資本主義の終焉と次の社会
出典:USATODAY.com
「日本一汚い川」大和川、3年連続アユを確認
「日本一汚い川」と言われる1級河川の大和川(大阪、奈良)で孵化(ふか)したばかりのアユ24匹が見つかり、国土交通省大和川河川事務所が19日に発表した。同川での天然アユの確認は3年連続。
見つかったのは14日早朝。同事務所と大阪府、大阪市立大が10月から調査を続け、大阪府藤井寺市などで発見した。大和川の水質はよくなっており、産卵場所も昨年初めて確認されている。
水の汚れを示す数値はピーク時の4分の1になったが全国の1級河川では3年連続ワースト1位のまま。担当者は「アユがいる川にまでなった。順位は気にしないで」
出典:朝日新聞
アメリカでは失業者が鰻昇りとなっています。そして、消滅する資本主義の向こうが準備されつつあります。土台にあるのは智識依存型経済システムです。それを補完するのが下記の内容です。
- 市場主義
- 封建主義
- 社会主義
市場主義とは何か?
参照コラム:大統領の株価操作チーム - 連山改
アメリカや日本では公的資金によって株価操作をします。日本の場合は、主に年金資金が投入されました。そのためにその資産内容はボロボロですが運用関係者の人脈で大儲けした人々が多数います。上記のコラムにあるように日本の大学ではある一定の状況(物理学でいえば摩擦の無い世界)での経済を教えます。これは腐敗は存在しないという仮定です。(ハーベイ・ロードの前提、又はハーベイロードの仮定)真実は下記のようにそのネットワークに参加しているマスコミ関係者は真実を報道しなければ膨大な富を得ることができます。公的資金(年金)が恣意的に行政に使われていた事は関係者の知る事実です。その年金資金が運用に失敗したのも同じです。それを報道すれば左遷され、報道しなければ権力と富を属国統治者から与えられてきました。これは反市場主義です。これが正されるのが市場主義(選択の自由)です。これは自由だという事ですから不安定だと言う事です。ここを押さえておいて下さい。
封建主義とは何にか?
封建の封とは土を盛り上げて祭壇を作る事です。それを立てる事により天子が土地土地を諸侯に分け与える統治システムです。人の子孫が永続的に済む大地を大切にします。これは自然な心の動きです。大和川に鮎が戻って来たのは封建主義への回帰現象の一つです。中央から派遣された知事や総督は、絞り上げるだけ絞り上げます。多国籍企業や国際金融資本が将にそうでした。禿鷹の時代が去り、日本の伝統に従った封建主義が始まります。これは安定的だということです。安定的ですから自然環境は清浄化されます。安定的ですから富や身分は固定化されます。封建領主は代々、支配体制を確立します。その代わり東京一極集中のような現象は発生しません。何故なら、領主は国際金融資本のような自然を破壊する徹底的な収奪をしないからです。自然環境が清浄を維持されますが逆にいえば支配体制は固定的(安定的)です。
社会主義とは何か?
封建領主は資本財(土地や通貨や権力)を持っています。智識人やクリエーターは市場主義で大活躍できるえしょう。問題となるのは、残された人々です。恐らく、人口の7割から8割はこの階層です。社会主義はこの人々を公社によって救済するシステムです。彼らを奴隷として使役するもの選択肢です。それを決めるのは日本本土のワーキングプアでしょう。しかし、彼らがその選挙権や被選挙権を使えば社会主義で自尊心や職を得る事ができます。地方政府(藩)を接続する仕事は国家公社が行い、地方政府がするべき上下水道管理(自然環境に依存)やエネルギー公社(ゴミや木材、水車、風車、温泉、天然ガス、石炭など)は地方同士の戦いとなります。故郷で団結し、滋賀のように琵琶湖があるなら水を使い、北海道のように炭坑があれば石炭を使い、秋田山形のように天然ガスがあるならメタンを使うのがいいでしょう。風があれば風車、工場があるなら太陽光パネル、人が多いならゴミ発電という手もありますし、情報機器の製造やプログラムという手法もあります。地域では喧嘩せず、隣の地域と競争する為の地方公社群です。国家公社はそれをつなぎ、地方と中央の新政府はそれを制御します。
武士は米も作らず、家も造らず、商品も運びませんでした。しかし、彼らがいなければ社会は回りません。遅いか、早いかの違いで日本社会はこうなります。そして、脳内エントロピーの拡大によって文明圏では2〜3代で旧人は滅亡します。しかし、昔ながらの生活をする人々は低エントロピーで生きていけます。難しい事は新人に委ねつつも、遺伝子を融合する事で最適化されます。赤という文字を両者が認知していなければ赤という言葉でコミュニケーションを取る事は不可能です。(旧人の限界)そして、青から青と緑が分化し、色でさえも複雑になりました。100冊の本しか入らない本棚に120冊をいれれば本の出し入れに支障がでます。だから複雑になりすぎれば、青+緑→碧とするような統合整理が必要です。その統合整理は感応力のある新人でしかできません。彼らは境界が薄いので魔境に入り易いのです。下記の現象がありますが全ての現象を理解する頭脳を人間は持ちません。故に神や神話を作りました。神や神話は、神と人間の間である英雄という存在を作りました。上記の新人がそれです。時の流れは多くの事象を証明します。オカルト(魔境)と悟りの区別を付けるには「良く解ったが善くわからない(魔境)」なのか、「良く解らないが善く判った(凡夫禅)」です。
禅とは心の制御ですが簡単に言えば「ゆずる」という事です。禅譲とかに使われます。難しくいえば智慧(物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。)を以て生滅の因縁を明らかにし、次いで因縁を滅ぼして苦しみの六道を解脱して涅槃に至りその後に一切の衆生を導くことですがこれは子弟の間で言葉を使わずに伝授されますし、その根本は天が創りますから遺伝的な発生と環境的な他者からの選択となります。
本当に面白い時代ですね
疑似科学やオカルト... なぜ、だまされるのか?
