数理研日記 2009年4月 

09.04.22 wed 近頃の子供たち

大人と子供とは知識や経験が違う.もちろん,生産手段をもつもたないなど他に違うところはたくさんがあるし社会的に改めなければならない点も数多くある.

私が町中でよくみる光景に,お母さんが「やめなさい」といっているのに,それをほとんど無視している子供の姿がある.昔はこういう姿はほとんどなかったが,いまはそれが当然であろう.先日もケーキ屋さんによったときに,ケーキのウィンドウにのったり,並んでいる私のくつを踏んだりするガキがいた.しかし,母親は「おこられちゃうからやめなさい」というだけで,ケーキ屋さんの店員が目の前でウィンドウにスプレーをかけて磨いても,「やめなさい」といってわれかんせずだった.私も,くつを何度か踏まれたが,女子供相手におこっても仕方あるまいと思って黙っていた.(というか,こんなくだらないことで私の時間を無駄にしたくなかったのだ.バカというのは「悪い」といわれてそのまま納得できるような「頭脳」をもっていないし,教室以外のところで教育をほどこしてたらきりがないではないか!)

これと同じことが教室でも起こる.新中1の子に「あとでわからなくなるからノートをとりなさい」といえば,「はい」または「はいはい」と口先では答えてくれる.しかし,5,6回言ってもノートをとらない子はとらないのである.だから,本人のことはもちろんだが,父兄のことも考えて,私としては中1の頃はちゃんとおこってノートをとらせることにしている.幼稚園の先生みたいだが,彼らがそのレベルだからしかたあるまい.そういう子は黒板を写すスピードも鈍く,明らかに「将来おちこぼれる資質」をもってしまっているから,早期発見早期治療が必要なのである.

最近の大卒くらいの連中や,就職して5,6年たった連中の一部にも似たようなのがいる.現実が全く見えていなくて,人生について何も知らないガキのくせに自分の倍以上生きている人間にため口で話すだけならまだしも,「女ってのは・・・なんだよ」とか「学問ってのは・・・だね」とかいっぱしの口をきく.もちろん,こちらは内心笑っているわけだが,「もしかしたらこのバカわかってないのかな?」と思うときだけ,老婆心ながら,「お前,誰としゃべってんだよ?」と言ってあげることにしている.そんなとき,言われた方は「すいません」と口にするものの「すいません」の意味もわからず,また同じようなことを繰り返すに違いない.自分がバカだと先生もバカだと思われるらしい.優秀といわれる人間でそんなのはみたことないが,残念ながらこの世の中にはそうでない人もかなしいかな大勢存在するのだ.

いまの子供は,自分が「立派な大人」とくらべてはるかに未熟であることや,知識も経験も技術もないこと,そして何より智恵がないことをすっかり忘れている.たしかに「ダメな大人」は大勢いるであろうが,自分が石にかじりついて10年頑張っても全然追いつけないような大人が自分のまわりに大勢いることをすっかり忘れて評論家のような目線で口をきく.子供の頃からきちんと鍛錬されてこなかった人間には仕方のないこととも思うが,そろそろ社会全体が「子供問題」に対処しておくべきだと私は思う.きっと近い将来このことは大問題になる.

私の提言としては,まずは目上の人にはきちんとした敬語(別に丁寧語でいい)をつねに使うこと.そして,自分のできないことができる目上の人に対しては尊敬の気持をもつことが重要だと思う.(まあ,できないことができるなら年齢も関係ないと思うけど.) とかいていて,これって幼稚園の頃に校長先生によくいわれたなと思った.いまの22,3歳までの連中は昔の幼児なみってことなのかもしれない.

それにしても現実というのは厳しいものだ.私は塾では基本的には生徒相手でも敬語で話をする.しかし,その私に向かって「・・・じゃん」,「あのさー,・・・」などと話すのもいる.一応は指摘もするのだが「病気」というか「育ち」はなかなか治らない.高澤先生が「君たち,中国人に日本語をならないなさい.東大病院でも日本人の若い医師でまともな日本語話せないのは多いけど,中国人はちゃんと話す」というのも納得がいく.

私の勝手な統計的推察では言葉遣いや態度がしっかりしている子は勉強もできる.このことは「大人」なら納得がいくことなのではないかと思う.そういえば,こういうことも故平岡先生とフレンチを食べながらよく話したのを思い出した.教育ってのは結局のところいきつくところは同じなのかもしれない.いや,そうあるべきなのかもしれない.




09.04.21 tue 物騒な世の中

昨日の数理研ゼミで都内某有名高校の生徒または教員に危害を加えるという悪質な書き込みがネット上にあり,さらに近くの警察署にも犯行予告の連絡があったとのことで,校門に警察官が並び,生徒全員に学校から配られたというプリントをみせてもらった.物騒な世の中になったものだ

09.04.18 sat 午後のひととき

午後になってから職場にきてテキストを書いている.先週から高2物理が始まっているのだが,前回のアントレに続いて,今回は運動学をさらりとおえる.当初の予定では数学をほとんど使わない予定だったのだが,受講者が全員高1の段階でテイラー展開や偏微分・全微分などを一通り学んでいるので,あえて数学を使わない理由もなく,少し書き換えが必要になったわけだ.

