2009年 04月 02日
私が生きるわけ
重いっすw 重い上に長いw
まあ、がんばって読んでねw
私の両親はクリスチャンだ。が、決して「立派な」とはいえない感じだ。
それでもオヤジは長老を経て、私が中学生のときに牧師になっている。
今も広島の片田舎で、教会の看板を出して礼拝している。
残念ながら、参加している信者は母だけだが・・・。
父は非常に厳しい人で、信仰においても、人に到底実行不可能なまでの厳格さを求めるような人だ。自分さへもできないことを認めつつも・・・
そんな環境で育ったものだから、というかむしろ私は、反発するほうを選んでしまった。
父はとても怖い人でもあったので、普段、父の前では信者のふりをし、影ではキリスト教をナジるような生活をしていた。
父の教会は、一時期は信者が増えて、最大20人くらいまでになったこともあった。だからそれなりに献金も集まっていたので、こっそり、その献金をちょろまかすなんてこともやっていた。
インターネットが普及して、いろいろなサイトが登場し始めると、私はそれらの中から、クリスチャンが運営しているサイトや、「2ちゃんねる」などで、クリスチャンを馬鹿にする側に立って、書き込みをするようになっていた。
聖書のことキリスト教のことを何も知らないで書き込んでいたのでは、無視されるので、聖書をくまなく読み、キリスト教関係の本を読み漁ったものだ。ただただ、キリスト者を批判するために。
そのころの私の家は裕福とはいえなかったけれど、生活に困るということはなかった。
私も高校を卒業して自分で働いて給与をもらっていたし、だから、生活の心配はなかった。
しかし、別な心配があった。
このままでは、結婚どころか彼女を作るのだって、ままならない。
なにしろ、けっしてかっこいい風体じゃなかったし、ファッションセンスもいまいち。運動が嫌いだから、体系もよくないし、きつい遠視なので、虫眼鏡のような分厚いレンズのメガネをせざるおえない。
せめて性格が、前向きだとか、明るいとか、気が利くとかすればいいのだけれど、それさへもすべて反対な性格・・・
そして決定的に駄目だと思っていたのが、オヤジのこと・・・
あんなオヤジでは、彼女ができたとしても、あわせることは恥ずかしすぎる。
キリスト教というだけなら、それが世間一般のクリスチャンとなんらかわらない人ならば、合わせることはやぶさかではないけど、オヤジは特殊すぎる。これでは無理だ!
そう思っていた。
結婚するなら、クリスチャンでない方がいい。
しかしそれでは、オヤジが許可しないだろう。
どうしてもとなれば、家を出るしかない。
しかし、家を出て生活する自信がない・・・
焦りというより諦めというか、むなしさからだったかもしれない。
そんなときに、オヤジの神学校での友だちだと言う人から、オヤジに連絡があった。
私と見合いさせたい女性がいるというのだ。
その友だちは韓国人で、女性ももちろん韓国人だ。
海外旅行もしてみたかったし、適当に見合いして、断ればいい。
いや、間違いなく向こうから断ってくる。
そう思って韓国に渡った。
はじめにあった女性は、予想どおりに断ってきた。
あとは滞在日数を観光に費やせる。
そのとき、オヤジが幼少のときにすごしたという場所に立った。
大嫌いなはずだったオヤジのほとんど故郷といってもいい場所に立った私は、なぜか涙があふれていた。何に感動しているのかわからなかった。
そして、もう明後日には日本に帰るというときになって、先のオヤジの友だちから、リベンジの申し出があった。
何度やっても同じ。断られておしまい。
そう思いながら、ふたたび見合いの席に着いた。
