■軍事を語らずして、日本を語るなかれ!!■
2009-04-22 麻生首相、靖国に真榊奉納
■麻生首相、靖国に真榊奉納
21日から始まった靖国の春季例大祭に、麻生首相が真榊を奉納した。首相は秋季例大祭でも奉納している。日本人として当然のことなのに、なぜか「進歩的文化人」や「マスコミ関係者」はいつもこれを問題にする。
21日夜に記者団から質問された首相は「国のために尊い命を投げ出された方々に感謝と敬意を表するものだと思っている」と説明したが、ぶら下がり記者連中は、若いからか、それとも上司から“監督”されているからか、質問自体が軽薄で百年一日の如しである。判を押したように「対中国外交に影響はないか?」とか「私人か公人か」等、全く進化していない。
麻生首相は「これまでも何回となく『未来志向で歴史を直視して』と言ってきた。今まで通りだ」と答え、今後の靖国参拝は「適切に判断する」と述べた。
更に朝日新聞記者から「首相は過去に靖国神社を何度も参拝しているが、今回、真榊奉納という形にした理由は」と聞かれ、「朝日新聞に説明する必要は感じない」ときっぱり断った。
大東亜戦争中の朝日の記者だったら「真榊奉納で誤魔化すことなく、きちんと参拝すべきである!」と抗議したであろうに。
退官後、北京を訪問した時、案内してくれていた“役人”と良く議論になったものだが、「日本の首相が靖国に参拝したら、貴国はどう対応するか?」と聞くと、「それまでよ」と言ったものである。あまりにも素っ気無いのでその真意を聞くと、「靖国問題は日本の問題、首相が行こうと行くまいと中国には関係ない。しかし、オタクのチョウニチ新聞がいつも『どうだ?』と聞いてくるから、聞かれれば、人民を代表する政府は、歴史問題として過去の侵略を抗議しないわけにはいかない」と答えたものだ。
ヤオハン問題もそれと同じ感覚で、「日本と中国では生活水準に差があるからといろいろ助言したが、アノ社長は聞かなかった。だからつぶれたが、それを取ってどこが悪い?アノ社長はバカよ」というのである。
日米同盟にしても、日中関係にしても、自ら外交関係を悪くするような態度を取っているのは自分達のほうではないか?と冷静に考えてみるべきだろう。不作為なのか、自粛なのかは知らないが、米国も中国も『歴史認識』なんぞにかかわっている暇はなくなってきている。
日本人は「獅子身中の虫」と言う言葉を知っているだろうが、日中外交、対ロ外交、対韓外交等、勿論日米外交もそうだが、日本人の中には言わなくてもいいことを発言したり、奇妙に自粛して相手を慮る?悪い癖がある。私に言わせればそんな「偽善者」を日本人自らの手で排除すべきだろう。
ところで民主党幹事長の鳩山(兄)氏が、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」とインターネット上で発言して「炎上」しているが、こんな人こそ問題だろう。一体この人の国籍はどこなのだろう?
田母神氏と、APAの「ワインを語る会」で同席した彼は、田母神氏が“問題”になると「彼とは意見が合わなかったから中座した」と『大嘘ついて』逃げを打ったが、最後まで同席して団欒していたことははっきり証明されている。
子供の頃、両親から「うそつきは泥棒の始まり」と教えられて育った私には、彼には「泥棒の素質がある」と思わざるを得ない。冗談じゃない、日本列島は「鳩山家」の所有物じゃない。「政権交代」で票が欲しいばかりに、国を売る馬鹿なまねはしないで欲しい。
言うのならば、それに付け加えて「中国大陸も中国人だけの所有物じゃないし、朝鮮半島も、シベリアも、勿論アメリカ大陸も、そこの国民だけの所有物ではない。人類共有のものである!」ぐらい言ってもらいたいものである。そうすれば、異民族を粛清して併合している中国やロシア、インディアンを駆逐して住み着いた米国人からは感謝されたろうに。勿論そんな勇気もユーモアも彼にはないだろうが。
先日亡くなった上坂冬子女史のつめの垢でも飲んで欲しいものだが、どうして日本の政治家にこれほど「無国籍」で、「無責任」で「うそつき」が多くなったのか不思議でならない。こんな人物を「放置」している国民も国民である。わが国は「法治国家」だが、“放置国家”であってはなるまい!こんな体たらくだから周辺諸国に馬鹿にされるのである。
麻生首相には今年の夏に靖国を参拝してもらい、戦後の『ごたごた』に決着をつけて欲しいものである。英霊に感謝し、九月の総選挙の必勝を祈願すればよい。そうすれば間違いなく声なき国民の支持が増して、政界も安定し、波穏やかに鎮まることだろう。実は中国もそれを望んでいるのではないか?ごたごた続きでまとまりがない日本と付き合うのもいい加減にしたいと思っているのではないか?
来年に迫った上海万博、その頃の中国国内は、下手をすれば経済成長率が伸び悩み、混乱に拍車がかかりそう。
今やこの国では文革時代の年配者たち?の世代から、政財界、軍人ともに指導者層はどんどん国際経験豊かな若手に世代交代が進んでいる。その若いエネルギーと今の日本は、十分やりあえる力があるのかどうか。
鳩山氏の発言に見られるように、自己犠牲だけを自国民に強いる発想そのものが既に『老化現象』の始まりである。
いやはや、この国は一体どこに向かって航海しているのか、乗客の一人として不安でならない。
田母神事案では『論文』に目を通すことなく首にして失態を演じた麻生首相だったが、情報が適時適切に上がらない防衛省の実態が理解できた今、「日本丸」の賢明な舵取りを期待したい。
最後に新刊書のご紹介。「脱北者・・・命がけの脱出と今を追う」(文・写真 崔淳湖=現文メディア刊:¥1900+税)
生々しい北朝鮮国内の写真は迫力がある。是非ご一読を。
- 作者: 大原康男
- 出版社/メーカー: 産経新聞ニュースサービス
- 発売日: 2003/07
- メディア: 単行本
2009-04-18 諸々まとめて
■諸々まとめて
1、16日の「史料調査会研究会」は有意義だった。静岡産業大の森戸教授が、2月〜3月にかけて“戦後の”ガザ地区を訪問した時の写真を展示してくれたから、実情の一端が良くわかった。オバマ大統領の「解決策」は、二国家共存だが、領土問題以外に「エルサレム問題」があるから、ことは容易ではない。
2、奈須田敬氏が「ざっくばらん」4月1日号で、麻生首相の「防大卒業式での訓示」を、北のミサイル発射で「はっきりしたのは北ミサイルに吹っ飛ばされた平和憲法の看板。麻生首相の防大卒業式訓示は国家安全保障の原点に戻って考え直そう、と国民に呼びかけたようなもの」だとして、「自衛官はわが国外交の重要な部分を担う『外交官』であるといっても過言ではない」とし、「日本の独立と平和を守る上で、国民が最後のよりどころとするのは、防衛省・自衛隊である」などと述べたことを評価したが、「最後に麻生内閣総理大臣・浜田国防長官に一言。若き防人たちを失望させるような『国防費削減』だけは、金輪際やめてもらいたい。無法国家の戦意を助長するような愚を冒すことなかれ」と要求した。
既にインド洋でも艦艇が活動しているが、ソマリア沖に2隻が派遣され、更に今回はP-3Cも派遣される。カネを渋って平気で「重労働」させている現実をどう認識しているか気になるところである。
大東亜戦争は武器を与えす、精神力を強要され、真面目で優秀な兵士達は餓死して果てた。軍隊(自衛隊)は国民の最後のよりどころという意識が一番欠けているのはどこの誰か?麻生首相には国会でもこのことを強調して欲しいものである。
3、4月5日に放映された「NHKスペシャル 150年前世界にデビュしたJAPANの軌跡、アジアの“一等国”日本の初の植民地台湾発見・・」は「我が国の台湾統治の歴史を歪曲する、見るに耐えない左翼的偏向に終始した番組であった。具体的には日本の台湾統治に関して批判的な意見や否定的な事例のみを集め、最後に文脈を明確にせず台湾人元日本兵と、ではない一般の人と思われる80歳90歳の人々に多くを語らせ『日本から差別された』『自分たちは奴隷だった』『日本から馬鹿にされた』『同じ職場で給料は日本人は160円なのに自分たちは100円だった』等々言いたい放題の、いかに日本に酷い目に合わされたという画面であった」と伊藤玲子氏が平河総研のメルマガ『甦れ美しい日本』に書いている。
先日会食した台湾の高官も、非常な不満を述べていたが、中でも取材された台湾の方々が、『捏造に近い』と怒りあらわだという。私のところにも怒りのメールが届いているが、以前『天皇裁判劇』をNHKの教育テレビで放映した、朝日新聞編集委員・松井やより“事件”を思い出す。NHKも性懲りがない!
