『平壌ドボン』
ナンパ船に乗って北朝鮮に行ってきた。
ナンパ船というのはピースボートという船のことだ。この船は、『平和を考える』民間団体がやっている国際交流のための船で、資格はなしで誰でも乗れる。特に若者が多い。それも一人で参加している奴がけっこう多い。男も女も。しかも積極的な奴が多い。人見知りする奴が少ない。もっとも人見知りしていたらこのクルーズは楽しめない。中にはいたが、そういう奴は、陰で『あいつ船から捨てようか』などと言われる。
だからごく自然に友達になれる。友達以上になる奴もいる。男と女。男と男。女と女。
ピースボートは差別を嫌う集団だから、ゲイも許容する。
よって、いい意味でナンパ船と、俺は呼んでいる。事実乗り合わせた同士でカップルとなった奴も多い。パソ婚より健全だ。
で、その船で北朝鮮に行ってきた。俺はテレビのディレクターだから、仕事もきちっとやった。だが今回は仕事とは別な話し。
北朝鮮に行くと誰でも、ジャーナリストになる。カメラマンになる。トクタネをモノにしようと、鵜の目鷹の目になる。
なぜなら北朝鮮は、ワンダーランドだからだ。秘密が多そうだからだ。不自由だからだ。
金正日のごりごりの強権政治で、町に秘密警察が溢れ、自由に行動などしたひにゃ、逮捕され強制収容所行きだと噂されるからだ。そして滅多に行けないし、何より情報が少ないからだ。
だから、見たもの撮ったもの全てが素人でもスクープになると錯覚してしまうのだ。
だって世界でもっとも不思議な国なんだもの。だってこんなに自由がない国なんてないんだもの。宇宙の天然記念物、最大の希少価値。行くなら今だと思う。
なぜならその希少価値の国にも風穴が開き始めているからだ。
突然だが、人間は欲望の動物だ。人より旨いものが食いたい、人より楽して儲けたい、エッチもしたい、酒も飲みたい、と思う動物だ。
東欧が崩れたのも、中国が市場経済で『赤い資本主義国』になったのも、ソ連がロシアに戻ったのも、みんな人間の欲望のせいだ。ロックが聴きたい、携帯を持ちたい、ウォッカを飲みたい、欲望に際限はない。
その人間の欲望が、何故だか厳しく制限されている希少価値の国が、北朝鮮だと思っていた。しかし、今回俺は風穴を見た。いや風穴で1万円消してしまった。
なんと、泊まったホテルの地下にカジノがあったのだ。カジノなんて君、資本主義の最堕落もいいとこじゃないか。アメリカ帝国主義のネオンきらきら、享楽の極致、ラスベガスは全ての社会主義の敵ではなかったのか。
で、当然行ってみた。入り口には、ハングルではなく漢字で「遊技場」と書いてあるではないか。平壌で漢字を見ることってほとんどないのよね。
入り口を入ると、スロットマシーンがずらっと並んでいるではないか。チュチェ思想の地下にスロットマシーンだぜ。だが客は二人しかいなかった。チラッと横目で見ると、朝鮮人らしくなかった。
クロークもあってその隣はバーカウンターになっていて、洋酒がずらっと並んでいた。ウォッカだろ、バーボンだろ、スコッチだろ、資本主義が並んでいた。チュチェ思想の棚に。
で、さらに入り口があって、そこはおよそ30坪もあろうか、立派なギャンブル場だった。
蝶ネクタイをつけたボーイは、俺を見るとニコニコと笑いかけてきた。英語だった。
俺が、遊べるかというと、あなたナニ人ときた。ジャパニーズというと、そいつはさらに笑みを大きくした。
