02 ぱちモルガン登場

東京銀行協会ビル

 皇居を望む丸の内一丁目の一等地に東京銀行協会ビルはある。大正時代に建てられたレンガの建物の正面を残し、背後に近代的な建物を配した瀟洒なオフィスビルだ。入口は警備員が厳重に警備していて、無関係な人間は一歩も中に立ち入ることが許されないばかりか、どんな会社が入居しているかすら公開されていない。このビルの一五階はレンタルオフィスになっていて、誰でも鞄ひとつ、携帯電話ひとつでビジネスを始めることができる。金さえ払えばペーパーカンパニーの名目上の本店を置くことができ、「東京銀行協会」という名前が持つ堅実なイメージを利用できるとあって、詐欺師にはまたとない仕事場といえる。事実、ここはしばしば当局の家宅捜索を受けているという。上場企業を舞台としたある株価操作事件の取材をしていた私たちは、このビルの一五階に「エフ・エヌ・エスモルガン」(以下、FNS)と「モルガントラスト・ジャパン」(以下、トラスト)という二つの会社が登記上の本店をおいていることを知った。

 モルガンと名乗っているが、どちらの会社も日本で有名なモルガングループ、すなわちJPモルガンとモルガン・スタンレーのいずれともまったく関係ない。にも関わらずふたつの会社は「モルガングループ」「米国のモルガン家の資産管理をしている」などと、いかにも有名なモルガンと関係があるように自称している。だから私たちは、このふたつの会社を「ぱちモルガン」(大阪弁で「偽物のモルガン」のこと)と呼ぶことにした。

 ぱちモルガンに実体はない。どちらも純粋なペーパーカンパニーだ。会社登記を調べると、FNSは旧社名を「エフ・エヌ・エス」といって花の保存機器の販売や花の小売を目的とする会社、トラストは旧社名を「アイテム」といってリゾートの計画や運営を行う会社だった。これらのペーパーカンパニーがモルガンの名前を冠し、東京銀行協会ビルに登記上の本店を移したのは二〇〇二年のことだが、二つの会社はそれからまもなく、あるゴルフ場の会社更生事件にからんでマスメディアの前に登場する。

 石岡ゴルフ倶楽部といえば、ジャック・ニクラウス設計の高級パブリックコースとして知られている。このゴルフ場を運営する石岡カントリー倶楽部が整理回収機構から申立てを受けて会社更生手続を開始したのは二〇〇二年五月のことだった。更生計画を推進するスポンサーにはいくつかの企業が名乗りを上げたが、最も豊富な資金を示し、外資を含む他の候補を押しのけてスポンサーに選定されたのがFNSだった。呈示されたのは「びっくりするような金額」(更生管財人)で、信用調査機関の伝えるところでは三〇億円前後とされている。更生管財人によれば、FNSに資金があることの証明として、国内金融機関の残高証明書が提出されたという。

 この残高証明書は偽造ではないかと私たちは考えている。後述するように、ぱちモルガンには巨額の偽造証明書を使用した事実があるからだ。当時の関係者がFNSにはまったく資金がなかったと口を揃えて証言していることもこの推測を裏付ける。東京地方裁判所に保管されていると思われる残高証明書の現物を閲覧すれば、偽造かどうかはひと目でわかるのだが、管財人やスポンサーの協力が得られない現状ではこれは難しい。この事件は会社更生法が全面改正される直前に起きており、旧法下の事件は今と違って記録の閲覧に厳しい制限が課されているからだ。いずれにしても、FNSによる石岡カントリークラブ買収が、資金の裏付けのない偽装買収であったことは事実のようだ。

 石岡カントリー倶楽部のスポンサーになったぱちモルガン二社は、ゴルフ場再生を行うことなく、すぐに権利の転売を図った。FNSはゴールドマン・サックスに、トラストは日興アントファクトリーに狙いを定め、それぞれの投資グループから執行役員クラスの人物を取締役として受け入れている。最終的にはゴールドマン・サックスがFNSの株式を全株取得し、傘下に収めてスポンサーの地位を継承した。株式の取得金額は明らかにされていないが、額面でも三一〇〇万円。石岡カントリー倶楽部をのどから手の出るほど欲しがっていたゴールドマン・サックスのことだから、ぱちモルガンには億単位の金額が支払われたと思われる。一枚の残高証明書が大金に化けたのだ。

 なお、ゴールドマン・サックスによって全株取得されたはずのFNSの株を、柳沢博が会社役員などの個人投資家に売りつけていたことがわかっている。柳沢は出入りしていた高級スポーツクラブなどで投資家に株売却話を持ちかけ、「ゴルフ場を買収したあかつきには役員に迎える」などとして一株一〇万円で株券を売ったという。投資家たちはゴルフ場の支配人や従業員が柳沢をVIP待遇で歓待するのを見て、柳沢の話を信じた。セミプロ級とされる柳沢のゴルフの腕前と人脈が遺憾なく発揮されたと言えるだろう。だが、投資家たちの名前は株主名簿には載っていなかったようで、彼らが石岡カントリー倶楽部について何らかの権利を取得することはなく、FNSの清算によって株券は紙屑になった。

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