(しゆう、

       中国・山東半島)、スサノオ(牛頭天王、朝鮮半島・新羅)、ツヌガアラシト(朝鮮

       半島・加羅)、などである。これらの間の関連を調べたい。

 

1.目的

  いくつかの神社の狛犬を見ているうちに、向かって左側の狛犬がその頭頂に角を持つ

  ものと持たないものがあることに気がついた。また角を有する狛犬には、角が大きく長

  いケースと小さくずんぐりで短いケースの2種類あることが観察された。狛犬の角のこ

  れら3つの形式、すなわち、「角が大長」、「角が小短」、「角が無い」と神社の性格の間

  には何か関係があるのではないかと想定し、「狛犬の歴史」の調査や「狛犬の分類」な

  どを試みた。

  いまだ系統だった結果は得られてはいないが、これまでの調査結果をまとめた。

 

2.調査結果

  1.狛犬の歴史  (いくつかの文献資料の記述内容をもとに、年代順に並べた)

    1.25万年前  ・「春分の日に大スフィンクスの向う、真東の地平線から獅子座

               が上がる」ことを知っており、古代エジプト文明に先行する超古

               代文明には獅子座の概念がすでに存在していたと言える。

    BC2500頃  ・エジプトの大スフィンクス(獅子像)の出現。ノアの大洪水以前に

               は2体が存在していたという。獅子の2体1対の守護神としての

               壁画も少なくない。獅子・ライオンがいるのはアフリカ、アフリカこ

               そ獅子文化の発祥の地である。獅子・狛犬のルーツはスフィンク

               スと言える。

    BC2500頃  ・古代ウル王朝に獅子像が存在。王座を守るという考え方。

    BC2500以降 ・一角獣そのものはインダス文明にすでに登場している。

    BC14世紀   ・獅子の姿を椅子や城門につけることにより守護されるという思想

               が生じ、エジプトのツタンカーメン王の椅子やスフィンクスなどに

               その例を見ることができる。

    BC13世紀   ・モーゼのエジプト脱出。 後世、モーゼの額に角が描かれる。

    BC10世紀   ・古代イスラエルのソロモン神殿の王座の横に2体の獅子像が置

               かれていた。(I 列王記7.36 10.19)

