以下、リバイバル・ジャパン5月1日号より、ビュン牧師の弁明。何の不品行もなく、何の非倫理的行為もなく、全てが濡れ衣のでっち上げであり、被害者が言う一切の事実はないというのであれば、なぜ、辞任するのか、さっぱり理解できない。むしろ、嘘でたらめを並べて言いがかりをつけてきた被害者たちに敢然と向かい合い、代表職のまま全責任を負って厳しく対峙することこそ彼の責務になるはずだが、「騒ぎ」を起こしたことそれ自体に責任をとって辞任するという意味不明の弁明。その「騒ぎ」が全く根拠のない言いがかりであるならば、ヤクザや暴力団から脅しを受けていることと質的に何の違いもない。堂々と渡り合って対決するが良い。
 
 初めはおろおろしながら土下座までして、韓国へ一時逃亡した(本人は山籠もりして断食していたと言う)人物の哀れな「弁明」である。

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 ― 昨年の12月20日に信徒たちを集められましたよね。あれは何の目的でしたか。

 卞 噂をどんどん広められましたが、内容が分からない。そして、信徒には大混乱が起こりました。私は全国の牧師会(シナッド)を開いて、話したんです。この騒ぎが起こったこと自体に、指導者として責任がある。私は訴えられていることだけでも責任がある。私は道義的な責任によって辞任するから、みんな一つになってほしい。これ以上沢がないように。羊たちがバラバラになってしまわないようにしてほしい。そう要請したのです。でも、集まったら暴徒ですよ。あんな姿、初めて見ました。祈ろうとしても「なんで祈るんですかー」「被害者がいるじゃないですかー」と叫ぶんです。被害者はだれですか。私が被害者ですよ。誰が私より被害を受けていますか。そして、一人の被害を受けたという女性が「私は50回セクハラを受けました。準強姦でした。答えよ」と言うんです。

 ― その時に土下座をされようとしたでしょう。

 卞 辞任文章を読んで、そのまま土下座しました。この騒ぎが起こったことだけでも指導者には責任があるという意味です。指導者として足りなかった。お詫びするという意味です。セクハラとは関係ないんです。それは「ノー」とはっきり言っているんです。

 ― その被害を受けたという方が「今から説明しますから」と発現され、それに対して「わたしはそのために来たんじゃない」と答えておられますよね。

 卞 それは、あなたと争うために来たのではなく、この辞任をするために来たという意味です。セクハラ50回云々に対しては「ノー」しかないんじゃないですか。それと、承認に関しては、聖書の解釈は・・・