今回のディレクターも40代の若手だそうだから「歴史的考察が不備だったのだろう」というと、友人は『意図的なもの』と断定している。いずれにせよ、『週刊新潮』同様、取材も分析もかなりズサンで、それをそのまま放映させたNHKに責任を問う、というのだが、広報室長時代に日航機事故報道で陸幕防衛部長が取材を受けた際、2回にわたる15分以上にもわたる撮影テープの中の一瞬の言葉尻だけがNC9というニュース番組で流れ、防衛庁・自衛隊に批判が相次いだことがあった。NHKに猛抗議すると、取材テープの中身を番組でどう使うかは「担当ディレクターの判断」だと言う。しかし放映された部分は、撮影現場で『取材ミスだとして修正されたもの』であった。つまり、明らかに取り消しを要求し、記者も理解したものだったのだが、それが流れたのは、テープそのものを破棄させなかったからだというのである。
今回も真面目に取材に応じた台湾のご老人方は、騙された!という気持ちでいっぱいだろうが、NHKのみならずメディアには、自分のシナリオ(思想?)に好都合な部分だけを拾って使うという、一種の捏造を得意とするところがあることを忘れてはなるまい。
伊藤女史は、「しかし一方、台湾の多くの方々は、日本統治時代の功績は功績として評価し、例えば児玉源太郎、後藤新平等は台湾のインフラ整備とか衛生を改善マラリア、ペスト,コレラ等の伝染病を無くした。アヘンを撤廃等々。八田與一の烏山頭ダム建設そして土地を豊かに米作り農作物の振興と発展等々の台湾の為に貢献した日本の先人達を今でも語り伝えられていること等、一切語らずNHKの報道は、画面は、なぜ一方的に日本は悪いことばかり行ってきた、と殊更に強調するのか、良いことも事実として両方を報道すべではないか」と書いているが、まさにこれは『情報戦争』なのだが、国民の税金を使っている放送会社なのだから、外交問題になったこの事案について総務大臣の見解が聞きたいものである。
4、次は行事などのご紹介!
(1)SAYA spring live:友人の扇さやさんのライブ。残念ながら私はこの日『主権問題』の会合で欠席せざるを得ない。素晴らしい『ジャズ』のライブ!是非『ロマンティックな春の一夜をお楽しみいただきたい』
(2)主権回復記念日国民集会のお知らせ
(3)新刊書籍
●「国×暴防論」松島悠佐・川村純彦・田母神俊雄・勝谷誠彦・共著
●「戦争詐欺師」菅原 出著
タイトルは刺激的だが、ブッシュ政権時代のテロ戦争、イラクを巡る動き等、製作に影響を与えるべく暗躍した亡命者、ロビイストやインテリジェンス・オフィサーなどの姿を通じて、イラク戦争時の政策決定過程の舞台裏を描いたドキュメント。日本人に欠けている『情報戦』の裏が見えてくる好著!
2009-04-16 国防再考の好機?
■国防再考の好機?
昨日は岡崎研で一日中、中国山東大学アジア太平洋研究所所長以下4名の研究者と『安保』対話をした。
第一議題は『アジア太平洋地域の安全保障問題』で、私が約10分間で問題提起をした。
時間の制約で「安全保障上の注目点」として、(1)朝鮮半島問題(ミサイル発射事案)(2)中国の軍拡問題、に絞って簡単なレジュメを元に指摘したが、(1)については中国側はあくまでも6者協議を中心に、といい、(2)については、時間切れで明確な反応はなかった。
第二議題は『経済問題』で専門家の吉崎氏が「G20」について提起し、第三議題は『朝鮮半島問題』で、これまた半島専門家の武貞氏が今回のミサイル事案について詳細な提言をし、それぞれ中国側も提言したので時間が足りなくなった。
中国側は所長以外は30〜40代の若手のドクターで、米国留学経験などもありなかなかの論客だったが、夕食会では若さを露呈し?好感が持てる青年たちだった。日本の青年達にもこの位の安全保障観と経済問題に対する関心がほしいものだ、と思った。
彼らは初来日だったそうで、成田でのトラブル(駐車場での料金支払い?)では、状況を詳細に聞いた上で係員が判断して通過させてくれたことに“異常なほど”感心していた。中国では、この手のトラブルでは料金の二重払いを強要されるか公安での取り調べになる?のだろう。
東京は人口密度がすごいので相当混雑していると聞かされてきたが混雑どころか交通もスムーズで驚いた、と正直に語ってくれたが、「東京=ラッシュアワーの山手線」の印象がメディアによって誇大に伝えられているのか、または中国の交通事情と同じだと思い込んで来たからだろうか、面白い発言だった。
とまれ、息子と同じ年代の青年達が、世界経済やアジアの安全保障について、国益を重視しつつ堂々と持論を展開する姿は印象的だった。
さて、今朝の産経一面の「塩爺・・・」欄の「国防再考こそ『北の教訓』」は、やっと日本にも全うな国防再考論が出現したか、と感慨無量だった。当たり前の内容なのだが、それがいかにも「新鮮に」聞こえるところが戦後“平和主義日本”なのだろう。
塩川氏は今回のミサイル事案を「ドタバタ劇」で「幻影に怯え」、「危機対応能力の軽薄さを示し」「ミサイルを『飛翔体』とか『ロケット』とか呼んでいるようでは、相手の思うつぼだ」といったが同感である。
『ミサイル』とは『飛び道具』のこと、「ロケットエンジンなどで飛び、内蔵する装置などによって目標に到達する兵器。誘導弾」と一般に言われているから、『飛翔体=鳥のように空中を飛ぶ物体』のほうを採用して、いかにも“軍事色”を弱めようとしたのだろうが、まるで未確認飛翔物体(UFO)的発想でそんな他愛もないところに“知恵”を働かせるお役人サン達の狼狽振りも滑稽であった。
「いざというときに右往左往しなくて済むよう、われわれは今の自衛隊の能力だけで国防の責任を果たせるのかどうかを、真剣に考えておくべきではないか」「自衛隊の編成、装備を根本的に見直し、人材育成にも真剣に取り組んでもらいたい」「予算の使い方に反省するべき点があった」「早期警戒衛星を自前で持つこと」「日本の周辺を独力で守れる態勢の整備を進めるのと同時に、これまで以上に自衛隊と米軍の一体化を図り、弾道ミサイルの脅威に対処すること」「外交だけでは安全を確保できない」とし「国論を統一して国家としての意思を明確にすることが肝心だ」と塩川氏は結んだが、退官後11年を経過した私が初めて見たといって良いくらい『全うな国防論』であった。しかも元財務相の発言であるから重いというべきだろう。
自衛隊の予算を大幅カットして活動を窮屈にした張本人の元主計官・片山さつき氏は、次回選挙で苦境を強いられ「静岡県知事出馬」を考えていると「週刊新潮」にでている。いやはや、次は静岡県を骨抜きにする気か?最も誤報を出した週刊誌だから、“慎重”に見極める必要があろうが・・・。
何度でも書くが、『備えなければ斯くの如し』なのであり、看板を「庁」から「省」に書き換えてみたところで、中身は同じなのだから、根本的な見直しが進められるはずはない。ましてや人材育成に熱心だった田母神前空幕長を排除するようでは“塩爺”がいくら正論を叫んでも、期待は出来そうにもない。
国防の根底に横たわっている『憲法の呪縛』を根こそぎ変えない限り、今後も繰り返される事案であることは疑いない。
「これまで以上に自衛隊と米軍の一体化を図り、弾道ミサイルの脅威に対処する」ためには、ただちに「集団的自衛権解釈」を変更することであり、「国論を統一して国家としての意思を明確にすることが肝心だ」というのであれば、憲法改正を俎上に載せることである。
それなくしては、戦後教育を受けた日本国民が、今回の「北の教訓」ぐらいで「国防」を再考することはないであろう、と私は最近悲観的に感じている。
今から『史料調査会』恒例の研究会。今日は『ガザ戦争と米オバマ政権の中東和平政策』という題で、森戸幸次・静岡産業大教授が話をする。楽しみな内容であり大いに期待している。
- 作者: 中山太郎
- 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
- 発売日: 2001/12
- メディア: 単行本
2009-04-13 国連の無力さ
■国連の無力さ
北のミサイル発射は、安保理決議1718“違反”だと皆が認識していながら、中国やロシアの消極的態度で「議長声明」に変更されるという。「北に罰を与えなければならない」と強硬な意見を吐いていたオバマ大統領は、今何を考えているのだろう? 所詮国連の「安保理決議」には、何の効力もないことは予想していたが、今回は同盟国・米国の態度までもがあまりにも歴然としていたので、いくらお人よし日本人でもやっと国際関係の実態に気がつき始めたのではないか?
