2006年 05月 26日
箴言 9章8節
あざける者を責めるな。
おそらく彼は、あなたを憎むだろう。
知恵のある者を責めよ。
そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。
箴言 9章8節
「2ちゃんねる」やブログなどでたまにあるようだが、なるほど、言い得ている。
このくだりの前の7章には「あざける者を責める者は、自分が恥を受け、悪者を責める者は、自分が傷を受ける」 ともある。
もともと議論するつもりがなく、ただ、罵ることのためだけに書き込んでいるような人を相手にすると、とても疲れる結果になる。
ワシは思う。
知恵とはなんぞや?
知恵とは、知っている事なのか?
ワシの思うに、知恵とは自分が知らないということを知っていることではないかと・・・。
人はどれだけのことを知り得ようか?
あらゆる情報をこともなく入手できるコンピュータという道具は人は手に入れた。
しかし、そこから我々が得る情報は、すべて正しいとはいえないことは、周知の事実だ。
では、どうやって、それを見分けるのか?
ただ、自分の好みにあうか、自分が知っていると思っていることに、がっちするか。
それが判断基準であって、それは、当人にとって好ましい結論ではあっても、その実、事実と必ず一致するものではない。
だから、賞賛する人よりも、責める人の方が大事なのかもしれない。
傲慢に陥らないために。
おそらく彼は、あなたを憎むだろう。
知恵のある者を責めよ。
そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。
箴言 9章8節
「2ちゃんねる」やブログなどでたまにあるようだが、なるほど、言い得ている。
このくだりの前の7章には「あざける者を責める者は、自分が恥を受け、悪者を責める者は、自分が傷を受ける」 ともある。
もともと議論するつもりがなく、ただ、罵ることのためだけに書き込んでいるような人を相手にすると、とても疲れる結果になる。
ワシは思う。
知恵とはなんぞや?
知恵とは、知っている事なのか?
ワシの思うに、知恵とは自分が知らないということを知っていることではないかと・・・。
人はどれだけのことを知り得ようか?
あらゆる情報をこともなく入手できるコンピュータという道具は人は手に入れた。
しかし、そこから我々が得る情報は、すべて正しいとはいえないことは、周知の事実だ。
では、どうやって、それを見分けるのか?
ただ、自分の好みにあうか、自分が知っていると思っていることに、がっちするか。
それが判断基準であって、それは、当人にとって好ましい結論ではあっても、その実、事実と必ず一致するものではない。
だから、賞賛する人よりも、責める人の方が大事なのかもしれない。
傲慢に陥らないために。
by hosannahosanna_hs | 2006-05-26 10:44 | キリスト教のこと、宗教のこと | Comments(0)