さしあたり,主な改訂は,運動学のところに等速円運動や単振動など後で扱う予定だった方程式を入れたことで,特に,単振動は有名な「エネルギー積分」(といっても大したものじゃないけど)を使って
         m dv/dt =−kx
を真っ向から解く問題をいれたり,等速円運動の簡単な式を導出する問題をいれた.

ただし,数学を表に出さない方がよい場合はできる限り数学を使わないという方針は堅持する.(たとえばRLC回路の式など.せっかく線形なんだから,公式を使った方が私はよいと思うし,波動のところの「うなり」なんかもそう.)

というわけで,「物理学」に入るのは来週からになる.マッハのニュートン力学批判とかくだらない(というか古典的で物理的でない)議論や,第1法則はニュートンがみつけたものではなく,ガリレオが見いだし,デカルトが確立したこと,質点というよくわからん概念はボスコビッチによること,ニュートン力学が理論として閉じたものといえるのかいえないのかの学者による論争などを調べて,それらをすべておぼえるのに時間がかかっていて,やはり「指導者」になるというのは大変だと実感している.生徒は大学入試で満点とればいいのだからお気楽なもんだ.「指導者」がやるべきことは,かるくみつもっても,おそらく東大の物理で満点をとれる勉強量の50倍以上必要であろう.私の場合は2,3年かかる勘定だ.それにしても物理の本というのは書く人によってウェイトの置き方も,細かい部分の説も,そして,理由付けも違っていて,数学に慣れている私からすると「きわめて汚らしい議論」としかいいようがない.特に,何が仮定で,何がそこから演繹されるのかという部分に論理的な必要十分の間違いが多すぎる.自然科学には本質的に演繹はありえないのだから仕方ないのだが,ブルバキ「数学原論」の何かの序文に「数学とは証明である.真の意味での証明ができるのは数学に限られる.」という趣旨の言葉があったのが頭をぐるぐる回っている.

テキストを書いていたら,先週に引き続いて花畑牧場の生キャラメルをいただいた.最近は毎日のようにお菓子をもらってる気がする.



09.04.17 fri SFI

今日は家のそばに新しく(といっても何ヶ月か前?)にできたインドカレーのお店に行ってみた.

ランチタイムだというのに,お客さんはほとんどいなくてガラガラだったがご飯もカレーも間違いなくおしかった.特に,「キレがあるのにコクのある」珍しいインドカレーだったと思う.立地は悪いし,宣伝もほとんどしてなさそうだったが,もしお客さんがまともな舌をもっていれば間違いなくはやるだろうなと思った.

社会全体のお客さんたちのレベルが下がればプロの仕事はいらなくなるのはどの分野でも同じだ.そして,愚かな奴ほど自分より愚かな奴をバカにする.九九ができないとか,漢字が読めないとか...所詮はどんぐりのせいくらべにすぎないのに.

しかし,「愚か者の,愚か者による,愚か者のための政治」を治すのはやはり1人1人の人間しかいないと思う.私は1人でもSFIに通い続けようと思う.できればあまり他の人には教えたくないようなお店でもあった.


09.04.16 thur 教育

私は人を指導するようになって20年以上がたつ.その間,つくづく感じたのが,人というのは他人と会話しているようにみえて,その実自分としか会話していないということだ.そして,本当に他人と会話できる人,他人の声をききいれることができる人はとてもすぐれた資質をもっている人だというように思う.

自分が絶対に間違っていると思うこと.そして,間違っていなければならないと思うこと.さらに,間違っていてほしいと思うことを言われ,それに忠実に従えるほどたいていの人は賢くはない.そして,自分の目標の最大の敵はやはり自分なのである.

私はこの10年ほど「東京にいて,十分な教育が受けられるのに,それにもかかわらず数学ができないのは,たいていの場合,人間性に問題がある」と言ってきた.そして,それは私にとっての真実であるのだが,それを本当に理解している人はあまり多くないように思う.大学受験用の数学ができるようになるのはさして難しくない.それにもかかわらず,なぜほとんどの人が数学ができないのか? それは授業をしてみればすぐにわかる.教科書に書かれているような基本的なこと.たとえば,「微分係数f’(a)と導関数f’(x)は何が違うのか?」,「積分をつかうとなぜ曲線で囲まれた部分の面積がえらえるのか?」といったごく基本的な質問に,名門校で一桁の順にに入る子が解答できない.そして,これらのごく初歩的な質問を「いじわるな質問」と勝手に思い違いすることが多い.そのような自己中心的な態度がなければ,たいていの子は信じられないスピードでできるようになるのに,人はなぜ自分で自分の首をしめるのだろうか?

私の知る範囲でも「微分係数f’(a)のaをxに変えたものが導関数である」と真顔でいう講師が何人もいたが,そういう奴を「恥知らず」というのである.どんなに基本的なことでも,自分のわからないことになると「どうでもいいよそんなこと」という気持ちになる人間に生徒を指導する権利もない.(と私は勝手に考えている.) 

