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Fri, April 17, 2009 stanford2008の投稿

茨城県警ハイテク犯罪対策室長へのお礼の手紙-2007.4-2009.3の対応に対して-

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Fri, April 17, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 21-東大H21年度第1回神学哲学ゼミの感想-

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Fri, April 17, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 20-原子力界における社会科学の研究レベル-

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X先生



歴史的に吟味してみると、原子力は、「マンハッタン計画」に見るように、自然科学の問題としてだけでなく、組織論やその社会的影響からして、政治的にも、経済的にも、繰り返し議論されてきました。日本においても同様です。その範囲は、原子力界に留まらず、自然科学や人文社会科学にまで及び、月刊誌や著書等のエッセーとして、さらに、学術研究書等としても、数多く公表されてきました。中には世界的にもトップクラスに位置する優れたエッセーもありました。しかし、原子力界においては、エッセーはともかく、査読付学会論文誌論文では、まったく扱われておらず、それが可能になったのは、約10年前のことでした。その頃は、原子力が世界的に逆風下にあって、原子力界は、その社会的対応に苦慮していた時期でした。それまでの唯我独尊的主張が世の中に受け入れられなくなったために、社会科学的視点から議論して、積極的に、しかも、柔軟に、社会対応しようとしていました。原子力学会には、「環境・社会部会」が設立され、学会口頭発表にもその分野のセッションが設けられ、論文誌にも徐々に論文が投稿され始めました。私が原著論文を2編投稿したのはその頃でした。原子力界には、社会科学の研究で実績があって、しかも、学位取得者がきわめて少なかったこともあり、査読して的確な判定ができる状況ではありませんでした。そのような状況はいまもまだ改善されていません。しかし、以前よりは、だいぶよくなっています。私が把握している限り、原子力界には、社会科学の原著論文が複数編掲載され、それを基に学位を取得した研究者は、極めて少なく、やっとその緒についたところです。原子力界の社会科学に対する認識や研究方法論は、明らかに、日本科学技術社会論学会等の人文社会科学分野の研究活動内容には、とても及ばす、いつも、一周遅れの対応をしているように思えます。私は、原子力界の研究者が日本科学技術社会論学会の査読付論文誌である「科学技術社会論研究」に原著論文を投稿して掲載された例を見たことがありません。それでは何も言えないでしょう。原子力界における社会科学研究においては、全体的に、もう少しきちんと基礎的な方法(複数の社会科学の原著論文とそれを基にした学位取得)や査読対応能力を備えた研究者を養っておいた方がよいでしょう。なお、世界における日本の科学技術社会論の研究者のレベルについては本欄バックナンバーをご参照ください。



桜井淳

Fri, April 17, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 19-マンション建設現場で発生したクレーン横転事故-