米国は、ブッシュ大統領の共和党時代にも、北朝鮮の横暴に対して「強い対応を取る。対応には軍事力も含まれる」とか「軍事力使用も否定しない」などと威勢のよい掛け声が聞かれたものだが、確かに朝鮮半島上空をステルス戦闘爆撃機などが飛びまわった事実はあるものの、「強硬な力の行使」はついに行われなかったから、首領様は米国にその勇気はない!と自信を持った。
日本に対しては、日本人を拉致したことを認めても、日本政府からは何のお咎めもないばかりか、経済支援まで戴いたから、小ばかにしきっている。その上世界の超大国・米国も「口先だけ」であることが今回証明された。
次は8000キロ飛ぶテポドン??をハワイ近辺に打ち込む気だろう。それでも多分アフガンに気を取られている米国は反撃しない、と読んでいるのかもれない。
今回は、事前には、日米韓が結束して強硬な姿勢を示すといわれていたが、当初は日本に期待を持たせていた肝心の米国が「さっさと」議長声明に態度を変更したから、日米間の“蜜月”は、もろくも数日間で崩壊したわけだ。
この事態に直面した麻生総理はやむを得ず「今でも決議が望ましい」と思いつつも、「強い内容が確保され、国際社会が一致して迅速にメッセージが出せるのなら、形式に固執する必要はない」と姿勢を後退させた。
「国際社会が一致して“強い内容のメッセージ”を出すこと」が、北に対してどんな効果があるのだろう?経済制裁してみても、殆ど中国などを経由した取引が行われていて、効果が薄いことはわかっているではないか。
「時間がかかることで、国際社会は一致して対応し切れていないという誤ったメッセージが、北朝鮮に伝わるのは望ましくない」と総理は言うが、結束していないことは既に北朝鮮側には十分伝わっている。
フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催されたウィーン会議は、1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進行せず、『会議は踊る、されど進まず』と評された。
ところが1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出したとの報が入ると、危機感を抱いた各国の間で妥協が成立しウィーン議定書が締結された。
わが国には小田原合戦時の故事から「小田原評定」という言葉がある。「いつになっても決まらない会議や相談」という意味の諺で、ウィーン会議にちなんだ「会議は踊る…」と同じもの、国連も同じ状況だといえなくもない。それとも、ナポレオンがエルバ島を脱出した例のように、北朝鮮が「核搭載ICBM」を配備しない限り、国連は深刻に考えないのか?
既にブログに書いたことだが、「国際連合」という用語は日本独特の「翻訳」で、「連合国」が正式の語源である。
中国などとの会議でも、日本側は「国際連合」という国際機関を意識して用いているが、彼らは「連合国=第二次大戦の戦勝国」と解釈して発言している。そろそろ日本も「“国連”信奉主義」から目覚めたらどうだろうか?
先日、国連の藩事務総長が「米国の“会費納入”状況」について発言して物議をかもしたが、2007年のPKOを除く国連分担金比率は、米国(22・0%)、日本(16・624%)、ドイツ(8・577%)、フランス(6・701%)、英国(6・642%)、イタリア(5・079%)、カナダ(2・877%)、スペイン(2・968%)、中国(2・716%)、メキシコ(2・257%)で韓国は上位10位以内に入っていないのに、藩事務総長は大した度胸だ、と思う。
2007年の国防支出費は、米・ロ・中・英・仏・の順で日本は6番目、しかし、上位5カ国はいずれも核保有国であり、“国連”安保理常任理事国である。ということは、いくら高額な会費を納入しても“核クラブ会員”以外は常任理事国にはなれないのであって、今回の北朝鮮に対する圧力なんぞ鼻から誰も真剣には考えていなかったのだろう。
“国連”は今や、巨大な国際官僚機関なのであって、いわば役人主義がはびこっている。そんな機関を信奉して、自らの国運を懸けているのは本末転倒、時代遅れもはなはだしいのではないか?
別に脱退せよとまでは言わないが、今回の件で「日本の国益」という観点から再考してみる必要があると思う。メリットのない組織にいつまでも会費を納入し続けている「会員」はよほどの金持ちか、肩書きがほしいだけなのではないか?