教育とは謙虚さを学ぶものであるという言葉がある.教育とは国家百年の計であるという言葉もある.しかし,現場にいる大半のクズのようなアルバイト講師は,そんなことにはおかまいなしに,「ニーズがあるからやってるんだ」とホストやホステスや風俗嬢のようなことをいうのだと思う.需要と供給で議論するなら,風俗や性風俗も立派な職業であると認めて,法律上の「差別」などもやめるべきではあるまいか? そして,もし,風俗や性風俗はやはり別だというのなら,教育も別だととらえるべきだと私は思うし,これだけ教育が荒廃してくると,近い将来に教育をある意味で保護する必要にせまられるような気もする.

私が子供の頃は,二束三文のものを高値で売るのは「水商売」といわれていたが,いまは一流企業の多くがそういうビジネスをやっている.そして,そうしないと生き残れなくなりつつある.コピー機のカセットをつけるだけで15万円かかる.原価5000円のカテーテルを病院が5万で買ってたりする.ただ同然の栄養ドリンクを,新薬の研究費がかかるからという名目で高値でうり,裏では医者の接待に莫大な金を使う.大手予備校は売り上げの多くを宣伝にくわれる.お金は回るところでのみ回るようになったのが手にとるようにわかる.そして,みなが,もはや正義は通用しなくなりつつあるのを強く感じているのがいまの現実であろう.「仕事」や「努力」と名がつけばすべて立派なものだと思っているのは普通の人もヤクザも同じってことだ.



09.04.15 wed 情熱

勉強に限らず,何かをやるときに方法論と精神論は車の両輪であるのは当然である.しかし,私が受験生を指導していていつも思うのは精神面ですでに勉強から逃げてしまっているということである.「早く受験勉強を終えたい」,「とにかく楽になりたい」と大した努力もしたこともない連中がいう.

世界を代表した数学者佐藤幹夫先生が「朝起きて,さあ数学をやろうというようなやつは話にならない.寝ている間から考えていろ.」という内容の話をしたということは有名であるし,フィールズ賞を受賞した広中先生は私が小学生の頃に「sleep with problem」ということをよく話していた.こんなのは何かを真剣にやるものにとっては当然で,男が本気で何かをやっているときに自分のやっていることを忘れられるはずもあるまい

さらに,「勉強に終わりなんてない」ってことを自覚させることも重要だと思う.「大学受験が終わればこの苦しみから逃れられる」なんて考えてる奴ははじめから逃げているわけで,まずはそこから徹底して直すべきである.「早く戦争が終わってほしいと願う兵士」と「敵を殺したくてうずうずしている兵士」では現実にはどちらが強いかはおのずと明らかであろう.学問も仕事も,毎日毎日徹底して考えて,この生活が一生続くという覚悟でやるべきだと私は考えている.(もちろん,一応は大人なので,知り合いには「いっぱい休みがとれてうらやましいですね」とはいうが,そんなことを考えたこともない.それから,現実に努力が一生続くこともまずはない.(笑)) 
私は週末を待ちわびるような人間を人生で好きなものをみつけることに失敗したみっともない大人だと感じているのかもしれない.(別に否定はしない.単なる私の主観である.あなたが他人を殺してはいけないと信じているのと全く同じ,全く正当的な理由のない気持ちである.それにたいていの人はみっともない部分があるので心配する必要もない.) 生産手段をもたない女と結婚して離婚する暇があったら自分のいるべき場所を探すのが先ではあるまいか? やたらと「楽になりたい」という末期ガン患者みたいなことをいう大人がいるが,ぷーたろうを批判する人間に限ってぷーたろうを目指しているのは滑稽以外の何ものでもない.

近年の中学生・高校生はできもしないし,努力といえる努力もしないのに,その辺のくさった女のようにうだうだとくだらないことばかりいうのが多い.それも目上の人の前でである! 昨日はあまりにもくだらないことばかりいう生徒がいたので「男なら黙って結果をだせ.」とオヤジみたいなことをいってしまった.男なら「力」をつけてから,自分の言いたいことを本気で相手の五臓六腑にたたきこむものだというのが私の考えである.相手に面と向かって何もいえないような奴はネット上で悪口でもかいて女々しい自分をさらせばよい.営業マン(ウーマン?)としての資質が開花するかもしれない.(笑)

口の利き方を知らない,中身のない人間には,まずはそのことを十分に自覚させ,力をつけさせることを教育というのではあるまいか? 私は若い頃,生徒たちに「大学入試を楽しんでこい.数学のおそろしさを教えてやれ.」と本番前によくいっていたものだ.昔の生徒は授業中にはよくないていたが本番のときは優雅なものだった.「これだけ努力したんだから,他の受験生なんて相手になりませんよ.」とよくいってくれたものだ.あの頃はあの頃で「お前それで勉強してるつもりなのか?」とよくいったものだが,近年の多くの塾のように,授業にお客さんずらしてきて,そのくせ力など全くない愚かな子たちよりはかなりましだったと思う.タクシーの運ちゃんに「最近は学校の生徒や塾の生徒をクライアントって思ってるバカな大人がいるんですよ」といったら大笑いしていたが,自分が金を儲けるために客の奴隷になるしかなかったみじめな人間であり,そのように教育されたからといって,他人もみなそうだと思ってるのには笑うしかない.そういうのは教育とはいわずに調教とか洗脳っていうのである.人はハサミと同じで使いようってことがわかってないと洗脳されて「道具」になっちゃうわけだ.

