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ラノ漫 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-09-21

おねむ

[]とある魔術の禁書目録ノ全テ

今日は担当のSの仕事量がキャパシティを超えてしまったので、調整のため駆け回っておりました。関係各所に話をして、各々の優先順に沿ってスケジュールを組み立てさせていただきましたが、来年の一月まではかなりタイトロープな進行になりそうです。


さて。今日はお仕事の連絡が2つあります。まず電撃文庫、というか三木一馬編集の「とある魔術の禁書目録ノ全テ」が本日発売されました。

とある魔術の禁書目録(インデックス)ノ全テ

とある魔術の禁書目録(インデックス)ノ全テ

見開き2ページのコラムを頼まれましたので「とある科学の超電磁砲ができるまで」と題した駄文を寄稿しています。読者の側からは見えない企画の立ち上がりから実現までの経緯を書いてますので、興味のある方はご一読ください。


もう一件。電撃大王の11月号について。

電撃大王 2007年 11月号 [雑誌]

電撃大王 2007年 11月号 [雑誌]

先月告知したとおり、「灼眼のシャナ」と「とある科学の超電磁砲」は休載。力およばず「トリコロ」も落ちてしまったので、今月は私の担当作品は一つも載っておりません。


電撃大王で仕事をするようになって4年になりますが、このような事態は初めてです。他の理由も重なったとはいえ、普段より明らかに薄い電撃大王を見て忸怩たる思いです。このようなことが二度と無いよう気をつけます。

2007-09-19

ちょっと見してみー?

[]電撃黒マ王創刊

今日は今月分の連載をすべて校了し終わり、休む間もなく電撃大王編集会議と10月・11月刊の単行本作業をこなしました。どれだけやっても終わりが見えないのは精神衛生上よくないですね。


さて。本日編集に携わった新雑誌が発売しました。田中久仁彦さんのホイホイさんが表紙を飾る「電撃黒マ王」です。

巻頭カラーで掲載の「灼眼のシャナ」外伝マンガを担当しています。作画は木谷椎さん。私が自信を持っておすすめする俊英です。原作担当の三木一馬をして「この作品だけは編集者としてかかわりたくなかった。ネームとか見ないで、一読者としていきなり完成原稿で読みたかった」と言わしめた一品。原作ファンにぜひ一度読んでいただきたいです。


なお創刊号では予告のみですが、Leaf×月吉ヒロキさんでお贈りする「痕−きずあと−」、緋鍵龍彦さんの「唐傘の才媛(仮)」、邑澤広士さんの「倫敦キャットピープルズ」も担当します。


3号目で担当する全作品がそろいますので、長い目で見ていただけますと幸いです。


[]原作物はとりまわしのいい道具である

さてさて。昨日は「コミック業界は主力作家にはオリジナルを描かせる。原作物は舐められている」という話をしました。今日は原作物の便利使いのしやすさについてお話しします。


オリジナル志向がとても強いマンガ業界に原作物があるのは、ぶっちゃけお金になるからです。メディアミックス効果で原作の人気に応じた売り上げを見込むことができます。


そして「売り上げを見込める」というのは雑誌にとって重要であるため、原作物はタイトルさえ良ければオリジナル作品よりもずっと採用率が高くなります。


ここからが重要なのですが、オリジナル作品で連載を勝ち取る力がない作家でも、原作というゲタをはかせれば使うことができます。


光るものはあるが実戦経験がない新人。売り出していきたいが知名度の足りない若手。安定感はあるがトウのたった中堅。親密になりすぎて切るに切れないロートル etc...。このような、なにがしかの問題がある作家を、編集者は仕事の性質上たくさん抱えています。そんな作家を使えるようにする魔法の道具。それが原作物なのです。使い勝手の良さを理解していただけるでしょうか?


このようにあまりに使い勝手がいいため、おうおうにして原作物は素材の持ち味をいかす方向には行かせてもらえず、編集者の都合にふり回されます。


そのようにしてできたものが良いものになるはずもなく、たいていはファンを失望させ、黒歴史認定されて消えていくのです。便利すぎるがゆえの悲劇と言えるでしょう。

2007-09-18

ご機嫌ななめ

[]マンガ編集者はいい作家オリジナルに使いたい

今日は編集部徹夜をして早朝に入稿、それから午前中は原稿の受け取りや会議などで編集部と家を何度も行き来し、疲れ果てて家に帰ってからは終日寝ておりました。


さて。昨日は「原作物は編集者の都合に流されやすい」という話をしました。流されてしまう理由は大きく分けて二つ。そのうちの一つは「マンガ編集者が原作物を軽んじている」からです。


マンガ業界オリジナル作品が主流にして花形です。人気と実力を兼ね備えた作家は当然オリジナル作品を書くし、オリジナルで行くことを読者からも編集者からも求められます。


これはつまり、言いかたを変えると、マンガ業界において原作物はオリジナルより一等落ちるものである。原作物をふられるということは、その作家には人気(知名度や実績)が足りないか、実力(物語を作る力)がない、ということになります。


マンガ編集者が、子飼いの中でも本命の子を原作物にあてがう。ないとは言いませんが、それは編集者にとって望ましいことではないはずです。


本命にはやはりオリジナルを描かせたい。原作物は他の作家で…というのが大方のマンガ編集者の本音です。これを軽んじていると言わずして、なんと言いましょうか。


他のジャンルから大切な作品を預かっておきながら、このような扱いをする不誠実が私は大嫌いですが、話はこれだけでは終わりません。


次回は原作物が都合に流されるもう一つの原因。原作物の便利使いのしやすさについて話をしたいと思います。

2007-09-17

なかよし

[]原作物は編集者の都合で歪む

今日の東京は夏が戻ってきたかのような蒸し暑い一日でした。昔の職場に顔を出して、最近の市場動向について聞いたり、猫たちの食料を買い込んだりした後、編集部に行って作業。どうも徹夜になりそうです。


さて。昨日は「作家選びは編集者の一番重要な仕事。だが原作物の世界ではこの仕事が歪められている」という話をしました。


どんな編集者も、できることなら原作ファンに喜んでもらえるマンガを作りたい、と思っています。ですがこの思いの邪魔をする、作品の外にある事情というものが、編集者にはたくさんあります。

「この作品はあいつ向きだが、あいつはオリジナルで勝負させたい」

「新人に実戦経験を積む機会を与えたい」

「手が空いている作家に仕事をあげたい」

「この企画なら欲しかったあの作家をつれてこれるかもしれない」

「適当な人間がいないが、彼に任せれば無難にこなしてくれるだろう」

作品より自分の都合を優先した瞬間に、作品は歪みます。そして原作物は非常に都合に流されやすいジャンルでもあります。


ではなぜ原作物は都合に流されやすいのか。これには原因が二つあると私は考えます。


次回は二つの原因のうちの一つ。マンガ編集者オリジナル作品が好きで、原作物はおおむね好きではないという話をしたいと思います。