メリットのない会の『会員』であり続ける必要があるのか無いのか!せめて納入する「会費の額」を再検討する必要はあろうと思う。
『お人よし日本!日本大スキ!』と、開発途上国などから親しまれることは別にかまわないが、軍事大国や核クラブ会員達から、単に利用され“軽蔑”されるだけの「会員」であることに大いなる疑問を感じるからである。
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2009-04-10 両陛下ご成婚50年をお祝いする
■両陛下ご成婚50年をお祝いする
今日は両陛下の金婚式、心からお喜び申し上げたい。思い返せば50年前の昭和34年4月10日、私は防大一年生として横須賀の小原台にいた。入校式終了後の10日は祝日となり国中がご成婚をお祝いしたが、私は制服を着て始めて外出を許され、横浜の山下公園に上級生の引率で出かけた。店先のテレビで見ていると、馬車行列に飛び出した男がいて怒り心頭に発した記憶がある。
昨日の産経1面に、桜井よしこ女史が「皇室存続の仕組み作れ」と題して、景気回復も経済も極めて重要だが、「国民への支援が、景気対策と生活支援の、物やおカネにまつわる次元にとどまってよいはずがない。国民が前に向かって進む勇気や、将来に夢を描きたくなるような支援を与えなければならない」と首相を督励し、「日本古来の神道は外来の仏教と融合し、人間を守り導く大いなる存在としての神仏を拝礼した。拝礼の対象を、仏像に限定することなく、山川草木へ広げていった。仏教を、神道本来の自然信仰に帰し、自然の中に仏様が宿っているという思想に育て上げたのが日本人である。その中心におられたのが皇室である。神道と一体の皇室こそが、ハンチントンの言う日本文明の核なのだ。日本を日本たらしめる存在が皇室だといえる」とし、「そして今、両陛下のためとして、ご負担軽減の目的で祭祀を簡略化しようとの動きがある。歴代陛下の中でも、特に、祭祀を大切にしてこられた今上天皇のお心に、これはかなうことなのだろうか・・・私には本末転倒に思えてならない」。それよりも「国事行為はなさっていただくとしても、地方へのお出ましなどを大幅に減らしてはどうか。この点に関して、広く皇族方のご協力を仰いではどうか」と提案し、その最初の一歩として「日本文明の核としての皇室を、まずしっかりと存続させる仕組みをつくることである。首相は、旧皇族方のお力も借りる形で、皇室典範改正を、実現すべきだ」と書いているが同感である。
今日の産経「正論」には、加地伸行・立命館大教授が「権威は皇室に連綿として在る」と題して、中国の歴代皇帝208人中、臣下に位を奪われて殺されたもの63人、滅ぼされた王朝の末裔の悲劇を挙げて「皇帝」と比較し、わが国の皇室(天皇)の存在が如何に「政治的安定をもたらす中核」であったかを強調し、「日本では、権力の交替があっても、天皇の権威は奪われず常に権力の上に立ってきた。中国では、王朝の交替とは権威・権力の両方を奪うことであった。今日、世界の正常な国では、政権(権威・権力)は民主主義すなわち選挙方式によって承認される。だから、選挙結果によって権威・権力を失うことがある。そのとき、一種の不安定な政情となる。しかし、我が国はそうではない。わが国の政権には、権力はあるが権威はない。首相は権力者ではあるものの、権威は皇室にある。
現代日本人はどの首相に対しても敬意を払わない。首相に権威を認めていないからである。だから、首相がいくら交替しても、権威は不動であるので国家として不安定とならない。これがわが国の底力となっている。
わが国はどのような危機に際しても、権威の不動によって政治が安定しており、必ず立ち直ることができたのである。それはこれからのそうであろうし、またそうでなくてはならない。
その意味で天皇は政治における中核として内在している。単なる文化的権威や祭祀者に終わらない。それが証拠に、ほとんどの日本人は、権威ある天皇を元首として意識しているではないか。これは強制や法制によるものではない。皇室に対する絶えざる自然な敬意に基づくものなのである。
天皇、皇后両陛下のご成婚50年を機に、そのことをしみじみ噛みしめている」と結んだ。
子供の頃、私は両親から「天皇皇后は国のお父様、お母様」だと聞かされて育ったし、小学校5年生のときに貞明皇太后が崩御された時、全校生徒が校庭に集合して半旗を掲げ、校長から「国のお母様がお亡くなりあそばした」と聞き黙祷したことを鮮明に覚えている。皇室は、日本人の全ての模範であり、両陛下のお睦まじいお姿は、夫婦道の模範である、と両親はいつも語っていた。家族のあり方についてもそうであろう。それが日本の文化・伝統であり、皇室に凝縮している、と私は思っている。
加地教授が書いたように、戦後民主主義の弊害にとっぷり漬かっている現代日本人は、権力亡者たちに囲まれて、不動の権威の存在を忘れてはいないか?このめでたい佳き日を契機に、品性下劣、カネの亡者になりかかっている日本人は、常に「国民のためを思う私心なき天皇」を戴く国民として、じっくりと考えてみる必要があろう。
ところで皇室を「お守り」しているのは「宮内庁」という役所の他には「皇宮警察」だけである。果たしてそれでいいのだろうか?いささか不安でならない。昔は「近衛師団」が厳然と警護の任についていた。
今年一月発行の雑誌「正論」が、「戦後の呪縛が日本を自壊させる」という特集を組み、田母神前空幕長問題を取り上げた時、私はその最後に「自衛隊を『国軍』に!」という項を立て「理念なき政治に自衛隊は『政争の具』として終始弄ばれてきた。軍隊としての地位を剥奪され、軍人としての誇りを無視されてきた。今回の空幕長に対する非礼の数々でそれは一層明白になった」「せめて任務に精励できる“不変の価値”を戴きたいと思うのは人情だろう。自衛官といえども人の子、いつまで経っても正しく評価されないことに耐えられるような『聖人君子』ばかりではない。統帥権問題はさておき、せめて観閲式に御親閲を賜る名誉を!と期待する者がいてもおかしくはなかろう」と書いたが、平成19年1月に防衛省に昇格してから2年と経たないうちに総理大臣は三人、防衛大臣は実に6人も交代している。
そんな「権威なき」権力者達に「忠誠を誓え」といわれても、表面だけにとどまるのは自然の成り行きだろう。
私も加地教授同様、国民の心を一つにできる「権威」ある皇室について、「天皇、皇后両陛下のご成婚50年を機に、そのことをしみじみ噛みしめている」。
2009-04-09 半島と尖閣の危機
■半島と尖閣の危機
昨日のチャンネル桜は、予想通り≪ミサイル問題≫関連の話題で、井上キャスターとの防衛漫談は盛り上がった。スカパー(216)の今日午後8時から30分放映される。
ところで産経7面の「オピニオン」欄に、元外交官の宮家邦彦氏が「深刻な安全保障上の『現実』」と題して「今回の事件(ミサイル問題)は中長期的により深刻な安全保障上の現実を改めてわれわれに突きつけている様に思う」として、(1)北朝鮮は核兵器開発を放棄せず、弾頭はいずれ小型化する・・・北やイランが核兵器を開発する理由は自国のサバイバルだ・・・。(2)朝鮮半島はいずれ統一する。・・・いずれ北朝鮮の体制が終焉し、半島が統一に向かう可能性を今から考えておくべきではないか。(3)(中国は)万一朝鮮が崩壊すれば、ただちに統一朝鮮を自己の勢力下に置こうとするだろう。その際は、米地上軍撤退と米韓安保解消の可能性が現実のものとなる。・・・以上から導き出される結論は、われわれにとって甚だ『不都合な真実』になりそうである」とし、
1、近い将来日本は日米同盟と日韓関係の強化につき厳しい決断を迫られるだろう。当然ながら日本の防衛力増強についても戦略的見直しが求められる。従来のような「対米追随はけしからん」とか「憲法9条を守れ」といった形而上学的議論は何の役にも立たない。
2、日本は朝鮮半島の統一を歓迎・支持し、同国と新に同盟関係を結ぶべきである。そのためには半島との更なる和解も必要となろう。これが実現すれば、統一朝鮮の下で核兵器開発計画廃棄が可能となるかもしれない。今の日本にこうした認識と覚悟はあるだろうか」と鋭い指摘をしている。
統一された半島国との「和解」には、逆に日本国民からの“抵抗”が予想されるが、宮家氏は「最後に、全ての努力が失敗し、核武装した反日の統一朝鮮半島が出現する場合、日本は『核武装するかしないか、しない場合には、如何に自国の安全保障を確保するか』について究極の決断を迫られる。日本の政治家と国民はこうした事態に耐えられるだろうか」とし「そうならないようにするのが外交だとしかられるだろうが、そうなったらどうするかを戦略的に考えるのも立派な外交である」と結んでいる。
外務省が今回「そうならないようにしてきた」にもかかわらず、北朝鮮はミサイルを発射したのだから、いまや国民の殆どは「言葉遊びは無意味だ」と悟っている。野党党首の小沢氏があれほど頼りにしていた『国連』でさえもアノ始末。「そうなったらどうするか」を考えるべき時に来ているのではないか?
