最新の日記 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

ラノ漫 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-10-11

人間くさい寝相

[]「次に来るもの」は、作品そのものよりも、宣教師をさがしたほうが見つけやすいのではないかという話

多摩坂です。今月は月刊連載7本に加えて、隔月1本と電撃文庫挿絵1冊と単行本作業が3冊ありまして、かなりきつい仕事量になっております。更新が滞ったら「ああ、ヤバいんだな」とお考えください。


さて。自分が奉じる思想宗教を普及させるために活動する、「宣教師」と呼ばれるかたがたがおります。1974年、キリスト教福音派の代表がスイスで開催した世界伝道会議の宣言によると、宣教活動の原動力は名誉や経済的成功でなく、神の御名(栄光)が高められることであるとされております。


このように書くと異世界の住人のように思われるかもしれませんが、宣教師は我々の身近な所にもいます。ただ我々は普段、彼らのことを宣教師だとは認識しておりません。


自分たちのコミュニティの中だけに留まることをよしとせず、外に出て新たなファンを獲得しようとはげむ者。何の得にもならないのに、信奉する作品とその作り手をたたえ、他作品をけなし、論陣をはる者。異教の地にあって空気を読まず、異教の神の名をとなえる者。


我々は彼らのことを宣教師と呼ばず、「信者」、あるいは教義の名からとって「○○厨」と呼んでいます。


大ヒットした作品には必ず信者がいることからわかるように、売れる作品には一部のファンの頭を酩酊させて、おかしくしてしまう力があります。


作品がヒットした後は信者の数も膨大になって、いやでも目立ちます。しかし、たいがいの作品は最初のうちは信者の数が少なく、活動もあまり目につきません。


この、ある作品に接して最初におかしくなってしまった人々、まわりから「おまえは何を言っているんだ」という目で見られている人々が、今日の主役です。


ある作品に接しておかしくなってしまった人が出た場合、その作品には最低でも一人の人間をおかしくしてしまう力があったことになります。このとき、その人と作品を決してスルーしてはいけません。


なぜか。娯楽作品にとって「見た人をおかしくしてしまう力」というのは、もっとも稀少でものすごい力だからです。そんなことを為し得てしまう作品というのは滅多にあるものではありません。目の前にいる信者は、未来の大ヒット作の存在を示す、とんでもない宝の地図なのかもしれないのです。


信者を見かけたら、彼の宣教に耳をかたむけましょう。その熱狂の度合いを見極め、できればその次に彼が所属するコミュニティ掲示板を見に行きましょう。その作品が本物なら、そこにはものすごいエネルギーが渦巻いているはずです。


これが私の鉱脈のさがしかたです。