でも、前に現れた女性に、ちょっといいかも?と思ってしまった。
思ってしまったところで、向こうから断られるんだから・・・。
次の日、空港のロビーからの電話で、彼女がOKしたことを聞いた。
びっくりした。
彼女がOKなら、こちらもOKだと伝えた。
後日知ったのだが、彼女は私に惹かれたのではなく、オヤジが牧師だというので、OKしたらしい。
しかしそのオヤジが見合いのときにしたいろいろな説明は、半分ホラだったのであって、だから、二人きりになったとき、そのことを片言の韓国語ながら伝えたのに・・・。
教会を三つ持っているというのは嘘で、本当はひとつしかない。
信者が200人いるというのも嘘で、ゼロがひとつ多すぎる。
私の仕事がゲームプログラマーで、韓国に出ているゲームのすべては私が作った、というのは間違いで確かにゲーム会社にいるけど、私はプログラマーじゃないし、その会社の作ったゲームで、韓国にあるのはひとつだけ。
二人きりでの話は終始、オヤジのついたホラの修正に費やされたのに、OKだというのである。
この女性はつわものだ! オヤジとうまく渡り合えるかもしれない、千載一遇の逸材かもしれない。
そう思ったから、こちらもOKした。
それに、彼女は信仰者ではあったけれど、日本に来て生活すれば、それに私が説明すれば、捨教してくれるかもしれないという淡い期待もあった。
結果から言うと、彼女とオヤジはあまりうまくいかなかった。
結婚して数ヶ月は一緒に住んだが、限界を感じて、私たちは家を出た。
そして私の思惑もうまくいかなかった。
彼女はむしろますます信仰が強くなり、私も説得する気概を失ってしまった。
子供が思い後遺症が残るかもしれない病気になり、会社が倒産して職を失い、車を借金のかたに取られ、せっかく購入したマンションは競売にかけられ、頭に思い浮かぶのは「自殺」の二文字ばかりだった。
「神様なんてぜったいいない!」「いるはずがない」
そこへ、両親と妻が不仲になる決定的な事件がおこり、私はそのとき思わず、母の顔を殴ってしまった。
「もう駄目だ」「死のう」そう思った。
山の中で、ロープを持って適当な木を探していたとき、人に見つかって、実行できなかった。
実は少しホッとした。
すべてを忘れるために、妻と子供を連れて日本を離れ、韓国で日本語学校のフリートークの講師をしたりしながら、一年くらいすごした後、広島には戻らず千葉に移って生活することにした。
奇跡はそこで小さく花開いた。
職のない、日本での住所も定まってない、私たち家族に、その地の不動産屋は快く部屋を紹介してくれた。保証人もなしで。
仕事はあったりなかったりしたが、その地で知り合った教会の先生に助けてもらいながら、なんとか生活を守った。
お世話になってるから仕方なくはじめた奉仕や、その教会の信者さんたちとのふれあいの中で、私のキリスト教への不信感がほどけていった。
私は聖書について、キリスト教について、オヤジによって刷り込まれたことの多くを勘違いしていたのだとわかってきた。
そして、少しずつ信仰を育ててきている。
平易な日ばかりではない。
いやむしろ、難関が次から次へと襲ってくる。
誰かに助けてもらいながら、あるいは考えられないタイミングで状況が好転したりすることもあるけれど、決定的問題解決の道は見えていない。
今現在、やっと喜んでできる仕事を手にしたのだけど、それも、ある事件をきっかけに、危うい状態に追い込まれている。
神様を信じれば、悩みはたちどころにすべて解決?
信仰があれば、病気にならない?
献金をすれば、金持ちになれる?
時々、そんなことを口走る人がいる。
聖書のどこにそんなことが書いてあるのか?
