カプライトトップ > 教育・教養・文化・芸術 > その他 > 小説家になる方法・入門 > バックナンバー
小説家になる方法・入門 マガジンNo.8035小説家になりたい人のための小説入門講座。現役の批評家が、最近の文壇で活躍する作家や作品を素材に、わかりやすく、かつ理論的に、解説していきます。
■最終発行日:2004/10/05 17:26■発行周期:不定期■読者数:96人
メールアドレスを入力 ※規約に同意する
メールアドレスを入力
《次号の発行から、メルマガの件名が表示されます。》
2003/07/23
┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏
小説家になる方法・入門 2003/7/11 ┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏┏ ============================================================== 多くの方に登録していただき、ありがとうございます。マグマグでは、最初、 520名前後の登録があり、現在購読者は1800名にまでなりました。 そこで、まず、テスト版として、第一号を送ります。実は、 これは、小生のHPに見本として掲載していたものです。したがって、すでに お読みの方も多いと思われますが、テスト版ということで、お許しください。 これを第一号として、近日中に、第二号を配信します。では、よろしく…。 =============================================================== ■まず、ぼくが、都内の某所でやっている小説講座の第一日目に、よく使う 「小説の書き方」に関する「基礎の基礎」とも言うべき原則・原則を、箇条 書きしておきましよう。これは、別に理路整然と体系的にまとめたものでは ありません。ただ、ヒマなときに、思いつくままに書きとめたものです。し かし、一度,書きとめてしまうと、それを変えるのも面倒なので、ついつい、 毎年、繰り返して使ってきたという次第です。しかし、そうだからと言って 自信がないわけではありませんが…。 ===================================== ●小説の文章は、わかりやすく、簡潔に。● ===================================== ■これが、ぼくの小説を書く側から見た小説論の第一原則です。そんなこと はわかりきっているという人は、相当のプロです。これがなかなか難しいこ となのです。普段は,気楽に手紙やレポートを書き飛ばしている人でも、いざ、 「小説を書く」となると、何か特別なことを書かなくては…、何か文章に工 夫が必要なのでは…、こんな素朴な文章で書いたら笑われるのでは…などと、 余計なことを考えます。まさしく、これが、普通の人、つまり素人です。 ■ たとえば、若い頃の文学仲間には、必ずドストエフスキーや埴谷雄高の マネなどをする奴がすぐ出てきて、仲間の間でもてはやされたりするもので す…。まあ、例外はありますが、こういう手合いは99パーセント、ものに なりませんね。いいとこまで行っても、後が続かない。借り物の文章だから、 書けなくなるわけです。モノマネ・タレントが、どんなに歌が上手くても、 決してホンモノの歌手になれないのと同じ…。 ■確認しましょう。誤解を恐れずに、敢えて言わせてもらえば、小学生が書 くような文章こそ、小説の文章です。 ■ 村上龍の『限りなく透明に近いブルー』も、村上春樹の『風の歌を聴け』 も、山田詠美の『ベッド・タイムアイズ』も、こと、文章に関する限り、実に わかりやすく、単純な文章です。素材やストーリーのことを忘れて、文章と語 彙だけに注目して、読んで御覧なさい。一種の「日本的な美文」だということ がわかります。だからひじょうに読みやすい。すらすらと読める。 ■ ≪スプーンは私をかわいがるのがとてもうまい。ただし、それは私の体を、 であって、心では決して、ない。私もスプーンに抱かれる事は出来るのに抱い てあげる事が出来ない。何度も試みたにもかかわらず。他の人は、どのように して、この隙間を埋めているのか私は知りたかった。≫(山田詠美『ベッドタイ ムアイズ』) ■ ≪見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。 一時期、十年も昔のこと だが、手当たり次第にまわりの人間をつかまえては生まれ故郷や育った土地の話 を聞いてまわったことがある。他人の話を進んで聞くというタイプの人間が極端 に不足していた時代であったらしく、誰も彼もが親切にそして熱心に語ってくれ た。見ず知らずの人間が何処かで僕の噂を聞きつけ、わざわざ話にやってきたり もした。≫(村上春樹『1973年のピンボール』) ■これらの文章を読んで、とてもこんな文章は書けない、という人はいないでし ょう。なんだ、これなら自分でも書けると思う(錯覚する?)のが普通でしょう.。 もちろん、これらの文章は、別の角度から見れば、そう簡単に書ける文章ではあ りません。この文章には、批評的な視点があり、時代への批判が隠されています。 しかし、それをあまり強調せずに、とぼけたような、わかりやすい、平凡な言葉 と語り口で(ナラティブ)語っています。したがって、読者は簡単に作品の中に導 かれて行きます。 ■いずれにしろ、難解な漢字や複雑な言いまわし、奇妙な比喩…そういうものは ありません。それこそ、小学生でも書けそうな文章です。そういうやさしい文章 の極端な例が吉本ばななのデビュー作『キッチン』でしょう。 ■ ≪私がいちばん好きな場所は台所だと思う。 どこのでも、どんなのでも、そ れが台所であれば食事をつくる場所であれば私はつらくない。できれば機能的で よく使いこんであるといいと思う。乾いた清潔なふきんが何まいもあって白いタ イルがぴかぴか輝く。 