ところで私は今「大東亜戦争の真実を求めて」関係資料を“乱読中”なのだが、歴史は繰り返す!ことを思い知らされている。政治と軍事の両輪の噛み合せがいつも予想外の方向に転がっていく。時の勢いには誰も逆らえない。そして人類史上の悲劇が繰り返され、その後しばし「反省」するものの、やがて再び教訓に反して転がりだす。
それは世代交代による人類の記憶力と知識の劣化によるものかと思われるのだが、なかなか人類は先人に学ばない、というよりも、それを否定するのが『進歩的文化人だ』と錯覚しているようかのように思う。
憲法9条を死守?しつつ、海外協力に自衛隊を「出動」させている現実を見ると、外交に行き詰ったとたん「後はどうぞ!」と自衛隊に尻拭いをさせて誤魔化す。その結果が良くても悪くても、尻拭いさせられた自衛隊は正当に評価されないばかりか、平和が戻るとやがて邪魔者扱いにされる・・・そんな愚かな歴史のくりかえしに見えるのだが、宮家氏が指摘しているように、戦後の日本には「そうなったらどうするかを戦略的に考える」外交・防衛部門なんぞどこにもありはしないのではないか? 国民は、外務省や防衛省内にそれがあって『守ってくれている』と錯覚しているに過ぎないのではないか?
宮家氏が指摘しているように「北朝鮮の支配体制が激変する」だろうが、それは案外早く訪れる様な気がする。そのとき、国境を接する韓国と中国には死活的な重大問題が生じるだろう。国益上、ロシアもアメリカも傍観しているはずはない。ひとり日本だけが取り残される気がしてならない。
ところで話は急に南に飛ぶが、産経5面端に「石垣市長、尖閣上陸許可求める」という短編情報がある。
「沖縄県石垣市の大浜長照市長が3日付で、東シナ海の尖閣諸島への上陸許可を求める書簡を中曽根弘文外相あてに送付していたことが8日、分かった。河村建夫官房長官が記者会見で明らかにした。上陸の目的は、地方税法に基づく固定資産税評価の実地調査となっているが、政府は上陸を許可しない公算が大きい」というものだが、これを読んだ国民はどう思ったことだろうか?市長が自分の行政担当区域内に自由に出入りできず、いちいち国に申請するとは・・・ 外務省はどんな「権利」で、市長の税務調査を拒否するのか?理由を明らかにすべきである。
昨年の日中安保会議で「尖閣は中国の固有の領土、なぜ日本の海上保安庁が守るのか!」と中国軍人が発言したが、まるでそれを裏打ちするようなこの記事。石垣市長が、自分の政治的使命を果たそうとしているのに、「“政府”は上陸を許可しない」というのだから、この“政府”とは中国政府のことではないのか? 尖閣の所有者は、まさか中国に『税金』をおさめているのではないだろう?
以前、尖閣の領海内に『台湾漁船』が進入して巡視船と衝突、沈没した事故があったが、海上保安庁は「巡視船の対応に不適切なところがあった」として国民の税金から多額の『賠償金』を払って和解したが、この『漁船』は「釣り船」でありマスコミも正確に報じてはいない。台湾漁船には台湾の国内法で遠洋に出るには許可が必要だが、この『釣り船』は法律に違反して圏外に出て日本の領海を侵犯していた“常習犯”であり、責められるべきは台湾の釣り船船長の方である。 しかも。彼は海保に救助されて手厚い手当てを受けた時には感謝していたそうだが、台湾に帰ると『日本に酷い取り扱いをされた!』と正反対のことを言いふらしているという。
2年前石垣市で講演した際、尖閣問題について地元関係者から大いなる苦情を聞いた。市会議員でさえも「自国の海保巡視船から」上陸阻止されるというのである。島の民宿や猟師さんたちは、今ブームになっている釣り人たちを連れて魚場に行きたいのに、これも阻止されて商売にならないと不満をこぼしていたが、台湾の釣り船のほうは大目に見られるらしく、日本人釣り客たちは台湾に行き、そこで釣り船をチャーターして、台湾の船で“自国”の魚場に来て釣りをする、と聞いていたから、私は今回の事故船に日本人釣り客が乗っているのではないか?と思ったが13人は台湾人だった。心ある台湾の友人たちは、日本がとったこの処置に大いなる不満を語っている。そこへ今日の記事である。どう考えても異常だとしかいいようがない。
半島情勢が急変した場合に、中国は半島事態に対処するため軍を動員するだろうが、その時気がかりなのは南西方面である。この方面に彼らはどんな手を打つか?
国民党政権復活で「台湾は手中に収めた」と見ているようだが、馬政権はそれほど安定してはいない。台湾と半島の2正面作戦を余儀なくされないためにあらゆる軍事・外交手段を展開中の中国に比べて、日本のそれは宮家氏が指摘するまでもなく「尋常ではない」といい得る。
今回のミサイル危機で一部国民は目を覚ましつつあるようだが、政府は一件落着?のようでそのまま居眠りしていれば数年内に恐るべき展開になるであろう。その時は「PACー3」では対処できないことを覚悟しておくが良かろう。
予算削減、人員削減に耐えている自衛隊も「できないことはできない」と『シビリアン』に直言できるようでないと、いたずらに犠牲を増やすことになる。
外交と軍事は表裏一体、密接な連携が望ましいのだが、それにしても、朝鮮半島の二国はもとより、台湾や中国を“手玉”に取るくらいのしたたかな外交力は「軍事力否定」の日本国には望めないだろう。
半島と尖閣、双方の危機を有効に使って“敵戦略”を翻弄するほどの政治家や外交官の出現を期待したいが・・・
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2009-04-08 正体を暴いたミサイル事案
■正体を暴いたミサイル事案
昨年暮れの「田母神空幕長更迭事案」は、保守派言論人たちの正体を暴く「踏み絵」であった。そして田母神氏に対する“圧倒的な国民の支持”は、これら“保守派”と見られてきた言論人達に対する「不支持表明」でもある。
今回の北朝鮮によるミサイル発射事案も、政府中枢(国会)に巣食う議員たちの正体と、メディアの正体も浮かび上がらせつつある。国会決議に対する与野党の態度がそれで、その意味では今回も貴重な「踏み絵」であったといえよう。
決議に賛成している「与党」公明党の真意は不明だが、決議案からだけ見れば、一応“賛意は鮮明”だといえようが、野党民主党が賛成したとはいえ「賛成する形」を取った姿勢はいただけない。それはともかく、はっきりしたことは社民党と共産党であり、この両党は「日本国の政党」だとは言い難いことを暴露したから、コメントにもあったように、次回総選挙で消滅させるべき存在だろう。
つまり、この2党の対応を国際的観点から見れば、国連安保理で「日米」などに対抗して『テロ国家・北朝鮮』を支持する「ロシア」と「中国」と同一歩調を取っている以上、彼らの“祖国”は、ロシアであり中国であり、日本国民の「生命と財産」に危害を及ぼすことに「賛成」している「反日団体」だといっても過言ではなかろう。
これでもまだ目が醒めない日本人がいるとすれば、それは日本人ではない!いい加減に目を覚ましてもらいたいものである。
また、今回に限らないが、日米同盟が「信じられないグループ」の中には、「それ見たことか、米国はあてにならない」などと不信感をあらわにしているが、今朝の産経一面の「明日へのフォーカス」に高畑昭男論説委員が、「同盟をめぐる疑問や問題の多くは米国よりも日本の国内問題だろう。集団的自衛権をめぐる問題も、在日米軍再編が遅れている理由も同じだと思う」書いたことに尽きている。
9・11の時に急遽横須賀を出航した「キティホーク」を、シビリアンコントロールに従って、政府見解どおりに海自が「護衛」していなかったら、あの時点で日米同盟は終わっていただろうと私は感じている。
機転が利いた現場自衛官の措置で、急遽2隻の護衛艦が「訓練出航」し、キティホークの前後を“たまたま”並んで出航したから、その映像を見た米国民が「日米同盟が機能していると錯覚して」喜んだに過ぎない。
「同盟国の安全を守るために現場の兵士が生命をかけるのと同じように、指導者も政治生命をかける意思がなければ同盟は成り立たない。日米安保を意義付ける首脳会談のキャッチフレーズは『世界の中の日米同盟』(2003年)、『新世紀の日米同盟』(06年)、『ゆるぎない同盟』(07年)と発展してきた。それを裏打ちするリスクを政治がとらなければ、単なる美辞麗句で終わってしまう」と高畑論説委員は書いたが、麻生総理にはこのことをよく理解して欲しいと思う。
とにかくこの国の政治の世界には「美辞麗句」だけが先走りして、中身が少しもついていかない悪い癖がある。国会でも政治家達は自分の頭で考え、自分の口で説得することなく、「官僚の作文を読む」癖が滲みこんできたからだろう、と私は勝手に思い込んでいる。美辞麗句だけで政治が動くなら、世の中は平和なはずである! 世の中は「理屈」だけでは通らないことをあまりにも知らなすぎるのではないか?