              ・古代イスラエル王国がユダとイスラエルに分裂した。

              ・神殿内礼拝所の入り口両側に「獅子と一角獣の像」があった。

               獅子は、南朝ユダ王国ユダ族を表す「ユダの象徴」。

               一角獣は、北朝イスラエル王国の10支族を表す野牛の一角獣    

               =ユニコーンで、「イスラエルの象徴」。

    BC8世紀    ・北イスラエル王国(首都サマリア)が滅び、10支族が消えた。

               10支族が中央アジア、シルクロードを経て極東到達説がある。

              ・ヨセフ国の紋章が一角獣。

    BC6世紀    ・南王国ユダ(紋章が獅子)が滅亡。

              ・ヨセフ族が、黄河中流域オルドス付近で白狄(はくてき、肌が白

               い夷人のこと)になったという。

    BC3世紀    ・古代インドのアショカ王の紋章はライオン、後にインドの紋章は

               ライオンとなる。アーリア系の人種がペルシャやインドへ獅子像

               文化を持ち込んだ。

              ・旧約聖書へ西洋の一角獣が混入したという。旧約聖書のギリシ

               ャ語訳(七十人訳)の際、キング・ジェームズ版の聖書は

               「彼は威光に満ちた雄牛の初子/彼の角は野牛の角」のうちの

               「野生の雄牛」というヘブライ語を「ユニコーン」と誤訳した。

              ・ヨセフ王国の10支族は、ヘブライ文明の高い技術力で騎馬軍

               団を作り、秦帝国を建国した。

              ・秦帝国滅亡。

     AD3-4世紀 ・奈良の黒塚古墳出土の三角縁神獣鏡の銘文に、獅子、辟邪、

              天鹿、其粦(麒麟)の語がある。ライオンとキリンであろう。

     4世紀     ・中国で北魏建国。

     6世紀     ・北魏は後に朝鮮半島へ移り、百済王家に取って代わったという。

              ・欽明天皇の時、日本へ仏教伝来、百済の聖明王から仏像と経典

               が贈られた。

     6−7世紀   ・獅噛式環頭(中国の長安出土と同類)が出土。獅子像の2体1対

               文化が、中国→百済→日本へ伝来したことが想像できる。

               ・1対の獅子を置くとの記述が日本の古記に見られる。     

     8世紀      ・古典文学作品に獅子・狛犬が記述され、獅子・狛犬は宮中では

                建具の付属品とされ、祭器とはされていない。 御簾に下げた

                鎮子(おもし)とされている。

               ・清涼殿の御帳前に、左に口を開いた獅子、右に口を閉じた角の

                ある狛犬が置かれているとある。ただしその後の、右獅子、左

                狛犬の配置と逆である。平安時代初期には(木造の)獅子・狛

                犬は大方成立した。神殿狛犬と呼ばれている。

               ・平安時代末期には、神社に置かれ、獅子・狛犬と呼ばれた。

     9世紀      ・この前後、これまでの配置とは逆の、右獅子・左狛犬の形態が

                確立された。なぜか、その理由は明らかではない。

               ・神社狛犬で現存するものは古くとも鎌倉時代のものである。

     12世紀     ・獅子文化は伎楽に入り、獅子舞となる。

     室町時代    ・石造狛犬が増加する。参道横などに置かれる参道狛犬が発生。

     江戸時代    ・ライオンの写実絵が日本へ初めて入った。それまでは想像図。

               ・石造のものを中心に、参道狛犬が全国へ普及。

     19世紀     ・国際ユダヤ系財閥・ロスチャイルド家が、赤い盾を挟んで、左に

               ライオン・右に一角獣(ユニコーン)の入った紋章を採用した。

               天皇家の十六菊花紋の紋章以外のもう一つの紋章には、右に獅

               子、左に一角獣のものがあるといわれる。ただし、ユダヤのロスチ

               ャイルド家の獅子・一角獣の配置とは左右が逆である。

               また平凡社の世界大百科事典には狛犬について、「平安時代には

               ・・・・清涼殿の御帳前や・・・・獅子と狛犬が置かれ、口を開いたのを

               獅子として左に置き、口を閉じた頭に一角を持つものを狛犬として右

               に置いた」とあり、これならユダヤのロスチャイルド家の紋章での配

               置と同じになる。天皇家のユダヤ起源説がそれらしく思えてくる。

  2.詳細な説明

   1.現在見られる獅子・狛犬

    現在一般的に見られる「獅子・狛犬」は、向かって右側に獅子像、左側に狛犬(一

    角獣)を配したものである。狛犬(こまいぬ)は高麗犬(こまいぬ)とも書かれることか

    ら、古代に朝鮮半島北部に存在した高句麗(こうくり)で発祥した犬像とする見方が

    あるが、それは違うようである。中国が周囲の国を見下して、ケモノ偏・「犭」が入っ

    た漢字を国名に用いたことにより、狛は周囲の蛮族の一種を示しているようだ。

    左側の狛犬はその頭頂に角を持つものが多いが、角を持たない狛犬も存在する。

    また、角の大きさと長さを見ると、「大長」と「小短」に分類される。

    角が大きく長い狛犬は、初期の平安時代のもので、室内に置かれていた木製のい

    わゆる「神殿狛犬」に多い。角が小さく短い狛犬は、鎌倉時代のもので、屋外の参

    道横に置かれた石造のいわゆる「参道狛犬」に多いように見える。角を持たない

    狛犬は初期の頃から存在していたが、昭和以降急に増加したようである。 また、

    昭和以降には、狛犬の古来からの形態や目的を無視した、造形美のみを追求した

    ものが見られる。

   2.左側に置かれた狛犬の角の大きさによる、神殿、神社、寺院などの分類例。

      1.角が大きく長い狛犬や絵画を有する

        紫宸殿   清涼殿  仁和寺  

        八坂神社 和邇下神社 誉田八幡宮 住吉大社  箱根神社  兵主大社

        宇治神社 上御霊神社  下鴨神社  白鬚神社  大豊神社  武内神社

        日御碕神社  籠神社  上賀茂神社摂社久我神社  伏見稲荷神社

        東寺    高山寺    薬王院   

      2.角が小さく短い狛犬を有する

        靖国神社  高千穂神社  大兵主神社  伊勢神宮境内社  鹿島神宮

        大豊神社

      3.角を持たない狛犬を有する

        熊野大社  春日大社  大和神社  唐松神社  高麗神社  弥彦神社

