ついでに思ったこと(^^;

賽銭って、それをする人ってなんか、
何の疑問もなく投げ込んでるよね?

そのお金がその後、どこに行って誰に使われるかなんて、
誰も気にしてないよね。
会計報告を出せとか誰も言わない。
坊主や神主がその賽銭で、豪邸に住もうがベンツに乗ろうが。
文句を言わない。

それなのに、クリスチャンは献金の行方を、
凄く気にするんだよw

定期的に会計報告することを当たり前だと思ってるし、
牧師や神父が豪邸に住むのは言語道断、
高級車なんて、何考えてんだ!?的な。

寄付でもしてるつもり?


坊さんが贅沢してるとか、いいたいのじゃなくて、
お金を出す側の信仰の問題ね。

賽銭をする人ってのは、そのお金の行方よりも、
そうすることで、自分の願いや幸せを求めているわけでしょ。
そうゆう信仰な訳じゃん。

たしかに献金は賽銭とは意味合いが違うけど、
それで、幸せを買うって性質ではないけど、
自分が捧げる相手が誰なのかをちゃんと
意識してるのかなということ。

金額ではなく献金する人がどこを見て献金しているかが
神様から問われているのだということを
もっと認識する必要がアルのじゃないかと思う。

by hosannahosanna_hs | 2009-04-02 11:23 | キリスト教のこと、宗教のこと | Comments(0)

名前 :
URL :
非公開コメント
削除用パスワード設定 :

< 前のページ  次のページ >