全国学力テストに自治体で唯一、参加しなかった愛知県犬山市が21日実施のテストに初参加する。「学び合いの授業」を掲げてきた市教委は「テストは義務教育に市場の競争原理を持ち込む」と主張してきたが、方向転換した。3年の議論は何を残したのか。【山田一晶、花井武人】
◆あっけない幕切れ
「採決の結果は、賛成4、反対2」。教育委員会事務局職員の声が響いた。3月23日午前10時過ぎ、愛知県犬山市立図書館2階の会議室。学力テストへの参加が決まった瞬間だ。コの字形の教育委員席を取り囲む報道陣の後ろには、約30人の市議、保護者や学校関係者の姿。あっけない幕切れに、成り行きを見守っていた女性は「決まっちゃったね」とため息をついた。
教育委員席で両腕を組んだまま、身じろぎもしなかったのは、学力テストを一貫して批判し続けた瀬見井久教育長。全国的にも知られるようになった「犬山の教育」を97年の就任から推進してきた当事者だ。
詰め込み教育をやめ、いじめや不登校の無い、人間性豊かな子供の成長を目指すことをモットーに、少人数学級(30人)を実現、市費による教員増でていねいな授業を実施。独自の副読本も作成した。授業の内容を理解できない子供を級友がサポートする小グループ学習にも力を入れている。全国の教委からの視察は年間100以上だ。
◆敵対エスカレート
05年6月に政府が決定した07年からの学力テスト実施。瀬見井教育長を中心に、市教育委員たちは議論した。「○×で優劣を決めるテストは犬山になじまない」。06年2月、不参加を正式決定した。
ところが、瀬見井教育長と共同歩調を取っていた前市長が辞職。同年12月に行われた市長選で田中志典市長が当選してから風向きが変わった。
元々、不参加の理由説明が不十分との意見がくすぶっていた中、田中市長は「有権者の多くから『参加したい』という声を聞いた」と見直しに言及。市民からも、学力を検証する手段として参加を求める声が表に出始めた。
瀬見井教育長は07年3月の教育委員会で、「政治が教育に手を突っ込んでくるのはよろしくない。教委の独立性を再認識していただきたい」と批判した。
田中市長は▽教育委員の1人増員(08年4月)▽任期満了を迎えたテスト反対派委員を賛成派委員に入れ替え--など多数派工作を行い、同12月には反対派の教育委員長に対する解任動議が提出される事態に。「教育長の勤務態度が悪い」と勧告書を3度も突き付けた。
◆保護者と教員
保護者と学校の教員たちは議論の蚊帳の外に置かれた。参加を巡る学校現場と保護者の考え方について、データは一つしかない。
08年11月、市教委が市内の小学校1校で実施したアンケートでは、保護者の44%が学力テストを「必要」「どちらかといえば必要」と答え、「不必要」「どちらかといえば不必要」の22%を大きく上回った。一方、同小教員は86%が「不必要」「どちらかといえば不必要」と回答。「必要」と答えた教員はいなかった。小中学校の校長会も、今年2月「参加は学校序列化につながる可能性が高く、犬山の教育理念に反する」との意見書を市教委に提出した。
しかし、瀬見井教育長は当初から「権限を与えられた教育委員による合議で結論を出すにあたり、広く意見を聞く必要はない」との立場。このことが、教育委員の勢力逆転がすべてという結果につながってしまった。ある校長は「犬山の教育は評価されているのに、他の自治体もやっているから参加すべしという理屈がまかり通ってしまった。不要だということは保護者にも丁寧に説明すれば分かってもらえたと思う」と話す。
◆結果公開は棚上げ
結果公開の在り方が全国的に問題となっている。文部科学省は実施要領で市区町村別、学校別の平均正答率を出すことは「序列化や過度の競争をあおる」として禁止している。だが、秋田県は昨年、市町村別の平均正答率を公開した。大阪府でも一部の自治体別データを開示、鳥取県は今年実施分から市町村別と学校別データの開示方針を決めるなど、議論が続いている。
犬山市では公開の在り方も、参加を巡る議論の取引材料に使われた感がある。
市教委は「少人数校の場合、個人の成績が特定されるおそれはあるが情報開示請求があった場合、テスト結果を開示せざるを得ない」との立場だった。市は昨年12月、個人が特定される恐れのある少人数校の児童、生徒の情報を非公開にする改正情報公開条例を施行して「対抗」した。
テスト参加を決めた日の教育委員会でも、採決にあたり、市教委事務局作成の議案説明に明記された「参加した場合、市民に対して結果を公表しなくてはならないと考える」との一文について、参加派委員が「文科省要領では開示しないことになっている」と主張、削除された。公開を巡る議論は棚上げされたままだ。
独自の教育に自信を持ち教育長が不参加を貫いてきたのは間違っていないと思うが、市民へ十分な説明が無かったことは問題だった。保護者の中で学力テストを必要と考える人が多いのがその表れ。学力テストが、犬山の教育にそぐわないことを保護者に納得させられなかったのだろう。一方で、参加に転じた結論も、市長が主導した多数派工作に過ぎない。学力テストの内容や、参加した後の犬山の教育の在り方などについて、民主的に議論した結果ではないことが残念だ。
毎日新聞 2009年4月18日 東京朝刊