06 ポッカコーポレーションの憂鬱

 ぱちモルガンの詐欺師たちの中で、もっとも華麗な経歴を持っているのは中村暢孝だ。中村は西友の幹部社員を務めたあと、西友グループの人材派遣会社である株式会社ウィルの代表取締役に就任している。そして一九九九年、どういういきさつか東証一部上場の飲料会社ポッカコーポレーションに役員待遇の顧問として迎えられた。

 当時ポッカコーポレーションは名古屋のプリントショップと合弁でポッカクリエイトという子会社を設立し、喫茶店「カフェ・ド・クリエ」を展開していたが、過剰出店がたたって業績が低迷していた。中村が託されたのはこのポッカクリエイトの建て直しだった。中村はまもなくポッカクリエイトの代表取締役に就任し、二年半にわたって店舗の再編を進めた。だがこの過程で、多額の金がどこかに消えていたのだ。あるメディアの調査によると、消えた金の総額は一四億円に上るという。

 ここに一通の内容証明郵便がある。中村暢孝社長の名前で二〇〇二年八月二八日に出された催告書だ。それによるとポッカクリエイトは都内にあるカフェ・ド・クリエの三つの店舗を吉田敬正という人物が代表取締役を務める株式会社メリコムネットワークスに運営委託したが、半年ほどの間に商品代金や店舗の賃料、光熱費など一三五〇万円あまりが未払いとなっていたことがわかる。

 書類の上からは中村暢孝が被害者のように見て取れるが、実は中村と吉田は旧知の間柄だ。そもそもメリコムネットワークスは立崎泰に乗っ取られたアクティビジョンの小野寺隆が設立した会社で、この当時実質的に立崎の手に渡っていた。役員には立崎の次男である立崎晃も名を連ねている。中村は以前から立崎と行動を共にし、アクティビジョンの役員も務めていたから、吉田の素性を知らなかったはずはない。消えた一四億円の少なくとも一部は、こうした身内の会社を利用した特別背任だったことがうかがえる。これ以外にも広告費や備品費などとして、多額の金がポッカからぱちモルガンに流れていたという情報があるが、いまのところ確認はとれていない。

 中村による巨額の特別背任について、ポッカコーポレーション側は否定している。「中村暢孝は西友での手腕を見込まれて就任し、一定の成果を上げて退任した」というのがポッカの正式な回答だ。しかし業界関係者の間では、中村が事実上解任されたというのは周知のことらしい。ポッカはポッカクリエイトを外食事業の核として上場させる意向のようだが、詐欺師をトップの座に据えて損害を蒙った事実を隠したままではそれも難しいだろう。

 ポッカがぱちモルガンの詐欺師たちにおもちゃにされたのはこれが初めてではない。ポッカは一九九四年、柳沢博が代表取締役を務めるロイヤルフラワー株式会社と合弁で「寒温ロイヤル株式会社」という花や青果の低温物流の会社を設立しているのだ。柳沢がポッカからどれほどの金を引き出したかは明らかになっていないが、寒温ロイヤルが設立されたのはロイヤルフラワーが花屋のフランチャイズ展開や百貨店チェーンの買収など、バブル崩壊後の急拡大路線を走っている時期にあたり、その後の破綻によって損害を蒙ったことは想像がつく。いずれにせよ、ポッカコーポレーションには詐欺師にたびたびつけ込まれるだけの脇の甘さがあるようだ。

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