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ラノ漫 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-09-27

らきすた鑑賞中

[]雑誌の空気を気にしすぎると、マンガそのものが空気化しちゃうんじゃないか仮説

今日は宣伝ばかりでアレだなーと思うのですが、本日あずまきよひこさんの「よつばと!」7巻が発売になりました。

よつばと! 7 (7) (電撃コミックス)

よつばと! 7 (7) (電撃コミックス)

いまさら何かを言う必要がないほどにすばらしいマンガですが、この作品は内容以外のユニークな点として、「電撃大王の看板作品であるにもかかわらず、まったく電撃大王らしくない」という特徴があります。


よつばと!」は主人公が女の子で、しかも幼女です。そういう意味においては非常に電撃大王らしいと言えますが、その一方でよつばは電撃大王が求める意味においての「かわいい」女の子ではないですし、萌えたり劣情をもよおしたりさせられる造形もしていません。


またお隣さんをはじめ、他の女性キャラもそこそこ人数がいますが、だからといってその子たちが電撃大王が求める方向のサービスシーンを見せてくれるわけでもありません。にもかかわらずこの作品は、電撃大王読者から別格に近い支持を集めています。私はこれを非常に面白く思っています。


私が新しい作家(注:原作物ではなく、オリジナルを描かせる作家)を担当することになると、作家さんたちはまず一様に「雑誌の空気」に対する不安を口にします。主人公は女の子にしなければいけないのか。女性キャラは最低何人くらい登場させる必要があるのか。毎回サービスカットを入れなければいけないのか。などなど。メディアワークスがどういう風に見られているか実によくわかる不安がりかたですが、この質問に対して私は最近は次のように答えるようにしています。


よつばと!」は電撃大王らしいか? 「エマ」ビームらしいか? 「DEATH NOTE」はジャンプらしい作品だったか? 「ああっ女神さまっ」は? 「クレヨンしんちゃん」は? 「ドージンワーク」は? 空気なんてものは他の誰かがかってに読んで作ってくれるものであって、我々が気にすることではない。空気を読むのにかけられる時間があるなら、より良いネームを作るのに回しなさい。


個人的な意見ですが、マンガ雑誌の空気を気にしすぎると、それそのものが空気のような薄いものになってしまい、意味がないのではないかと思っています。ジャンプらしいといえば「バトルでトーナメントでパワーのインフレ努力友情勝利」、電撃大王らしいといえば「なにか女の子がいっぱい出てきてドタバタして、パンツやらハダカやらが見える」でしょう? そんなの今更見たいですか? 私がやらなくても他の誰かがやるんだから、やらせとけばいいじゃないですか。


そんなことに気を使う暇があるなら、もっと有意義なことに使うべきじゃないかと私は思います。雑誌の空気をぜんぜん読まない作品がヒットして、それが看板になったとしたら、そっちの方がよっぽど面白いじゃないですか。