2007-09-25
■[編集]マンガ雑誌の落日(1)雑誌は売れず、単行本が売れる
これまで作家は公人として敬称を略してきたのですが、偉そうでおちつかないので「さん付け」に変えます。
今日は主に「とある科学の超電磁砲」の単行本作業をしておりました。発行部数も決定し、今のところ順調です。作品の出来には自信がありますので、原作ファンはぜひ一度ご覧ください。
さて。マンガ雑誌の売り上げが減少を続けています。2005年はマンガ雑誌の販売金額がマンガ単行本を下回って話題になりました(参考)。こういう風に言うと読者のマンガ離れが進んでいるように聞こえますが、マンガ単行本の売り上げは落ちておらず、ほぼ横ばいの状態です。マンガ離れではなく、マンガ雑誌離れなのです。
売り上げを上げるため、マンガ雑誌はヒット作の開発にいそしんだり、メディアミックス展開をしたりします。しかし、これらの取り組みが部数の減少に歯止めをかけられていない現実があります。
2003年、慶應義塾大学SFC熊坂研の学生が月刊IKKIに行ったインタビューで、編集長の江上英樹氏が、浦沢直樹さんの「MONSTER」とビッグコミックオリジナルについて次のように述べています。
MONSTERが、あんな100万部売れてたけど、オリジナルの雑誌と関係ないんだよ。浦沢直樹、MONSTERとオリジナルを読む「釣りバカいいなー」なんていってる人とまったく関係ないんだよね。アンケートみても関係ないんだもん。
また2007年、「大阪芸術大学 大学漫画 Vol.7」のインタビュー記事で、週刊少年ジャンプ編集長の茨木政彦氏は、小畑健さんの「DEATH NOTE」について次のように述べています。
ずっと275万部の横ばいだったんですけど、小畑健先生の新連載の開始とともに5万部増、その次の号で『遊戯王』のカードが付いたのでさらに5万部増で285万部になります。(中略)『デスノート』が2006年の5月に終わって、それで部数を5万部くらい落としたのかな。
- 作者: 小池一夫
- 出版社/メーカー: 塚本学院大阪芸術大学
- 発売日: 2007/04
- メディア: 単行本
メディアミックスの限りを尽し、累計2530万部を売り上げた(参考)「DEATH NOTE」(小畑健)で雑誌の部数が5万部しか変わらないというのは、業界関係者にとってかなり恐ろしい数字ではないでしょうか。私はこの数字を見てしばらく途方にくれました。
では、1本だけでなくキラータイトルが複数本ある場合はどうでしょうか。竹熊健太郎氏が「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」の中で、マンガ雑誌が成功するためには人気作が3本必要になると主張し、これを「三本の法則」と名づけています。
この法則は1995年(ジャンプが伝説の653万部を記録した年です)までは適用できると思うのですが、それ以降はヒット作が出ても部数が回復しないという流れが顕著になるため、残念ながら現在には適用できないと思われます。
昔は読みたい作品が3本あればみんなマンガ雑誌を購読したのが、今は何本あってもすべて単行本ですませてしまう。マンガを消費するスタイルが、この10年間で劇的に変わっていっています。
何故このようなことになってしまったのでしょうか。次回は読者のマンガ雑誌離れの原因について考察したいと思います。
2007-09-24
■[編集]昔だったらマンガを描いていた若者が、今はライトノベルを書いているのかもしれない
多摩坂です。マンガにしてみたいライトノベルは、昔の作品だと「〈卵王子〉カイルロッドの苦難」。最近の作品では「ゼロの使い魔」です。ファンタジー好きやね自分。
今日は昨日に引き続き小梅けいとさんを自宅にカンヅメ。途中笹倉綾人さんが陣中見舞い&ネコを見に家に来ました。こがん(今日の写真のネコ)が人見知りしてマッサージチェアの中の謎空間に隠れてしまい、紹介できなかったのが残念です。
さて。私は以前、仕事の関係でとあるライトノベルの小説賞の応募原稿をいくつか読ませてもらい、大変驚いたことがあります。何の賞も受賞していない作品たちであるにもかかわらず、そのどれもが私が過去に関わったマンガ賞受賞作品よりも面白く、魅力があったのです。
担当の方が気をつかって、応募作の中でも読めるものを選んでくれたであろうことは理解しています。マンガは話だけでなく絵も描けなければいけないことは重々承知です。それを考慮に入れて、しかしそれでもなおレベルが違いすぎる。この時私は「面白いものを書ける若手は、マンガ以外の業界に流れているのではないか」という危惧を抱きました。
娯楽が少なかった時代は、他に選択肢がないので、絵が下手でもマンガ家を目指すという例があったと思います。しかし現在、クリエイター志望の若者は選択肢に困りません。代々木アニメーション学院の設置学科が良い塩梅に時代を映す鏡になっているので例にとりますが、ここはその時々の需要に応じてアニメーター科、ゲームクリエイター科、声優タレント科、フィギュア科、ノベルズ科などの学科を設置しています。
クリエイター予備軍の進路は増える一方。マンガ家志望者の層は相対的にどんどん薄くなり、近年は特にお笑いやライトノベルに面白いものを書ける人材を奪われている可能性があります。
「マンガが面白くなくなった」と言う人が多くなって久しいですが、その理由の一端は、案外こういうところにあるのかもしれません。
2007-09-23
■[編集]アキバ系コミック誌における「また同人作家か」問題
世のため人のため、「狼と香辛料」の2話のため、小梅けいとさんを自宅に軟禁しています。プロットから概算すると38ページくらいになる(物理的に無理)ので、なんとか30ページ前後に収まらないか格闘中です。