まるでファントム戦闘機に乗り込んで、教範どおりにスイッチを作動させれば、空を飛べると思い込んでいるようだが、じゃじゃ馬のファントムは、とてもとても、教範どおりには動いてはくれない。スポーツだって、理論どおりに行くのであれば、松井選手やイチロー選手があれほど尊敬される筈はない。政治家と官僚にはもっと現実を知ってほしいものである。
現役時代、訓練に訓練を重ねるわれわれと、机の上で文章をこねくり回している者達との差について、私は良く次のような「ジョーク」で部下を笑わせたものである。
「世の中には、『ある晴れ渡った土砂降りの日に、丸みを帯びた四角い車が、黒く塗られた白い車体を翻して、曲がりくねったまっすぐな道を、後へ後ろへと前進して行った』という一見すると何の矛盾も感じられないような文章を書いて一件落着、世界は動かせると思っている人もいるが、われわれはそうではない。彼らには操縦は絶対に不可能だ!と」
何度も書くが、防衛はヴァーチャルなものではない。法律には従わねばならないのは当然だが、それだけに頼っていては負けるときもある。法律が不備であるにもかかわらず、海自はソマリアに出撃を命じられているではないか。
教範どおりに行かないと怒ってみてもそれが戦場では当たり前、機転と体験から来る一瞬の判断が自分を救い国を勝利に導くのだ、ということを政治家や官僚にも知ってほしい。
産経6面右上に「祭りのあとこそ重要だ」として、乾正人政治部長が“皮肉”で「北朝鮮の金正日総書記は、平和ボケで弛緩しきっている日本人に、有事対応の重要性を目覚めさせてくれる最高の教育者だ」と書いているが、報道現場の緊張した裏話も書いている。予告されていたからスタンバイ状態にあった局内に「誤探知情報」が入って、てんやわんやになった後は「憑き物が落ちたように、局内は『平常勤務』に戻った。日曜の“本番”では、土曜と同じ態勢が取られたが、前日の喧騒がウソのように淡々とネットでの速報と号外つくりが進められた」と。
自衛隊の訓練や「演習」の目的もそこにある。防衛諸計画が「机上の計画通り」に進捗するかどうか、まず図上演習(シミュレーション)で大まかに確かめてみて、不具合を修正したうえで更に「実動演習」で検証する。そこでも予定外の実態が浮き彫りになるから、それを再修正して翌年の訓練計画や予算請求に反映させる・・・。
そして地下の薄暗い指揮所で煩雑な情報整理、判断、部隊への命令起案などを修練するに従って、「新米幹部」も事案を落ち着いて判断処理出来る一人前に育っていく。
一般国民の目から見ればこんな「何の儲けにもならない」作業を延々と半世紀にわたってくりかえし、積み上げてきているのだから、そんな体験しかない私のような自衛隊OBや「ロシアの専門家」の目から見れば「日本の対北反応は病的だ」ということになる。最も、ロシアの場合は「民間機であれなんであれ、進入してきたものは撃墜する」国だから「病的にならない」だけ、むしろ普段が『病的な国』なのであるから話にならないだけの話!
とまれ、「日本の防衛体制のほころびを浮き上がらせていった」ことに対して麻生総理が「いい予行演習が出来たと思えばいいじゃねえか」と語ったように、問題はこの教訓を次にどう生かすかにかかっている。
今回のミサイル事案は、戦後のわが国が如何に「放置国家」であったか!、日米同盟を無効にするような態度を取って来たのはむしろ我が国のほうではなかったのか?、机上の空論ではなく、実動が伴った「演習の必要性」を国民に気づかせてくれ、そのうえ更に政界にもメディア界にも「敵性人(外国人?)」が如何に蔓延っているかも浮き彫りにしてくれた。その点では確かに乾政治部長が書いたように「北朝鮮の金正日総書記は、平和ボケで弛緩しきっている日本人に、有事対応の重要性を目覚めさせてくれる最高の教育者」だから、その“恩義”に報いるためにも、日本政府は決してこれを無駄にしてはいけないのである!彼の期待にこたえて、早く一人前の独立国になろうではないか!
今日は夕方からチャンネル桜『防人の道』の収録、今月は都合で私の出番が月初めではなく今日になったから、井上キャスターとの話題は多分これに尽きることだろう。
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自衛隊エリートパイロット 激動の時代を生きた5人のファイター・パイロット列伝 (ミリタリー選書 22)
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2009-04-06 ミサイル騒動、さてどうする?
■ミサイル騒動、さてどうする?
北朝鮮がミサイルを発射したと国内は大騒ぎだが、それが成功であれ失敗であれ、さて、今後わが国としてはどうする気だろう?戦後呪縛からの解消に繋がればいいのだが・・・
10年前は2段目、今回は3段目ロケットの切り離しに失敗したらしいが、北朝鮮はこのまま行けばいずれ成功する。彼らが射程8000Kmのミサイル開発に成功すれば、アメリカも黙ってはいまい。しかし、「黙っていない」といってもそれが何を意味するかは不明である。今回、3段目ロケットの切り離しに成功して、ハワイ沖にでも着弾?していれば、米国の態度も変わっただろうし、考えも分かったろうが、今回は次に持ち越しになった。オバマ大統領の今後の発言に注目したい。
ところでわが国は、今回の事例から何を学んだのだろう?
TVではコメンテーターたちによる「他人事のようなお祭り騒ぎ」が続いていて、核心に触れる意見がなかなか聞かれないが、「情報伝達」が「今回はうまくいった」といっても、その情報を聞いた国民ににはなすすべはない。
漁師は船の上、幼稚園児は先生を中心に固まって座るだけ、花見客はござの上にいて「ミサイルが発射されました!」と聞くだけ、国民は情報を聞いても手の打ち様がないのが実態ではないか。
駐車場がシェルターになっているスイスや、地下鉄が避難所になっているロシア、月に一度空襲警報に従って避難訓練をしている韓国(最近は知らないが)のように、わが国では普段からこの種の対処訓練が出来ていない以上、情報が「迅速」に伝達されても「宝の持ち腐れ」だろう。
今回の北朝鮮の「挑発行為」で判明したことは「自分の国は自分で守る以外にはない」ということと、死にたくなければ「その対処措置を講じておくこと」、テロ国家からの挑発行為を封じるためには「排除能力を保持しておくこと」、そして何よりも、普段から自国内に巣食っている「敵性団体」を通じて「資金援助をしないこと」だろう。
今回の件で米国国防長官が、ミサイルが米国本土に向かってこないかぎり「迎撃しない」と公言したことは、日米同盟のあり方に疑問を投げかけた。最も、日本が「集団的自衛権」を行使出来ないといっている以上、米国防長官発言も当然といえば当然なのだが・・・。やはり自国は自分で守る以外にはなかろう。
政府が「ミサイル発射情報を“定刻以内に”国民に伝達」しても、シェルターさえない以上、一般国民には打つ手はないことは既に書いた。
自らに降りかかる火の粉を払うための「排除能力」は、昭和31年2月に「わが国に対して、急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国に対し、誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだという風には、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、例えば、誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います」と鳩山総理時代に政府ははっきりと答弁している。
問題はただそう「答弁しただけ」で全くその手段を揃えようとしなかったことである。あれから53年経った今、未だ「ミサイルが発射されました!」と“嬉しそうに”伝達ごっこしているのが実態なのだ。これでも我が政府に「国民の生命と財産を守る決意」があるといえようか?