「灘校の連中にできてお前らにできないはずはない.力がないのは仕方がない.ただ,努力で負けるのはみっともない.できないならできるやつの何倍も時間をかけて,気持ちをいれて努力しろ.そして結果をだせ.それをやる気っていうんだよ.いまは絶対できないって思ってるかもしれないけど,できるんだよ.やらないからできるのがわからないだけだ!」といったがどのくらい伝わってくれているだろうか?

数日前,高澤先生は授業中に「おまえら何重苦なんだよ?」,「できないのはわかってるからちゃんと言われたことをやれ!」,「きかれたことに答えろ! 日本語しゃべれないなら中国人に日本語習え! 東大病院でも日本人より中国人の方がしっかりとした日本語しゃべってるぞ!」,「もっと現象をイメージしろよ! 君たちは想像力が足りない.いや,君たちがこんなもんだっていうことをイメージできなかった自分の想像力が足りないのか?」,「なんでできないんだよ.もう20回同じ問題やってるんだぞ.いや,できない奴になんでできないんだってきいても意味はないか?」と言っていたが,授業後に,「東大の最近の大学院生は有効数字も知らなくてぶんなぐりたくなるよ.あいつらにくらべたら塾の生徒の方がましかもなあ.いや,おんなじかな?」とそっと話していたのを思い出した.

その後,代ゼミの授業のビデオをみて,あまりにもめちゃくちゃなことを言うので2人で大笑いしたのだが.高澤先生が「やばいよ.やばいよ.こんなの公開したら代ゼミつぶれちゃうよ.」っていうから,「大丈夫ですよ.生徒に内容なんてわからないし,この先生は超人気講師なんですよ.」というと,「ほんと,どうしようもないね.」といっていた.物理の先生(?)らしいけど,あれは間違いなくお笑いの天才「エンタの神様」だった.「天才ニュートンはF=kxとF=maの類似性を見抜いた.・・・ これが物理なんだよ!」か.うける.(笑) ちなみに,経験則であるフックの法則F=kxの理由は分子間力だから電磁気力であり,その発見はニュートンがなくなってしばらくたってからなんだし,どこに類似性があるんだよ?(笑) あれば物理じゃなくて漫才のコーナーにおかないと詐欺なんじゃないかな?



09.04.14 tue 物理の初回講義

一昨日は物理の講義をした.鉄緑会にいたときに,他に物理について話せる人がいなくて,物理の講師をさておいて,私が新宿のLタワーの数百人の前で物理の勉強法について話したことがあったが,みんなの前で「物理の先生」になったのはそれ以来だったし,私などが物理学がわかっているはずもないので,生徒のとともに成長していきたいと思う.ただし,生徒が日本一効率的に得点をとれるようにするくらいなら比較的簡単にできるとは思っている.

初回の授業はやはり「物理学とは何だろうか?」的な話ではじめるべきだとは思ったが,朝永先生やアインシュタインにむこうをはるきもないので,さしあたり,物理の初歩と力学の全体像について話をした.

物理の初歩についてからは主に「有効数字」,「近似式」などについて話したが,理系数学の「偏微分と全微分」のところで話した相対誤差などについてはあえてさけて,きわめて初歩的な話しかしなかった.

「有効数字」については「測定値」を扱うという自覚がない生徒が多かったように思う.私が「次のようなメスシリンダーがあるとき,メモリのどこまで読んで測定値にするのか?」ときいてもキョトンとしている感じだった.
また,「近似式」についても,公式を使って計算することすらままならなくて,いかにも「計算は先生か携帯がやってくれるっしょ」的な連中が多かった.だから計算がのろくなるんだよ! いつも言っているように,バカになる努力をしない限りバカにはならない.だからバカになる努力はやめた方がよい.

そのあとはお決まりのNewton力学のサーベイをした.話の内容は

  (1) ニュートンの3法則はどのようにうまれたのか?
  (2) 作用反作用の法則と近接作用の矛盾について
  (3) 運動方程式と力学の勉強について
  (4) 力学といいながら「力」と「加速度」を同時には定義
     できないこと.

って感じだ.(1)はニュートンの万有引力の法則の発見とともに丁寧にのべた.特に第3法則がいかに苦肉の策であったのかを詳しく話した.「因果律と物理学」についてもちょこっとふれたが,それはふれただけにとどまった.特徴としては,ニュートン力学の大きな欠点としての遠隔作用のところをかなり詳しく述べたことと,(3)の力学の理論全体の外観はわかりやすかったと思う.(そういえば,ニュートン力学は微視的なものについてや光の速度に近いものについては正確な理論ではないが,近似理論としては有効であるということをファインマンの原書で授業前によんできかせたっけ.)〜

力学のサーベイについて,参考にしたい方もいると思うので一応書いておこう.(もちろん,こんなこと誰だって知ってることだってことは百も承知であるが,鳥瞰図をあたえておく必要はあろう.)