さて。私が仕事をしている界隈では、新連載が始まる時によく「また同人作家か」とか「またエロマンガ家か」という非難の声が聞かれます。「編集者を名乗るなら、外から連れてこないでちゃんと作家を育てろ」ということをおっしゃりたいのだと思うのですが、「やってるけどそれじゃ回らないんだよね」と返してみるのが今日のエントリです。
作家を育てるためには、その基になる作家の卵を多数抱えて、それをふるいにかける必要があります。当然のことながら卵の数が多ければ多いほど、当たりの数も多くなります。
作家の卵の主な供給源は「持ち込み」「マンガ賞」「アシスタント」の3つ。大手出版社は大量の卵を得ることができるので、そこから選りすぐった作家だけで雑誌を作ることができます。これが私どもの界隈になりますと……
「持ち込み」:数が少なく質も低いので期待できません。ちなみに同人作家は「営業はするものでなくされるもの」と思っている節があり、プロになりたいと思っていても持ち込みをする人は少ないです。
「マンガ賞」:どの世界の作品の賞も同様かと思いますが、一部の著名なもの以外は応募が少なく、質も期待できません。
「アシスタント」:絶対数が少なく、その少ない数の中でやりくりしているので、抜けられるとたいへん困ります。
このような感じになります。私どももちゃんと育てているのです。ただ、卵の数が少ないからデビューまでたどり着ける数はさらに少なく、そんな人数では雑誌は回せないのです。足りない分は外に求めるしかなく、結果としてどうしても同人作家とエロマンガ家が多くなります。
「また同人作家か」な雑誌は実は、持ち込みに来てくれる人、自社でデビューすることを目指してくれる人を切望しています。どこだって自分で育てた作家で雑誌を作りたいのです。どこに持ち込みに行こうか悩んでいる方、大手の担当付きにはなったけどデビューできずにくすぶっている方、本命のついでに寄れる所でかまいません。持ち込み先を一つ増やしてみませんか?
2007-09-22
■[編集]原作ファンが支持するラノベマンガの作り方
今日は自宅で作家をカンヅメにする予定でしたが、プロットが遅れて来るのが明日になったので、一日家でネコと微睡んでいました。
さて。三木一馬がこのブログを見つけて宣伝してくれやがったせいで、検索してやってくる人がでてきました。
せっかくお越しいただいたのに読むものがないのは失礼ですので、予定を前倒しして多少なりと読める話を書こうと思います。
私は現在ライトノベル原作のマンガを6本担当しています(プロフィールをご覧ください)。いろいろ見たりやったりしてきた中で「これをやったらダメ」という経験則を4つほど発見しているので、これを紹介します。
(1)メディアミックスの都合で尺を決める
三等兵さんの「短・中・長編マンガの終わり方」というエントリに、小説本1冊はマンガの長編(3〜6冊)に相当するという話があります。
これは実際にそのとおりで、ライトノベル1巻に対してマンガ3巻分は最低かけないと、原作ファンが納得する密度のマンガは作れません。
アニメは1クールの作品でもライトノベル数巻分の内容を消化します。マンガになおすと10巻くらいになる分量です。これをアニメ放送の前後の掲載期間でまとめろとか、全3巻にしろとか言われてもどだい無理な話で、強引にやろうとすると省略だらけの原作ダイジェストに堕してしまいます。
最低でも1:3の比率は死守する。これは絶対です。
(2)リスペクトのない改編をする
原作物をやる時は原作ファンが買ってくれることをあてこんでいるはずですが、ファンを無視した改編をやりたがる人がいます。原作ファンは原作の話が好きだから関連商品を見るのであって、原作をだしに使った他人の自分語りなんぞは欲していません。
改悪された作品を、原作ファンは当然拒絶します。原作ファンから罵られる作品に新規の客がつくでしょうか? ついたとしてそれは原作ファンを犠牲にするに足るほどのものなのでしょうか?
原作ファンが称賛する。そしてそれを聞いた人が買って新たな顧客になる。それが原作物のあるべき姿です。
(3)絵で作家を決める
私が担当している笹倉綾人さんの「灼眼のシャナ」は、いろいろな人から「すごい! 似てる!」と言われますが、笹倉さんの絵はいとうのいぢさんに似ていません。連載を始めてから徐々に近くなっていっていますが、笹倉さん本来の絵柄はMARCYどっぐさんに近いものです。
ではなぜファンから似ていると言われるかというと、原作の絵ではなく空気が再現できているからです。
絵が似ているからとか、上手いからといった理由で作家を決めてはいけません。原作の空気をマンガで再現することのほうがずっと重要だからです。空気を描けない人間のマンガはすぐにメッキがはげます。
(4)1巻の内容を考えなしにそのままマンガにする
人気が出て連載が長期化してくると、原作やキャラクターのイメージが連載初期のそれとずれてくることがあります。
ライトノベルの1巻目は、それ単体でも成り立つように話を完成させなければなりません。また、作家が自分のキャラクターをまだつかめていないこともあります。
巻数が出ているシリーズをマンガ化する時は、シリーズのファンが改めて1巻の話を読んでも違和感を感じないように、そして初めて読む人がそのシリーズの持つ空気と面白さをきちんと体験できるように、話とキャラを調整すべきです。
何も考えずに漫然と序盤の展開をなぞるようでは編集者失格です。
この他にも細かいテクニックはいろいろとあるのですが、それは未来の自分にまかせることにして、今日はここまでにさせていただきます。