今回は絶好の機会だから、「反撃手段をもつ」事と「核保有」について検討することを国連安保理で堂々と発言すべきである。今回の件について。安保理が何ら有効な処置を取れないことが判明した時点で。
『中国の衛星迎撃』(インターネットから)
今回の事例を観察していると、政府も国民も「MDを“万能”」でもあるかのように勘違いしているようだが、あれは所詮「蝿叩きの一種」に過ぎないのであって、相手の攻撃意思を断念させるほどの武器ではない。
今回国民は知っただろうが、北朝鮮は誰がなんと言おうとミサイル開発を断念する気はない。3段目切り離し失敗がわかれば、次は成功するまで発射実験をするだろう。米国に到達できる手段を持つことが彼らの“悲願”だからである。
それを止めさせることができるのは何か?日本の野党やリベラルたちは『説得できる』とお思いだろうがそれが全く無意味なことは今回証明された。多分、国連だって不可能だろう。
残る手段はただ一つ、「誘導弾発射基地を叩くこと」であり、物理的に発射行為が取れなくすること以外にない。
MDは、平時における奇襲防止と、開戦決定時における費用対効果判断上の基準に過ぎないことを知るべきであろう。 第一、イージス艦やPAC-3で日本列島全体をカバーすることは不可能に近い。根拠地を叩くことが最大の防御であることは、第二次世界大戦で、ドイツの弾道弾・V-2号に対処した英国(連合国)の行動が証明している。彼らはフランス国内のV-2号発射基地に猛攻を加え、これを黙らせた。
更に不思議なことは、ミサイル騒ぎなどどこ吹く風、賑わうお花見の席もさることながら、パチンコ屋が大いに賑わっていたことである!勿論全国のパチンコ屋を調べたわけではないが、この不況にもかかわらず、近在のパチンコ屋は盛況だった。それはTVやラジオのコマーシャルを見ただけでも良くわかる。日本のメディアの大半は、スポンサーである彼らの言いなりではないのか?
『北朝鮮関連記事(SAPIOから)』
『同じくSAPIOから』
今朝の産経2面に、米議会調査局朝鮮問題専門官のラリー・ニクシュ氏が「日本が北朝鮮に最大限制裁しようと思えば、朝鮮総連の活動を禁止し、幹部を北朝鮮に送還することだ。総連の資金源を断つことも効果的な制裁となる」と語っているが、日本の政治家でこんな発言をする者がいないのはどうしたことか?
今回のミサイル発射「伝達ごっこ」で大騒ぎしたわが国の姿は全うな独立国の姿ではない。ニクシュ氏から「マッチ・ポンプ」といわれても仕方あるまい。
さて、政府はもとより国民は今回の事例から何を学んだか?そしてこの“緊張感”がいつまで続くのか?その点を私は最大の関心を持って眺めている。喉元過ぎれば・・・にならないように。
2009-04-05 ミサイル発射?
■ミサイル発射?
4日の新聞は「北ミサイル今日にも発射」と書いた。5日には「ミサイル『発射』政府が誤情報」と書いた。テレビも同様で、これ見よがしに「誤情報情報」を喧伝している。
産経によると、官房長官が防衛大臣に「緊張感を持ってやって欲しい」と注意、防衛大臣は「防衛省、自衛隊の情報伝達の不手際だ。国民に心からお詫びしたい」と陳謝し、テレビカメラの前では涙目で詫びたそうだが、何とも早、戦を忘れた極楽トンボのにわか“戦争ごっこ”には失笑を禁じえない。
しかし、産経は「主張欄」で「萎縮せず情報収集万全に」とし「繰り返されてはならないが」「政府や防衛省・自衛隊の担当者らが萎縮して、今後の情報収集や伝達に支障が出るのでは本末転倒だ」「与野党双方が語情報の発表を厳しく批判しているのに対し、橋下徹大阪府知事は『敏感に情報収集するほうが危機管理としてはいい』と述べたという。北の違法な行動から国民の生命・財産を守るオペレーションを支援するのが、政府の役割であろう」と関係者を督励したが正論である。
元防研所長の小池清彦氏(現加茂市長)も、「防衛の観点からすれば発射をキャッチできず、警戒態勢が取れないよりはましだ。カルタのお手つきみたいなもので、ミサイル防衛システムの信頼性を大きく損なうものでもない。・・・北朝鮮のロケットぐらいで慌てるのは日本の恥だと思う」と語っているが、これも全うな見解だろう。
その昔冷戦時代に、レーダーが捉えた鳥の群れをソ連の攻撃と誤判断して核兵器を搭載したB-52が発進した事例に比べれば、無難なものである。
産経の記事には「全てはシナリオどおりに進むかと思われていた」が、声を上ずらせた報道室長が「飛翔体が発射された模様」と告げ、首相も予定通り公邸を出て官邸に向かった直後に「誤報」と判明、「1分差で赤恥会見免れる」と書いたが、相手がある事柄なのに「自分の都合だけで書いたシナリオ通りに進む」と思っていることが間違いなのである。
社会面には「北ミサイル騒動列島長い一日」「怒り・安堵徒労感」という見出しが躍るが、まだまだわが国は軍事的に発育不全?であることが歴然としている。
全国民のわずか0・18%に過ぎない自衛隊員は、国民が無関心であっても、60年余にわたってひたすら有事を想定した「演習」を繰り返してきた。演習のシナリオには「誤情報」が仕組まれているし、事実「誤情報」は指揮官の計算に入っている。
スクランブルがかかって緊急発進し、吐く息も荒く上空に飛び上がったとたん、「レーダーの誤作動、キャンセル」と引き返すことも間々あったが、そんなことはわれわれには織り込み済みだった。勿論しばしばあってはならないことではあったが。演習でさえもそうだから、今回のように「何を考えているかわからない」国が相手である以上、当然「振り回される」ことは予想できた筈だが、潔癖で完全主義の日本人らしく、全てが「シナリオどおり」でないと腹の虫が治まらないらしい。特に野党と一部マスコミは・・・。今回のミサイル事案には局独自の“ヤラセ”による「シナリオ」は適用できないからか?
