Diary and Column(日記とコラム)
  2009年4月22日記載 最新記事リストの戻る
  スピーチが退屈と感じるのは話題がつまらないからである
  祝賀会などの乾杯前の挨拶で、話が長いと感じることが多い。話が長いと感じるのは平均何分以上に及ぶスピーチからなのだろうか。ちなみに飲食店で食事を注文し、一人で食事が出るまで待つ時間は、平均11分以上になると待たされ感が強く感じるとの統計が出ている。

スピーチの退屈感は実は「時間とは無関係」が正解。どうゆうことなのか。答えは「話の内容がつまらない」と退屈と感じるのである。退屈な話題だと例えわずか3分間であっても聞く側としては十分長いし苦痛感が生まれる。逆に楽しい話題を盛り込んだスピーチであったなら10分以上になったとしても聞く側は夢中になっているので退屈感は生まれない。

テレビの場合は、番組がつまらないと思えば、チャンネルを変えたり、テレビを消したりすることで回避することができる。しかし公式の場などの来賓挨拶や乾杯前の挨拶では聞く側は強制的に話しに耳を傾けなければならない。いわば他人の貴重な時間を奪ってまで話をするのだから、退屈させてはいけないし、面白くもない挨拶をダラダラと続けるのは犯罪行為と同等である。

面白い話とは笑わせる話題ではない。他人が話を聞くことで何かの役に立つ内容を聞かせることである。任意性ではなく時間拘束させてまで話を聞いてもらうのだから、向学に繋がる話題の提供こそ価値が生まれる。それだけ他人の時間を拘束させる行為は意味深いのである。

会議の場でも同じことが言える。結論を出すための確認するのが会議であり、単にお悩み相談や雑談の場ではない。だから迅速に審議を進めて結論をその場で出すことができないと、それも他人の貴重な業務時間を奪うことに繋がることを会議進行者は頭に入れておく必要がある。

会議室に椅子を取り外した立ち会議を導入した企業もある。立ち形式なら長い時間ダラダラと続けたいとも思わない。だから複数人が集まって協議するのは、最終結論の意見調整が目的であるのだから、会議前に十分な審議内容を吟味しておく事前準備が求められる。

人は生まれた時点で不平等である。生まれ持った生活環境や地域差、身体的な差など違いを上げればキリがない。しかし時間だけは平等だ。だからこそ他人の時間を奪うことがどれほど重要なことなのかを自覚するべきだ。任意参加型でなく強制参加で話を聞かせるのなら、時間を軽視してはならない。人生という限られた貴重な時間を他人が奪う意識を高めれば、もっと効率の良い行動を意識するだろう。
   

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