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「二酸化炭素(CO2)の排出を大きく削減する省エネ冷蔵庫」。その看板に偽りがあった。日立製作所の家電子会社・日立アプライアンスによる、あきれた「エコ偽装」である。
廃家電からリサイクルした樹脂を断熱材に使ったことで、製造過程で出るCO2が最大で48%も減った――。同社は9種類の冷蔵庫について、そのように宣伝していた。
ところが実際には、リサイクル素材を使っていたのは一部の機種だけで、CO2削減量は多い機種でも15%にすぎなかった。このため、公正取引委員会が景品表示法違反で排除命令を出した。エコ性能を前面に出した商品では初めてのことである。
問題の冷蔵庫は、財団法人・省エネルギーセンターの省エネ大賞を受けたこともある。環境問題に敏感な消費者心理に訴えて、合計で15万台というヒット商品になった。「地球温暖化の防止に加わりたい」と思って買った人も多いにちがいない。
世の中の役に立ちたいと思う善意をあざむく。なんとも悪質な偽装だ。「開発部門と宣伝部門に連絡不行き届きがあった」と同社は説明するが、事務的なミスでは済まされない。まして「日立はすべてを、地球のために。」という環境理念を掲げる企業である。グループ全体で猛省し、理念に沿うよう出直してほしい。
安全な食品への関心が高まる中で、食品偽装が近年相次いでいる。昨年は再生紙で古紙配合率の偽装が発覚した。今後は環境意識に乗じた偽装も警戒しなければいけない。
家電や自動車、住宅など幅広い業界が「省エネ」や「低炭素」を売りにする商品の開発を競っている。政府も、省エネ家電の購入を促すエコポイント制度や、エコカーへの買い替え補助などで、後押ししようとしている。
エコ商品は、不況と環境問題を解決するグリーン・ニューディール(緑の内需拡大)政策の要の一つだ。
偽装でエコ商品が信頼を失えば、売れ行きが落ちるだけでなく、温暖化防止や生態系保全にブレーキがかかってしまう。エコ商品を製造・販売するすべての企業は、重い責任を負っていることを自覚してほしい。
再発防止には、エコ偽装を見逃さないことが欠かせない。景品表示法は、秋に発足する消費者庁の所管に移る。しっかり取り組んでもらいたい。
今回のような原材料の偽装は、見抜くのが難しい場合もある。景品表示法の罰則を強化し、悪質なエコ偽装を割に合わない行為にすることも検討に値するのではないか。
企業や行政、消費者が一丸となってエコ商品やエコ市場を育てていく。そうすることで、地球のグリーン化の流れを確かなものにしたい。
たかが供え物、されど、である。
靖国神社の春季例大祭に、麻生首相が真榊(まさかき)を奉納した。「内閣総理大臣 麻生太郎」という札がついたサカキの鉢植えで、代金は私費で5万円を支払ったという。
首相は昨年10月の秋季例大祭にも真榊を奉納していた。現職の首相が真榊を奉納するのは、2年前の安倍元首相以来のこと。それ以前は20年以上前の中曽根元首相までさかのぼる。
麻生首相は「国のために尊い命を投げ出された方々に対して、国民として感謝、敬意を表するものだ」と、事実を認めた。「供え物を出した、出さないは言わない」と明言を避けた安倍元首相に比べれば率直ではある。
一方で、なぜ参拝ではなく供え物にしたのかを問われると「説明する必要を感じない」「いろんな状況を勘案して」などと口を濁した。今後参拝するかどうかについては「適切に判断する」と、安倍氏同様のあいまいさだ。
遺族や国民が戦没者を悼み、感謝をささげたいと思うのは、ごく自然なことである。春秋の例大祭や終戦記念日などに靖国神社に参ったり、供え物を納めたりするのも、その気持ちの素朴な表れだろう。
だが、内閣と政府を代表し、外交に責任をもつ首相がそうした行動をとるとなると、問題は別である。
戦前、陸海軍が所管した靖国神社は、軍国主義の象徴的な存在であり、日本の大陸侵略や植民地支配の歴史と密接に重なる。神社内にある戦争博物館「遊就館」は、そうした過去を正当化する歴史観をいまも伝えている。
先の大戦の責任を負うべきA級戦犯を合祀(ごうし)したことで、天皇の参拝も75年を最後に止まった。01年から6年続いた当時の小泉首相の参拝をめぐって国論が二分され、隣国との関係が激しくきしんだことも記憶に生々しい。
いくら私費でも、首相の肩書での真榊奉納が政治色を帯びるのは避けられない。憲法の政教分離の原則に照らしても疑問はぬぐえない。
小泉氏が火をつけた靖国論争は、こうした靖国神社の性格や歴史を改めて浮かび上がらせた。
首相自身も外相当時の3年前、靖国神社が宗教法人である限り、政教分離原則から首相や天皇の参拝は難しい、宗教色を除いた特殊法人にすべきだ、という論文を発表したことがある。
参拝でないとはいえ、いまも宗教法人である靖国神社に真榊を奉納することは、論文の趣旨と矛盾するのは明らかだ。
近づく総選挙を意識してのことなのだろうか。自ら参拝するつもりはないけれど、参拝推進派の有権者にそっぽを向かれるのは困る。せめて供え物でメッセージを送れないか。そんなご都合主義のようにも見えるのだが。