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特集ワイド:’09シリーズ危機 自殺/中 作家・南木佳士さん

 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 自分は自殺なんかしない、と言い切れるだろうか。覚悟や意思とは関係なく、生と死の境界をふっと越えてしまう。そこにうつ病が横たわっていることがある。【山寺香】

 ◇しぶとい体、支えに

 作家の南木佳士さん(57)は、芥川賞を受賞した翌年の90年に突然うつ病になり、自殺も考えた。この体験を経て、うつ病から自殺に至る時、「自らの意思とは関係なく自動的に自分を処分しようとするシステムが起動する」と悟った。命を絶たねばならなかった人々は、いったい何に突き動かされているのか。

 うつ病は自殺に密接に関連するとされる。世界保健機関(WHO)の02年の調査では、自殺者の30・5%はうつ病だった。経済問題や人間関係などさまざまな問題で追いつめられた末にうつ病を発症し、自殺に至っている。自分の力ではどうにもできない現実を前に精神が悲鳴を上げ、判断力が低下する中で死を選んでいるということだ。それは「覚悟の死」とは言い難い。

 …●…

 内科医でもある南木さんは89年、高原の病院を舞台に看護師と死にゆく患者の交流を描いた「ダイヤモンドダスト」で芥川賞を受賞。翌年うつ病になった。

 回診を終え廊下を歩いていると、突然激しいめまいと動悸(どうき)に襲われた。二日酔いかとも思ったが症状が消えない。「このまま死んでしまうのではないか」という不安と、居ても立っても居られない焦燥感がわき上がる。診断は、うつ病とパニック障害だった。

 「うつというのは『存在の不安』なんだと思います。己の存在がこんなにはかなかったのかという自覚。地位や肩書など世俗的な価値をすべてはぎ取られ、裸で放り出されたような……。風が吹いてもどこかに運ばれていきそうな感覚です」

 1人にしたら何をするか分からないと、妻の啓子さん(55)は南木さんを残してちょっとでも外出する時には家中の刃物をハンドバッグにしまって出かけた。

 「うつになって仕事ができなくなると、社会的に己の価値がなくなってしまう気がして己を責め出し、焦燥感が出る。この身が存在しているから嫌な感じがするのだと思い、不快感から逃げ出すには存在そのものを消すのが一番なのでは、と思うようになる。そして、見えない力が背中を押すんです。ホームの前に立っていたら、その気はないのに押されてしまいそうになる。ここは田舎で近くに線路がありませんが、あったらどうなっていたか分かりませんでした」と苦笑いした。そしてこう続けた。

 「決断するとかそういうことではない。自殺した人は自分の意思で死んだと言われるけれど、私の感覚としてはそうではない」

 …●…

 南木さんはうつ病になった原因を、人が病み衰えて死んでいく姿を見続けたことだと考えている。発症当時は38歳で年間30~50人の患者が亡くなるのを見た。人の死には慣れていたつもりが、実はそうではなかった。医師としての勤務を休まず作家業を続ける、肉体的・精神的疲労もあったのかもしれない。

 山に入って木の枝にロープをかけ、首をくくりたい。衝動に歯止めをかけたのは、当時小学1年生と3年生の、2人の息子の存在だった。

 「息子たちのため生きていようというほどの意欲はなかったけれど、死んだらこの子たちが思春期になった時に計り知れない影響を与えるだろうとは考えられた。だからといって子供を残して亡くなった人が悪いとは思いません。私はたまたま医者で生き死にの現場にいたから、生きること以上に大事なことはないという価値観を持っていた。無理にでも理由を作り、己をこの世に引き留めたのかもしれません」

 ネコの存在も支えになった。南木さん家族とネコのトラとの日常を描いた著書「トラや」に、トラがじゃれついてきた時の気持ちがつづられている。

 「萎(な)えた筋肉の奥の骨膜にまでとどく力強い頭突きの感触が、まだこの身を必要としてくれる存在があるのを教えてくれた。いっとき、覚悟が失(う)せる」

 …●…

 この国で、年間3万人以上の人が自殺するのはなぜか。南木さんは「小説家は小さな節しか書けないから自分のことしか分からないんですよ」と言ったが、「うーん」と考えてから答えてくれた。

 「緊張を強いる人間関係が増えたからではないか。何かあるとすぐ『あなたがこれをしないからいけない』とかってことになっちゃうでしょう。家庭でも会社でも。人が金を稼ぐのは人間らしく暮らすためだったのに、だんだん金を稼ぐことが目的になった。みんなが金を稼ぐ方にばかり行ってしまうと、『存在の世話』をする人がいなくなってしまうんです」

 「存在の世話」。聞き慣れない言葉だが、南木さんはうつ病になった時、若くして亡くなった母に代わり育ててくれた祖母の記憶がよみがえったという。「ただここに居てくれるだけでいい」と温かく世話をしてくれた。

 「『これができたからいい』『勉強ができなきゃ駄目』ということで評価された記憶は、意外と消えてしまうものなんですね。うつになって医師でもなく作家でもないただの存在に戻った時、妻から存在の世話をされた記憶も深いところに残っている。そうすると妻が体調を崩した時には自然と、私が妻の面倒を見るようになるんです」

 もう一つ、病を通して南木さんが体感したことは、精神は繊細でも体はしぶとい、ということだ。「体は放っておけば腹も減るしのども渇く。心と体はつながっているから、無理して元に戻ろうと焦らなくても時間がたって体が変容すれば精神も変容する。一番頼りになるのは体です」

 至る所にひずみが表れ、病んでいるように見える日本。「楽観的なんですけれど、このまま自殺者が増え続けるとは思わないし、思いたくない。しぶとい体の集まりですから、おのずと再生力も持っていますよ。日本は敗戦を経験した。その時に坂口安吾が『堕落論』の中で書いたんです。駄目になる時はとことん駄目になればいい。ちゃんと出直せばいいって。それがものすごく読者を勇気付けた。季節の変わり目に自殺が増えると言うけれど、今、私たちは時代の大きな変わり目にいるのかもしれませんね」

 腕を組み直して身を乗り出し、南木さんは最後に言った。

 「どういう時代だろうと基本は生きのびることです。自分は時代に合わなかったと思うかもしれないが、生きていれば社会も変容しているかもしれない。この先の世を見ずして自分の一生がどうだったかなんて分からないんです」

 南木さんの隣で啓子さんが静かにうなずき、ほほ笑んでいた。

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 ■人物略歴

 ◇なぎ・けいし

 1951年、群馬県生まれ。内科医。77年から佐久総合病院勤務。「破水」で文学界新人賞(81年)、「ダイヤモンドダスト」で芥川賞(89年)、「草すべり」で泉鏡花文学賞(08年)を受賞。著書に「エチオピアからの手紙」「阿弥陀堂(あみだどう)だより」「医学生」など多数。長野県佐久市在住。

毎日新聞 2009年4月22日 東京夕刊

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