実は、この世において信仰を貫くことは、この世において必ずしも幸せになれることを保障などしていない。それは、キリスト教がご利益主義ではないからだ。
目先の利益のために信じる人は、日本の多神教が示すように、ご都合的に神様を乗り換える。
役に立たないと思ったら、捨ててしまえるそんな信仰を私は大切にしたいとは思わない。
私が今、試練にあるというのなら、それは私にとって、そして私の周りにとって意味があるのだと思う。どんな意味かは今はわからない。いやこの先も死ぬまでわからないかもしれない。でもきっと、天に召され、神様の前に立ったとき、すべてのことがわかるのだと思う。
だから、今は苦しみを苦しみ、悲しみを悲しみ、うれしさを喜び、感動にいやされたいと思う。
私が私を演じ続けることが、きっと神様の望みだから。
まあ、がんばって読んでねw
私の両親はクリスチャンだ。が、決して「立派な」とはいえない感じだ。
それでもオヤジは長老を経て、私が中学生のときに牧師になっている。
今も広島の片田舎で、教会の看板を出して礼拝している。
残念ながら、参加している信者は母だけだが・・・。
父は非常に厳しい人で、信仰においても、人に到底実行不可能なまでの厳格さを求めるような人だ。自分さへもできないことを認めつつも・・・
そんな環境で育ったものだから、というかむしろ私は、反発するほうを選んでしまった。
父はとても怖い人でもあったので、普段、父の前では信者のふりをし、影ではキリスト教をナジるような生活をしていた。
父の教会は、一時期は信者が増えて、最大20人くらいまでになったこともあった。だからそれなりに献金も集まっていたので、こっそり、その献金をちょろまかすなんてこともやっていた。
インターネットが普及して、いろいろなサイトが登場し始めると、私はそれらの中から、クリスチャンが運営しているサイトや、「2ちゃんねる」などで、クリスチャンを馬鹿にする側に立って、書き込みをするようになっていた。
聖書のことキリスト教のことを何も知らないで書き込んでいたのでは、無視されるので、聖書をくまなく読み、キリスト教関係の本を読み漁ったものだ。ただただ、キリスト者を批判するために。
そのころの私の家は裕福とはいえなかったけれど、生活に困るということはなかった。
私も高校を卒業して自分で働いて給与をもらっていたし、だから、生活の心配はなかった。
しかし、別な心配があった。
このままでは、結婚どころか彼女を作るのだって、ままならない。
なにしろ、けっしてかっこいい風体じゃなかったし、ファッションセンスもいまいち。運動が嫌いだから、体系もよくないし、きつい遠視なので、虫眼鏡のような分厚いレンズのメガネをせざるおえない。
せめて性格が、前向きだとか、明るいとか、気が利くとかすればいいのだけれど、それさへもすべて反対な性格・・・
そして決定的に駄目だと思っていたのが、オヤジのこと・・・
あんなオヤジでは、彼女ができたとしても、あわせることは恥ずかしすぎる。
キリスト教というだけなら、それが世間一般のクリスチャンとなんらかわらない人ならば、合わせることはやぶさかではないけど、オヤジは特殊すぎる。これでは無理だ!
そう思っていた。
結婚するなら、クリスチャンでない方がいい。
しかしそれでは、オヤジが許可しないだろう。
どうしてもとなれば、家を出るしかない。
しかし、家を出て生活する自信がない・・・
焦りというより諦めというか、むなしさからだったかもしれない。
そんなときに、オヤジの神学校での友だちだと言う人から、オヤジに連絡があった。
私と見合いさせたい女性がいるというのだ。
その友だちは韓国人で、女性ももちろん韓国人だ。
海外旅行もしてみたかったし、適当に見合いして、断ればいい。
いや、間違いなく向こうから断ってくる。
そう思って韓国に渡った。
はじめにあった女性は、予想どおりに断ってきた。
あとは滞在日数を観光に費やせる。
そのとき、オヤジが幼少のときにすごしたという場所に立った。
大嫌いなはずだったオヤジのほとんど故郷といってもいい場所に立った私は、なぜか涙があふれていた。何に感動しているのかわからなかった。
そして、もう明後日には日本に帰るというときになって、先のオヤジの友だちから、リベンジの申し出があった。
何度やっても同じ。断られておしまい。
そう思いながら、ふたたび見合いの席に着いた。
でも、前に現れた女性に、ちょっといいかも?と思ってしまった。
思ってしまったところで、向こうから断られるんだから・・・。
