2007-09-26
■[編集]マンガ雑誌の落日(2)ほしいものしかほしくない時代
今日は一日メールと電話を使って自宅作業をしておりました。日記を書こうとするたびに、編集部か作家から電話がかかってきて非常にアレです。
さて。糸井重里さんが西武百貨店用に作ったキャッチコピーに「ほしいものが、ほしいわ。」というのがあります。これは「ほしいものが何であるかは本人にもわからないけど、とにかくほしい」という1988年当時の消費者の欲求を表現した名コピーです。
バブルがはじけ20年が経った今、私は再びこのコピーを使って、現代の消費のスタイルについて語ってみたいと思います。我々も「ほしいものが、ほしい」。これは間違いない。ただ20年前と違うのは、多くの人が「ほしいものしか、ほしくない」。そして「ほしくないものは、いらない」と思っているということです。
突然ですが、2007年現在の通勤通学や学校の教室、職場の風景を思い浮かべてみてください。その風景の中に、マンガ雑誌はあるでしょうか? ないことはないと思います。でも、おそらくは風景の中心にはないでしょう。その風景の中で、その人たちはかわりに何を携帯しているでしょうか? 彼らは、あるいは彼女らは、マンガ雑誌のかわりに携帯電話やiPod、携帯ゲーム機を手にしているのではないでしょうか。
上にあげた機器たちは、かつてマンガ雑誌が読まれていた場所、そして読まれていたシチュエーションの多くからマンガ雑誌を駆逐しました。中でも携帯電話の影響は大きく、携帯電話の普及は電車の中の光景を一変させました。電車内のシェア競争に、マンガ雑誌は完敗したのです。なぜ敗れたのか。それはマンガ雑誌の需要を支えてきた、マンガ雑誌が持つ特質に原因が求められます。
かつてマンガ雑誌が大いに読まれた原因は、大きく分けて3つあります。その3つとは「コストパフォーマンスの良さ」「週刊という刊行ペースの速さ」「販売店の多さ」です。それぞれについて見ていきましょう。
「コストパフォーマンスの良さ」:1つの作品しか読めない単行本や小説に対して、マンガ雑誌はそれらと同じか、より安い価格で20前後のマンガ作品を読むことができる。
「刊行ペースの速さ」:テレビと同じ、週に一度という速いペースで刊行することで、学校や職場に毎週話題を提供でき、コミュニケーションの中核を占めることができる。
「販売店の多さ」:ちょっとした空き時間をつぶしたいと思った時に、安価でどこにでも売っている。
以上の3点がマンガ雑誌の武器です。これに対して携帯電話の方はどうでしょうか。比較してみましょう。
「コストパフォーマンスの良さ」:話したい人とだけ話せて、見たいものだけが見れる。財布からお金を出して買う必要がない(感覚的には無料)。かさばらない。
「刊行ペースの速さ」:その時その場の最新の情報、最新の話題、最新の会話を扱うことができる。
「販売店の多さ」:携帯しているので買う必要がない。
以上のようになります。携帯電話は面白さにおいてマンガ雑誌に劣るかもしれませんが、その分余計なものが載っておらず、見たいものだけを見れ、お金を出して買いに行く必要がなく、かさばりません。実に21世紀らしい、洗練されたツールであると言えます。
かつてマンガが読まれていた場所やシチュエーションに、新しい娯楽が次々と侵攻してきています。現在我々をとりまいている娯楽の種類は非常に多く、面白いと言われているものだけを網羅しても24時間では足りません。
マンガ単行本は今のところ、新興の娯楽に負けていません。マンガの無類の面白さは、単行本の売り上げが落ちていないことが証明しています。では、なぜマンガ雑誌は売れなくなっているのでしょうか。読者は自分が好きなマンガだけが読みたくて、興味のない押しつけのマンガをついでに読まされるくらいなら、別の遊びにお金と時間と手間を使いたい。このように思っているのではないでしょうか。
かつて「こんなに安くて、こんなにいっぱいマンガが読めてお得」だったマンガ雑誌は、「読みたいものは少ししかないのに、お金を出して買いに行かなければならないし、その上かさばる」というふうに見られるものになってしまいました。現在の、群雄ひしめく過酷な娯楽業界において、余分な「ほしくないもの」まで載っているマンガ雑誌は、その余分ゆえに淘汰されようとしているのかもしれません。