11月21日8時1分配信 産経新聞
■「欲得ずく」「思い込み」が落とし穴霊視や前世占い、占星術といった「スピリチュアル(精神的な、霊的な)世界」がブームだ。それらを扱うテレビ番組は軒並み高視聴率を獲得し、ベストセラーになる出版物も多い。だが、中には疑似科学やオカルト現象を妄信し、だまされて被害にあう人もいる。科学の視点で批判してきた立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎さんは「『思い込み』と『欲得ずく』が錯誤への落とし穴」と注意を呼びかける。(伐栗恵子)
今月中旬に大阪市内で行われた関西消費者協会の講演会。安斎さんは趣味の手品を生かしながら、超能力やオカルト現象のトリックを暴いていく。
例えば、スプーン曲げ。丈夫な金属のスプーンを指で軽くさすっているうちに、ぐにゃりと曲がり、客席からは驚きの声が上がる。だが、これは支点、力点、作用点をうまく利用しただけ。要領さえつかめば簡単に曲がるという。
「目の前で自分の理解を超えたことが起こったとき、超能力と思わずに、なぜ、こんなことが起きるのか、と考えてほしい」と安斎さん。「人間は、だまされやすい」ということを肝に銘じるのが大切であって、一番危ないのは「私だけは、だまされない」という「思い込み」と指摘する。
「あの人の言うことだから、本当だろう」という主体性の放棄も、自らの心をだます行為だ。「自分の目でしっかり確かめ、自分の頭で判断する習慣を」と呼びかける。
不幸に陥ると、その原因を霊に求める人がいる。問題の根本的な解決にはならなくても、「悪霊(あくりょう)のたたり」などのせいにした方が心の平安を得られやすいからだ、と安斎さん。「霊は、人の不幸の消しゴム係」と絶妙の表現をする。
もし霊が目に見えるのならば、霊そのものが光を発しているか反射しているはず。「たたる」には記憶や認識といった高度な仕組みを持った有機体でなければならない。霊を信じるかどうかは個人の自由だが、「科学的な意味では存在し得ない」と断言する。
科学技術が進歩したこの時代に、人はなぜ、「スピリチュアル」にはまるのか。安斎さんは、それこそ、「なぜ」と問う力が弱まっているからだと嘆く。
例えば、携帯電話やDVDの仕組みは、説明されても理解するのが難しい。科学が進歩したがゆえに、人は自分の理解の範疇(はんちゅう)を超えたものをそのまま受け入れてしまいがちで、それが超能力などを簡単に信じる傾向となって表れていると説明する。
「ささいなことでも、『なぜ』と意識的に問い直してほしい。その背景には必ず理由があるのだから」
さらに、"インチキ"を見破るには、「そんなことができるのなら、どうしてこうしないのか」と考えてみることが大切だと言う。
スプーン曲げができるのならば、どうして金属加工技術として役立てないのか。そんな能力をもった人を生産ラインにずらりと並べれば、次々と金属加工が施され、たちまち製品が出来上がる。簡単に大もうけができる話なら、その勧誘員自体が大金を手にしているはずであり、そもそもそんなおいしい話を他人に教えるのか。「3週間で英語がペラペラになる教材」といった宣伝文句が本当なら、なぜ、その販売員はペラペラではないのか...。そう考える心のゆとりが必要だ。
楽して得を取りたいという「欲得」と「思い込み」、それに「非合理的思考」が結合するとき、人はとめどもなく危うい「だまし」の深みにはまっていく、と安斎さんは警告する。
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