        大宝神社  武内神社  大国魂神社 大兵主神社 鹿島神宮 宇佐神宮

        氷川神社  弥彦神社  鏡造大明神 

        浅草寺

      4.角を持つ狛犬と持たない狛犬の両方を有する

        武内神社  大兵主神社  鹿島神宮

      5.長い角を持つ狛犬と短い角を持つ狛犬の両方を有する

        大豊神社

     この結果から考えられること。

      1.角を持つ狛犬と持たない狛犬の両方が同一神社にあるということ、および

        長い角を持つ狛犬と短い角を持つ狛犬が同一神社にあるということから、

        角の有無や長短で神社の分類をすることは不可能ということを示している。

      2.角を持つ狛犬を有する神社は、古そうな社寺に多く、秦氏とスサノオに関係

        するかもしれない。

        八坂神社、下鴨神社、上賀茂神社、京都に平安京、を築いたのは秦氏で

        あるし、八坂神社といえばスサノオである。そして、古いといえば、日本の

        基礎を作ったのは、スサノオと秦氏である。  更に追求する必要がある。

    3.狛犬の歴史から見た、イスラエルと日本の関係についての考察

      0.獅子像のエジプト発祥・日本伝来は上記年代表の通りであるが、重要なの

        は「イスラエルのソロモン神殿で一角獣が祀られていたかどうか」と「日本

        の天皇家では狛犬・一角獣が祀られていたこと」および「イスラエルの一角

        獣と日本の狛犬・一角獣から古代の両国の関係が探れるか」であろう。

      1.イスラエルのソロモン神殿で「一角獣」も祀られていたか。

        紀元前10世紀に建てられたイスラエルのソロモン神殿内には、ライオン

        (獅子)の像があった(T列王記7.36 10.19)との記載があるという。

        また、イスラエルのソロモン神殿の礼拝所入り口の両側には、獅子と一角

        獣の像が据えられていたという記述も見られる。

        前者ではライオン像、後者では獅子と一角獣となっており、これからでは

        獅子と一角獣が本当に置かれていたかどうかは明確ではない。これら異な

        った記述に関連する情報を以下に挙げてみる。

        獅子と一角獣が置かれていたことを示す情報。

         獅子は南朝ユダ王国2支族を表す「ユダの象徴」であり、北朝イスラエル

         王国10支族を表す野牛の一角獣=ユニコーンが「イスラエルの象徴」で

         あったとある。

         国際ユダヤ系財閥ロスチャイルド家は19世紀に紋章を設定した。5人の

         息子を束ねた状態を示す「5本の矢を一つの手で束ねている」図柄、左側

         には南ユダ王国の紋章であるライオン(獅子)が、右側には北イスラエル

         王国のヨセフ族の紋章であるユニコーン(一角獣)が盾を支えています。

         左上にはユダヤ民族を表すダビデの星が描かれています。

         これらのことを考えると、分裂前のイスラエルのソロモン神殿に、獅子と

         ともに一角獣の像が置かれていた可能性はあるとみてよいだろう。

        一角獣は置かれていなかったことを示す情報。

         ユダヤ人の聖書(旧約)に西洋の一角獣が混入したのは、紀元前3世紀

         に進められたギリシャ語訳(七十人訳)の民数記23章からイザヤ書34章

         において、誤訳したことによる という。

         より正確な今日の和訳、新共同訳 申命記33章17節 では

           彼は威光に満ちた雄牛の初子/彼の角は野牛の角。

           彼は諸国の民を角で突き倒し/地の果てにまで進み行く。

           見よ、エフライムの幾万の軍勢を。見よ、マナセの幾千の軍勢を。

         とあり、ヨセフは野生の牛に擬えられるとともに、エフライムとマナセの軍

         勢はその2本の角に擬えられていた。

         ところが、キング・ジェームス版聖書は、野生の雄牛というヘブライ語を

         「ユニコーン」と(誤)訳している という。

         その後も、このユニコーンが一人歩きしているようだ。

         宗教の聖典・経典などでは、翻訳時に意図的に誤訳することが多々ある

         ともいう。  野牛の角をユニコーンと訳す根拠があったのかもしれない。

      2.日本の天皇家では一角獣が祀られていた。

        京都御所(清涼殿)には天皇家の紋章として獅子(ライオン)と一角獣(ユ

        ニコーン)の紋章があったとされ、天皇の王冠には一角獣が描かれている

        とされている(「日本の固有文明の謎はユダヤで解ける」:徳間書店)。現

        在でも天皇の椅子の前左右には、頭頂に長い一角を持つ狛犬と角のない

        ものが置かれている(「日本の名建築写真選集代18巻京都御所」、新潮

        社の写真)。天皇の即位に用いられる高御座の台座にも獅子と一角獣(

        麒麟)と思われる絵が描かれている。平凡社の「世界大百科事典」では、

        狛犬について、「平安時代には・・・・清涼殿の御帳前や・・・・獅子と狛犬

        が置かれ、口を開いたのを獅子として左に置き、口を閉じ頭に一角を持つ

        ものを狛犬として右に置いた」とあり、京都下鴨神社の左の狛犬には角が

        あると記されている。

        これらの記述から見て、天皇家で狛犬が祀られていたことは確かである。

      3.イスラエルの一角獣と日本の狛犬(一角獣)から両国の関係が探れるか。

        歴史的に見て、エジプトで発祥した獅子文化が、中近東で盛んになり、イン

        ドへ入り仏教に取り込まれ、中国、朝鮮半島を経由し、仏教伝来とともに

        日本に伝来したものと見える。しかしあくまでも獅子文化であり、獅子・狛犬

        文化ではない。獅子・狛犬文化はイスラエルと日本だけに見られるものであ

        る。中国と朝鮮半島には一角獣像(中国では「カイチ」。朝鮮半島では「ヘ

        テ」と呼ばれ、角が無い一角獣。瑞獣とされる)は存在するが、カイチ像1体

        の構成であったり、2体ともヘテ像であり、イスラエルと日本のような獅子・

        狛犬(一角獣)の構成ではない。

        獅子・狛犬文化がイスラエルから日本へ伝来したとすると、その途中にその

        痕跡が存在してもよさそうであるが、今のところ見当たらない。この状況は、

        日本の神社神道とユダヤ教の類似点や日本文化とユダヤ文化の類似点が

        多いことが指摘されているにもかかわらず、その伝来ルート上に似たような

        文化を持つ地域がないことと同じである。

        結論としては、イスラエルから日本までの伝来ルート上に、類似の文化の痕

        跡をいくつか見つけ出すことができないかぎり、ユダヤ・日本同祖論と同様、

        結論は出せないと思われる。