2009-03-07
■[編集]本の楽園を維持するために、編集者にできること
空間コミックビームがなくなります。コサキンが終わります。事情はいろいろあるようですが、とりまとめると「銭が無い」の一言に集約できるようです。切ない。
ものづくりの業界にいる人達は、基本的にはみんなその道のマニアです。マニアなので「これ面白いんだけど、売れないよね〜」とかよく言い合いますし、そういうものをけっこう作ってしまいがちです。病が重くなると「これは売れなくていいんだ」とか言いだします。
「別に売れなくてもいいや」って本気で思ってるんなら構わないんだけど、そうじゃないなら、コンテンツをつくる人たちが、「売れなくてもいい」って言いすぎてると思った ― 糸井重里
実物日記:コミケ直前でも気分は夏ティアに向けて。
自分が本を作る時に絶対譲らない、見誤らないようにしている原則はひとつしかない。それは赤字を出さないこと。私達はプロなので面白いのは当然なんです。プロというのは商業出版ですから原価の問題は絶対にあります。「採算を度外視して…」なんて口が裂けても言っちゃいけない。そうでないと販売や業務の人と交渉をできません ― 飯田孝
売れてないってことはそこは赤字になってるってことで、赤字になってるってことはその赤を誰かがかぶってるってことです。売れてない人は売れてる人が稼いだ金で食わしてもらってるってことを忘れちゃいけません。
逆に売れる作品を作ればその分の黒字でたくさんの人を養うことができますし、「売れるかどうかわかんないけど、面白いもの」を作る余裕ができます。金銭的な豊かさは、量的な意味でも文化的な意味でもものづくりを支える土台です。
マニアックなもの、アカデミックなもの、ストイックなもの。どれも私は好きです。好きだから、そしてそれをずっと見ていたいから、この楽園の維持費をまかなえる仕事をしていかないといけないと思っています。
- 作者: ジョアンシェフバーンスタイン, 山本章子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2007/09/04
- メディア: 単行本
2009-03-06
■[書評]高遠さんと水坂さんの新刊購入
高遠るい&海堂尊「ジェネラル・ルージュの凱旋」と水坂早希&りゅうき夕海「令嬢教師静香の淫獄〈上巻〉」を購入。
おつきあいのある作家さんの新刊2点。「ジェネラル・ルージュの凱旋」は高遠さんが描くと速水晃一が某鎬の人に見えて仕方がないのですが、板垣的なアレを抜きにしても面白かったです。こういうのももっと見てみたい。
水坂さんの小説はDL販売のオリジナル同人作品。旧華族のお嬢様教師が、幼馴染(年下)の男の子とその一党にやられちゃうお話。調教する側の男衆(主人公、取り巻き、クラスメイト)が一通り悪いことを経験している悪党揃いなのに、はじめはみんなヒロインにメロメロで一線を越えるのを躊躇するところが、その後の展開まで含めて人間くささが出ていて良いです。
月内に下巻分が追加されるらしいので続きに期待。ああそうそう、しゃあさんに業務連絡。このあいだ渡した作画資料のお代がわりに、あなたはこれを必ず購入すること!
2009-03-05
■[編集]描き文字がうまい人はマンガがうまい
電子館の庭の「F君が漫画の擬音から気づいたこと」というエントリを読んで思い出したことがあるので少し書きます。
私が出版社に入社した時についた直属の先輩は自由放任主義の人で、あまりものを教えてくれなかったのですが、数少ない教えの中に「描き文字がうまい人はマンガがうまい」というのがあります。
描き文字(擬音・オノマトペ・音喩)は音や迫力を加えたり、心理・状態のニュアンスを補強したり、動き(時間)を表現したりできる、マンガにとって重要な構成要素のひとつです。しかし今回強調したいのはそこではなく、描き文字というのは文字通り「描かれた文字」であるということだったりします。
言い換えると「絵でもあり、文字でもある」ものが描き文字であるということです。
「絵でもある」ということは、絵に求められることをすべて求められるということです。状況に応じて変化し、緩急をつけ、適切な形で配置することを求められるということです。たまに大きく書いた手書きの文字を描き文字だと思っているマンガ家さんがいますが、その認識は正しくありません。
シチュエーションに合わせて大きさも形も書体も線質も濃淡も変えて、さらには視線の力学(視線誘導)のことまで考えて、初めて描き文字と呼べるのです。先輩が言っていた「描き文字がうまい」というのは、おそらくそういうことなのだと思います。
迷彩(2)