            【力学理論の構成】

  ニュートンの3法則

    慣性系の存在
    質点の運動方程式
    作用反作用の法則)

  運動方程式からの発展

    運動方程式 m(d2x/dt2)=f は難しい微分方程式
    である.(fはxにもtにも依存する!!)
    もう少し具体的にいえば,これは一般的に解くのは難しい2階
    微分方程式である.
                ↓
    このような場合とるべき態度は2つ.すなわち,
     (1) 解けるものだけ解く
     (2) 解けるところまで解く(1回の積分まで)
    である.

     (1)の方は等加速度直線運動,円運動,単振動他
     (2)の方は
        時間tで積分 → 運動量変化と力積の関係
        位置xで積分 → 運動エネルギー変化と仕事の関係
    
    が導かれる.

     さらに,ある点からの変位と運動方程式の外積をとると
        角運動量変化と
モーメントとの関係
    がえられ,特殊な場合について
        運動量保存
        力学的エネルギー保存 (←保存力場の場合)
        角運動量保存則
    がえられる.


高校のいまの力学はこれ以外に「剛体のつりあい」くらいで終わりだ.(もちろんケプラーの法則もあるが,これは上記の議論にすべて含まれる.)



09.04.11 sat チケット

朝起きたら5000円で出していた6万で買ったミスチルのチケットが35万で売れていた.25万にはなると思っていたし,自分で売ってて何なんだが,「よく買うね」って感じだ.(笑) ちなみに定価は15000円くらい(2枚分)のチケットで,先日生徒にただであげようかなと思っていたものだ.

チケットは3,4か月もやればだいたいの皮膚感覚でいくらくらいで売れるかがだいたいわかるし,価格の動きもだいたいの予想はつく.オークションでIDをいくつかもっていれば価格を吊り上げるのはいとも簡単だ.価格吊り上げに失敗しても自分で買ってるんだから初めからヘッジもできていて安全だ.(っていうか,普通はキャンセルして次点の人に買ってもらうのが定石だが.) 初心者はヤフオクくらいしか手をださないのかもしれないが,そういうサイトはいくらでもあって,さまざまな方法がある.この分野を真面目にやればすぐ億万長者になれそうだが,くだらなすぎてやる気もおきない.

さてと今日もいろいろとやることがある.



09.04.10 fri あいつ

ここ数日ほとんど見ていなかったオークションに落札が5件きてたので久しぶりにみてみたら,以前私から「ぶつ」をがめた人のIDがブラックリストにのっていた.「ああ,あの人つかまちゃったか.もう少しうまくやればいいのに.」と思った.まあ,詐欺がみえみえだったから仕方あるまい.

私の被害額は回転寿司にもいけない程度の金額だったので,あまりにも情けない(と私が勝手に考えている)人間に対するやるせなさはあるものの,私の場合は恵まれない人への寄付という気持ちも少なからずある.(願わくば「くれませんか?」といってくれたら私は間違いなくただであげたのでそういってほしかったが.) 

ただ,社会の仕組み・ルールが彼のような人間を生んだ可能性も捨てきれない.何事も社会のせいにする気はないが,逆に,「社会のルールがすべて」であって,「個人」は社会のルールの奴隷にすぎず,悪い(といわれること)をやるのは個人の弱さや愚かさのせいであるという極端な考えも間違っているように思う.

「社会のルール」は絶対善ではない.また,「社会のルールを守らないと混乱をきたし,無秩序が生じる」というのも短絡的過ぎるといわざるをえない.それにこの考えは論理的にはほとんど意味がない.「社会のルールを守れば混乱がおきることはない」ということは一切保障していないからである.現実に大衆がルールを守って暮らしていても,何度も戦争が起こって混乱や無秩序がわれわれの社会を襲っているではないか! いまの日本の経済の状況だって,ルールを守って生活してきた大衆に責任があるようには私には思われない.

社会は人のためにあるはずである.しかし,ほんとうにそうだろうか? 現実には少数の人だけのためにあるという現実は昔から大してかわっていない.しかも「民主主義」だとか「自由」,「平等」という言葉にごまかされている分,現代の方がある意味で深刻な気さえする.



09.04.09 thur フィクション

先日,タクシーに乗っていたら,右折禁止のところを右折したとたんにパトカーに止められて「はいはいはい,免許証だして!」と偉そうな若い警官から言われた.私は急いでいたのでタクシーにのったわけだから,「すいませんけど,料金先にしてもらえますか?」といったら,「お客さんねえ,いま取り込んでるんでそういうのは後にして下さい.」といわれたので,「お前,誰のおかげで飯食ってんだ」とは思わないまでも,「もう少し平衡感覚もとうよ」という気持ちで,「急いでるんで,次のタクシーみつけなきゃいけないし」といったところ「静かにしてー.交通違反の取締りしてんだよ」といわれてカチンときた.