で俺は、キャッシュかと聞くと、チップに変えてくれという。見てみると奥に、申し訳程度の格子を作った換金場があった。そこへ行き、チップはウォンか、ドルか、円でもいいのかと聞いた。すると、ウォンはダメ、ドルか円だと言う。ナニ! 北朝鮮でウォンがダメだと!お前の国の金だろ、って、ホントは誰も信用していないのだ。そういえば、ソ連でもルーブルは相手にされなかったし、ベトナムでもドンがダメだったし、おめえらの国の金なのによ。チュチェ思想もウォンでは保証されないんだと納得した。で、千円札を10枚出した。
だって、来る前に北朝鮮では1万円札出してもお釣りくんないとか聞いていたので、俺の財布は千円札ばかりだったのだ。かっこ悪いぜ、さすらいのギャンブラーが。
すると、カウンターの中のなかなかいい姉ちゃんが、一枚ずつ丁寧に調べチップを80ドル分くれた。最低は5ドルチップだった。聞くところによると朝鮮人の平均月給が150ウォンで、日本円で7千5百円だ。最低5ドルって高すぎませんか?
換金票もくれた。これ確定申告に使えますかとはさすがに聞けなかった。
準備は出来た。さて何をかまそうか、と見ると、というよりも俺に付き添っていた蝶タイボーイが、「あちらはバカラ、こちらは大小、でもってあっちがブラックジャックですよ、社長」と説明してくれた。見るとバカラには山のような人。よく見ると全部中国人。さらによく見ると、ディーラーも全部中国人。勿論蝶タイボーイも中国人。あれっ、ここ平壌?
でもって日本人は俺一人。なんだ、ここにはチュチェ思想なんてないんじゃん。
で、俺は主体的に、ブラックジャックをやった。約1時間。ちびちび賭け、ちびちび儲け、ちびちびウォッカをやりながら、ちびちびと負けた。
その間、なかなか美人の女ディーラーと無駄口を叩きながら情報収集だ。かつてのプーチンもこんなスパイ活動してたのかなと思いつつ。
集めた情報によると、ここはマカオスタイル。営業しているのは広東から来た中国人。
チャイニーズマフィアだなこりゃ。この存在を偉大なる金正日総書記は知ってるんかな?
当然知ってるんだろな。主体的思想でドボンを認めたんだろうな。
するってえと、このホテルで働いている朝鮮人たちも知っているんだろうな。
欲望を駆られるだろうな。風穴だぜこりゃ。
もうじきだぜ、東ベルリンや、ソ連になるのも。
俺は、ドボンという民間交流をしながら、クソディーラーが調子付くのをチェ、チェと舌打ちしながら、チュチェ思想の今後について思いをはせていた。
欲望がもうすぐ解放される。そうなると歯止めが利かない。
これは誓って、人から聞いた話だが、バスの運ちゃんが、小指を立てていたとか、ホテルでマッサージを頼んだら、個室訪問で、電気を暗くしたとか。もっともそれでなくても暗いんだけどさ。チェンジOKかどうかは聞かなかったけど。主体的に欲望産業をやろうとする輩が増えてきたらしい。
誓って言うが、そちらの民間交流は俺はやっていない。

…本当だって!

今、偉大なる指導者金正日総書記は、人々に欲望を開放しようとしているのかもしれない。みんなが「喜び組」になって欲しいのかもしれない。

元山から帰国船に乗る前に、日本語の堪能なご婦人がこっそり近づいてきたそうな。
「マツタケいりませんか」「いくら」「1万円」「高いよ」「じゃあ5千円」
その人が買ったかどうかは聞かなかったが、これはしっかしとした闇だ。闇商売だ。
人間だ。人間の正当な姿だ。チュチェに開いた風穴だ。
頑張っておばさん! あなたのその赤裸々な、たくましい姿こそ、人間の姿だ。
北朝鮮にも、当然のことだが人間はいるのだ。その人々にエールを、愛を、友情を。
それが民間交流だと俺は思った。
俺は、桟橋を離れる船の上から歌った。
√ 友よぉ この闇の向こうには 友よぉ 輝―く 明日がある
夜明けはァ 近い 夜明けはァ 近い