ものすごくきたない台所だって、たまらなく好きだ。≫ ■ 正直に言うと、ぼくは、この小説が、『海燕』新人賞を受賞した時、作者が 若く、しかも吉本隆明の娘だと言うことから、インチキじゃないの…、ヤラセじゃ ないの…と思いました。真面目に読む気にもなりませんでした。ぼくは、この、 あまりにも「わかりやすい」、「単純素朴」な文章に、抵抗を感じ、心理的にひ っかかったのです。こんなのでいいのか…と思ったからです。しかし、ここに、 秘密は隠されていました。このやさしい、わかりやすい文章だからこそ、人間の 心の奥の、微妙な深い闇を描くことができたわけです。 ■ しかし、むろん、やさしい、わかりやすい文章が絶対条件ということはあり ません。たとえば、「文芸誌」に発表されるような作品のには、実は難解で、複 雑で、意味不明の文章が多い。それにもそれなりの必然性があるけれども、然し、 それを単純に真似してはいけない…と言いたかっただけです。 ■ さて、難解だと言われる大江健三郎の初期の小説も、ちょっと観念的ですが、 決して難しい文章ではない。『奇妙な仕事』『死者の奢り』『飼育』などの文章 は、決して難解ではないでしょう。 ■しかし、大江健三郎は、『万延元年のフットボール』あたりから文章を、初期 のわかりやすい文章から意識的に変えました。複雑・晦渋な文章へ…。 ■そこには、大江健三郎なりの文学的戦略がありました。単なる美文調の、わか りやすい文章ばかりを書き続けていたら、いつか行き詰まる…と考えたからでし ょう。ぼくは、それは正解だったと思います。それは、一言で言えば,「通俗化= 凡庸化」の拒絶でした。それは、大江健三郎が、通俗的な大衆作家でも、誰から も相手にされない平凡な純文学作家でもなく、ノーベル賞を受賞するような国民 的な純文学作家に成長して行く,重要なポイントだったと思います。 ■ たとえば、石原慎太郎や曽野綾子…などと比べてみるといいでしょう。石原 慎太郎や曽野綾子は日本を代表する立派な文化人です。しかし、よく見ていると、 もう作家ではありえなくなっていますね。普通の健全な知識人、あるいは単なる エッセイストかコラムニストにすぎなくなっている。ぼくは、彼らの発言に反対 ではない。むしろ、政治思想的には全面的に支持しています。しかし、作家とし てはもう終っている、とぼくは思います。それは文章への自覚、言葉への反省が、 大江健三郎ほどないからです。大江健三郎との違いです。 ■ ぼくは、政治的思想や立場は、大江健三郎と反対だし、大江健三郎の社会的 発言にはほとんど賛成しません。しかし、作家としての大江健三郎は今でも尊敬 しています。 しかし、この話は、基礎の段階でするにはすこし早すぎます。い ちおう、心にとどめておいて、また元に戻りましょう。 要するに、大江健三郎 のマネをしてはいけない…というのが、ぼくがここで言いたいことなのです。 ■問題は、やさしい言葉、わかりやすい文章を、どれだけ縦横に,自由自在に、 たとえば井戸端会議で喋りまくる主婦や、授業中に教室の後ろの席で夢中になっ てヒソヒソ話をしている学生のように、使いこなせるかどうかにかかっているの です。したがって、ぼくは、まず、小説を書こうとする人、小説家になりたいと 思う人に言いたい、難しい言葉、難解な表現…という発想をまず捨てましょう。 それが、小説家への第1歩です。しかし、あとで,何回も繰り返しますが、実は それが難しいことなのです。ドストエフスキーや埴谷雄高になる夢を、ます゛捨 てなさい。自分が馬鹿であることを自覚しなさい。自分が馬鹿であることを自覚 したら、もう馬鹿ではない。 ================================================= ●さて、次の原則。短い文章で、文章にリズムをつける。● ================================================= ■文章が長くなると、中身は増え、意味も複雑になっていくが、文章のリズムは 消える。はっきり言ってメチャクチャになる。そこで、敢えて、長い文章で、勝 負してくる作家が出てくる。それはしかたがないが、それは、まず初心者がやる ことではない。文章を短くすると、文章にリズムがあることがわかってくるはず です。たとえば、新聞や週刊誌の文章には、そういうリズムはない。むしろそう いうリズムを意識的に排除して、情報量を重視した文章になっています。 まず、 文章にリズム感をつけるには、文章を出きるだけ短くしなければならない.。これ は批評でも同じです。たとえば、今、もっとも難解で、かつ人気のある文芸評 論家は柄谷行人でしょうが、柄谷行人の文書は、実に短く、やさしい。≪続く≫ =================================================================== ■もっと本格的な文学論・小説論をお読みになりたい人は、小生が「三田文学」 に連載している『季刊・文芸時評』をご覧ください。近く夏季号が発売されます。 また、以下の小生のHPに、最新のものがあります。 筆者への質問や感想は、メールか、HPの掲示板でどうぞ。 HP→ http://www.geocities.jp/yamazakikou/ mail→ yamazaki-koutarou@mail.goo.ne.jp =================================================================== ───────────────────────────── 【解除はこちら】 http://cgi.kapu.biglobe.ne.jp/m/8035.html メールアドレスを入力 ※規約に同意する
メールアドレスを入力
|
■登録日:2003/07/14 13:55
■形式:ノーマルテキスト形式 ■累計発行数:218
最新へ後の記事前の記事最初へ
|