知り合いのちょっと偉い警察関係の人にすぐ連絡して事情を話したところ,「電話かわってもらえる?」といわれたので警官官に携帯渡したら,一瞬で取締りはなくなった.タクシーの運転手さんから「警察関係の方ですか?」といわれたので,「警察ってこんなもんみたいですよ」といったら,「助かりましたよー」といって料金をただにしてくれた.(笑)

実は最近,ある事件の捜査資料をみせてもらったら,知り合いがいろいろやっていることが手にとるようにわかった.もちろん,守秘義務があるのだが,そこはそれ,組織ってのは「上」が絶対だからなんとでもなるわけだ.もちろん,私だって「知るはずのない」ことは「知らない」ことにしているし,泳がせて楽しんでいるわけだが,遊びたくなったら遊ぶかもしれない.

タクシーがでるときに,「あれっ? 交通違反取り締まらないで見てみぬふりでいいんですか?」と大人げなく言ってしまったが,警察官は視線すらあわさなかった.あいつらは最低のクズだと思った.偉そうにしたいなら,首(命?)かけてちゃんとルール守らなきゃだめだよ.公務員だろ?(笑)

民主主義とか自由主義とか法治国家いう言葉に踊らされるのは勝手だが,その実何もないのがみえていないのは滑稽以外の何ものでもない.真実は「力こそ正義」なんじゃないの? みんな検察みて何を学んでるのだろうか? まあ,「力」の定義はニュートン力学と同じでかなり不明確だから,これとてもあまり意味がない言葉ではあるのだが.

なんてことは法治国家のこの国ではおこるわけないか.(笑) 事実は小説よりも奇なりとはよくいったものだ. 「わかる人にしかわからない」のは世の中も数学も同じなのであろう.


09.04.08 wed コンバート

数年前に講義録をアップしたときに,どうしてもpdfに変換できないファイルがあった.(面倒だからやらなかったというのが正しいのだが(笑)) おそらくはプログラムのコンフリクトかファイルが壊れているかのどちらかだと思ったが,今日仮想プリンターを使ってマック上でpsファイルをつくって,マックのファイルを読めるようにしてあるWindowsの方でディスティラーを使ってpdfをつくってみたら問題なく読めた.

オークションにだしているライブのチケットで生徒の好きそうなのがあったので,高値がつきそうだったのをはずして生徒にただであげたらかなり喜んでいた.それ以外にも,昨日,ミスチル解散の誤報が流れたときにチケット売っとけばよかったと思ったが,そろそろオークションもあきてきたのでとっとと片づけて他のことをやろうと思う.

ちなみにチケットの転売は「転売目的」がダメなだけで,転売がダメというわけでもなく,しかも条例であって正確な意味での法律(=国家の制定した法)ではない.(ちゃんとした出品者はたいてい買値よりも安い値で出しているから転売目的とはいえないであろう.もちろん値段はぐんぐん上がるのだが.) さらに,最近の学説をいろいろと調べてみたが,配給米の頃に餓死する人をだしたからできたというのが立法趣旨であって,資本主義社会においてチケットの転売禁止はもはや意味がないというものが多いようだ.「ダフ屋が悪い」という理由がいまいちわからなかったのだが,もはや悪い根拠を理論的に述べることは不可能のように思う.「暴力団の資金源になるから悪い」というバカがいるが,そんなこといったら商行為はすべて禁止になるのがわからないのだろうか? ジャニーズのファン連中なんてファンクラブのIDを20以上もってるのがザラにいるわけだし,法律をつくるなら現実をみる目をもつ人がやった方がいいであろう.よく政治家になって視察してから「現場をみると違う」とかいう政治家がいるが,そういう人は政治家になる資格のない人間だと私は思う.さまざまな分野の現場のドロドロしたものを若い頃からみて,しかも有る程度知能の高い実行力のある人こそ政治家の先生になるべきであるのは当然のことだと私は思う.

この半年ほど「チケット界」のことはかなり研究して,チケットぴあとかイープラスに知り合いをいれているとかいろんな人に会ったりした.思った以上に原始的な方法で儲けているのをみて,いまいち面白くないかなと思った.

全然関係ないが,今日のお昼頃に「ATMの機械と(特殊相対論における)同時刻の概念と架空口座」っていう題目の詐欺を考えた.もちろん実行する気などないが,ソフトつくる人も大変なんだろうなあと思った.「FXとローテイション」なんてのは誰でも考えると思うが,いろいろと思考実験すると「無から有を取り出す方法」っていうのはあるもんだなと思う.

あっ,そういえば,生徒に公約していたジャニーズ系についてまだやっていなかった.ずいぶんと調べたので今年10周年の「嵐」あたりを中心に有終の美を飾ってからオークションを終えよう.(笑)

それにしても政治家のパーティー券を買う行為を法律でなぜ止めないのだろう? パーティーにいって楽しいわけでもあるまい.下々の者(←これは官僚の友人の言葉)の「自分が得すれば何でもいい」という気持ちを利用したきわめて悪質な商売であるのは明らかであり,民主主義の原則に明らかに反する行為である.止めようとすれば厳罰(=即無期懲役にして,資産没収して,チクッた人に全部あげるとか)を金を出した方に科せば明日にでも止めることができるはずなのに,自分たちで法律つくる連中は一体何を考えているのだろうか? どうせ悪いことやるならもっと頭つかってスマートにやれよといいたい.ド素人に見える形でしかわるができないなんてプロ失格だ.悪だって天才的ならそれはまた芸術であろうに.それに,悪でも角栄みたいに,悪の何倍も良いことしてくれているならそれでいいとも思う.「政治家」なんだから,最もいけないことは「政治ができないこと」ではあるまいか? クリーンが目的なのはダスキンくらいで十分だ.


