第3回 自分が先生になれる世界を探すのだ
伸びしろを潰す魔の言葉をご存じですか?
1回目でも書いたように,ツンツルテンの脳みそでもって,「バカが服着て歩いてる」状態で就職した私。当然仕事のことなんかなんにもわかんなくて,まわりの人に迷惑かけてばかりの新人時代を送りました。
幸い,仲良くしていただいた先輩が「イヤよイヤよと言いながらも教えてくれる」ツンデレな人だったので,幾多の危機に巡り会うも都度その先輩を召喚することで,なんとかかんとか乗り越えて来ることができました。合い言葉は「わかんないんです」「いいじゃないですか」「まあイジワル言わないで」「ほらこれですよこれ」なのであります。
ん?
「いやそれ乗り越えてないから,他力本願なだけだから」というツッコミはなしの方向で。
…と,多かれ少なかれそんな感じで,皆さん入社すると先輩に教えてもらう立場になるのであります。多かれ少なかれね,多かれ少なかれ。
かくいう私めも,数年が経つころには「助けてドラえ○~ん」状態からひと皮剥けて成長しまして,やがて後輩や新人くんなどにモノを教える立場となりました。新人くんの教育担当なんて役目を仰せつかうようにもなりました。そしたら,みんなちゃんと入社当初からプログラミングできてですね,えらく優秀なんですよ。えらいなー,まじめだなーと何回思ったことか。
ところがその一方で,「いや,それ違うんじゃねぇの」と思うこともありました。中でも特に「違うんじゃね?」と思ったのが,「先輩がわからないのに,ボクがわかるわけないじゃないですか」というセリフ。
なぜか不思議とこのセリフを口にする子が多いんですが,でもこれって,自身の伸びしろを低く低く変えてしまう魔の言葉だと思うんですよね。
おバカ時代に心がけていたこと
入社した当時。先輩にお世話になるばかりだった毎日の中で,自分が心がけていたことがひとつあります。
それは「今までのことは教わる」けども「これからのことは教える側にまわらなきゃ駄目」だってこと。
既存のスキルに関しては,先輩と自分は比べようもありません。追いつこうなんて考えたら,いつまでかかるか想像もできやしない。でも新しい技術に関しては,スタートラインはいっしょのはずなのです。なので,古い技術,既存のスキルに関しては先輩にたくさん教えてもらって,その変わりに新しく出てきた物に関しては先輩よりも早く習得しよう。それで先輩が興味を持ち始めたら,その分野では自分が先輩に教えることができるようがんばろう。そうすることで恩返ししよう。
そんな風に思っていたのでした。
実例で言うと,C言語やコンピュータの使い方は先輩に教わるんだけど,JavaScriptは誰よりも早く習得しなくちゃとか,そのためにWebサイト作ってあれこれ試してみたりとか,そんなことをしてました。
これは,今振り返っても正しい取り組みだったと思っています。
自分の会社人生活は,数年過ぎたあたりから,あまり「先輩後輩」という感覚を意識しなくなっていたような気がします。数社渡り歩くなかで,懇意になったのは年長の方の方が多かったのですが,そのどれを思い返してみても,「先輩後輩」というよりは「仲間」という間隔の方が強い。新人の時分からお世話になりまくった先輩にしても,仲間的感覚の方が強い。そして,その間合いが実に心地よいのです。
これは,先に挙げた取り組みが功を奏してくれたからではないかと思うのです。
先輩におんぶに抱っこ状態ではあるんだけど,それでもその枠外のこともどん欲に吸収しようと努めている。そうしてはじめて,「まぁ,あの分野はアイツに聞けばいいんじゃね」と認めてもらうことができる。だからこそ仲間として認めてもらえる。
そんな流れはあると思うんですよね。
これは自分が後輩を持ち,その子を教育する過程の中で,より強く思うようになりました。正直,自分が伝えることしか勉強せず,その枠外に一切出ようとしない存在は,いつまでも自分未満でしかなく,お荷物でしかないのです。
先輩は先輩で自分は自分。先輩が自分の到達できる頂ではないし,先輩という存在が自分の知るべきことのすべてでもありません。
- 「生徒の立場に慣れちゃ駄目」
- 「先輩が知らないことこそ,知っててやろうと思った方が吉」
自身の限界を高く高く持っていくためにも,ぜひそんな思いでがんばってもらいたいなと,新人くんに対しては特にそう思う私なのでありました。