次の日、空港のロビーからの電話で、彼女がOKしたことを聞いた。
びっくりした。
彼女がOKなら、こちらもOKだと伝えた。
後日知ったのだが、彼女は私に惹かれたのではなく、オヤジが牧師だというので、OKしたらしい。
しかしそのオヤジが見合いのときにしたいろいろな説明は、半分ホラだったのであって、だから、二人きりになったとき、そのことを片言の韓国語ながら伝えたのに・・・。
教会を三つ持っているというのは嘘で、本当はひとつしかない。
信者が200人いるというのも嘘で、ゼロがひとつ多すぎる。
私の仕事がゲームプログラマーで、韓国に出ているゲームのすべては私が作った、というのは間違いで確かにゲーム会社にいるけど、私はプログラマーじゃないし、その会社の作ったゲームで、韓国にあるのはひとつだけ。
二人きりでの話は終始、オヤジのついたホラの修正に費やされたのに、OKだというのである。
この女性はつわものだ! オヤジとうまく渡り合えるかもしれない、千載一遇の逸材かもしれない。
そう思ったから、こちらもOKした。
それに、彼女は信仰者ではあったけれど、日本に来て生活すれば、それに私が説明すれば、捨教してくれるかもしれないという淡い期待もあった。
結果から言うと、彼女とオヤジはあまりうまくいかなかった。
結婚して数ヶ月は一緒に住んだが、限界を感じて、私たちは家を出た。
そして私の思惑もうまくいかなかった。
彼女はむしろますます信仰が強くなり、私も説得する気概を失ってしまった。
子供が思い後遺症が残るかもしれない病気になり、会社が倒産して職を失い、車を借金のかたに取られ、せっかく購入したマンションは競売にかけられ、頭に思い浮かぶのは「自殺」の二文字ばかりだった。
「神様なんてぜったいいない!」「いるはずがない」
そこへ、両親と妻が不仲になる決定的な事件がおこり、私はそのとき思わず、母の顔を殴ってしまった。
「もう駄目だ」「死のう」そう思った。
山の中で、ロープを持って適当な木を探していたとき、人に見つかって、実行できなかった。
実は少しホッとした。
すべてを忘れるために、妻と子供を連れて日本を離れ、韓国で日本語学校のフリートークの講師をしたりしながら、一年くらいすごした後、広島には戻らず千葉に移って生活することにした。
奇跡はそこで小さく花開いた。
職のない、日本での住所も定まってない、私たち家族に、その地の不動産屋は快く部屋を紹介してくれた。保証人もなしで。
仕事はあったりなかったりしたが、その地で知り合った教会の先生に助けてもらいながら、なんとか生活を守った。
お世話になってるから仕方なくはじめた奉仕や、その教会の信者さんたちとのふれあいの中で、私のキリスト教への不信感がほどけていった。
私は聖書について、キリスト教について、オヤジによって刷り込まれたことの多くを勘違いしていたのだとわかってきた。
そして、少しずつ信仰を育ててきている。
平易な日ばかりではない。
いやむしろ、難関が次から次へと襲ってくる。
誰かに助けてもらいながら、あるいは考えられないタイミングで状況が好転したりすることもあるけれど、決定的問題解決の道は見えていない。
今現在、やっと喜んでできる仕事を手にしたのだけど、それも、ある事件をきっかけに、危うい状態に追い込まれている。
神様を信じれば、悩みはたちどころにすべて解決?
信仰があれば、病気にならない?
献金をすれば、金持ちになれる?
時々、そんなことを口走る人がいる。
聖書のどこにそんなことが書いてあるのか?
実は、この世において信仰を貫くことは、この世において必ずしも幸せになれることを保障などしていない。それは、キリスト教がご利益主義ではないからだ。
目先の利益のために信じる人は、日本の多神教が示すように、ご都合的に神様を乗り換える。
役に立たないと思ったら、捨ててしまえるそんな信仰を私は大切にしたいとは思わない。
私が今、試練にあるというのなら、それは私にとって、そして私の周りにとって意味があるのだと思う。どんな意味かは今はわからない。いやこの先も死ぬまでわからないかもしれない。でもきっと、天に召され、神様の前に立ったとき、すべてのことがわかるのだと思う。
だから、今は苦しみを苦しみ、悲しみを悲しみ、うれしさを喜び、感動にいやされたいと思う。
私が私を演じ続けることが、きっと神様の望みだから。
by hosannahosanna_hs | 2009-04-02 11:14 | 個人的に思うこと | Comments(0)