09.04.07 tue がせ

知り合いから「おいしいお菓子がある」という情報をもらってわざわざ新宿の伊勢丹まで買いに行って,黒船のポンタラスクというふざけた名前のお菓子をいくつか買ってきた.

カステラでつくったラスクということなのだが,甘いだけで全然おいしい気がしなかったので全部生徒にあげてしまった.一緒に買ったどら焼きの方はわりとおいしかったので,あんこの好きなわんちゃんにあげた.

黒船のメインはカステラだ.「カステラはおいしいですよ」という生徒が2人いたが,人生は独立試行であることはわかっているものの,やはり買いに行く気はしなくなった.



09.04.05 sun チーム

今日は修学旅行で欠席した生徒がいたことや,午後の授業をいつもより30分以上早くはじめたことで線形代数特別講義は休講にした.線形代数特別講義にだけ出席している生徒に電話で連絡したところ「いま家をでるとこだったのに!」と言われたが,前の授業の生徒を1時間半近く待たせるのもどうかと思い我慢してもらった.

今日は授業をしながら「この子たちは個人の力しかだせていない」と何度か感じた.これは明らかにクラスの指導者としての私の力不足であり,なんとか共通の目標をもたせ,面倒見をもっとよくした上で,本人の力を100%以上ださせる方法を考えながら授業を行っていた.そもそもせっかく人を一箇所に集めているのだから,チームとしての力をださせて当然なのだ.

みんなは「こんなこと絶対にできない」と思ったことをやったことはあるだろうか? もちろん現実にはできるわけだから,「絶対にできない」と考えるのは目標を設定する段階にすぎず,やってみれば実現できることはすぐにわかる.単に,はじめの設定が間違っているわけだ.

私にとっては高校数学を小学校5年の夏休みに40日きっかりかけて全部終えたのが最初の機会であった.40日でやった本の厚さは1mほどだったと思う.おかげで計算力もついて,チャート式は1日で1冊すべての問題を解くことができるレベルの計算力がついた.その後は中学1年の夏に大学の数学をかなり徹底して勉強した.このときは40日以上一歩も外に出ずに1日24時間数学しか考えずに暮らしたが,当時考えていた目標はクリアできなかったように思うが,不思議と挫折感はなかった.いま考えてみると驚異的な量の勉強をしたと思う.その後も中2になる直前にガロア理論(←いまの東大のカリキュラムでは大学院の内容)を徹底して勉強して,わからないところは最低限覚えこもうとしたものだが,あまりうまくいかなかった.これは目標自体の高さと私のポンコツ頭と当時の不親切な本しかまわりにないという環境と独学の限界に起因している.しかし一応「根性」だけはあったと思う.当時一番気にしていた「自分でこの理論を発見することができるのか?」という問いには「どうみても無理」という感覚しか得られなかった.要するに全く「理解」できていなかったのだ.いまなら,「(有限次拡大の)ガロア理論が感じられないなんてミゼラブルだね」といえるレベルまでは理解しているつもりだ.あくまでも古典論に関してであるのは多くの大学の先生と同じだけど.(笑) 高校時代は遊びまわった記憶しかないが,それでも,高2の頃に学校を休んで3週間高校物理を勉強した.このときは目標がかなり低かったこともあり,そのすぐ後の高3生用の模試では物理で全国1位を単独でとった.そのときは「くだらないことに3週間もかけて時間の無駄をした」と感じていたが,ともかく読んだことはすべて記憶して「一生みないですむことにする」ことを目標にした.もちろん模試の成績は「当然のこと」にすぎなかった.

私は「絶対できない」と子供たちが「思い込んでいる」ことでも,たいていのことはできると思っている.ただ,いまの私の場合,自分の無力のせいでそれを生徒たちに体験させてあげる方法がなかなかみつからないのだ.東大合格とか医学部合格とかいう安っぽい目標じゃなくて,どろにまみれて掴みとるような経験をさせてやりたいと思う.指導者が時間と労力をさき,ない智恵をしぼり,チームの力を開花させるのが重要であるし,それが指導者の醍醐味だと思うのだが,なかなか難しい.

100の力をもっていると本人が思っている,周りも思っている子を150の力まで伸ばすのが教育ってもんではなかろうか? 新幹線の速度で世界記録をつくった頃の日本人ならそういったのではあるまいか? 自分で限界を定めることほどつまらなくてアホらしいことはない.つまらない人生が大好きなQOL論者には伝わらないのは百も承知で書いてみた.

