2007-10-04
■[編集]ライトノベルの定義論争と、電撃文庫がライトノベルという言葉を使わないこと
ページビューが10万アクセスを超えました。blogをたちあげてまだ2週間くらいしかたっていないので、当の本人が一番驚いています。嬉しいです。ありがとうございます。
さて。ライトノベル界隈ではたびたび「ライトノベルとは何か」という定義論争が起きます。最近もいくつか目にしました。
当事者である作り手の人たちと仕事で直にやりとりをしつつ、少し距離を置いて彼らのことを観察している身として、なにか物が言ってみたくなったので、まとまっていませんが思いつくままに書いてみたいと思います。
ライトノベルの定義論争を読むと、なんとも微妙なモヤモヤした気分になります。近いものをあげると、東浩紀氏の評論を読んだ時に感じる気分。「どんな風に考えるのも個人の自由ですけど、俺らや作家はそんなこと考えて物作ってませんぜ」みたいな。自分たちが意識していないことにラベルが貼られていくことに対する、違和感みたいなもの。
なんでそんな気分になるかというとですね、私は電撃文庫の編集者が、自分たちが作っているものを指して「ライトノベル」という言葉を使うのを、見たことがないんですよ。
これは電撃文庫というレーベル全体でも同様で、本のオビとか広告とかでこの語を使った例は、2005年の販促キャンペーンのコピー「ライトノベルを突破しろ!」のみ(たぶん)。このコピーにしてからが、ライトノベルというラベル付けに対する反骨精神の表れというか、「俺たちゃライトノベルを作りてえんじゃねえ。面白え本を作りてえんだ」という気持ちの表明だと思うんですよね。
そんなことを考えながら本を作っている人たちの作品を、たとえば「電撃文庫だから」という理由で、十把一絡げにライトノベルと呼んでいいかというと、それはなんか違うだろうと思うのです。
実際
こんな議論が出てきたりしているわけですしね。
それに、彼らは「面白い。やろう」と思ったらどんな領域にも手をのばしていく集団なわけで、そんな人たちの動向に振り回されたら、そのうちありとあらゆる小説が広義のライトノベルということになってしまいかねません。
あ、でもこれは実現したら面白いことなのかもしれない。「小説」と「ライトノベル」がイコールで結ばれる未来。ライトノベルだって言ってみれば大衆娯楽小説の一つなわけで、もっと一般化すれば直木賞を受賞する作品が出てこないとも限らない。ライトノベルを定義するより、こういう方向に流れていってくれたほうが私は嬉しいです。
追記
ちなみに、私がこのblogのタイトルに「ライトノベル」という言葉を使っているのは、単にとりまわしがいいからという身も蓋もない理由からです。「小説」とか「ノベル」だと語呂が悪いので。