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X先生



私がずっと懸念していたことがまた発生しました。それは建設現場のクレーン横転事故です(4月14日に東京都千代田区のマンション建設現場で発生した事故)。私の趣味(本欄バックナンバーや『桜井淳著作集第4巻-市民的危機管理入門-』参照)は、建築物の見学のために、欧米の歴史的建造物を見学するだけでなく、バルセロナの聖家族教会のように300年計画で建設中の現場(私の紀行文3回連載「いばらき新聞」、1978年12月19日-12月21日参照)、その他、都内の高層ビルや地下鉄の現場は、もちろん、珍しい物では、水戸市郊外の那珂川から霞ヶ浦までの導水トンネル建設現場(地下鉄の建設現場同様のシールド工法)等、世界のありとあらゆる現場を見てきました。しかし、ずっと不思議に思っていたことがありました。私だけでなく、そのように感じていたひとは、少なくなかったと思います。それは、聖家族教会の現場にもありましたが、大きなビルや構造物を建設する現場には、どこにでもある非常に高い固定型T字形クレーンの安定性と安全性への疑問でした。その疑問は、固定型のクレーンに対してだけではなく、移動型のクレーンに対しても同様でした。移動型クレーンに対しては、下の構造物の大きさや重量に比べて、上に高く伸びたクレーン構造物の割合が、不自然に大きく、不安定に感じていました。過去に横転事故が数多く発生しているのは移動型クレーンです。それらの事故の共通点は、軟弱な地盤で作業を進めたために、下の構造物が傾き(規則では、地盤に直接固定せず、厚い鉄板を敷いて、その上に固定するようになっています)、全体のバランスを崩したためでした。今回の事故の原因は、まだ解明されていませんが(鉄板を敷いていない規則違反が確認されており、さらに、吊り上げ物との距離が規定よりも大きかったことも分かっています)、私は、これまでの原因と同様であろうと推定しています(ケーシングの吊り上げ時に生じたバランスの崩れが主因であろう)。事故発生数が多いために、技術的な問題があることは、分かっていましたが、私には、現場監督の経験が無かったために、あえて、強く、社会に、問題提起することを躊躇していました。過去の横転事故によって、家屋が倒壊したり、死傷者が生じたこともあり、今回は、クレーンが国道20号線側(片側3車線)に倒れたために、歩行者や押しつぶされたトラックの運転手が負傷しており、大惨事になるところでした。そのような事故を繰り返さないためにも、とりあえず、ここで、事故防止策を提案しておきます。それは、(1)クレーンの構造を再検討すること、(2)遵守事項のチェックを厳しく管理すること(地盤に直接固定せず、厚い鉄板上に固定し、傾きの防止を徹底する)、(3)専門を持った現場監督がいま以上に強い権限と責任を持って管理すること、(4)クレーン操作者の質の向上と教育訓練の徹底を行うこと、(5)建設現場の作業は、きつく、疲労が蓄積されるため、精神面や身体的な健康管理を徹底することです。詳しい技術論の展開は、できるだけ早く、改めて専門誌で行います。



桜井淳



(2009.4.18補足)7tのケーシングを吊り上げるには10mの距離を保つべきところ、実際には、14mであったため、5tが限度であり、結果的に、距離の設定を間違えたために、過負荷状態になったため、バランスを崩して横転しました。

Fri, April 17, 2009 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生への手紙 18-イチローの「神が舞い降りた」の神とは何か-

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X先生



米国では、「神のご加護を」という言葉をよく耳にします。日本では神という言葉をめったに耳にしません。しかし、言葉には出さないかもしれませんが、誰しも、困った時には、それも普通に困った時ではなく、生命や将来に致命的な問題が生じている状況下では、神に祈っていることでしょう。私にはまだそのような経験はありません。WBCで不調であったイチロー選手は、韓国との決勝戦、それも、同点で迎えた延長戦において、きれいなヒットを放ち、チームを勝利に導きました。イチロー選手は、試合後のインタビューにおいて、さりげなく、「神が舞い降りた」と言っていましたが、違和感のない、透明性の言葉と表情に、清々しさを越え、癒しすら感じたひとがいたであろうことは、容易に想像できることです。イチロー選手は、「神は舞い降りた」と言わずに、「神が舞い降りた」と言いましたが、さすがだと感じました。後者の方が感激を強く表しているからです。イチロー選手の神とは、おそらく、ユダヤ教やヒンドゥー教、キリスト教、イスラーム教、日本神道における特定の神ではなく(本欄バックハンバー参照)、あえて挙げれは、イチロー選手にしか分からない"野球の神"なのでしょう。「舞い降りた」とは、そのような空気に包まれたということでしょう。どのような神にせよ、イチロー選手の偉いところは、自身のそれまでの並外れた努力を強調せずに、聞く側に同様の意味を伝える謙虚な言葉で表現できることではないでしょうか。謙虚で本質を理解できている人間は、一般論として表現すれば、「神のご加護により」という表現をすることになるのでしょう。



桜井淳

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