あっ,大事なことを書き忘れていた.この2週間ほど仕事関係以外の人からの電話はすべて無視している.おかげで今日はもう100件以上の電話が入っている.「仕事と心中してるのか」と思ってあきらめてくれるといいと思う.しばらくはこれしか興味がないし,オヤジとしゃべってもしょうがないでしょ.(笑)



09.04.04 sat 物理指導ことはじめ

物理の講義を来週から始めないといけないので,いま「物理入門」,「運動学」,「力学」のテキスト作成の最終段階に入っている.

教室移転にともないネットワークの再構築をしたり,過去のデータベースを新しいデザインで表示させたり,データを修復したりしつつ,授業や業者さんとの打ち合わせをしていたらあっという間に時間がたってしまったが,ようやく落ち着いて本が読める環境になってきた.

昨日,昔しっかりと全部読んだ本のうち上記分野の解説に役立ちそうな本にもう1度目を通してみた.ざっと次のような本だ.

     高野義郎  「力学」       (朝倉書店)
     戸田盛和  「力学」       (岩波書店)
     西島和彦  「力学系と自然法則」 (産業図書)
     江沢 洋  「物理学の視点」   (培風館)
     ????  「演習力学」     (サイエンス社)
     野上茂吉郎 「力学演習」     (裳華房)

もちろん,読んだ本はファインマンとか読んだだけならこの数倍はあるが,高校生に物理の初歩を指導する際に意味のなさそうなものを読んでいる暇はないのだ.

私は高校物理を勉強したのが人生で3週間だけ,大学以後の物理は全部で1〜2か月しかやっていないのでそんなにいっぱいないはないし,物理がわかってるなんてつゆほども思っていない.ただ,案外知識は覚えているもので,ほとんどの本は「実にくだらないこと」しか書かれていないと思ったし,何もみないで説明してみろといわれれば,ほぼ完璧に再現することができる.こう思えるのも,実にくだらないことをしっかりと勉強した賜物である.

本について一言言っておくと,力学から一歩すすんだ「解析力学」のゴールドスタインとかランダウ=リフシッツとかをすすめる人もいるであろうが,上記の本の西島和彦さんの本は私が高校時代に読んで感銘を受けた本であり,後に,京大の物理学科の3〜5学年上の先輩たちと毎日のように一緒に議論したときにみなが知っていた本だ.ちょっと生意気な高校生諸子にぜひおすすめしたい.当時,前期量子論のでたらめな理論を勉強して,「ラザフォード散乱の実験結果の計算に古典力学を使って計算してよいのか?」など多くの疑問をもっていたところ,この本にははっきりと「計算結果の一致は偶然である」とはっきりと書かれていた.その他の点についても将来重要な概念になることが書かれていて,真剣に「物理学を理解したい」と思っている高校生にはおすすめである.だから,私は過去20年にわたって数学の受講生によくすすめていたのである.

こういう本を咀嚼した上で,誰よりも簡単なテキストと訓練のシステムをつくるのがこれから1年間の仕事である.ちまたには,私の数学指導についてとやかくいう輩がいるものと思う.私自身も自分が最高だなどと考えたことはない.しかし,私より下手な犯罪もどきの指導をしている講師は多く知っている.ノートを見る限り,それはほぼ100%だと感じる.中学・高校時代,私は本屋の受験数学の本を三省堂・大盛堂・書泉グランデといった本屋さんで毎日のようにみては知らない本があったときはすべてやっていた.いまは私の知らない本もわりとあって,それらを手にとるごとに「またクズが本書いてるよ」と感じる.自分の小学生の頃の知識もない連中の書く本など読む必要はないであろう.指導者とは最低限その程度の努力をすべきであるというのが私の考えであるし,そうした者にしか見えないものが見えてくるものだ.

数学のクラスの方も今年はいろいろと新しい企画があるので,受講生には楽しみにしているように言っているし,具体的な準備も進んでいる.本年度は楽しんで仕事させてもらうことにしよう.「ここの書くのはどうでもいいことだけ」というのが私のポリシーだし,真に重要なことは公にはどこにも書かないのが私のやり方だ.受講生にはちゃんと話してあるし,メールのやり取りをしている地方の方々(教材を買っているかどうかは別)にも少しは書いている.それで何の問題もあるまい.

さてと,生徒がお土産にもってきてくれた「しらす」でも食べて,明日の授業に備えることにしよう.昨日の中学生の授業のときに,「日本語でわかりやすく言うとどうなる?」と聞き返したときに「今日まで習ってた平岡の先生よりはずっとうまく説明してるよ」と笑って答えていたのにはうけた.帰りに「数学の先生もひどいのが多いんですよ」っていってたから,「そうなんだ?」といっておいた.「わかりやすく説明することの重要性」がわかってくれてよかった.そして,塾関係者や大学関係者にもこの言葉が「あなた」に向けられていることをあえて強調しておきたい.学生のレベルは下がったと思うが,先生のレベルはもっと下がっているのだから.私は中学生・高校生を指導するのがちょうどよい知能だと思うが,大学にちょうどいい知能の先生というのを私は20人も知らない.