empro は OhmyNews 編集部発の実験メディアプロジェクトです(empro とは?)。

音楽は時代を語るのだ

新しい音を作らねばならぬ時代

烏賀陽弘道コラム(22) 凡人と才人の差ははっきりと出始めている

烏賀陽 弘道(2008-03-19 08:05)
Yahoo!ブックマークに登録 このエントリーを含むはてなブックマーク  newsing it! この記事をchoixに投稿
(「烏賀陽弘道コラム(21)」からのつづき)

 英語のentertainの本来の意味は「飲食を供して客をもてなす、楽しませる」という意味である。だから「エンターテイナーとしてすぐれているミュージシャン」とは、どれだけライブに来たお客を楽しませることができるか、その一点で評価が決まる。日本語でいえば「おもてなしの心」である。

 ものすごくいい歌を書くのに、ライブは退屈でしょうがないというミュージシャンもいる。Doors やLou Reedなど、そんな例だろう。彼らは完ぺきに近い曲を書く。私がもっとも敬愛するミュージシャンたちだが、ライブDVDを見てもあまりおもしろくない。演奏中はほとんど動かないし、気の利いたしゃべりが曲間に入るわけでもない。地味で無愛想である。逆に、作詞や作曲の能力はあまりたいしたことがなくても、ライブはものすごく楽しい、というのもすぐれたミュージシャンの姿としてあっていい。お客を楽しませることも音楽の大切な役割の1つだからだ。

Iggy Popのライブパフォーマンスは最高のエンターテインメント(写真はイメージ、ロイター)
 これは作詞や作曲能力でも完ぺきに近い例(だいたいコンポーザー、クリエイターとしてもすぐれている人はエンターテイナーとしてもすぐれていることが多い)だが、60年代から70年代のthe Whoのライブは、ロックのエンターテインメントとして、もう誰も超えることができない代物だろう。といっても、別に今日のような派手なライティングやビジュアルスクリーンがライブを飾っているわけではない。

 Pete Townshendは風車のように右腕を振り回してギターを弾(ひ)き、ハイジャンプを決め、最後はギターを粉々にたたき壊してアンプをひっくり返す。 Kieth Moonはドラムキットを蹴(け)倒し、ばらばらに破壊してしまう。

 ボーカルのRoger Dartleyは投げ縄のようにマイクを振り回す。John Entwistleだけが表情ひとつ変えず、半歩も動かずに黙々とベースを弾いている。これだけである。だが、この4人がそろって繰り広げるライブほど、ロックが持つエネルギーとスリルをそのままビジュアル化したショーは、今日に至るまでない。

 唯一対抗できるエンターテイナーを挙げるとすれば、60年代から今日に至るまで、ステージにはぜい肉のそぎ落とされた上半身むき出しで現れ、全力で飛んだり跳ねたりを続けて最後には全裸で客席に飛び込むIggy Popぐらいではないだろうか。彼もまた詞・曲を作る能力も申し分ないのだけど。

 ひとつ注意しなければならないのは、最近のライブはショーとしての演出(ライティング、ビジュアルスクリーン、衣装、進行、ストーリー、舞台美術など)を考える専門家(舞台監督)が付いているケースが多いことだ(Jポップ系のシンガーに特に多い)。舞台装置や衣装、設定が効果的だったからと言って、それがミュージシャンの発案とは限らない。それは舞台監督の才能として評価すべきであって、ミュージシャン本人の評価と混同してはならない。

 アーティストの6つの評価軸の最後の1つ、レコーディングでの才能について書こう。スタジオに入って作品を録音する段階では、音楽以外のいろいろな発想が求められる。例えば極端な話、アルバムにどの曲を入れどの曲をボツにするか、どういう順番で曲を並べるかさえ、力量の差が出るのである。アルバム全体をどういうコンセプト、方向性でまとめ、どんなタイトルを付けるかも創造力の勝負だ。

 さらに、曲そのものを録音する段階になると、「音楽」だけでなく、どんな「音」を重ねるか(サウンド・メイキング)という無限の選択肢が現れる。

 有名な例は、1966年を境にコンサートを一切止めてしまったあとのビートルズだろう。アルバム『Revolver』に収録されている「Tomorrow never knows」(1966年)という曲にすでにその片鱗(へんりん)が現れている。現代のテクノに通じる単調な反復ビートに乗せた哲学的な歌詞と共に、インド楽器のシタールやギターを録音してテープを逆回転させた音、カモメの鳴き声の逆回転など異様な「音」が洪水のように流れ出てくる。ほとんど実験音楽なのだが、辛うじて「ポピュラー音楽」の枠を踏み外さないギリギリのところで踏みとどまっている。

 次作「Sergeant Pepper’s Lonely Hearts Club Band」(1967年)になるとさらに凝ってくる。聴衆の拍手、歓声や笑い声か始まり、曲にはオーケストラ、果ては犬猫、牛馬にヤギと動物の鳴き声までがごった煮のように放り込まれている。そして最後にまた聴衆の歓声と拍手に帰り、アルバム全体が「架空のコンサートのライブ録音」という設定であることが分かる仕掛けになっている

 こうした「音」も音楽の一部であるという考えを究極まで突き詰めたのがPink Floydの『Dark side of the moon』(1973年)というアルバムだ。心臓の鼓動音から始まり、飛行機の通過音、墜落・爆発する音、足音、場内アナウンス、急ブレーキ音等々、息詰まるような「音」の連続が緊張感を異様に高め「音楽の一部」として立派に機能している。まるで映画のサントラを聞いているようだ。「Time」という曲のオープニングでは何十という時計のベルが一斉に鳴る。

 「Money」の冒頭では何と硬貨のチャリンという音とレジを打つ音が7拍子にコラージュされ、そのまま曲のカウントになっている。さすがというか、この『Dark side of the moon』は1988年まで連続15年間「ビルボード」誌のチャートに入り続けるという空前絶後の偉業を成し遂げている。

 こうした「レコーディングでの能力」はアナログ録音時代、録音に文字通り手作業の職人技が必要だった時代だからこそ「才能」「能力」が発揮された。が、残念ながら、1980年代後半以降、デジタル録音(サンプリング)やコンピューターでの音加工が普及するにつれ、作業そのものが簡単になってあまり省みられなくなっていった。

 その代わり、作業が簡単になり、表現の幅が無限に自由になると、ハウスやテクノ系音楽では、コンピューター上でどんな「現実には存在しない音」、「聞いたことのない音」を作るかが問われるようになってきている。ここでも「陳腐な音」しか作れない凡人と「聞いたことのない音」を作る才人の差がはっきり出始めている。


[うがや・ひろみち] 1963年京都生まれ。京都大学経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。新聞記者を5年、ニュース週刊誌「アエラ」記者を10 年、編集者を2年経験し、2003年6月、同社を早期定年退職。この間、米コロンビア大学に自費留学し、92年、国際安全保障論(核戦略)で修士。著書に『朝日ともあろうものが……』(徳間書店)、『Jポップとは何か──巨大化する音楽産業』(岩波書店)、『Jポップの心象風景』など。『週刊金曜日』、『東洋経済』、『ヌメロ・ジャパン』(扶桑社)などで連載の一方、インターネットラジオ「Blue Radio.com」でパーソナリティーを務める。烏賀陽弘道ホームページ


音楽は時代を語るのだ トップページへ
マイスクラップ 印刷用ページ メール転送する
9
あなたも評価に参加してみませんか? 市民記者になると10点評価ができます!
※評価結果は定期的に反映されます。
評価する

なぜ日本のニュースサイトはつまらないのか
»日本列島力クイズを大画面でプレイする