レーダーの誤作動や、発射監視隊員の思い込みによるミスは、この際ニッテレの娯楽番組ではないが「笑ってこらえて」もらいたいものである。担当者は勿論、空自も勿論反省しているだろう。しかし、万一、着弾後に「発射を確認しました!」と報告したほうがよほど“間抜け”である。考えてみるが良い。相手は発射後8分で到達するミサイル、ベストよりも「ベター」が求められているのである。
そんな一部の政府関係者に比べて、一般国民のほうがよほど落ち着いていたように思う。最も、だからといって「やるべきこと」もないからだろうが。
インターネット上では「市民の関心の高さが伺われるアクセス数だった」というから頼もしい。やっと日本人も世の中には「話し合いだけでは解決できない事柄」がごろごろしていることに気がつき始めたのだろう。
今回の誤情報に振り回された秋田県では「国の情報収集は大丈夫なのか」と不安を募らせ、岩手県滝沢村の村長は「国の情報がこれじゃあ・・・」とつぶやいたという。民主党の次の内閣「防衛副担当」山口議員は「MDシステムは大丈夫なのか、心配になる。党として、国会や政調で検証していく」と、「日本の防衛体制に懸念を表明した」そうだが、これらはいい兆候だろう。野党が今回の誤情報問題で政府の失態を追及すること自体が、『わが国の防衛・危機管理体制のあり方』を論ずることになるからである。
一時、誤情報に不機嫌になった麻生総理も、官房長官に「まあ、明日も変わらずしっかりやってくれ!」と言ったそうだが、『明日も』ではなく『今後とも』であるべきだろう。4日から8日までと期限が切られた『ミサイル発射事案』が、結果はどうであれ、終結したとたんに折角盛り上がった国民の国家防衛意識が『元の木阿弥』に戻ることを恐れるからである。国家安全保障・国家防衛はそんな『一時的なお祭り事案』ではない。
これを契機に政府は改めて国家安全保障・危機管理に真剣に取り組んで欲しい。同時に国民も、今後それを監視して行くべきだろう。
2009-04-01 集団的自衛権問題解決を急げ
■集団的自衛権問題解決を急げ!
昨日は「日本ヒューマンファクター研究所所長・黒田勲先生を送る会」に参列してきた。700名を超える各界の方々が参列され、厳かな雰囲気だったが、黒田先生には操縦学生時代からご指導いただき、先生に心酔している一人である。
黒田先生は、北大医学部を卒業され、航空自衛隊に入隊、航空医学の第一人者になられた方である。航空自衛隊の操縦者で先生を知らないものはいないだろう。最後は立川の航空医学実験隊長(空将)で退官されたが、航空事故調査の第一人者でもあり、航空自衛隊に「航空安全管理隊」を創設されたが、とりわけ航空医学部門では国際的な存在であった。
とにかく発想がユニークで人間心理に造詣が深く、「飛行と体」「飛行と心」「ヒューマンファクターを探る」など著書も数知れない。先生の信念は「現場を知ること」であり、飛行隊のオペレーションはもとより、整備小隊にも顔を出され、気さくに隊員たちと話をされた。
「雫石事故」で鑑定書を出されたのは勿論、私が広報室長だった時の「御巣鷹山事故」などで、いろいろとご指導を頂いたが、事故調査では、一般的に「責任追及型」が多い中、それでは事故の再発は防げないとして、先生は数少ない「原因追求型」で、官僚社会には珍しい「頭が柔らかい」方であった。まだまだご活躍を期待していたのだが、2月中旬に突然の訃報が届き絶句したものである。部内誌に「黒田曲臍」という名前で書かれた名文は現役時代の貴重な参考書であった。ご生前のご指導に感謝し、心からご冥福をお祈りしたい。
さて、いよいよ4月、関東地方は今週末が「お花見絶好日」だという。年に一度の桜のシーズン、大いに憂さ晴らしと行きたいものだが、“節酒”だから気分も乗らない。
そんな春先の絶好のシーズンに、自衛隊のMD部隊は配備に就いた。「ピストルの弾をピストルで撃つような…」と言ってみたり、「日本列島を越えるとき、ゴルフボールのように見えたら面白い」とか、何ともまあ、ノー天気な発言が永田町方面から伝わってくるが、ペトリオットが搬入されるのを見た地元の男性が取材者に向かって「怖いですね」と言ったのには驚いた。北朝鮮のミサイル“破片”落下が怖いのか?と思ったら、自衛隊のミサイルが「怖い」のだという。
このような場合には「頼もしい。是非撃墜して欲しい」というのが「フツーの日本の男」の言葉だろうに。
戦後60年余、日本の男はこれほど「玉抜き」になったかと思うと実に情けない。むしろ、若い女性の方がしっかりしている様に思う。今回は、「情けない男の発言」だけをTVが特集して放映したのだと思いたいが、男が頼りなくなると、「女性が本能的に強くなる」のだろう。福岡の83歳のおばあさんが、22歳の鉄棒を持った泥棒男をとっ捕まえたと報道されたが、何か象徴的でさえある。日本男児よ、しっかりしよう!
ところでこのミサイル事案は、いつに天候に左右されるだろうから北朝鮮側の意思決定が見ものだが、いずれにせよ、日米同時対処などと報道されているものの、米国が「米本土に危害が及ばないかぎり対応しない」というのはある意味当然だろう。
その昔、沖縄上空をソ連の電子偵察機が2度にわたって領空侵犯したが、日本領空を防衛するのは航空自衛隊の任務であって嘉手納の米空軍ではないから、「お手並み拝見」とばかりに、米軍は「電波封止」をして観察していた。“たまたま?”対処したファントムが「警告射撃」を実施したから、米空軍は評価してくれたが、そうでなかったらどうだったか知れなかった。
今回も、まず自国防衛は自国が第一義的に対処するものである。勿論、情報交換は密接だろうが、万一の場合、第一発を発射するのはわが国でなくてはならない。出来れば、日本上空をかすめるか否かは別に、米本土に飛ぶ恐れがあると判定された場合にも、海自のイージス艦は日米共同でこれに対処すべきであろう。それが同盟関係というものである。
ところで30日の産経一面に、外交評論家の岡本行夫氏が「若き防人達へ」と題して、防大卒業式でのスピーチを書いていたが、集団的自衛権という観点から、いささか首を傾げざるを得なかった。
「自衛隊員が万一日本に対する侵略が行われた時を想定する緊張感を持続するには、並大抵ではない努力が必要だ」として、「米国が日本のために実際に侵略国に対して報復するかどうかより、周辺諸国の『米国は日本のために必ず報復するだろう』との印象(パーセプション)が重要である」というのだが、楽観的過ぎないか?
周辺諸国(ロシア、中国、北朝鮮…)がそう思うのは自由だが、思わなかったときにどうするのか?軍事力行使は「ヴァーチャルの遊びごと」ではない。
岡本氏はその好例として9・11テロの一週間後に、「横須賀を実質的な母港とする米第7艦隊も横須賀から硫黄島へ退避することになった。そのとき、第7艦隊の前後を2隻の日本の護衛艦が警戒しながら、東京湾を南下した。この場面は米国のテレビでくりかえし放映され、米国民の大きな感動を呼んだ。その映像を見たであろう周辺諸国は、日米同盟の緊密さを知って、日本に攻撃を仕掛ければ米軍は核攻撃を含む報復行動をしてくるだろうと確信したに違いない」とあるが、本当だろうか?
当時「第7艦隊ならぬ“空母キティホーク”の護衛は、集団的自衛権の行使に抵触するとか何とかで、政府は渋ったと報道されたはずだが、政府の指示で2隻の護衛艦は「キティホーク」を護衛したのか?
もしあの時、明確なシビリアンからの「指示」が出ていたとしたら是非お教え願いたいものである。
たまたま“偶然に”2隻の護衛艦は、訓練に出航して、水道を相前後して並んで通過しただけではなかったのか?
勿論、TVで放映された画面を見た米国民はそんなことは知らないだろうから「大きな感動を呼んだ」に違いないし、周辺諸国も「日米同盟の緊密さ」を知って「報復行動」を確信したかもしれないが、これが本来の「フツーの姿」であるとしても、当然のこととして「同盟関係を象徴する」行動が取れないのが「大問題」なのである。
あの時は、現場指揮官の「機転が利いた」対応ですんだと聞いているが、そんな現場の知恵が如何にこの国の防衛に貢献しているか、周辺諸国の「印象付け」に貢献しているかを率直に語って欲しかった。
そんな裏話を知らないで「若き防人達へ」日米同盟を印象付けようとしても、彼らは部隊に行けば「ことの真実」を知ることになる。折角のお話が台無しにならないようにするためには、是非とも普通の国並みに「集団的自衛権」が行使できるように格別の努力をしていただきたいと思う。